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松岡さん(司会 以下敬称略):
子どもの頃からオリンピックで金メダルを取れると思っていましたか?
谷本:
私は思っていなかった。私がいた大石道場は先輩を見て夢をもち、後輩を見て初心に返るといった道場でした。先輩の姿を見て私も欲しいなという気持ちが湧いたと同時に夢を持つことが出来ました。
吉田:
小学校4年生の時、親に無理矢理入れられて、柔道を始めたので、オリンピックで金メダルを取るというのは無かった。日本代表になることが先だった。もしかしてオリンピックで金メダルを取れるかもしれないとオリンピックの直前に思うようになりました。
古賀:
今でこそテレビを観ればいろんなスポーツをやっていますし、オリンピックをライヴで観れますが、私の子ども時代は、サッカーをやっている子どもはいませんでしたし、野球をやっている子も周りにいませんでした。私の場合はたまたま遊んでいる友達が柔道を始めたので、俺もやってみようかなという気持ちで柔道を始めました。柔道を始めて、初めて人に負けたという経験をしました。その時に何ともいえない悔しさが表に出てきて、遊び半分で始めた柔道でしたが〝人に負けたくない〟〝こんな悔しい思いはしたくない〟〝だったら強くなるしかない〟ということで、柔道を始めて3・4ヶ月で真剣に柔道をやろうと。小学校を卒業して九州から東京に柔道修業に出てくるんですが、この時には〝誰よりも強くなりたい〟〝世界一強くなりたい〟という気持ちで上京しました。
◇壇上に置かれている92年のバルセロナオリンピックの金メダル2つとアテネ・北京オリンピックの金メダル2つを紹介。
松岡(司会):
オリンピックでコーチや周りの方に言われて良かったと思う言葉はありますか?
谷本:
アテネオリンピックの時に、ここにおられる古賀先生に会場で背中を押してもらいました。〝お前は一本取れる、だから取りに行け〟という一言が自分の中でも、必ず一本取れるから、取りに行くんだという気持ちになれたことが凄く嬉しかった。その後、古賀先生に飛びついた時に〝よくやったな〟と一言いってくれた言葉が私は凄く嬉しかったです。
古賀:
私も彼女のお陰で、自分の現役が終わった後も皆さんの前に出させてもらうことが出来ました。やはり勝負というのは、柔道をやっている人たちはよく分かると思いますが、ポイントを取ると守ってしまおうという気持ちが働いて、時間間際で逆転負けするパターンはよく見られる光景です。しかし彼女の場合は一本取るだけの多才な技を持ってましたし、勝負において守る、或いは逃げるなど絶対に許されない戦いでした。彼女は最後の1秒まで絶対に一本取るんだという強い気持ちを持って、戦える選手だと思っていました。又そういう気持ちを持って戦ってくれることが彼女にとっては一番自分の望む柔道を表現できるのではないかと思っていました。彼女には絶対に「一本勝ちできる」「一本勝ちして来い」という言葉を一つの暗示として伝えました。それだけの先生と生徒の信頼関係がキチッと成り立っていなければどんなに良い言葉をかけても選手には響かないことも多々あります。日常生活の中から選手との信頼関係を先生自身がどう作っていくかが柔道の技術を教える以前の大きな課題だと思って、私はその当時やっていました。