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患者代表インタビュー 『患者と柔整師の会  菅道子  氏』

2014/06/01

―道子さんご自身は医療全般に何を望まれていらっしゃいますか?国民の求める医療というのは、どういった医療でしょうか?

私は、6年前には父を、今年のお正月には母を亡くしました。私も60歳を過ぎたのでそういう時期に来たということなんですが…。別に病気ではなく2人共老衰で、家で看取ることが出来ました。在宅の医療チームの方達にサポートしていただいて、一回も病院に行かないで家でそのまま食べなくなって動けなくなって亡くなったんです。多分、江戸時代や明治時代くらいまではみんなそういう風にしていた家での家族の死を私も経験しました。結局、人間ってあんまり贅沢しないで、質素に暮らして、寿命までそういう風に暮らせば本当に豊かで納得した死に方が出来るんだと思いました。でもあそこで家族が慌てて病院に連れていったらそれこそ、いろんな栄養や体に管をつけられて凄い医療費がかかって死ぬに死ねなかったと思います。本人たちが、もう行ってもいいなって納得していましたし、在宅の先生が〝病院に行きますか?これ以上食べなかったら動けなくなるよ〟と仰って〝いや、結構です。お引き取り下さい〟って父が言うんです。それで、ヘルパーさんが介護に来てくださると〝どうぞよろしく〟みたいな対応でした。じょじょに食べなくなって家に居て10日位で亡くなりました。だんだん小さくなって枯れていく親を看るのは辛いところもありますけれど、考えてみるとそれはみんなやっていたことだと思うと耐えられました。具体的にそんなにハッキリした考えもありませんでしたが、自然の流れでそうなって、2人共90歳近くでしたから慌てるようなこともなく、医療チームの人も来てくれましたし、遠い所に住んでいる妹が、亡くなる時、飛んできました。妹とも意見は一緒だったので特別病院に担ぎこもうとは思わなかったのと、とても優れた在宅医療チームの先生が近所にいらしたので、その先生が来て〝方針変わったら、いつでも対応してあげますよ〟と、たんたんと支えてくださったので出来ました。そういった経験をしましたので、死ぬ時だけではなく、生きている間もそういうスタンスで居たいなって思います。

どういう医療を望むかといえば、やはり過剰な医療とか高額な医療ではなく、つつましやかな医療が有ればいいと思うんですね。欲ばったことを考えなければ、特別憲法を変えてまで他国と争いあったり、今のエネルギーでは足りないからと原発をやめられなかったり、原発やらない替わりに代替エネルギーを今以上に使おうということをしないで済むような、エネルギー消費からいえば、2・30年前に戻せばかなり余りが出ると思います。そういうような考えで医療ももう少し控えてみんなが医療費を少なくするためにはちょっとした痛みで直ぐにレントゲンだMRIだってやるよりは近所に安価で相談しやすい医療機関があるというのは大事であると思います。助産師さんや骨接ぎ、在宅で看とりを支えてくださるお医者さんといった仕事は非常に大事な医療であり、日本の文化だと思うんです。確かに医療過誤があったり緊急の病気に対応できなかったこともあるかもしれないけれど、それ以上に普通に元気に暮らしている人が多少つまずいた時にフォローしてくれる、ごく普通の医療を求める人が頼れる地域医療を守っていかなければいけないんじゃないかということを親を看取って思いました。

 

―治療計画書というものを出していただくと、治療の目安が分って良いと思われますか?

治療計画書というのは接骨院には向かないのではないかと思っているんです。良い面も勿論あると思います。ただ私の場合で言えば、先天性のものですから、いつもいつも痛い訳ではなく何かの拍子にグキッとくる訳で凄く痛くてこのまま歩けなくなるんじゃないかと思う事があるのです。つまり、特別に怪我をした訳ではありませんし、慢性的なものになっていた場合に、現行の制度では、保険適用ではないかもしれないんですが、それに対して股関節症を治しますという治療計画書を書いていただいても私という患者にとっては、余り意味がないように感じます。慢性の変形性の疾患を抱えているといろんな要素がからみあって、例えば生活習慣や抱えている仕事、出産や介護等いろいろあります。そういう生活環境に応じて自分の状況というのは精神的なことも含めて変わってきます。

実は私、痛みや病気のことをあまり否定的には考えていないんです。寧ろそれによって人生が豊かになったり、勇気を起こす力が出てきたり、凄く大事なことだと思うんですね。病気に対して、自分で向き合って超えていく力を養っていく、或いは多少の痛みがあっても大丈夫なように強さを養っていくとか、そういうことで慢性の病気というのはポコッと治れば良いというものでもないと思っているんです。結果的に30年かかえてみて、自分にとってその痛みをもっていたことが大事なことだったのではないかなと。整形で行っていることは、悪い部分を治すということで、でも接骨院というのは例えば慢性の膝の痛みで来たお婆さんがその場では治らないかもしれないけれど、その時に話を聞いてもらったり、若干の手技を受けたりして気持ちを立て直してやっぱりこれでやっていこうと思って帰れる、そんな場所ですよね。

今、腰痛について、よくテレビの『試してガッテン』等では、ヘルニアの原因の80%はストレスだと言われたりするように、心身医療で心や脳の問題というのが凄く関わってきていると言われております。一概に痛みを、例えば痛み止めの薬やブロック注射で留めてしまうよりも、もっとしっかりそれに向かい合うと自分の生活の質の向上や考え方の変換、仕事のやり過ぎだったことに気がつかせてもらって少し生活のペースを穏やかにしたり、例えば犬を飼ったら、よくなったりとか、そういうのに気がつくことがとても大事だと思います。つまり、薬や手術で痛みを取り除くのではなく、一緒に寄り添って看ていてもらえる信頼できる先生が傍に居るというのが生活の質を向上させる大事なことではないかと思います。生活を援助するような医療が求められている中で、接骨院がその一翼を担えると思っています。寧ろ私としては、「痛みの相談窓口」であればいいなって思います。怪我じゃなければダメだとか元々そういう考え自体が凄く差別的なものじゃないかと感じています。人間ってそんなにここからが怪我じゃないとか、こういう怪我だから〝1週間で治ります〟〝1月かかります〟だなんて、支配できるものではないですよね。痛みがあった時に怪我であろうが何であろうと近くに相談できる所に行けたら良いと思います。お医者さんに行くと必ず薬だ、注射だ、レントゲンだということになるけれど、そういうのはなるべくやりたくない。できればそういうことはもうちょっと困った時にお願いしたいけれども、とりあえずは近所の柔整師の先生にお願いしてこれはどうしたら良いのかというのを聞きに行く、それを放置して悪化しても困りますし、何か助言してもらったり、摩ってもらったりしていただいて、その人が立ち直れるまで診ていただくというのは、私は保険適用できるように思っているんです。今実際に、痛みを相談できる場所になっているんですから、これをちゃんと保険者の方に認めてもらいたいと思います。

 

―受領委任払いを償還払いに戻すといった声がよく聞かれますが、それについてどのように思われますか? また様々にある問題点の中で一番何を改善されて欲しいと思われていらっしゃいますか?

今でも一部そういうことがなされていて、県外で医療助成を受けたりした時等、あまり現実的ではありませんね。バス代かけて受取に行ったらマイナスになってしまったり、それぐらい柔整師さんの治療費というのは小額だと思います。それを償還払いにするというのは患者いじめみたいじゃないかと感じます。患者としては、差額を少し負担しても適正に健康保険が使えるようになってほしいと思います。

この間の全体会議では、柔整の保険請求を厳しくたたいたところ、結果として全体の医療費の額が上がったという話がありましたが、例えば私が股関節が痛くて整形外科に行ったら、柔整師さんの所に何日か通うよりずっと医療費がかかってしまいます。

 

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