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『柔道整復基礎医科学シンポジウム2012』-柔整大学教育と柔整研究の在り方を考える-が開催!

2012/07/01

シンポジウム

引き続き基調講演された高岡氏をはじめ研究発表者8名によるシンポジウムが行われた。司会の白石氏から〝お待ちかねのシンポジウムです。今回は会場からいろんな意見を聞きたいというのが正直なところです。今回は何か結論を出そうということではなく、いろんな年代の職業も別な人たちが柔道整復師をどういう風に考えているのかを話し合いたい。これまで、こういう機会をつくることは無かったと思います。一堂に会して様々な立場の人が柔整について如何考えているかを会場の皆さんに言って頂きたい〟とあり、寄せられた質問の中で一番多かった〝一体どんな姿を柔道整復師っていうんですか?如何あるべきなんですか?〟について、シンポジスト一人一人に意見を求めた。

安井:
私自身、柔道整復師は基本的に医療の一つではありますが、超音波以外画像診断とかそういったことは出来ない、制限がある中で、診断という言葉を使ってはいけないとなっていますが、実際はデータで診断せざるを得ない。治療方針を立てて治療して最大限の治療効果を発揮しないといけない。保存治療のプロフエッショナルとして私達が位置を獲得しなくてはいけないと思っています。

宮坂:
教科書的にいうと運動疾患、主に外傷という風に書いてあるんですが、私の中では柔道整復師が診れるものは保存療法の中でも特に固定と運動療法が必要なものが柔道整復のやるべき仕事と考えます。固定と運動療法が必要な疾患が適応疾患と考えております。

名和:
若輩者の私が偉そうな意見を申し上げるのは大変申し訳ないです。私は接骨院の診療に従事しようと思ったんですが、温泉のクイックマッサージと整体と接骨院があまり違わないという現状が凄く哀しくて、これは変えなければいけないと思った。科学的にモノを考える、科学的根拠を得た上で診療するということ、まずこれを身につけなければいけないと思いました。私は修士で藤田保健衛生大学に行きましたが、そこの学校は医療大学で医学部の他に看護・PT・OT・レントゲン等、メディカルとコメディカルの大学です。チーム医療を大事にしておりその中に柔道整復師の名前が出てこないという現実に愕然としました。それで非常に申し上げ難いんですが、事実なのでこの場でハッキリと述べたい。〝占い師と柔道整復師は何が違うの?〟と、馬鹿にされた記憶がありそれを本当に変えなければいけないなと。生意気なことを言うようですが私が思っていることです。

中澤:
柔道整復師がどうあるべきか、何なのかという明確な答えは私には無い常態です。だからこそ、自分が出来ることをしたいと思っています。私に出来ることは肉眼解剖を通して様々な疑問を解決していくということに尽きると思っています。そうすることによって、基礎医学の確立がなされて、臨床との関連性が強くなる。私はそう思ってやっています。自分が柔道整復師としてやるべきことを明確にした上でそれに突き進む、それの総体としてみんなの気持が纏まった時に柔道整復師ってこういうものなんだと言えるようになるんじゃないかと思っています。

外林:
自分自身柔道整復師とは如何あるべきかと非常に悩んでいるところがあり、一つの解消方法として研究をすると何か答えが見つかるのではないかということで5年前に修士課程、医科学的な考え方を柔道整復の教育の中にあてはめていこうと今続けています。一つ思うことは柔道整復師という名前である限り、やはり骨接ぎとしてやっていかなければいけないと思いますし、その中で保存療法のスペシャリストにもならないといけない。今日の白石先生のお話にもありましたが、本来保存療法でいける患者さんが手術になってしまったという、私も数少ない臨床経験の中でありますし、諸先生方からその話を聞きます。手術しなくていいものもしないといけなくなった患者さんに対して柔道整復師ならばキッチリ整復固定、後療法を。物理療法ももっと教育の場で勉強していかなければいけないと思います。特に運動療法に関して柔道整復理論の教科書に殆ど無い状態で、この2つは業務範囲が広くなると思います。様々な研究をされている先生と臨床の先生が一緒に協力して確立していかなければと思っています。

川畑:
研究に携わっていて、いつも言われることは君ら何なのと。その時どう言い返そうかと考えており、「骨接ぎ」ということは外せない。整形外科の先生であっても、内科の先生であっても〝骨をやっているのかい〟と言って受け入れていただけた。ですから、真ん中の核になるところはやはり骨接ぎであると僕は確信しています。骨接ぎとして磨いた技をどんな疾患に適用させていけるのかを僕達は考えていかなければいけない大きな仕事があると考えます。その中で運動療法であり物理療法であり固定法で人の体を如何に上手く治していくか、此処に執着しつつ仕事をすべき職種ではないかと考えます。世の中に受け入れてもらえるというのは受身的ですが、積極的にそこに入っていくほうが良いのではないかと考えています。