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スペシャルインタビュー:稲城市長・高橋 勝浩 氏

2016/03/09

―昨今、地球規模で大災害が多発しています。稲城市の防災計画について教えてください。防災計画を立てる時に極めて重要なことは、何を前例として何を想定するかと言われておりますが、その辺についても教えてください。

「災害時事業提供体制」の整備は大きな課題です。阪神淡路大震災の教訓を元に震災前と後では防災体制が180度変わりました。公助を中心に、税金で消防力を増強して対応しようとしても、機能しないということが阪神淡路で分った訳ですね。そこで自助・共助中心の防災計画に変更するとともに、市内全域に自主防災組織を整備して、自助・共助という考え方を皆さんに周知しております。

最初の頃は〝なんで自分たちがやるの?〟と、家が倒壊したら消防署が来て助けるのは当然だろうという発想は今でもありますが、そうではなく自分の身は自分で救うという考え方です。その後、東日本大震災がありました。大規模災害が起こる度に地域防災計画は順次見直しをしてきました。また、災害対策基本法の法律改正や国の防災基本計画の修正、東京都の地域防災計画の修正等、いろいろ大震災後の計画等の見直しを含めて、その都度いろんな新しいエッセンスを取りこんで稲城市の地域防災計画をかなり頻繁に改正してきました。しかも稲城市の特色は、東京で唯一消防本部を自前で持っていることで、稲城市消防本部イコール稲城市の職員です。東京消防庁というのは、本来市町村で消防業務を行うところを東京都に委託しているのです。消防署というのは、市の行政とは一線を画して災害対応を行う訳で通常の防災等は行ないません。つまり日頃から火災にならないように計画しましょうというのは消防署の仕事ではありませんから、其処の連携というのは組織が違うと難しいのです。稲城市は市の単独の消防本部ですから転勤もありません。従って以前は防災を市の総務部でやっていましたが、私が市長になってから消防本部防災課に移しました。

私ごとでありますが、元市役所の職員であると同時に地元の消防団に入って、分団長までやらせてもらって、サイレンがなると直ぐ現場に行って火を消してという生活が長かったので、消防本部の常勤の職員とも知り合いです。また地域の八百屋さん、魚屋さん、酒屋さん、大工さんなど、みんなと一緒になってやっていたので職人との付き合いも多いです。そういう中で、何が必要だということが分ります。素人が防災をやっても中々分りませんし、ここで骨をうずめる、一緒に死ぬんだっていう覚悟がなければ出来ないことも多い。みんな災害現場を経験した人、救急搬送を経験している人が防災課に異動して、つまり現場経験のある制服組が防災を担当していますからかなり詳しい。地域防災計画など全て自前で作っていますし、東京都の計画の改正があれば直ぐ分かるようになっています。現在進めているのは、南海トラフ等の被害想定を行っており、火山対策、雪害対策も含めて見直しております。

 

―今後、病院で死ぬことが出来ない時代がやってくる中で、どのような地域社会を構築できるか。地域における健康づくりを従来型の健康政策のみではなく、機能の集約化、住居環境及び交通網の整備などまちづくりの視点も加えた総合的な施策の構築等についてはどのようなお考えをおもちでしょうか。

いずれにしても超高齢化になれば病院の収容力も限られ、看護・介護の人員体制等も非常に先細りだとすると、ご質問にあるように病院で死ぬことが出来ない時代が来るように思います。〝死ぬのを予約で来週来てください〟といった冗談にもならないようなことになってしまう可能性は、本当に深刻だと思います。一方、それを避けるための言い訳ではありませんが、病院や施設のお世話にならずに元来人間は自宅で生まれて自宅で死んでいました。それがいつの間にか、生まれるのも病院、死ぬのも病院と思っているのはおかしいだろうと。実は聞いて驚いたのが不動産屋さんの重要事項説明、例えば〝ここで自殺があった〟ということを契約の時に説明しなければいけない。しかし普通に天寿を全うして亡くなれば、それは自然死です。これは重要事項説明の対象ではない筈で、何も事故物件ではないけれども、前の住人が畳の上で死んだら、もうそんな所に住めないから重要事項で説明しろと。まずこの感覚を改めないといけないでしょう。人は自宅で生まれて自宅で死ぬのはごく普通であって、それが何時のまにか生まれるのは病院、結婚するのは結婚式場、昔は全部自宅で行っていました。何時からそうなってしまったのか?死ぬのも病院でないといけないというのは、誤まりです。ただし「終の棲みか」、最後まで自宅でというのは「看取り」をしなければなりません。その「看取り」をやってくれる人はいるのかというと現在では非常に少ない。地域包括ケアシステムが出来たからといって最期に自宅で死ねるかというとそうでもない訳で、ここだけは課題です。最後まで施設に入らないで在宅でというのは、なんとか出来たとしても、最期に自宅で看取れるかというのは、やはり訪問診療しかありません。稲城市の開業医さんは、通勤開業医の方で当市に住んでいない方が多いため「看取り」が課題でしたが、初めて訪問診療の有床のクリニックが出来ました。非常に志の高い若いドクターが有床診療所を開業して訪問診療を行うということですので有望な核になって頂けるかなと期待しています。これまで稲城市は、介護の分野では事業所の誘致など役所がどんどん拡充してきましたが、医療の分野ではいろいろ難しい面がありました。そこを何とか「医療計画」を作る過程で話し合いをして、最終的には不足している部分について誘致できるようなところまでもっていけば良いと考えております。やはり『地域包括ケアシステム』を早期に構築して、できるだけ健康で施設等に頼らず、生まれてから亡くなるまで在宅で健康に過ごすまちづくりを志向して参りたいと思っています。

 

●高橋勝浩氏プロフィール

昭和38年2月8日生まれ。早稲田大学高等学院卒業(昭和56年3月)、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業(昭和60年3月)。稲城市役所入所(昭和60年4月)。稲城市消防団(昭和61年4月から平成12年3月)。稲城市長一期(平成23年4月27日から)、稲城市長二期(平成27年4月27日から)、現在に至る。
主な役職:東京都三市収益事業組合管理者、多摩川衛生組合管理者、稲城・府中墓苑組合管理者、南多摩斎場組合副管理者。
趣味:バスケットボール・ゴルフ
座右の銘:この道より、われを生かす道なし、この道を歩く

 

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