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ビッグインタビュー:ケアタウン小平クリニック院長 山崎章郎氏

2018/10/01

―「ケアタウン小平チーム」では、いま盛んにいわれている〝医療と介護の一体化〟が上手く行われているように思いますが、何故他の地域ではまだそれほど上手くいっていないのか、その原因はどこにあるとお考えでしょうか?また多業種連携のコツみたいなものがあれば教えてください。

ケアタウン小平チームの特徴は医療・介護チームが隣接しているため、いつでも顔と顔を合わせたコミュニケーションが図れると言うことです。そして何よりも「地域の中でホスピスケアを」という共通理念のもとに活動していることだと思います。まず理念ありきで活動してきました。制度があるからやるのではなく、社会が必要としているから取り組んできたという感じでしょうか。ケアタウン小平チームの一員であるケアタウン小平クリニックにとっては、訪問診療に関わる新たな制度は、我々の活動を応援してくれるかの如く、ほとんど後からついてきたと言えるほどです。 多職種連携のコツは、まずは患者さんの尊厳を守るという理念を共有することと、その理念の下には、どのような職種であっても、お互いに対等であると、お互いをリスペクトしあうことだと思います。それから、終末期がんの患者さんのように短期間に病状が変化する状況に速やかに対応できるようなチームを作ること、そのためには、できればお互いの物理的距離も近い方が良いと思っています。 つまり、上記のような多職種連携が上手くできないと、医療・介護の一体化もなかなか難しいのではないかなと思います。ケアタウン小平チームは、実際に活動している一つの地域モデルですので、ぜひご参考にしていただきたいと思います。

 

―2025年に在宅医療を受ける人が100万人を超えると言われております。また、16年の死亡者のうち自宅で亡くなった人は13%であったとされています。やはり山崎院長は講演で〝半径3から4キロ位が適切と思って行っています。この3年間、私たちが在宅で関わって亡くなった人の数は270人。その内ガン患者さんは235人(85%)は、在宅で看とりが出来ました。ガン以外の方達も約74%の方は在宅で看とりが出来ました。ご本人とご家族が「最期は在宅で」を希望された方達は、ほぼ100%でした〟と述べていらっしゃいます。このことから2025年までに国がのぞむ在宅医療はある程度達成できるとお考えでしょうか?

そこは微妙なところという気がしています。2025年には、わが国の年間死亡者数は約153万人と予測されています。2017年の推計年間死亡者数は約134万人強ですので、2025年には、現在よりも約19万人、死亡者が増えることになります。病院のベッド数は増えませんので、その増加した死亡者の看取りの場所を病院以外の在宅も含めた、その人たちが生活している場所(老人ホーム等の介護施設)にする必要があります。今までお話してきたように、24時間対応の訪問診療と訪問看護があれば、生活している場所で最期まで過ごすことは可能になります。そのような生活できる場での看取り率を、現在の13%から30%半ばまで増やすことが出来れば、国が望む在宅医療は達成可能だと考えています。
また、介護施設側も、制度上の後押しもありまして、なんとか「看取り」をしようと頑張っています。ただ、介護職の皆さんが、看取りについての経験が無ければ、目の前の人が亡くなっていくことはやむを得ないことと分かっていても、こんな状態で病院に行かなくてもいいのかなど、不安なことがいっぱいあると思います。

そこで、介護職の方々を対象にした看取りに関した研修は必須だと思います。例えば、〝人はこんな風な経過で亡くなります。しかしそれは本人とってはそんなに辛いことではないですよ。あるいは老衰の結果として食事の量が減ってきますが、それは自然なことなんですよ〟等、そういうことを医療者が適切に伝えて、目の前にいる人の老衰の経過やその結果としての死を、これは人が人生の最期を迎える自然の姿なんだと思えるようになれれば、介護施設でも不安なく看取りができるようになるのではないでしょうか。

 

―看取る側の家族や親族もそういった学習をしていくことが大切だということでしょうか?

そうです。昔は殆どの人が家で亡くなりました。当時は医療もそれ程濃厚ではありませんでしたから、そういう意味では老衰で亡くなった人もかなりいたと思います。従って家で亡くなっていましたので、その経過はつぶさに身近な家族が見ていたでしょう。また医者もたまに往診していたと思いますが、老衰を見守るぐらいしかできなかったでしょうから、結果的に平穏な死が多かったのではないでしょうか。

しかし医療がどんどん進歩して、病院に行けばもっと医療が受けられると病院信仰が深まって、最期ぐらい病院で終わりたいと変わってきました。その後は、多くの人が病院で亡くなっていましたので、医者や看護師に全てを任せながら見守っていたのです。殆どの病院で点滴をしていましたからあんな風にしなければ死ねないのかと思ってしまう人々がいても不思議ではありません。しかしながら、病院で死ぬということは決して幸せではないということが分かって、在宅での最期を希望する人が増えてきているのだと思います。人が亡くなっていく経過を家族や身近な親族の人たちも含めて、しっかりと共有し、この場面で延命医療をしてしまうと生命維持は可能であっても、その無理とも言える延命治療は本人には苦しいのかもしれないといったことなども理解し合えれば、そしてそのことを医療・看護・介護が共有出来れば、在宅なり介護施設などでも、最期の時間を迎えやすくなるのかなと思います。  

例えば、在宅での平穏な死を目の当たりにすれば、人はこんな風に死ねるんだ、死ぬと言うことは怖くない、これだったら大丈夫となっていくと思います。誰もみな何時かは当事者になります。当事者になってから慌てることのないように、今の内から少しずつそういうことに備えて、考えておくことは必要です。

 

―山崎院長は〝今ケアタウン小平を支えてくださっているボランティアの皆さんの内、約2割の方がご遺族の皆さんです。つまり、私たちがその方々を必要としていて〝ちょっと応援していただきたい〟と言った時にご遺族の皆さんが私たちを助けてくださるという関係です。これは正に患者さんが亡くなるプロセスを共有した人たちが新しい絆を結んでいくということになります〟と。そういった地域社会での理想的なかたちを形成され、いま最も求められている地域力を育まれていらっしゃいますが、どういう道筋をたどって来られたのでしょうか?

病院で亡くなるということは、そこで物事が完結してしまいますので、それでは医療者とご遺族との関係性の継続は難しいと思います。しかし在宅での看取りの場合、亡くなった場所は我々の活動のエリアですから、訪問診療の道すがら、時々ご遺族に出会うこともあります。また、我々ケアタウン小平チームの取組みの1つに、遺族ケアがありますが、ご遺族のもとに仏壇に供える花を届けたり、半年に一回ご遺族との茶話会を開いたり、一年に一回偲ぶ会を開いたりと、ご遺族どうしが交流できる場を設けています。遺族の方たちの中には、ご主人を亡くされた人もいれば、子供を亡くした人、親を亡くした人もいて、遺族としての立場は夫々違いますが、家で看取ったという経験は同じです。

ただ、家で看取ったという経験は個別の経験なので、その個別の経験が本当に良かったのか如何かという検証をすることは出来ない訳です。しかしながら、或いは自分たちの中に秘めている〝本当にこれで良かったのかしら〟という思いを遺族同士で話し合いが出来ることで、自己肯定出来ることもあるのです。そのような経緯から、在宅遺族会「ケアの木」が誕生しています。「ケアの木」はご遺族の皆さんが中心になって活動しています。つまり個別の体験を持った方達が繋がる場を作ることによって、新しい繋がりが拡がっていくかたちです。ところで、ケアタウン小平では毎年ボランティアを募集していますが、毎回ご遺族の方も参加してくださいます。つまり、我々がサポートした人たちが今度は我々をサポートしてくれるので、それは亡くなっていった人たちが残してくれた1つの贈り物みたいな気もします。ボランティア活動を通して、新たなつながりがさらに広がっていくことを感じています。

 

―〝何故この人たちが最期まで、此処で一人で暮らせたかというと、いよいよとなった時に、同居していない家族や子ども或いは友達が交替で来てくれて介護保険の隙間を埋めた。介護保険制度の足りない部分を工夫すればなんとかなる。終末期のがんの場合には、自分のことが出来なくなってから亡くなるまで約1か月です〟とも述べられておりますが、介護保険の隙間を埋めたり、介護の宅配サービスについても教えていただけますか?

24時間対応の訪問診療や訪問看護があることを前提に、亡くなるまでの介護があれば、在宅で最期まで過ごすことは可能であることは、今まで述べてきた通りです。ですから、独居の方の場合であっても、介護保険による訪問介護のはざまを埋めることが出来れば、最期まで家にいることは可能なわけです。我々も、独居の方の看取りを行っていますが、では、どうやって、その狭間を埋めたのかと言えば、普段は来ないけれどイザという時に期間限定であれば助けるという親戚がいたり、友人が居たり、自費でヘルパーさんを頼むなどしていました。地域性があるでしょうけれども、少なくとも介護保険や医療保険制度は全国共通ですから、その様な制度以外にこの地域であればどういう資源を活用すれば狭間を埋めることが出来るのかという目で見ていけば、制度のはざまの埋め方は、ボランティアも含めていろんなやり方があるという風に思います。 例えば、大牟田市が市民を対象に認知症のサポーターをどんどん作り上げました。つまり、認知症の人々を守るために地域住民が参加する訳です。結果的に、認知症の人たちが町の中を歩いていても誰もが見守っていてくれるようになるわけです。いろいろ工夫をすれば出来ることはあると思います。世の中をよく見渡してみると「ケアタウン小平」もそうですが、必ず先進的に社会の課題に取り組んでいるところがあります。そのような先進事例が上手く組み合わさっていけば素晴らしいと思います。

 

―〝私たちは、人が亡くなることを医療的な事象としてだけは見ておりません。それは、誰の身にも起こることです。死は適切な苦痛緩和が出来ていれば、恐れる苦しいものではありません。重要なことは、大切な人が亡くなっていく過程に家族や地域の皆さんが参加することです。私たちが在宅ホスピスケアを通して目指すことは最後まで住みたい地域社会を創ることです。最後まで人権が守られ、自立と尊厳が守られる地域社会です〟。またディスカッションの最後に、〝目の前にあるニーズをしっかり見つめていけば普遍的なものは出てくるんです〟と結ばれています。このことに関して、あらためて山崎院長からご説明いただけますか?

人が生きて死んでいくということは、これは正に普遍的な事実ですから、そのプロセスの中で何が問題で何が課題で、如何取り組めばそれが解決できるのかということについては、現場に居る人たちに直接会ってその人たちの声を聴き、その声にキチンと応えていけるようなものを創り上げれば良いのだと思います。1つ1つの声には個別性があるけれども、多くの声を聞くことで、この課題にどうやって応えたらいいのかという普遍性が見えてくるのではないでしょうか。そのためには、制度内だけでは応えられないことも多々あるでしょう。制度の後押しも必要ですが、我々が次の世代により良い社会を残すのであれば、今の時代に生きている者の役割として今の時代の課題をしっかりと解決していくことに取り組む必要があるのではないでしょうか。それは、今の問題の解決のためだけではなく、未来を拓いていくためであるわけです。それくらいの意識を持って、この時代を生きていけたらと思います。誰かが苦しんでいたり困っている場面に立ち会うことを選んだ専門職の人たちはよりその志を持って欲しいと思っています。

 

●山崎章郎(ふみお)氏プロフィール

在宅緩和ケア充実診療所ケアタウン小平クリニック院長。1947年、福島県出身、75年千葉大学医学部卒業、同大学病院第一外科、国保八日市場(現・匝瑳)市民病院消化器科医長を経て、91年聖ヨハネ会桜町病院ホスピス科部長。97年より聖ヨハネホスピスケア研究所所長を兼任。2005年在宅診療専門診療所(現・在宅緩和ケア充実診療所)ケアタウン小平クリニックを開設し、訪問診療に従事している。日本ホスピス緩和ケア協会理事。日本死の臨床研究会世話人代表、NPO法人コミュニティケアリンク東京・理事長。著書に『病院で死ぬということ』(主婦の友社、文春文庫)、『続・病院で死ぬということ』(同)、『家で死ぬということ』(海竜社)、『市民ホスピスへの道』(共著、春秋社)、『「在宅ホスピス」という仕組み』(新潮社)など多数。

 

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