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ビッグインタビュー:ケアタウン小平クリニック院長 山崎章郎氏

2018/10/01

山崎章郎氏は〝患者さんのための終末期医療を提供するには、如何すれば良いか〟として自問自答、葛藤を続け、聖ヨハネ会桜町病院ホスピスで実践、高い評価を受けた。しかも地域の在宅ホスピスケアを根付かせ、人間の尊厳を守り続けることを不屈の闘志で貫き、終末期医療の最先端を走ってこられたエキスパートである。
いま喫緊の課題である「2025年問題」も、山崎章郎氏の足跡と提言を読み解くことで希望の光が見えてくる。住み慣れた街で最期まで生きる在宅ホスピスについて話して頂いた。

 

終末期をその人らしく在宅で過ごすための「医療・看護・介護」のチームと拠点作りを推進し続けて…
ケアタウン小平クリニック院長

ケアタウン小平クリニック
院長 山崎 章郎   氏

 

―山崎院長のこれまでの歩みについて、教えてください。

私は1983年に1年間大学病院を休み、船医として、前半は北洋のサケマス船団、後半は、南極海底地質調査船で働きました。後半の南極海で、故エリザベス・キューブラー・ロスの「死ぬ瞬間」という本を読んで、感銘を受けました。船をおりてから再び外科医として勤務していましたが、今までの自分の終末期医療に対する考え方が全く変わってしまいました。

1980年代の頃は、未だガンの告知もされていない時代で、亡くなる時は必ず心臓マッサージや蘇生術等をした後に、初めて〝ご臨終です〟と言えるような時代でした。そこで私は、終末期医療の一つ一つの行為の在り方について確認をしていきました。その本を読んで、臨終の場面で蘇生術を行うというのが本当に正しかったかどうかを考えることになり、家族の人たちに〝もう直ぐ臨終は近いけれども、心臓マッサージは出来ますがどうしますか?〟と尋ねると多くのご家族から〝静かに見守りたい〟と、断られました。そういうことを積み重ねてきた訳です。人生の主役は本人ですが、その当時、がんの告知はタブーでしたので、自分は何で死んでいくのか分からないままに殆どの方が死んでいきました。これはおかしいだろうということで、タブーだった末期の癌告知をするようになりました。全員には出来ませんでしたが、患者さん達が、たとえ末期の癌であっても自分の運命をしっかり受け止める力があるということが実際に分かりました。

しかしながら、その人たちが最期を過ごす場所は、一般病院しかありませんでした。自分の人生の最期を自分なりに精いっぱい生きようとしても今のような在宅医療もありませんでしたから、最終的にはみんな病院に戻って病院で死んでいったのです。病院というのは、治療を前提とした環境で医者も看護師も治療のために頑張っていましたから、やはり人生の最期を静かに過ごす環境ではない訳です。結局、一般の病院は人生の最期を過ごす場所としては、相応しくないのではないかと思い始めて「ホスピス」こそが終末期医療を変える取り組みであると思うようになりました。それで当時の終末期医療の現状を変えたいと願って書いた「病院で死ぬということ」が、私が最初に書いた本です。しかも、その本の中で〝僕はホスピスを目指す〟と宣言をした訳です。そういうこともあって小金井の桜町病院から〝ホスピスを作りたい、ひいては来て欲しい〟という話があって、ホスピスケアを始めたというのが経緯です。

 

―桜町病院には何年位いらしたのでしょうか?

桜町病院ホスピスには1991年から2005年までの14年間勤務しました。ホスピスケアは、人生の終末を過ごさざるを得ない人にとって、大切なケアですが、医療保険制度に基づいたホスピス(緩和ケア病棟)では、そのケアは終末期がんの人たちにしか出来ませんし、ホスピスに来られた患者さんしか診ることが出来ません。また、患者さんの多くはホスピスに入院したことをとても喜んでいたけれども、やはり〝本当は家に居たかった〟という人も多かったのです。家に居たかった人と癌ではない人も診るためには、ホスピスのチームが家に出向けば良いのです。しかしそれにはどうしたら良いかと考えた時に、ホスピスのチームが地域に出やすいような拠点を作ろうとなったのです。「医療」と「看護」と「介護」のチームが一か所にあれば、いつでもカンファレンスも出来ますし、それはホスピスと変わりません。距離3から4km圏内の所に行きますが、その患者さんに関わる職種は皆同じ所に戻ってきますから、桜町病院ホスピスのケアと変わらないケアが出来るだろうと思って、そのために必要なハードを作ろうとなりました。

 

―「ケアタウン小平」は、幸運にも理想とされる場所を見つけられたということでしょうか?

ここまで来たのはそんなに簡単ではないんですよ(笑)。地域の中でホスピスケアをというケアタウン小平構想に、桜町病院ホスピスでコーディネーターとして一緒に仕事をしていた長谷方人氏が、共鳴してくれて、ホスピスを辞めて「暁記念交流基金」という不動産会社を立ち上げてくれたのです。そして、ハードは私が担う、ソフトは先生が担ってと言うことになったのです。実際に1年近く土地探しをして、あの頃はバブル崩壊の時期で、銀行が土地をいろいろ手放していて、ここは東京都民銀行の運動場の跡地だった所です。この「ケアタウン小平」の一階部分の多くは、大家である長谷さんから借りているんです。また、ここの建物を運営するのは1階だけの収入では無理なので、であれば2階3階はアパートにしようということで、「いっぷく荘」というアパートになりました。「いっぷく荘」も大家さんが管理しています。

 

―いま、地域包括ケアシステムが推進されていますが、そのモデルのような場所という感じがします。

ケアタウン小平チーム活動当初は、よく厚労省の方がお見えになっていました。地域包括ケアシステムの旗振り役を務めておられる当時厚生労働省の事務次官をされていた辻さんも何度か来られて〝此処は一つの理想ですね〟と仰られて、いろんな講演等でもモデルとして「ケアタウン小平」をよく紹介してくれました。我々自身は、地域包括ケアシステムという構想をもっていた訳ではなく、地域の中でホスピスケアをしようと思って取り組んで来たのです。ただし、地域の中でのケアというのは、生活継続の上で出来るものであり、医療だけでは出来ません。必然的に医療と介護が連携を組まなければ、地域の中で最期まで暮らすことは出来ないということは、最初から分かっていました。

今の地域包括ケアシステムというのは、いろんな事業者が一か所に集約するのではなく、地域の中にあるものをそのままにしておいて繋がろうとしている訳です。それでも勿論無いよりはずっと良いと思いますし、慢性疾患とか認知症の方達に対しては、緩やかな連携で良いと思います。ただし癌の患者さん達の約半数は在宅ホスピスケアを開始してから1か月位で亡くなりますから、やはり密度の濃いチームケアが必要だろうと考えてやって来ました。結果的に我々は癌ではない人たちも診ていますが、癌の看取りが出来るチームは、どんな看取りでも出来てしまうわけです。もちろんいろいろな問題に直面しますし、それを1つ1つクリアしないと先へ進めませんが、癌の人たちは家族の問題を含めていろんな問題を抱えていますので、それをちゃんとケア出来れば、他の疾患の問題殆どは対処可能ということですね。

 

―終末を看取るということは、24時間拘束されるためか、やはり在宅医療に入ってくださる医師の方が未だ足りないということもお聞きします。その辺はどうなのでしょうか?

やはり24時間なんですね。24時間を診ていくためには、医者が一人ではとても出来ませんから、チームが必要です。「ケアタウン小平クリニック」を始めてから半年間、医者は私一人でした。それから二人体制になって、三年後から三人体制になりました。三人体制であればお互いに交替して休めますから24時間体制の継続可能です。やはり、一人の先生が24時間というのは中々難しいと思います。頑張っている先生もいますが、多くの患者さんを診ることはできません。医者も看護師も一人で負担を背負うのではなく、一定数の医療チームがいて、ある程度、負担を分担しあえるようなチームが出来れば、介護を含めた地域包括ケアシステムは可能であると今思っています。

日本の地域医療を支えているのは、基本的には開業医です。開業医というのは、殆ど一人開業医ですから、その先生達がどうやって24時間担えるのか。24時間拘束されるというのは凄く精神的に大変なことです。其処を解決しない限り無理でしょう。そこを解決するためにこの4月から診療報酬改定で、主治医の都合が悪い時には別の先生に連絡をとって、その先生は副主治医として主治医の留守を預かるというような、「主治医、副主治医制度」を導入しています。また、一人開業医の先生が三人でチームを組めば機能強化型の「在宅療養支援診療所」として、一人だけでやっている在宅の先生よりも診療報酬を少し高くして、チームを組んで負担を分担しながらやってくださいという制度になってきています。 結果として、制度がどれだけ上手く浸透していってそれに参加する医者が増えるかどうかですが、結局そういう制度が新たに出来てきたのは、医者の自発的な動きだけではとてもダメだということが分かってきたからだと思います。制度上そういう仕組みを作って、少しでも応援するとなってきていることは確かです。つまり〝頑張れば頑張っただけの甲斐がある〟〝頑張っただけ少しでも収入が増えるような仕組みにするからみんな頑張ってね〟ということです(笑)。こういう時代ですから今までの外来中心の医療だけではなく、在宅も大切な医療の役割であると、そんな風に意識が変われば、そしてその意識の変わった先生たちを応援する制度が今どんどん整備されてきているところですから、地域包括ケアシステムの成り行きに関しましては、もう少し様子を見ても良いのではないでしょうか。

 

―山崎院長は、講演で〝がんに限らずに、自分一人で生きていくことが大変な状況になっていく方々にとって、ホスピスケアの考え方・仕組みが素晴らしいものであるという確信を持つようになりました。しかしながら、現在の我が国の医療保険制度では、ホスピスでケアを受けられる人たちは主にガン患者さんに限られてしまうという限界を感じていました。従って「疾患の制限がない」「入院期間の制限がない」ことを考えれば、まさに地域の在宅は環境として整っているということで、ホスピスケアを地域の中で提供したいと在宅ホスピスケアに取り組みました〟と述べておられます。今年で13年になったと思いますが、そのお考えをあらためて聞かせていただけますか?

人が人生を終えていくのに何が必要かというと、まず基本的には、食べること、清潔を保つこと、排泄すること、それがだんだん出来なくなっていきますので、欠かせないのは毎日生活をしていく上での介護です。キチンと世話をしてくれる介護が必要です。亡くなっていくということは体が変化していくことですから、その間に苦痛も出るかもしれませんし、どうしても医療は必要です。しかもそういう変化は夜昼なく起こる可能性がありますから、24時間の医療と看護が基本的なものとしてあり、其処にその人が亡くなるまでに必要な介護があれば何所でも人生は終われるということです。

ホスピスにしても病院にしてもそこで人生を終えていけるのは、其処に医療と看護、しかし看護の殆どは介護です。それがあるから出来る訳で、医療と介護さえキチンと整っていれば、場所は問わないのです。病院はその人にとって居心地が良い場所ではありません。従って居心地の良い場所があって、其処に今話したような24時間対応できる医療チームが参画すれば、何所でも通用するということなのです。自宅でもそうですし、24時間対応の医療・看護のチームがしっかりあれば、後はどうやって介護を整えるかという話です。家族の方がみたり、介護のヘルパーさんなり、たとえ一人暮らしの人であっても介護がなんとか充たされれば、4年前の上野千鶴子さんとのシンポジウムでお話がありましたように介護保険の隙間を埋める工夫さえできれば、「おひとりさま」でも、最期まで住み慣れた家にいることは十分可能ですと皆さんに堂々とお伝えできます。今後どうしても「おひとりさま」が多くなります。今は老々介護であってもどちらかが先に亡くなれば「おひとりさま」ですから、「おひとりさま」は否応なく増えます。

よく孤独死は良くないとされていますが、孤独で死んでいくのと孤立で死んでいくのとでは違うと思うんですね。孤独を愛する人もいる訳で、必要な時に必要なサポートを受けられた結果一人で亡くなっていくとすれば、その人にとっては満たされた死になるのかもしれません。しかしながら助けを求めても誰も来てくれない中で死んでいくのは、これは辛いです。必要な医療や看護や介護も入っていたけれど、たまたま最期は誰も居ない所で亡くなったとしても、そのことも覚悟してそのような過ごし方を選んだのであれば、それは見捨てられた死ではなく、決して不幸ではない。従って、自分が一人暮らしで、最期まで在宅で過ごしたいということを考えるのであれば、そのためにはどういう条件が整ったら出来るのかということはある程度シュミレーション出来ると思います。今の私にはその辺がよく見えてきています。〝一人では家で死ねない〟と誰かが言ったとしたら〝そんなことありませんよ〟〝それを出来るような条件を整理してみましょう〟と言えます。一人暮らしで過ごすための足りない条件を1つ1つ整理していけば、足りないものを如何やって補っていけばいいのかとなりますので、様々な工夫が出来ると思います。

 

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