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ビッグインタビュー:(一社)未来医療研究機構 代表理事 長谷川敏彦 氏

2016/11/18

未来医療研究機構代表理事の長谷川敏彦氏は、外科医を15年勤めた後、厚生省老人保健課補佐時代に「寝たきり老人ゼロ作戦」、また国立医療・病院管理研究所医療政策研究部長時代に「健康日本21基本概念」(予防)、「医療安全事故防止政策」「患者満足の測定」(経営)、国立保健医療科学院政策科学研究部長時代に「スリランカ国国家医療計画」「日本地域医療計画新概念」(制度)等々、広い分野で政策提言を行ってこられた人物である。変わりゆく日本の将来を見据えて多くの実験を地域、市町村で取り組むことを新たに提言している。

 

3世代が連携して50年後の社会を変えるための町づくり、壮大な実験に着手することが求められています!
長谷川氏

(一社)未来医療研究機構
代表理事
長谷川 敏彦 氏

 

―先ず長谷川代表は、履歴書に必ず死亡を書くとされていること、そして今年のお正月、5大紙に樹木希林さんのオフェリア〝死ぬときぐらい好きにさせてよ〟について、これからの医療の役割を示唆する名言とも仰られ、人生の最重大事をオープンに話し合う時が来たとされています。そのことについて教えてください。

今まで、〝人生50年〟という風によく言われており、社会の価値感や社会の在り方は15歳-50歳(以下、15‐50)位の範囲に起きる事象に如何に対応するか、如何に生きるかを中心とした社会的価値が重要視されてきたと思います。しかし、私の分析では、50歳以上と50歳以下の人との人口構成を見ると、1970年代頃までは50歳以下が80%~85%で殆どを占めていましたが、2060年以降は50歳以上が60%位となると予測され約3分の2近くを占めることになります。社会はガラッと大きく変わるのです。その大転換のど真ん中に我々は居るのです。我々は、人類が登場してからずっと15‐50位を中心に次の世代を作る、或いは社会を支えるため労働することが人生の使命でした。ところがその使命を終えた後の世代が大半を占めることになると社会の価値観は大きく変わります。たとえば一番最後にある「死」を起点にして物事を考える必要があるでしょう。これまでの15‐50の社会で、勿論人生の最後に死が来るんですが、その「死」は突然外部からやって来る。第二の人生に移行した後、様々なことをやりながら最後に死と向き合う。結果的に、これまでの死は外からやってきて突然命を奪うものなので、恐ろしいし考えたくないというのが今まででした。また医療や社会福祉というのはそういうリスクをどうやってカバーするかということを中心に作られています。ところが結果的に子育てや働くことを終えてからの第二の人生のほうが長いのであれば、価値観や制度を一番終わりの死を起点に考える必要があるだろうと。講演等を聞きに来る方々に自己紹介でそれを伝える意味もあって履歴書にそう書いています。

この5年間位で社会全体が変ってきたと思います。オープンにそういうことを話すことが出来る時代になりました。要支援・要介護になった段階というのはもうそれ程「死」が遠くありませんし、その過程が大事です。寧ろ一番最後のエンドポイントを考えなければいけないと元厚労省事務次官の辻さんは仰られていると思いますが、もう少し手前から考えるべきかもしれません。人生のスイッチの切り替え、50歳からの人生というのは、それまで労働して子どもを産んで育てるというハッキリした目標が与えられている時期を超えてしまうと「なんでお前は生きているんだ」と、自分で考えなければいけない。どっちにしても最期は死ぬんです。その死までの間に何をするのかということを突きつけられている訳です。私はそれを「一億総出家」とか「ところてん出家」と称しています。今までは一部の哲学者や宗教家の方が一所懸命「人生とは…」など考え悩んでいたと思います。しかも「働らく」ことが社会や人類の概念として与えられていましたがその役割を終えてしまうと自分がそれを探し求めなければならない。一部の宗教家、一部の哲学者にだけ与えられていたことを自分でやらなければいけなくなった。結構大変なことだと思います。

ソモソモ論みたいなことを言っているように聞こえるかもしれませんし、お説教みたいに聞こえるかもしれませんがそうではありません。何故ならばケアをする側、医療者、介護者はその事をご本人が言ってくれない限り支援できないんです。15‐50の世界では、これが理想的だというモデルがあって、その後に病気を発症すると支えたり、治すという風に明確に分かる訳ですが、病気は沢山あって治らないし最期は死ぬという状態における個人の支援というのは、ご本人が何をして欲しいかをしっかり伝えてもらわないとケアが困難になります。出家してもらって、自分はこんなことをしてもらいたいんだという希望や要望を伝えて頂く。それがあって初めてケアや医療が社会的に成立することになると思います。

 

―また以前より、長谷川代表は、癌について、これからは皆争って癌で死のうとする時代になるのではないかとも話されておりますが、そのお考えについて分かりやすくご説明ください。

若い時の死は避けたいし、しかし年をとってからの死は必ず訪れることであり絶対避けられないことです。従ってそれを如何受け止めて、如何いう風に準備をしていくかということしかないのです。正確にいうと、与えられた社会的役割がなくなったのであれば、自分から社会的役割を考えなければいけないということです。最後は必ず死に至る訳です。今までよく言われている「ピンピンコロリ」は、ご本人は良いかもしれないが、周りは大変です。つまり、今までの15‐50を中心とした世の中ではピンピンコロリを望んだ訳ですが、逆にそうではないことをよく理解しなければなりません。全国レベルの分析ではありませんが、ある町の介護保険の分析によると殆どの人が、大なり小なり80~90%の人が最後は障害或いは介護保険サービスのお世話になっています。樹木希林さんのように〝私、好きに死なせてよ〟ということは出来なくなっていますし、それには前もってしっかり準備しなければならなくなっていると思います。そういうことを考えると「癌」は割と良い。癌で死ぬのはエリートで、現在の死亡原因の3分の1ですが、長期的には良い治療法が出て来たので、4分の1になると言われています。

 

―21世紀になってからの死は、社会的役割を終えてからの長い過程で、多くの場合、病気や障害を抱えながら長らく死と向き合っていく必要があり、その過程も多様で生命維持の手法、例えば人工呼吸器、人工透析、胃ろうによる栄養などが発達し、命を引き延ばす手法も沢山出現したことから、自分で自分の好きな死を選べるということであると仰られています。それについて教えてください。

社会的役割を考えていく途中で残念ながら殆どの場合に障害が起きますし、何度も繰り返し申し上げますが必ず死ぬということを前提に考えなければなりません。その時に、医療の技術を自分の選択でもないのに無理矢理いっぱい与えられてしまう可能性があります。

仕事を終えてから死ぬまでの5年、10年、昔は55歳が退職年齢で、60、65歳位で比較的元気に生きてパタッと死ぬということで、あまり生命維持の方法論が開発されていませんでした。今は例えば人工呼吸器や人工透析器等が出来ていますので、自分の意に反して長生きさせられてしまうことがあり得ます。やりたいことがあるということと命が支えられるということは常に裏表で、その両方とも考えなければいけないと思います。そうしないと周りの人が支えられない。極論を言うと、現場でケアをやっている人たちの気持ちも、その背景にある社会保障制度も〝何のために?〟ということを考えるべき時期に来ているのではないでしょうか。何故ならばそういったケアされる人が1.5倍から2倍に増えて社会資源をどんどん消費する訳です。勿論意味のあることはすべきですが、ご本人も社会もその意味を考えなければいけないという中で、自分は何をしたいかということと同時にどのような形で亡くなっていくかということも考えなければいけない時代になっていると思います。何も考えなければ、自分が想定する死と全然違う方向になって、死ぬ前に管をいっぱいつけられて、スパゲッテイ症候群になってしまうこともあり得ます。

 

―人生50歳頃まで「第1トラック」、それ以降「第2トラック」として考えた場合、第2トラックを「一億総出家状態」と言われており、非常に面白いと思いますが、それについてお聞かせください。

人生をステージとして捉えていくというのは、歴史的にもありました。最近はピーター・ラスレットというケンブリッジ大学の人口学者が提案しています。第1ステージが子供の時から家族を持って働くまでの準備期間、第2ステージが一番アクティブといわれている子どもを作ったり働いたりする時期、第3ステージをそこからリタイアする世代という風に名前をつけた訳です。1980年代今から3~40年前にラスレットは〝第3ステージが増えてくるので、第3ステージの人が勉強したりお互いに社会的にネットワークを組めるような社会にすべきだ。コミュニティカレッジで勉強するチャンスを作りましょう〟という運動を始めました。伝統的社会は1と2がグルグル回っている時期でその少し後に死んでいました。ところが第3に重点を要するということで、私は1と2を併せて第1トラック、第3ステージを第2トラックと称することにしました。最近よく「生涯現役」という人がおりますが、そういう言葉の背景には、第1トラックが終わったら、後は余生だという考え方です。また、定年を75歳まで延ばそうという考えの背景には、〝後は余生だと思っている〟からなのです。しかし、実はそれが本生であるという考え方に変えていこうということです。しかも若い人から仕事を奪いますし、50歳を過ぎてからだと働き方の能力も体力も違います。更に目的も違ってきます。であればギアチェンジをして50歳前後から第2トラックに早く移って、自分自身のための人生の目標として働けるような社会にしていって、願わくば社会全体に貢献するような、地域のコミュニティに根ざしたビジネスを考えていくことです。

社会全体の構造の転換をはかっていく必要があり、楽しい美しいといった精神的に豊かな社会にしていく、一定の付加価値を生みだす経済をこれからどんどん増やしていく必要があります。つまり、一種の産業革命が必要で、資本主義社会はもう限界が来たと思います。資源には限りがありますし、ゴミはどんどん出ます。ところが日本の文化である美しいもの、楽しいもの、美味しいものというのは工夫で無限の可能性があります。日本は江戸時代に実験をして高齢者が活躍しました。江戸時代はそういう時代でそれが実は「生存転換」です。何故かというと人類は15‐50の生殖ウインドウを最大限使ってきて近代に大成功しました。それまでは平均寿命が35~45歳で15‐50を全部使えていなかったのです。ところが資本主義社会にモノを大量に作って人的交流や技術連携また情報交換等を行うことにより人口が約5倍になった訳ですが、ここに来て限界が近づいているのです。つまり第2トラックを上手く使いながら自然との関係もバランスをとって、最期の瞬間に〝良かった〟と思って死ねる、そういう社会に変えていかなければいけませんし、また変わっていかなければ社会は崩壊します。日本は最先端を走っている訳で、日本が転べば世界も転ぶんです。大変な挑戦で途轍もなく大きな課題だと思いますが、50年後を目指せばいいんだと分かると暗くならずに面白いと捉えたらこれからの50年間はエキサイティングです(笑)。日本の歴史の中で人類のために実験をするというのは、かつて無かったことです。

 

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