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柔整師養成校訪問レポート
【第2回 : 帝京大学医療技術学部柔道整復師学科】
教職員の声
―塩川学科長の専門は生物学と伺ったのですが、どういった経緯で柔道整復学科長に?
私はバイオサイエンス学科の教授ですが、いろいろな方面との接点を持っているように見えたので、学科長として働かせてもなんとかなると、誰かが考えたのではないでしょうか。ちょっと冗談っぽいかもしれませんが、とりあえず、講道館柔道初段でもありますので、まだまだ柔道の達人の柔道整復師の先生も多いようですので、その方面でも、話が合うと考えられたのかもしれませんね。現に柔道7段の栃木県柔道整復師会の宇井会長先生からも、いろいろと親しく教えていただきながら、日常の業務をなんとかこなしておる状態です。私個人といたしましても、武田薬品の研究所に3年間、ニューヨーク血液センター研究所に2年間勤務していた経験がありますので、パラメディカルの分野での仕事は、接着性のない分野ではないわけでありまして、やっているうちに面白くなって、だんだん発展してきているといった感じです。
―柔道整復に対する理念を教えて下さい。
帝京大学の柔道整復の理念は、私にとりましては、非常にシンプルです。「世の中で大事なことは『人々がお互いよりハッピーに生きること』であり、そのためには、『生きている者同士で、なにか出来ることをして、まわりを助けておくこと』であるということ」。人の不幸を見てそれと比較して、自分は恵まれている、というふうにして幸せを感じるやり方は、人間の一つの特性であるかもしれないが、やはり邪道だとは思いませんか?そうではなく、生きている者同士助け合うこと、が重要であります。例えば、膝が痛くて困っている人がいて、自分に柔道整復の術があったとしたら、パッとその原因を見抜いて最良の方法で治してあげる。あるいは完治できない場合(この場合も多いですが、特に高齢者の場合)でも、最善の方法を施して苦痛を和らげ、よりハッピーに生きられるように助けてあげる、これが重要である。そうすると自分も幸せだし、相手も幸せになる。生きている限り、お互いハッピーに生きられる方が良いのですから、お互い出来ることをして、まわりを助けるのです。しかし、これは、実は易しいことではない。「ちょっとしたこと(外傷)を治すのにも、最高クラスの、できれば神様に近いような、スーパースターのような腕前があった方がよい」と私は思っています。つまり、ちょっと治してあげる、そのためには相当の修行・訓練が必要となります。肝腎なところでは、付け焼刃では通用しないんです。やはり柔道整復師たちも、医者と同じように、人間の知恵の及ぶ限りよく勉強して、いろいろな知識を頭に入れて、それを駆使して治療に当たる方が患者さまには望ましい。よって、柔道整復師という人が患者という人を助けるための理論も技術も、その他の人助けと同様、勉強・修行はここまででよい、あるいは、この辺で手を打つ、という妥協は、本来あってはならないものではないかと思うわけです。
―貴校の魅力とは何だと思われますか?
私は実際の施術の技術レベルのアップと同様に基礎理論も重視していますので、「現代生命科学」と銘打った基礎生物学を新しい科目として設定し、また医学に近いところの基礎理論として「基礎医学」という講義も新たに考案し、これらを履修しておくと卒業単位として認められるように規則を替えました。これらは厚生労働省や文部科学省の縛りとは無関係ですし、国家試験に出る・出ないなんていうことも忘れて、生物学科の学生や医学部の学生と同じように「生き物である人間とは何か?」というようなところに焦点を当てて勉強できるようにしています。これらの科目は、他のところにはないのでは、と思います。4年制の大学ということもありますので、こういう科目の勉強の中で、ある種、4年制の余裕の勉強を体感しながら、学生諸君が楽しんでくれることを期待しています。
また、医学系の講義については、板橋キャンパスから自分の大学の医師に宇都宮まで来て講義をしてもらうようにして、医学部の方からの幅広い知識の伝搬も起こりやすいように工夫をしています。これらの先生は皆、毎日手術しているような、その道を知りぬいている先生方ですので頼りになります。このように医学系の講義については、指導してくれる専門家を自分の大学の医学部で賄えるというのも、総合大学である当校の強みだと思いますね。しかし、これは医学部に限った事ではありません。例えば、生物学が専門の私自身も、生理学の話をするときには、分子生物学だとか細胞生物学だとかのバイオサイエンス学科の教授としての視点も生かして、講義内容に盛り込んでおりますし、昨年は私も「実践柔道整復学全12巻(オーム社)」の出版を計画して、そのシリーズの最初の本としての「生理学」も自分で執筆・出版しました。