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東日本大震災から1年 復興への願いを込めて!
【(社)福島県整骨師会会長・遠藤寿之氏】

2012/04/16

―最後に、お話ししたいことなどあれば・・・

少し話をしたいことがあるのは、デンソウというトヨタの部品を作っている広い所があり、2日目にそこを見に行った時は、下はコンクリートで、その上にビニールシートを敷いてあって冷えます。配給になった毛布1枚、そこで年寄が肩を寄せ合っているので、「大丈夫ですか?」と言ったら「私達はもう少しであの世に行くんだ。それより若い人間を見てやってくれ。うちらはいいから」って言うんです。後日、赤ちゃんを抱いていた若いお母さんがいて、「大丈夫ですか?」と声をかけると「私は大丈夫だけどこの子を5日間お風呂に入れていない。お風呂に入れてあげたい」と。後は石守小学校という所に行った時に中年の女の人が「津波にのまれてお婆ちゃん達と離れてしまったけど、別な避難所にいると分かったのでそこに行きたいが、お金もなければ何もないからいけない」と。それで乗せていって会わせて、また戻ってきました。会員も避難所において諸々の対応をしています。
食べ物の問題ですが、5・6日目でやっとおにぎり1つ食べれたというんです。それまでは配給の菓子パン1つとかバナナ1本とか。なぜそんな現象が起こったかというと郡山から先に物を運ばない。放射能だと言って、郡山までは来るが、そこから先の浜の方に運転手が行きたがらない、ここまで取りに来いの世界で、物が不足して、ところが1週間から10日目位になったら一気に物が入ってきて、倉庫が山積みになった。その後1月位経つと救援隊等で色々な市町村から何とか牛やご当地の美味しい物を山積で持ってきて、何とかフェアーみたいのを開いたり、ただし、だんだん避難所の中では水を飲まなくなってくる。体育館等で皆一緒に居るので夜中にトイレ行ったりするのは悪いという事で水を飲まなくなる。トイレ自体も小さいですし、そうなると脳血管症が増えてくる。美味しいものを沢山食べて運動不足で水を飲まないでトイレを我慢している。太ってきてしまうし、体がおかしくなってくるんです。
福島の場合は他の県と違って放射能の問題を抱えているので、これが重くのしかかっていて、復旧・復興という言葉が出ないんです。他の県に申し訳ないけどそういう意味ではなく、例えば宮城・岩手は復興の言葉がちゃんと使えるんです。目の前のこれをどうしていこうかということをしっかり青写真が作れるんです。しかし、福島の場合はまだ原発が落ち着いたかどうか分からない。東北6県で33、34万人が避難している中で、福島は今大体16万人、県外へ6万人が原発関係で避難しています。特に人口流出で怖いのは、子どもたちが本当にいなくなっているんです。尚且つ農林業、コメ、野菜、果物、まだ魚もダメで、福島って言うだけで今は敬遠される。だからこれからなんです。
当時、たった一言だけで毎日やれたことは、田中一哉先生から聞いた安岡正篤という人の「一燈照隅」という言葉で、一隅を照らす、どんなことでも継続していけばいい、本当に一人一人が小さい光でもずっと灯し続ければいずれ大きな光になって、万燈照国になるという教え、その言葉が頭によぎって「一燈照隅」で、自分の出来る事さえやって行けば良いと。立場上できることは何なんだと言った時に、頭ではなく行動しかなかった。千年に1度のこういう時だから、千年に1度のこういう経験を出来る時に必死になって自分の出来る事をやる。そういうことで「一燈照隅」でした。ずっとして苦しんでいた時、田中一哉先生から電話で〝大丈夫か?〟って、あの時は涙が出ました。福島の会員一人一人も同じ経験と苦しみを背負ってきていますが希望をもって前進しています。
いつの日か47都道府県の皆さんにしっかりした御礼が言える時が必ず来るかなって思っているんです。

(文責・編集部) 

 

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