柔整ホットニュース
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東日本大震災から1年 復興への願いを込めて!
【(社)福島県整骨師会会長・遠藤寿之氏】
―今回ビックパレット等の避難所の中で医療関係者と連携されながら施術されたことは、柔道整復師の役割や能力に対する理解をしていただいたと思います。鍼灸師会もやはりカルテを書いて行ったそうです。
30キロ圏内の原ノ町では、途中から鍼灸師は全部受け入れをしなくなりました。鍼灸師の中でも本当に資格があるのか分からないような人達が入る。避難所に入る時にボランティアであれば確認する方法がなく〝私は鍼灸師です〟〝私は柔整師です〟と入ったとしても確認できません。医師会は単独で入ることは殆どありません。其処に理学療法士会も入ります。割振りをした人と話をした時に、最初は蹴られたんですが分かってもらえて〝木曜日と日曜日が空いているからここを埋めていただきたい〟と医療の中に組み込んでもらいました。理学療法士の人達と話をした時に「私達は脳血管障害等の人達がいるのでその人達を重点的に診ます。接骨院の先生方は膝や肩が痛いなど運動器の不調を訴えている人達を重点的にお願いします」という事でお互い棲み分けてやっていきましょうという形で手を握ってやってきました。
―避難所から仮設住宅に移転されたこともあって、だんだんボランティアの人たちも終わられたようですが・・・
1つの目安は4・5・6の3ヵ月行いました。その頃から仮設にどんどん移り始めました。先程話したように自立をさせる意味で、もう止めましょうとなりました。そこに居れば何でもやってもらえるようになってしまって、本当は外に行ったり色々なことができる人達がいっぱいいます。しかし弱者は最後まで残るのです。施術を避難所で最後までやってみた時に、3パターンがあることに気付きました。「その場で怪我をした人」「今まで接骨院にかかっていた人」「今までは整形外科にかかって接骨院を分からなかった人」、大きく分けてこの3パターンです。従って、怪我した人に対してはそこで処置をして、それ以降の処置は近場の接骨院や整形に回します。もう1つは今まで通っていた人達はここにも来るし、車を持っている人は自分で近場の接骨院にちゃんと行っているんです。もう1つ、整形外科にずっと通っていて投薬と処置をしてきた人達が、接骨院というのはこういう治療をするんだと理解し、非常に良いと認めてくれた人がいっぱいいるんです。その人達は避難所の接骨院が閉鎖になった時には必ずどこかの接骨院に行きます。これは私も良かったと思います。だいたい8月で99%の方が仮設住宅に入りましたので、私達は8月いっぱい最後までやりました。
―高齢化が進む中で柔道整復師の役割は重要であると思いますが・・・
今後についてどうしようという考えは、今は何もありません。今までと変わりはないです。日常の施術と今回の災害においての考えはまるっきり違います。今回の避難所での経験をふまえて初期的な事、中期的、後期的と再度考え直して、今度このようなことがあった時に我々柔道整復師は何を行うのかということについては、まさに初期医療の中に組み込んでもらって、中期的には疼痛疾患等を行いながら、中後期的には例えば我々柔整師には柔体操とか色々ありますので、週に2回でも3回でも行って指導したり、後は転倒予防を行うことなどが大事で、理学療法士のやり方を見ていてヒントになったのは、理学療法士の人達がマイクを掴んで〝今日もみんなでやりましょう〟というと皆ちゃんと運動するんです。不具合を訴えている人達を処置するのではなく、悪くならないようなことを我々の方もちゃんとできるのですから。
―文書か何かで今後のために知らせるべきでは・・・
事後処理をしていかなくてはという気持ですが、心の整理がつかないためか、まだ山積みにしている状態です。そろそろ手をつけなきゃと思います。全部の患者の記録を取ってあります。これがあるから次にまた同じ所に行って誰々さんどうなった?こうなった、というものが出てくるんですね。そうでなければ無責任にその時、その場でやって帰ってきたという自己満足だけになってしまいます。簡単なものでもこういうカルテを持ちながら何回来たなどの記録が大事です。
何らかの形で全国から御見舞を頂いて、それに対しての御礼の中に、こういう報告と細部に纏めて福島がやってきたこと、それに対して良かったことと反省点を最終的に纏めて日整に送ろうと思っていますが、福島が行ったことでアピール出来るものがあればと思うと結構いっぱいあるんですが、しかしそれはアピールするようなものでもなく、当たり前のことなのではないかと悩んでいます。