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東日本大震災から1年 復興への願いを込めて!
【(社)福島県整骨師会会長・遠藤寿之氏】
―ボランティアとして施術を行う為に避難所に入られたんですね。
私達の行為はボランティアではないと考え、私はボランティアという言葉は一切使いません。ボランティアの受け付けの場所があって、ボランティアの方々はそこでボランティア受付をして、避難所には様々な人達がボランティアとして入ってくる訳ですが、私達は一切その受付を通しておりません。応急処置が必要な所に入る訳で、逆に県外から入っていただくのであれば、寝る所、活動する所、用意できる事は全てこちらで用意しました。日整という大きい組織の中の県の社団であれば、作れる限りのことは作るべきで、だからこそ組織としての社会貢献になります。あともう1つは、会員や自分の家族、自分自身のことを夫々に思う訳ですが、実際その現場に入った瞬間に自分とか自分の家族とかという気持ちは消えてなくなります。そうやって分かってもらえた会員みんながその現場を見た時には、当たり前のように動くんです。ただし、そこで非常に悔しいというか腹立たしい思いをしたことが幾つかありました。災害救助法にも入っていない中で、それでも尚やらなければいけないとなった時に、場所によって各避難所の責任者が受け入れてくれない。〝柔道整復師というのはどういうことをするんですか?接骨院というのはどういうことをするんですか?マッサージですか?整体ですか?〟と聞かれるのです。〝違います。柔道整復師は昔からこういう資格なんです〟と説明しても理解して貰えなかった。それで、対策本部に行って、担当者の後ろに事務長がはりつき依頼書を早く出せと怒鳴ったりしながら出して貰いました。次に医師会に話を持って行って、医師会でも社団法人福島県整骨師会の柔道整復師が避難所に入る時は協力してくれという依頼も取り付けました。その次には市町村単位の避難所が多いため、その市町村長からの依頼書を取り付けました。各会員が避難をしている50~100人単位の場所に県の依頼書等を持っていくことで、我々はこういうものですという身分が明確になり受け入れてくれるようになりました。ビックパレットに約2500名位、あづま総合運動場は1800名位避難していましたが、そこの責任者やそこに入っている市町村の担当者、看護師、保健師等に話をして、その避難所に接骨院を作りました。あづま総合運動場は午前中何時から何時まで、ビックパレットは午後何時から何時までやっていますと固定化して始めました。しかしそれまでには様々な問題がありました。
―どの様な問題ですか?
1つはビックパレット等の避難所に入った時に医療ブースの中に医師会などが入っています。その医療ブースの3分1位の所にアロマ、クイックマッサージ、整体等いろいろな職種の人を入れてしまった訳です。そうなると場所取りの争いが起こってしまいます。地元の人達もいれば、県外から来られた人達がボランティア登録を行って来るので受けざるを得ない。そこで見ているとかえって場所取りみたいになってしまっていました。そこに入るにあたっても郡山医師会にも顔を出して話を通してから行きました。最終的には接骨院のブースを確保してもらい、それに合わせて今度は上に社団法人日本柔道整復師会・社団法人福島県整骨師会という看板を出していいですかと日整に許可を得て、接骨院を始めました。しかし、長期的にやるのであれば保健所に行って申請すれば良かったと、後で失敗したと思いました。
―避難所に固定した接骨院を作って会員の先生が当番制で施術をされたのですか?
全国からボランティアに来たいという人達を当会の会員と日整に依頼してまとめていただきました。というのは一気に入られても受け入れる場所によってまちまちで、トラブルの可能性が考えられました。日整で窓口を1つにしていただきたいという事と随時1週間単位で3~5名単位の人達を福島社団に送って頂きたいとお願いしました。来ていただいた人用に会員所有の空室を用意して其処に入って頂き、そこからビックパレット、あづま総合運動場に回ってもらいました。その他比較的避難者が多い、津波関係の相馬、原町なども含めてローテーションを組んで車を出して週2回ずつ定期的に7か所位回りました。日整の方から6月いっぱいまで応援いただいて、それ以降は、できる会員をこちらで補充しながら運営していました。最後までやり遂げるといって始めたもので、6月頃が概ね最後でした。ビックパレットを例にあげると、川内・富岡とか幾つかの町村が入っています。そこの看護師さんや保健師さん達と堪えず話をしながら行っていた時に、ある時期から初期・中期・後期の3つに分けて対応となりました。初期、中期が終わって後期になってきた頃に、最終的には避難者の人達も自立をさせないといけないという話になり、その為には医療関係もこの辺が打ち切り時でしょうとなって、終えることにしました。というのはビックパレットでやっていた接骨院がだんだん流行ってきまして、避難所から仮設に移った人達も通常であれば近場の医療機関に行くのにこっちに戻ってきてしまう等、 30人位ずっと並んだりしていました。皆さん全国の素晴らしい技術を持たれている先生達がみんな来てやられていましたからね。我々社団は行政からも最終的には温かく見てもらえたということと、色々な人達が頼りにしてくれたという事は非常に良かったと思います。しかし、個人的には最初からの状況を見てきて思ったことは接骨院というか柔道整復師というか、このままいったらこの業界は駄目になると思いました。