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スペシャルインタビュー:文化学習協同ネットワーク社会的事業部統括・髙橋薫氏

2021/07/01

コロナ禍による経済の低迷は益々深刻である。近年、日本は右肩下がりの経済にあり、生活困窮者が続出。水面下にはどれほど多くの失業者や路上生活をやむなくされている人がいるのだろうか?今の社会、これからの社会はどうあるべきかを追求してやまない「文化学習協同ネットワーク」では、不登校児童の居場所、また働くことを学ぶためのベーカリーやワークショップ、農場などをつくり、厚生労働省や自治体の就労・福祉・教育事業を受託。若者の就労支援とソーシャルファームに取組んでいる。
この「文化学習協同ネットワーク」の社会的事業部を統括する高橋薫氏に若者支援や子どもの居場所づくりとはどういった取組みなのか、またこの困窮者支援体制を拡大しネットワークで繋いでいく意義や志などをお聞きした。

 

人と人が繋がり、そして社会へと繋がっていくサポート体制のシステムづくりが求められています!
スペシャルインタビュー:文化学習協同ネットワーク社会的事業部統括・髙橋薫氏

文化学習協同ネットワーク
社会的事業部統括
髙橋 薫 氏

 

―はじめに何故髙橋さんはこの仕事に就かれたのか教えていただけますか?

2007年から厚労省委託の地域若者サポートステーション事業を受託運営していた中で、武蔵野市の障害者福祉課がひきこもりサポート事業を私たちの団体に委託したことから武蔵野市との関係が始まり、武蔵野市民に関しての相談は武蔵野市でカバー出来るように一緒に事業をやりましょうという話になって、そこからいろいろ拡がってきました。

これまでの経緯については、私たちの団体の前進が学習塾なんです。単に受験勉強だけではなく、様々な試みをやっているところでした。両親はこの塾のことを知っていて、僕は中学1年生の時に入ったのが団体とのかかわりの発端です。何の仕事をしようかなという時に漠然と人と関わる仕事をしたいと思っていましたので、各分野の幅を広げたいという思いもありましたから、福祉の大学に入りました。特に何かこの分野の仕事とは思っていなくて、最初に就職したのは、同じ界隈で働いていた母が教えてくれた、杉並区の嘱託で高齢者の介護予防の仕事でした。地域の高齢の方たちの介護予防です。当時介護保険制度が導入されたばかりの時でしたから、制度の活用など皆さんあまりよく理解されていませんでした。私は要介護状態にならないようにということで、退院したばかりの方のリハビリ教室や地域を回って転倒予防教室を行っていました。その仕事をしている時に丁度、当団体が国のサポートステーション事業を受託することになりました。それまでは本当に塾の延長線上でいろんな問題が持ち込まれて、〝うちの子、この先どうしよう?〟みたいな相談など、年間物凄い数の相談が全国から寄せられていたと思います。そういう活動をしている内に、国の相談事業を行うことになって、そのタイミングで声をかけられて、そこから合流しました。だから、勝手知ったる関係の中で、もう本当にのびのびとやらせてもらっていました。このように、私自身いろんな関係性の中に支えられながら、今に至ると思っています。

 

―文化学習協同ネットワークHPで、私たちのミッション「子どもと若者の居場所づくりと学びの創造」として、子どもと若者が仲間と関わり合い、学び合うことを通して、生き生きと躍動する心と体を回復し、広い世界へ向かって心が開かれていく―文化学習協同ネットワークは、そのための学びの場とプログラムを提供します。そこで子どもや若者たちが新たな人・コト・世界に出会い、やがて自分自身に出会うことが出来ると信じていますと書かれておりました。とても大切なミッションと思います。ただ中々時間のかかることなのだろうと思いますが、これまでの道のりを教えていただけますか?

私たちのやりたいことというのは、「主体を育てる」ことです。今の時代というのは、主体がどんどん奪われていっているような気がしています。恐らくいろんなプロセスの中で、〝自分たちがそんなことを言ったって世の中は変わらない〟とか、〝自分一人がやったって、もうあんまり変わらないよ〟というような、やってもしようがない感、諦めみたいな感じがあります。しかし幸せになるためにどうしていくかという時に、やはり今のそのような環境(世の中)をどうにかしなければなりません。「自分一人だけの幸せ」ではなく、みんなで幸せにならないと本当の幸せではないと思います。

では、どうすれば良いのかという時に、人に対する安心感や信頼感を回復していくこと、そして他者と親和的に出会うということや、ともに考え合いながらひとつひとつのことに対する捉え方の感性を豊かにし、より良い未来に向けた希望を体験的に見つけていくということが必要なのではないかと思います。ちなみに、ここの中心メンバーは、みんな殆ど前身の塾の生徒です。NPO団体のなかには、担い手に困っているところも少なくありませんが、どんどんそういう主体が育つように、私たちの下の世代も育っていくように、意識していきたいと思っています。私たちが運営している窓口に訪れる子ども・若者も、同じように主体的に社会に関わっていけるようになっていくには何があったら良いかという風に考えながら活動しています。それが延々と続いていくと良いと思っています。そういう文化をこの地域につくりたいと思っているので、やはりその時に自分たちの団体の中だけでは、どうしても狭いということがあります。それこそいろんな地域の方とつながりながら、場合によっては全国や世界との関係も主体形成の媒体にしていけたらと考えています。

 

―ここで支援された若者達の行方というのは把握されているのでしょうか?

就職したらおしまいではなく、関わり続けていくことができればと思っています。居場所に参加している若者たちは、彼ら同士でもつながっていますし、私たちと関係の深い現場で働く若者もいます。いわゆる就労支援で言えば、就職したら終わりにしてしまいがちなんですが、それではコミュニティをつくっていくという私たちのミッションからも外れてしまいます。地域の人たちと一緒に、子ども・若者の成長を支えていくような関係づくりをしていきたいと考えています。助け合うのが当たり前であるという関係性(地場)がどこにも無いと相当しんどいですよね。みんなどうしても〝助けを求めたらいけないのではないか〟或いは〝弱い立場にはなりたくない〟など、実は結構大変な状況なんだけど、もっと大変な人もいるしもう少し大丈夫、といった窮屈さみたいなものを感じているような気がします。

今、むさしの地域若者サポートステーションには年間およそ600人が訪れていますが、その一部の若者たちとよく議論しているのは、例えば「権利」の話だったり、「幸せになるってどういうことなのか」等ですが、実はそういうことをみんなあんまり考えてきていませんし、議論してきていません。つまり、そういうことは大っぴらに話せなかったというのです。本当はいろいろしんどいというのは、みんな共通だったりして、〝それはわかるわかる〟〝これも実はしんどかったよ〟とか〝今もこれはきついよ〟みたいな話をしながら、孤立状態から解放されて行きます。そして、それをいかに乗り越えていこうかという時に、一方的に支える人と支えられる人という関係性ではなく、お互いに、そしていろんな力を借りながら上手く乗り越えていけないかとなっていれば、少し気持ちが楽になってくると思います。

この4月から、武蔵野市でも総合相談窓口が出来て、ひきこもりサポート事業の所管が障害者福祉課から生活福祉課に移りました。個別訪問のアウトリーチもありますが、あまり対象が見えない中で〝窓口ありますよ〟と公に言っているだけでは、若者たちに届きません。もうちょっと手近な地域の中に、ひきこもり状態でも出ていって良さそうと思えるような場所を作るというような発想も必要だと考えています。結局は地域づくりです。

 

―文化学習協同ネットワークでは、特に子どもと若者の支援に重点を置かれていると思いますが、現在の社会の中で、子ども達がもっと生きる喜びを感じることができるようにするためには、地域ではどのようなことが求められているのでしょうか?

経済産業省から、Society5.0に向けた人材育成とか、未来の教室などといって教育に関するいろんなことが出てきています。考え方は何か良く聞こえるけれども、それに乗っていけない人がいるということも考えなければならないと思います。ついていけない子ども・若者は福祉でサポートすればいいんでしょみたいな形になってしまっていないでしょうか。近くの小学校の先生が〝どうしたら良いでしょうか?〟と相談に来られたこともあります。現場ではそうした生の課題に日々向き合い、奮闘しています。そう考えると、学校や教員はパートナーです。学校と学校外が連携をとりながら子どもたちの成長・発達保障の取り組みが進んだらいいなと思います。

 

―いまのコロナ禍で、もっともっと不登校の子どもは増えているだろうと思いますが?

増えていると思いますし、やっぱり精神的に追い込まれて心身を崩しているように思います。 いま求められるのは、如何にもっと多様な居場所を作っていくかが大事であると思っています。〝いいじゃんこっちでも〟というものがもっともっと多様にあって、それがしっかりと社会全体に認知されれば、そしてそのときにも、学校と学校以外の場所や拠点がもっとクロスするような形にしていかないといけない気がします。

 

―からだサイエンス誌第155号巻頭インタビューで前川喜平さんは〝不登校の子どもは、2012年度に11万人位までに減りましたが、2012年度を境にどんどん増えています。2019年度では、小中学校の不登校の児童生徒の数が18万人を超えました。・・・不登校は中学校で多い訳ですが、この10年位の間、中学生は1学年に約4万人の不登校の子どもがいます。・・・不登校の定義というのは、年間30日以上休んでいる子どもでその理由が病気その他の理由ではない子どもです。十分学力がつかないまま中学校を卒業している「形式卒業者」といわれる子ども達は毎年毎年うまれています〟等々話され、沢山大切なことを仰られました。高橋さんは夜間中学の必要性などどのように思われていらっしゃいますか?

多様な場を作るという意味でも、夜間中学はとても大切だと思います。夜間中学は外国籍の方が多く活用されていたのではないかと思いますが、不登校経験や家庭の事情などで十分に学ぶことができなかった子ども・若者もいます。例えば不登校もそうですし、今の若者支援の中でも「学び直し」という言葉が出てきたりするくらいで、新たに社会と繋がりたいと思った時に、何度でもやり直しが出来る仕組みがほしいわけです。一度レールから落ちてしまったらもう終わりみたいに感じて、みんなそれで諦めてしまっている。結果的にそれ相応の、給料が低くきつい仕事に就くしかないといった傾向があります。派遣や非正規の就労で身を削って働き、貯金もない、結婚もできないアンダークラスと言われるような人たちが増えてきているといわれています。

勿論基礎学力や、生活面・精神面のケアも必要だと思いますが、それ以上に人との出会いがあって、その中で自尊心も支えられながら、こういう仲間といるんだったら自分もちょっと頑張ってみようかなと。場合によっては一緒に何かやってみようかなという風に繋がっていくような仕組みでもあるのかなという気がしています。山田洋次さんの「学校」という映画は、本当にそういう話です。勿論知識や技術の修得はあるんですが、夜間中学で人間関係を回復したり自尊心を回復したりしながら次のステップに行く準備をしていく訳です。そこの部分の支えとしては、「夜間中学」は一番ハードルが低いように思いますし、活用しがいがある制度なのではないかと思っています。また学校に行き直したいという人は沢山いるんじゃないかと思います。夜間中学もそうですが、職業訓練学校というのもそうだと思います。ただ、職業訓練校というのは夜間中学同様、日本では殆ど下火と言ってもいいかもしれません。働く主体が本当に育っているのか、誇りや喜びみたいなものが本当に育っているのか?そこも問題です。

 

―では、どのような職業訓練学校が理想的でしょうか?

うちの団体がモデルにしているのは、ドイツやデンマークにある「生産学校」です。やはり、EU諸国では移民とかそういう人も沢山いると思いますし、上手く教育システムにのれなかったような10代後半くらいの人たちが行く所で、見た感じでは職業教育的な学校に近いと思います。たとえば、デンマークもそうですが、家具や設備等も全部修復してリペア(Repair)して長持ちさせるという価値観をもっている国が多く、家も室内を改装しながら建物はそのままずっと何百年も大切に使っているんですね。つまり生産学校には、木工や内装を行うための作業場みたいな所があるんです。そして、そういった様々な業種が入った学校になっていて、職種ごとにマイスターがいて、その人が地域の仕事を担っているんです。そこに周辺的に参加して、いろんな知識や技術を学びながら、〝ここはちょっと自分に合っていない〟と思ったら、他の業種に移ることも出来ます。そうやって1年、2年という時期を過ごしながら、一定のカリキュラムを修めていきます。その地域の中において、生産学校を卒業し修了したという資格を得ることが出来ます。その地域の繋がりの中で就労していくようなシステムになっています。

そういうイメージで、うちの団体も「風のすみか」というパン屋さんがあったり、ITの現場を作ったり、少し離れていますが相模原で農場をやって麦や野菜などのパンの材料を作ったりしているんです。パン屋さんの中にも工場で作って送られてきた冷生地を焼くだけのパン屋さんもありますが、できるだけ仕事の誇りや喜び、そしてお客さんとの繋がりを感じられる形にしたいのです。材料の生産から関わるというところでパンに物語が出来ていく訳で、夏場はみんなで草取りに行ったり、みんなで収穫作業もしたりします。その材料を生産して、製造・販売までやることでお客さんにもいろいろ話せます。それはもう自分の経歴とかは関係ないんです。そのようにして、地域のお客さんも、例えば食物アレルギーの子をもつ親御さんや高齢の方など、いろんな人がパン屋さんに来られます。アレルギー対応をしているところは少ないこともあって〝このパンには何が入っていますか?〟と尋ねられても全て分かりますから、そういうことでお客さんから感謝されたりする。病院食としての減塩のパン等もみんなで〝こういうパンが作れないか〟という議論をしながら開発しました。最初の緊急事態宣言の時には、スーパー等に物が無くなったりしましたが、ここにも結構地域の人がいっぱい来られました。普段は菓子パンも作っていますが、そのときはもう止めて、食事パンに限定にしたりして喜んでいただきました。そういうことに関わるというのは、若者たちも誇りを持てますし、楽しいし、働くってみんなの役に立つことだな、〝自分もこういう風に生きていきたいな〟という職業意識というか、生きていく方向性が見えてくると思います。

 

―去年からコロナ感染拡大が止まらないため、これまでのような支援は難しくなっているのではないかと思っています。コロナ禍に限ることなく、何が一番大変でしょうか?現場の声を聞かせてください。

今、思いつくことは2つあります。1つは若者を包摂していく社会のことです。ある程度の年齢になってくると、どんな状況にあっても、やはり就職がテーマになってきます。しかし、働くことが低賃金や、きついもの、希望がないものと捉えられがちの状況の中で、どういう風にして働きがいや展望を切り開いていくのかということです。この間、自分の会社さえ良ければいいではない、支え合いみたいなものにも出会ってきていて、そういったネットワークの中に若者たちを招き入れていきたいと思っています。

もう6年位になりますが、中小企業家同友会という経営者が集う全国組織がありまして、東京でも社長さんたちが集まって頻繁に勉強会を開いているんですが、そこに参加させていただいています。既に経営者の密なネットワークが出来ているんです。〝社員と共に育っていく〟のが会の理念のひとつですが、中にはお互いの帳簿を見せ合いながら経営について相談や意見交換をしている人たちがいるんです。他を蹴落としていくのではなく、一緒に〝どうやっていこうか〟みたいな会です。若者の話をすると、中には〝じゃ、うちで何か機会を作ろうか〟とか、一緒に考えていきたいみたいな人たちもがいるんです。そういう人たちと関係をつくってきました。結局コロナ禍の中で、この「関係づくり」が、凄く難しくなっています。地域レベルでもそうですし、企業のネットワークの中で、若者への理解、もっと一緒に今後どうしていこうかみたいな議論は、ZOOMとかリモートではしきれない。やはり、もっと実態を現場で見たりしながら繋がっていくものなので、その辺が見えずらくなっています。結構ブレーキがかかったという感じはあります。

もう1つは、困難が見えにくくなっているという若者の状況についてです。来ている若者たちを見ていると、家が凄く貧困だとか、中にはそういう人もい居ますし、障がいをもつ人もいるんですが、全くそうではない人、大卒の人もいっぱいいます。そういう人たちを見ていると、いつ失職したり、貧困になったりするのか分からない、もうそういう時代になっているのに、みんな当事者意識を持ちにくい。一方では仕事が中々決まらなかったり、やってはみたけど、体調を崩したり、いろいろ上手くいかなかったりしています。そして就労支援機関では、中身は問わず就職が決まったかどうかの成果さえ上げればという実態に追い込まれてしまう状況もあります。とにかく人材派遣会社みたいなところに突っ込んで、大変な職場の状況で辞めてしまい、結局支援現場に戻ってくる、というような、「回転ドア構造」にどんどんなっていってしまう訳です。

ひきこもりを解決すると謳う会社から逃げてきた人もいましたが、本当に悲惨です。こうした状況から脱出するための資源が少ない。世界的にもそうだと思いますが、とりわけ日本は貧弱です。ヨーロッパ圏で同じような仕事をしている人たちが視察にみえることがありますが、その人たちが言うのは、日本は、学校を卒業したらすぐに働かなければいけないという社会になっているということです。北欧の国では、大学の卒業年齢の平均が29歳くらいで、勉強したくなったら大学に入るみたいなことも当たり前。失業率は高いですが、その代わりに職業訓練や、やり直しのできる仕組みを厚くして、何回でも挑戦できるような仕組みが出来ています。産業の発達が早かった分、そういうシステムが発展してきたんです。日本は、一人の人間の成長期、就職する前まで全部学校が受け持って、その後に会社が〝一から教えます〟という流れで来ているので、再就職とかやり直すための仕組みは発展しなかった。上手く回っている時は良いけれども、それでは立ち行かなくなった時に、多様な働き方だとか言いながら非正規を増やしていった。実はその働き方でどうやって生きていくかというところが未だ見えない。体のいい首切りになってしまっていると思います。そういう風に生活が立ち行かない状況が実は拡がっているんですが、それが恥ずかしいことだったり、相談しずらいことだったりしてしまって、中々表面化し難いというのが今の実情だと思います。コロナでそうした状況はさらに広がっていると思いますが、その様子が十分に見えないということは恐ろしい事態です。

それから、これはコロナに関係ないですが、この間の流れとして強く感じることは、公的な事業、特に国の事業は、「例外無き改革」と称して、全て競争になっています。介護だとか障がい者福祉の分野はもっと早くからそうなっています。私たちが関わる若者支援の分野でのサポートステーションの事業は、2年ごとの総合評価型入札という、入札制度になっています。サポートステーションは、いま全国に177か所ありますが、その審査は、厚労省から、各県の労働局に下ろされました。企画書を書いても、文書というのは書きようによっては、よくやっているように読めてしまいますから、そんなに区別や差がつかない。結局、価格が低いほうに負けてしまう構造になっています。

今年度は、昔から地元でやっている、地域での関係や資源を積み上げてきた団体が株式会社に複数個所とって変わっている訳です。入札制度の在り方そのものを考えていく必要があります。この間一気にその流れが進んだと思いますし、サポートステーションにも地域社会との関係を重視しない株式会社とか営利企業等がかなり入り込んできていますが、一般的にそんなことは知られていません。結果として地域をはじめとする子ども・若者を支える資源は途切れてしまい、それら資源と若者をつないできたワーカーがいつ仕事を失うか分からない状況に置かれています。このことは多くの人に知ってもらいたいです。

 

―少年院の再犯率は大人の方の再犯率より低いと言われております。また高等学校教育を行うということが最近決まり、今年から実施されるようですが、これについてはどのようなお考えをおもちでしょうか?

社会的養護と同じく、テーマが重なるところは大いにあると思っています。実際、保護司さんが相談に来たりもしています。この団体にも元少年院に入った職員がいました。彼は「セカンドチャンス」という社会復帰のための団体の代表をやっているんですが、その切っ掛けになったのは、静岡県立大学の津富宏さんという先生で、元々少年院にも勤めていらっしゃった方です。「静岡方式」というのを提唱していて、少年院に入ったような子たちが地域に戻っていくしくみづくりを実践的にやられている人で、それが今、若者支援の現場でも活かされています。地域の中には〝ちょっと面倒みてやるよ〟という人だったり、〝こういうことだったら出来るよ〟みたいな形で関わってくれる人が沢山おられます。例えば、沼津地域のそういう人たちのネットワークを作って〝こういう若者がいるんだけど、こういうことだったら出来るって言っているんだけど、何処かで受け入れてくれないか〟と数百人が登録するメーリングリストで発信します。〝近いから俺が関わる〟〝私が関わる〟等言って、チームが出来てみんなでいろいろな所に連れまわしたり、アルバイトさせたりしながら、みんなで見守っていくんです。そういった地域が受け止めていくような形をやっていて、事業として支援をしていくというより、地域の力そのものを活かして強めていくという発想です。〝そもそも地域ってそういう機能なんじゃないの?〟という発想でやられていて、凄く面白いと思います。

どんな経歴だったかを問わずに、いろんな人がいろんな所で繋がったり、一緒にどうやって生きていこうかと考える。中にはそうやって、助けてくれる人が、実は当事者だったりもして、そういう風になんとかしようと動いているというのは、とても良いと思います。一人で居ることと孤立は別で、ちゃんと自分の居場所があるということが大事です。そういうのをいろいろ作っていきながら、勿論イニシアティブをとる人は必要ですが、フラットにみんなで話し合いながら、何か一致点が見えた時に、きっとやれること、やるべきことが見えてくる気がして、学校も含めて、もっと気楽にいろんな出入りが出来たり、関われる場所みたいな構造を作れるか、なのかなと思っています。

例えば、三鷹市の八幡祭りにここ数年結構ガッチリ参加させてもらいました。お祭りは本当に周辺参加が出来るんですね。子どもたちでも周辺的にいろいろ手伝うことがいっぱいあって、ちゃんと見てくれている人もいて〝ありがとね〟とか言ってくれたりします。毎年参加していると〝〇〇君だよね〟って言われたり、だんだん接点が出来てきて、お互いに理解が進んで、徐々にそこの人たちも学んでいくんです。〝もっとこういう風に出来ないのか?〟みたいなことを向こうから言ってきたり、若者から〝全体像をもっと知りたい〟と言ってくる等、いろいろクロスしていくんですね。そういった緩い関係の中で出会っていくような機能があると良いのかなとも考えています。質問から逸れてしまいましたね(笑)。

 

―近年、民生委員の方や保護司のなり手が少ないと言われています。その辺についてはどのように思われますか?

今、福祉の業界はどこでもなり手がいないんです。やはり構造的な問題が大きいと思います。ソーシャルワーカーにしても、介護も保育も人手が必要なところにお金が流れない。担い手を育てる仕組みも、条件整備も弱いと思います。それをどうにかしないと多分根本的にはどうにもならないと思うんです。私たちは「西久保保育園方式」と言ってもいいかもしれませんが、保育園と連携しています。保育園は、一日の開所している時間が長く、朝7時半~夜の7時半位までの勤務形態のため、コアタイム(9-17時くらい)の時間だけ正社員が対応して、正社員と重なりをもたせて非正規の保育補助で前後をカバーしています。この人だったら行けそうだという若者をこちらが「職場体験」という形で紹介するんです。体験を経てこの人だったらということで、保育園が若者を雇用して、今10人もの若者が西久保保育園で働いています。そのうちに、〝この仕事をやっていきたい〟、勉強をして資格を取りたいということであれば、相談にのりますし、保育園の中にもフォローしてくれる人がいて、勉強会を行ったりして、支えてもらう訳です。

こうした連携を介護の現場も出来ないかなと考えています。確実に要介護になる人は増えていきますし、支える側が減っているため、凄く切羽詰まってきています。やはりもっともっと待遇改善が望まれます。他にもエッセンシャルワークという人の命や生活を支える仕事は沢山あります。しっかり位置付けて、経済面も含めて働きやすい環境を整えていくべきです。若者が派遣労働の現場の話をしてくれます。倉庫の作業とか、それこそやりがいが削がれてしまうような仕事にも待遇改善が必要ではないでしょうか。

ワーカーを育てる、現場の質を向上させる、持続可能な仕事にしていくための条件を整えるには、みんなで声を上げていく運動をつくることも重要だと思います。若者やひきこもりの事業にかかわる人たちの全国ネットワークもあります。支援現場の職員や研究者、自治体職員、若者の家族や若者自身など立場を超えて議論を重ねてきた、「JYICフォーラム」という団体があって、そこの仕事にも参加しています。こうした議論ができる仲間を増やしていきたいです。

 

―ヤングケアラーの問題に関わったことはありますか?

まさに、その相談にずっと関わっています。実際には、生活保護世帯等の関わりも多く、やはり生活保護というのは、さまざまな困難が重なって、結果として子どもが多くを負うことになってしまうことも少なくありません。外国籍の親で、言語や識字が子どもの方が長けている場合もあります。日本で育った子どもが行政手続きに来るということもあります。そうしたハンディキャップは公的にフォローされるべきですが、自由に動けていろんな社会資源、インフォーマルサービス・フォーマルサービスを問わずに、繋げていく人が必要な気がします。先に述べた静岡方式のように、インフォーマルなものも繋ぎ合わせながら、支え合う構造をいかに作るかというような視点で考えられないでしょうか。立命館大学の山本耕平さんは〝圧倒的なソーシャルワーカーを野に放て!〟と言われています。

実例を挙げると、おばあちゃんと子どもだけの世帯がありました。中3の時に養護の先生から〝卒業してしまうと今のようなつながりが保てない。その先が心配で〟と相談があり、保健室まで会いに行ったことがあります。その時点で、学校はもちろん、おばあちゃんの金銭管理をしている人や生活保護のケースワーカー、コミュニティセンター、児童館、フードバンクをやっている市民団体の人など、いろいろな人がかかわっていました。結局いろいろな所と繋がってやっているんですが、どうしても限界がありますから、いま子ども庁も出来ることになったようですが、繋がり続ける仕組みと一人前になるまでの学び保障の仕組みをしっかり構築していけたらと思っています。

 

―今後の展望なども聞かせてください。

いま私が、担当しているのは、「ソーシャルファーム(社会的企業)」づくりです。炭谷氏の記事を私も読みましたが、ソーシャルファームは世界では拡がって来ています。日本ではようやく、東京都で「ソーシャルファーム条例」ができ、この4月からスタートしています。

根源的には働きにくい人も含めて一緒に働きながら、単にお金を稼いでいくだけではない生き方をいかに作るか。そのためにはいろんな人の賛同であったり、それこそ寄付や人的な支え(ボランティア)も必要だったりするでしょう。私たちのパン屋「風のすみか」は、立ち上げの時からずっとパンの中に入れる具材とかも全部地域のお母さんたちが来てくれて手作りですし、農場で麦や大豆も作っていてたくさんの人がかかわっています。そういう風にして、みんなに支えられています。マルチステークホルダーといって、いろんな所からお金や応援が入ってきて、なんとか成立させていく。そこに若者が参加し、主体的にそういう生き方、働き方を担っていく流れが出来たら嬉しいです。発信が目下の課題です。どうやっていろんな人に知ってもらい、繋げられるかが勝負になってくると思います。あまり広くやるというよりは、地域ベースでいかに良い関係を作っていくかが、ポイントになると思います。

 

 

●髙橋薫氏プロフィール

1979年生まれ。東京都出身。社会福祉士、精神保健福祉士。大学卒業後、杉並区嘱託高齢者支援ワーカー4年勤務を経て2007年にNPO法人文化学習協同ネットワークに入職。厚生労働省委託事業であるむさしの地域若者サポートステーション、西東京市ひきこもり・ニート対策事業、三鷹市子どもの学習等支援事業、武蔵野市ひきこもりサポート事業、若者サポート事業などの委託事業に従事。2015年より文化学習協同ネットワーク内で若者によるIT事業DTPユースラボの担当となる。その他、2017年一般社団法人若者協同実践全国フォーラム(現在は事務局員)立ち上げ、2018年NPO法人わかもの就労ネットワーク(現在は監事)立ち上げに関わり、現在は武蔵野市、三鷹市、西東京市を主なフィールドとして活動。

 

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