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ビッグインタビュー:日本赤十字社 副社長 大塚義治氏

2018/06/16

東日本大震災から7年が過ぎた。奪われた命、失った家屋や田畑を取り戻すことはできないが、被災地の人の思いに寄り添うことは出来ているのだろうか。被災地の真の復興を心から願いつつ、災害大国日本で国民一人一人が安心して暮らすにはどのような心構えが必要であるか。
近年、日本全国で議論されている防災・減災について、これまで以上に幅広い視野から取り組まれている日本赤十字社の大塚副社長に今後の対策等をお聞きした。

日本赤十字社は、これからも尊い命を守り続けます!

日本赤十字社
副社長
大塚 義治 氏

 

―日本赤十字社の副社長としてのお考えをお聞かせください。今の日本の高齢化社会をどのように受け止めていらっしゃいますか?また少子化、人口減少については如何でしょうか?

赤十字社の立場からということではなく、少子高齢化は日本全体、また世界にも共通する問題なんですね。逆にいうと赤十字も含めて日本のあらゆる人々が考えざるを得ない問題だと思います。人間の長年の願いであった「長寿」が達成されてしまったことで、予測を超えるような人口構造の変化が起こっている訳です。
私は、それを過剰にマイナスに受け止めてはいけないと思っています。さまざまな問題があることは事実ですが、それをどのように解決していくか、前向きに考えていくことが大切なのではないでしょうか。

日本老年医学会が〝高齢者の定義を変えよう〟と提言されている。
政府も識者も言っていることですが、まさにその通りだと思います。比較的若い高齢者は社会の担い手側に回って頂くという発想に切り替えることで物事が随分解決されると思います。
現に昔の高齢者と今の高齢者は明らかに変わっています。社会的な活動を十分出来る人たちが非常に多くなっていますので、積極的に社会参加いただいて、出来るだけ社会の担い手側に回って頂くように仕組みを変えていくべきであり、おそらくそういう方向しかないのではないかと思っています。

一方で少子化問題ですが、これも先進国共通の問題です。
一人の女性が産む子供の数が減るというのは、日本だけではなく、日本はちょっとスピードが速いという面はありますけれども、共通の現象であり、言うならば、人類はそういう宿命を背負っているんじゃないかとすら思えるほどです。
いわゆる出生率が高いといわれているフランスにしても人口が増えるほどの出生率ではないんですね。長い目で見ると減り方が少ないというだけの話です。スピードの差こそあれ各国共通の課題になっている。もちろん保育所を作るとか、子どもを産み育てやすいように女性が働く環境をいろいろ整えるといったことは大事ですが、私自身は、一言で言うと社会の価値観の問題だと思っています。
子どもを産み育てることがとても高い価値だと評価されるような社会であれば、子どもの数は増えてくると思います。しかし、それはどちらかというと昔の社会で、我々の親の世代くらいまでは8人兄弟、10人兄弟という人はざらにおりました。
そういう時代とは違い、もう元に戻ることは難しい。先ほど言いましたように先進国共通の時代変化なので、そういうものだと受け留めて、それに伴う課題に丁寧に対応していくしかないと思っています。

 

―日赤は、全ての力を結集して被災地の救護支援活動を行い、現在も復興支援に取り組まれておりますが、国民の多くは、日赤の役割は緊急な救護が一番の使命・役割であると考えがちです。その後の復興支援は、如何されているのか。また阪神・淡路大震災や東日本大震災、そして2016年4月に起きた熊本地震の違い等について教えてください。

少し質問の主旨とは外れてしまうかもしれませんが、私たち日赤は、災害救護活動の経験を通して、災害というのは同じものはなく、一つ一つ特徴が異なるという認識を持っています。
したがってそれぞれの災害に応じた救護活動を行うことが極めて重要なのですが、同様に極めて難しい。巨大地震災害といえば、近年ではやはり阪神・淡路大震災からですが、その経験から、心理面での問題に対応しなければならないということもあり、日赤の「こころのケア」の活動が始まりました。また、阪神・淡路大震災からDMATという仕組みが出てきました。
DMATの創設というのは、日赤だけのことを考えれば、ある種ライバルですよ(笑)。同じような活動を行って、しかも政府がバックアップするので、資金的にも物量的にも規模が大きい。しかし、日赤だけで災害の全ての救護活動が出来る訳でもありませんから、我々にとっても、それはむしろウエルカムです。私たちもいろんな団体と協力し合い、その時々の状況に対応するなどの努力をしてきました。

そこへきて、東日本大震災です。
その間に新潟県中越地震などもありましたが、東日本大震災は今までの災害とは全く違って、とにかく広域でした。そして、なんといっても阪神・淡路大震災とまるで違うことは、巨大な津波による被害です。
東日本大震災から見ると阪神・淡路大震災ですら局地的と思えるほどで、それほど酷かった。津波で地域ごと根こそぎやられた中で、やはり大きかったのは、自治体も大きな被害を受けてしまったことでしょう。職員が半分になってしまった所もありました。
それまでと同じようにスピーディ且つ強力に救護活動を行おうと思っても出来ない地域が多くありました。また、飛んでいって瓦礫の中から救い出すという性格の活動でもなかった。被災者が寒さで疲弊してしまったり、住環境が劣悪のところに長く居ることによっていろんな病気やストレスが生じるなど、阪神・淡路大震災より長期的なケアがはるかに大きい面がありました。
支援活動が長期に及ぶとスタッフの逗留も長くなりますから、スタッフの疲れもたまり、頑張ろうと思っても活動出来ないんですね。

これらによる教訓の一つは、長期的なケアを必要とする救護活動では、スタッフのケアも本気で考えなければならないということでした。また、救護活動の中心となるべき自治体も被害を受けてしまったために、動こうにも動き出せなかった例も多かった。
私たちも、今後は「プッシュ型支援」と言われるような、被災地域からの要請を待たずに本社や支部が救護活動を始動させることができるようにしていますが、そういった方法もシステマティックに考えなければいけない。そういった多くの課題が東日本大震災では浮上しました。

そして、2年前の熊本地震です。災害の規模としては、阪神・淡路大震災や東日本大震災の2つの災害に比べると、それほど大きくありませんでしたが、震度7という揺れが2度発生することは経験したことがないものでした。
もちろん地震の揺れによる被害で亡くなられた方も多くおられましたが、この熊本地震の時に多くの人が言われたのは〝震度7の地震を経験して、やっと収まって家に戻ったら、また震度7が起きて、すごい不安感を持った〟ということですよね。
私の友人も〝自分の家は倒れていないけれども、怖くて入れないので、車の中で寝泊まりするなど、不自由な環境の所に長期に住むことになった〟などと話していました。日赤では、建物が崩れた訳ではありませんが、救急活動の中心となる熊本赤十字病院が被災し、これに対して全国の日赤病院等が応援、バックアップすることで地域の医療を確保する活動を行いました。

これまでの震災の経験を通して思うことは、東日本大震災もそうでしたが、支援活動等で大勢の人が集まって来られますので、その調整・コーディネートが非常に重要だということです。
災害というのは、本当にそれぞれに状況が異なり、いずれも万全な対応が求められますので、そういう準備を今後進めていきたいと思っています。

今回、東日本大震災や熊本地震の活動を検証して、日赤の救護活動の基本となる「救護規則」全体を見直しました。災害救護というのは、緊急救護といいますか、とにかく駆けつけて被災者を救うというだけではなく、やや長期的なケアが必要である前提で考えなければなりません。
先ほど言いましたように、これまでは、地域の自治体なり日赤支部が中心になって各方面の応援を得てコーディネートしながら活動を行っていました。しかし、自治体や支部そのものが被災してしまった時には、どうすべきかというような仕組みをマニュアル化しておくことが大事です。

実際に大きな災害が起こったときには、救護班や消防が駆け付けるまでに時間がどうしてもかかってしまいます。ですから、言ってみれば、被災した地域の中で、最小限の被害に食い止める努力が必要です。つまり、防災・減災には、「教育」と「インフラ整備」が重要です。
災害に対する教育、災害を防ぐ教育に力を入れなければならないという観点から、日赤でも様々な取り組みを開始しています。深刻な被害を全部無くすことは無理ですが、軽減することは出来るはずです。岩手の「てんでんこ」という言葉が東日本大震災で有名になりましたが、昔から〝津波が来た〟という報せがあったら、家族のことなどを考えるのは後にして、とにかくみんな各々逃げろ、ということですよね。てんでんばらばらが「てんでんこ」なんですね。こんなちゃんとした言い伝えがあったのにそれが活きなかったところもある。

去る3月11日、7回目となる東日本大震災の慰霊式に参列しました。
それぞれ3県から被災者の代表の方がお言葉を述べられたのですが、特に、ご婦人のお話しになったことが印象に残っています。
津波が来るという報せに、"逃げろ"と旦那さんに言われたが、ちょっと様子を見てくるとそのご婦人が言い、海の方へ出た。そのために、結局、彼女も旦那さんも一緒に津波に呑み込まれてしまった。自分だけ助かったが、彼女は、〝あの時、すぐに逃げようと自分が言っていたら・・・〟と、声を詰まらせたのです。

災害が起きた時に「どうしたら良いか」ということを一人一人が自分自身で考えておくことが大切であるという思いで、いま日赤では、幼い頃から防災意識を持ってもらおうと、幼稚園・保育所で防災教育をスタートしました。
地震や津波、風水害が発生したとき、どのように行動して自分を守るか。身の周りの危険を知って日頃から考えておくことは減災の一助になりますし、たとえ小さい子どもであってもそれは変わりません。また日赤では防災教育の教材を開発して全国の小学校から高等学校に配布しています。大変好評をいただいております。

もう一点、日赤では、「未来へつなげる防災・減災プロジェクト」として、「私たちは、忘れない。」キャンペーンを行っています。企業にもご協力いただきながら、災害の経験や教訓をこれからの防災・減災へつなげるためのキャンペーン活動を展開しています。

 

―国際情勢の悪化が危惧されます。世界の人が苦しみ、子ども達が教育も受けられないまま死んでいくような状況をテレビや新聞で見るにつけ、このまま安穏と暮らしていて良いものだろうか、私たちに出来ることはないのだろうかと胸が痛みます。赤十字や国連が手を差し伸べ救済していることがせめてもの救いではあります。いま取り組まれている活動についてお聞かせください。

大きく分けると、国際的な赤十字の組織は2つありまして、1つは国際赤十字・赤新月社連盟といいます。この会長を、昨年の11月まで、日赤の近衞社長が2期8年間務めておりました。
主として災害救護、例えば、スマトラ沖地震、あるいは中国の四川地震、フィリピン台風、ハイチのハリケーンなど、最近ではネパール地震もありましたが、そういう大規模な災害が起きますと、国際赤十字・赤新月社連盟の一員として、日赤も支援活動に参加しています。

シリアや南スーダンといった中東・北アフリカの紛争地域などで活動しているのが、もう1つの組織であるICRC(赤十字国際委員会)です。ICRCから応援依頼がありますと、日赤もスタッフを送ったり、要請に応じた活動を行います。

いまバングラデシュ南部の避難民が70万人に上り、日赤は6次にわたり医療チームを送っており、これまでに延べ120人を超える職員が入れ替わり活動を行っています。
国際救援活動としては、過去最大規模といっていい程になっておりますが、目下最重点と位置づけて活動しています。しかしながら、現実には、これをいつまでもずっと続けることはできません。地域の力を増強するための支援を続けながら、やがては現地の赤新月社に活動を引き継いでいくことになります。国際赤十字・赤新月社連盟などと、連絡を取り合いながら、出来る限りのことをしていきたいと考えています。

 

―国際救援で派遣される医療チームの人選についても教えてください。

担当部局が日赤病院などと連絡をとり、常日頃から医療チームを派遣できる体制を整えています。国際救援の「拠点病院」が全国に5つありまして、そこが中心になりますが、定期的に研修をしたりして、スタッフの養成を行っています。
実際に人を送るという時には、まず必要な人員に応じて希望者を募り、病院や支部と相談しながら行っています。個別にお願いする場合もありますが、むしろ最近は希望者も多く、行く人が少なくてどうしようということは殆どありません。〝暫く待機してください〟というほうが多いような気がします。

それにしても、こうした国際救援活動は、大変厳しい環境条件の中で行われることが多い。私はよく言うんですが、活動環境の特に酷い所に行く人には、2つくらいクリアする条件があると。
1つは、食べ物に好き嫌いがなく神経質じゃない人が好ましい。私に言わせれば食べ物に鈍感な人が良い。同じ意味で場所にもよりますが、虫にも「鈍感」というか、あまりに気にならない人でないと困るような気がします。いちいちキャーと言っていたら、とてもじゃないけど務まりません。虫に限らず、どこでも寝られるという様な、ある種の鈍感さが必要であると(笑)。

興味深いエピソードは限りなくありますが、またの機会にしましょう。

 

―平成21年11月の連盟総会において出された「2020年に向けての戦略」に基づき、日本赤十字社は活動を再検証し、「人間のいのちと健康、尊厳を守る」を使命としてさらなる国内外での活動を推進するとされていらっしゃいますが、具体的に教えてください。

『2020年に向けての戦略(Strategy 2020)』は、「災害救援と復興」について、地域社会の対応能力を超えた災害に対処し、復興を支援する。「保健衛生と安全」については、個人や地域社会の回復力を強化することを通じて人々の健康を守り、将来の災害に備える。
また「社会的統合」については、高齢者や障がい者、孤児、移民など、社会的、経済的に不利な条件におかれた人々の社会的一体性を促進する。この3つを目標に掲げています。

国内における赤十字の活動は、「日本赤十字社法」(昭和27年8月14日法律第305号)はもとより、赤十字に関する諸条約及び赤十字の基本原則等に基づいて実施されます。

『2020年に向けての戦略』が2009年の連盟総会で決議された後、日赤においても同戦略を踏まえた方針の策定や活動を行っています。
また、2013年に策定した3カ年方針において、「災害からいのちを守る日本赤十字社」をその基本として掲げ、今後、日赤は「応急対応」→「復旧・復興」→「防災・減災」という災害マネジメントサイクル全体に貢献していくことを打ち出しました。

更に、東日本大震災において、日赤の歴史で初めてともいえる本格的な「復興支援事業」を実施しましたが、これは海外の赤十字社を通じて集まった救援金約1,000億円を財源としたかつてない大規模な事業となり、2018年現在も継続しています。

また、世界に広がる191の赤十字・赤新月社は組織規模から事業内容まで多種多様であり、それが国際赤十字全体の強みともなっています。日赤は191社の中でも、約7万人の職員、約120万人のボランティアにより日本全国で9つの分野で事業を展開するなど、140年以上の歴史と強固な組織基盤を持っています。
先ほども申し上げましたように、近衞社長が2期8年にわたって国際赤十字・赤新月社連盟会長を務めるなど、国際赤十字における信頼も厚く、同時に国際赤十字から寄せられる期待も大きいと思っています。

現在、世界を取り巻くさまざまな問題はもはや一国のみ、一赤十字社(赤新月社)のみで対応できるものではなく、日赤は特に医療や防災などの分野において、数多くの人材やこれまでの知見を活かして、期待される役割を果たし、貢献していけると考えています。
もちろん、逆に海外の赤十字社(赤新月社)から、ボランティアやユースの赤十字事業への参画や画期的なファンドレイジング手法等について、学ぶことも多々あります。

 

―広報活動の推進として、「もっとクロス!」の取組みの実践を推進する。マスメディアやインターネットなど様々な広報媒体を有効かつ積極的に活用するとありましたが、今後どのような取り組み内容をお考えになっているか等お聞かせください。

「もっとクロス!」は赤十字の事業間の、職員間の、さらには外部の方々との連携や協力をさらに進めようということを基本に置いて、広報活動を主に、平成19年度から始まった取組みです。
マニュアルの作成などによるデザインの統一や職員同士の勉強会、また各事業の優秀事例を表彰する「もっとクロス大賞」などの実施を通じて、赤十字のグループ力向上を目指しています。
今後はさらに社会とクロスを目指し、対象を広く地域社会へと拡大していきたいと考えています。また、マスメディアへの情報提供や日赤ウェブサイト、ツイッター、フェイスブック、ユーチューブ動画などによって日赤の活動を知っていただくための広報の充実に努力しています。

 

―(公社)熊本県柔道整復師会会長・松村圭一郎氏が昨年の九州学会シンポジウムで、〝柔道整復は検査機器がなくても対応可能、災害時に多い外傷性疾患を日頃から治療している、手技療法・運動療法・テーピング・整復法・固定法等を行う柔道整復術は被災者の方へ安全・安心を提供できる〟や〝国民貢献なくして生き残っていく職業など果たしてあるでしょうか。災害時被災者のために力になりたいと思う柔道整復師は非常に多いのです。他の医療職種の方々も夫々に全国組織を作って現に活動されています。柔道整復師会は日整を中心として組織的により機能的に災害医療活動を行っていくべきです〟と述べておられます。日本赤十字社では、ボランティア組織をどのように今後活用されていこうとお考えでしょうか?

一般論になってしまうかもしれませんが、災害救護活動に限らず、私が常々スタッフなどに言っていることは、赤十字の事業はこれまでの長い歴史の中で、ややもすると、私自身の表現でいうと「自己完結型」でした。自分たちがプランを作り、赤十字ボランティアなどを含め、赤十字関係者のみで実施し、赤十字の中だけで完結するという仕事のやり方が多かった。
かつては例えば救護活動を行っていたのは赤十字くらいでしたから、そうならざるを得ないという面は確かにあった訳です。
しかし最近は先述のDMATではありませんが、民間でも様々な取り組みが始まり、行政の対応も当時とはいろいろ違ってきています。日赤のこれからを考えると、他の団体・組織との連携、協働をするということで活動の拡がりと幅の拡がりを考えていく必要があると思っています。〝他の組織や団体との連携をいろいろ考えていこう〟ということを今盛んに言っているところです。
例えば、コンビニの大手とタイアップして、災害時に必要が生じたときには、より迅速に被災者に届けられるようにする物資協定を結びました。どんな形で組織や団体とタイアップが出来るか、いろいろ可能性を探ってみたいと思っています。
例えば柔整師会ともタイアップ出来るかもしれません。お互いに役割分担をし、連絡を取り合いながら必要な活動をするということは十分考えられると思っています。柔整師会のお立場からすると、日赤とタイアップするか、地域の医師会とタイアップするか、あるいは行政でも良いですし、いろいろ選択肢は多いと思います。日赤も、どういう団体とタイアップ出来るか、大いに研究してみるつもりです。

因みに災害救護という場合を考えた時に、日赤としてもっと協力関係を強めたいと思っている一つが自衛隊です。今でも協力し合って一緒に訓練をしたり、というようなことはやっておりますが、互いに協力し合えることはまだまだあるのではなかろうか。
我々からすると、自衛隊に協力を得たら力強いだろうなと思うのは、物資・人を運ぶ必要があるからです。相当大規模な災害だった場合、あるいは局地的だがアクセスが困難な場所だった場合等々考えられますので。
日赤の支部において、各都道府県レベルで「協定」を結んだりしているところもすでにいくつかあると思います。柔整師会とも上手く連携出来たら良いと思いますし、日頃、意見交換をしておくことも必要かもしれません。

 

―大塚副社長からのメッセージをお願いします。

やはり災害対応の話になってしまいますが、我々自身に対する戒めも含めて、常日頃の準備がどこまで出来ているかということを真剣に考えていくしかないと思います。残念ながら災害は、こちらの都合の良い時に来てくれるわけではありません。
いつ、どこに、どんな規模で来るか分からないという中で、出来ることと言えば、いかに丁寧に、幅広く準備をしておくかということです。先ほど申しました防災教育はそういう発想に基づいたものです。
つまり、広い意味での防災、減災対応がこれからの柱になるのではないでしょうか。

余談ですが、東日本大震災後まもなくの頃に、「地震予知というのは不可能であり、これからの地震関係の学問の中心的課題は、まさに防災・減災を如何にするかで、起きた時にどれだけ被害を少なく出来るかということを研究の主題にすべきだ。」ということをある学者の方が言っており、今では違和感はありませんが、当時そういう言い方をする人を私は知りませんでしたし、そもそも地震は予知出来ないということを地震学者が言い切ってしまうことが、非常に驚きでもあり、新鮮に感じました。
先ほどから、私たち日赤だけでできることは限られているということを申し上げましたが、災害に関する様々な活動は日赤の使命であり、責務でもあります。
これからも最大限の努力を続けていく決意です。

 

●大塚義治氏プロフィール

1947年栃木県生まれ。

1966年、東京都立上野高等学校卒業。1970年、東京大学法学部卒業。1970年、厚生省入省。1994年、同省大臣官房会計課長。1996年、同省大臣官房審議官、1998年、厚生大臣官房長。1999年、厚生省老人保健福祉局長。2001年、厚生労働省保険局長。2002年、厚生労働審議官。2003年、厚生労働事務次官。2004年、退官。2005年、現職。日本赤十字学園理事長兼務。現在に至る。

 

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