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ビッグインタビュー 【新・柔整考⑧】 業界内外の声をお聞きする!

2024/03/01

―所謂多くの柔整師の先生方は、訪れた患者さんに対して、この症状はどういう病名かをつきとめずに、施術されている場合も多々あるように思いますが…

柔整師といえども後から検証した時に、この症状だったら、或いはこの所見を取ってこういう結果が出ているのであれば、そもそも自分達の業務範囲外だし、直ぐにでも専門医に送らなければいけなかったはずだ、と言われないようにしなければなりませんよね。そうしないと患者さんにとって不幸な結果を招いてしまいます。またきちんと医学的根拠に基づいて病態推論をする習慣は、私たちにとって見逃し見落としを防ぐための自己防衛手段でもあると思います。「ギックリ腰になった」と言って来られた患者さんが、そうではなくて尿路結石であるという事を問診と身体所見で見抜く医学的方法は既にあるのですから、それを毎回ちゃんと実行することが必要なんですよね。

ただ、これは何も柔整師に限ったことでは無いと思うんです。このように、自分の専門外の診療科の医学知識も総動員して患者さんを診る能力は“総合診療科的能力”とも呼ばれていますが、柔整師も理学療法士も看護師も鍼灸マッサージ師も言語聴覚士も、また医師も、こういった総合診療科的能力の向上に向けたベクトルを一生持ち続ける必要があると思うんですよね。医師にも耳鼻科の医師・眼科の医師・整形外科医等々それぞれ専門があります。しかしながら自分の専門以外の症状については、しっかり診なかったり、或いは自分の専門の疾患にだけ当てはめて治療しているけれども、実は全然違ったりということがあってはならない訳です。患者さんが急に耳が聞こえなくなって耳鼻科に行ったら「突発性難聴」と診断されたが、実は「聴神経鞘腫」という脳腫瘍だった、ということはあってはならないんですよね。この患者さんは僕から脳外専門医に紹介状を書いて、確定診断が下って手術になりました。

したがって、自分の専門領域のみに当てはめて判断するのではなくて、総合診療科的能力を高めていくこと、それに基づいて真の病態を追求すること、そして必要な場合にはその分野の専門医と連携すること、この3つはすべての医療従事者にとってとても大事なことだと思います。

ではその能力をどうやって培っていくかですが、勿論一つには自分自身で医学書を使って勉強するというベーシックな方法があります。でもその他にもいろんな学びの場があるんですよね。

例えば、これは全ての患者さんに行う訳ではなく必要に応じてですが、ドクターへ紹介する際に僕も同行して直接情報をお伝えした方が良いなという時は、許可をいただいた上で一緒に診察室に入らせていただくことがあります。そうするとドクターの診察もそこで見られるんですよね。それを狙って同行する訳ではないのですが、ドクターの問診や身体所見を一から十まで見させていただくことが可能ですので、それが思いがけず勉強になりました。また各々の先生でやり方が多少違いますから、〝あ、こんな風にやっているんだ〟と、本を読むだけとは違った勉強になりましたね。

あとは例えば、医師の勉強会に参加させていただけるようになったのもありがたかったです。うちの近くの総合病院では、月に1回程度地域の医師を対象とした勉強会を開いていて、内科系から外科系からいろんな錚々たる開業医の先生達がたくさん来られます。医師会の生涯学習単位にも認定されている勉強会なのですが、その中にポツンと1人柔整師の僕も呼んでいただいて勉強させて頂いています。たとえば〝今回皮膚科の先生を呼びました〟とご案内が来て、大学などの皮膚科の先生が講義をされます。要するに自分達の専門外の知識を学ぶのです。そういう所で皮膚科の先生が〝7ミリ以上のホクロは、癌化する怖れがあるので紹介してください〟といったことを教えてくれたりします。その講演を聴いた後、ふと患者さんを見たらホクロがあって測ってみたら7ミリを超えていて、これはちょっと皮膚科の先生に診てもらったほうが良いでしょうと紹介して、それで皮膚癌が見つかったことも実際にありました。

医師の先生達はそうやって、病院主催だったり医師会主催だったりと、生涯学習をする機会がおそらく多くあるのでしょうが、僕ら柔整師にはあまりそういう機会がないので、専門医の方々にご協力をいただきながら自分たちでもそういう機会を作っていくことも、これから求められていくのではないかなと考えています。

 

―紹介状のレクチャーもされていましたね!

今でこそ紹介状のお返事はほぼ100%頂けていますが、紹介状を書き始めた頃は、殆ど返信はありませんでした。患者さんが「接骨院の先生への返事を書いてくれませんか」と言っても「イヤ接骨院はいいんだ」と言われたり、そのようなことは初めの内はいくらでもありました。かといって、僕らの業務範囲ではなく、これは専門的な治療をしないといけないという患者さんが次から次へと来る訳ですから、紹介せざるを得ない。返事は来ないけど紹介状を書き続けました。そうするとある時から返事が来始めた訳です。書き始めた頃の紹介状を今読み返してみると、凄く稚拙で、ちょっと自分の思い込み的な内容だったり、あとは文章自体が読みにくかったりしましたが、それを少しずつ工夫していきました。如何に相手に共感してもらえるか、できればお返事をいただけるかを念頭に置きながらだったと思います。

繰り返しているうちにいくつかのことに気付きました。大事なのは、紹介状に書いた内容がドクターの診察にとって有用な情報である、ということなんだと。つまり、当たり前の話ですが、ドクターが診察する際にこの紹介状があることによって診察が進めやすくなる、つまりドクターの役に立つ内容でなければダメだということなんですね。後はドクターに共感してもらえるような内容であることが大事です。そのためには何が必要かというと、論理性と読みやすさですね。科学的な根拠も無く「こうじゃないでしょうか」と自分の思い込みで書いたら、ドクターから見ると「何を言っているんだろう?」みたいな話になります。しかし、主訴はこうでした、問診したところこういう話が聴取され、それを基に身体所見をとったらこうでした、なのでこれこれの疾患が疑わしいかと考えましたが如何でしょうか?という感じで書くと、ドクターも最後まで読んでくれるのではないでしょうか。

あと僕たち柔整師は紹介状に推測疾患名を書いてはダメだと聞いたこともありましたが、なんのために紹介したのかという目的がドクターに伝わらなければ、逆に良くないのではないかと僕は考えて、推測疾患はちゃんと根拠を示した上で必ず書くようにしています。それがあるとドクターの側でも「こういうことだったならこっちに紹介するのは、正解です」と思ってくれるのではないかと思うのですよね。調べた結果、僕の推測疾患ではありませんでしたとなるかもしれません。しかし、それを疑うこと自体は間違えていないと思ってもらえると、お返事を頂けるようにもなろうかと思います。

ドクターが不快に感じたという紹介状の例というのも聞いたことがあります。ぶっきらぼうな文面で、最後にただ「レントゲンをよろしくお願いします」と書いてあったそうです。レントゲンを撮るかどうかはドクターが判断することであって、柔整師が指示するなと大抵のドクターは思うのではないでしょうかね。そういう最低限の礼儀や自分の立場をわきまえた上でのソーシャルスキルも重要で、それを含めた上での読みやすさが求められるかと思います。

あとは診察時間が限られているドクターが紹介状を読むのに割ける時間も考える必要がありますね。僕はどんなに長い時間、たとえば2時間かけて問診した内容であっても、紹介状は必ずA4で1枚に収めるのをモットーにしています。 

余談ですが以前、「酒田塾」という勉強会を行っていて、継続的に受講してくれている人もいました。全て実症例、それも医師に紹介して確定診断がくだったものだけを取り上げて内容を供覧するというスタイルでやっていました。脳梗塞の患者さんはこれまで20例以上見つけさせてもらったので、そういった症例についても問診の仕方とか身体所見の取り方とかを含めてレクチャーをしていました。

その中で何より嬉しかったのは、受講生の方の中からその後3人、「僕も脳梗塞を見つけました」と報告してきてくれた人がいたことですね。所謂僕と同じ普通の柔整師が、来院された患者さんの中から脳梗塞を起こした人を見つけて病院に紹介状を書き、患者さんを救った。これはたった3人ではありますが、同じことを全国でやっていけばそういう柔整師が必ず増えていくと期待できますし、その人達がまたこの取り組みを続けて、さらにその情報を共有していくことによってどんどん精度を上げていくことも出来るのではないかと思います。

「脳梗塞患者を見つけるのは自分達の仕事じゃないだろう」「自分達の仕事は施術して、良くしてなんぼなんだから」というご意見もよく聞きます。しかし、僕が訴えたいのは両方必要だということです。要するに「スペシャリストとしての役割」と「ジェネラリストとしての役割」、その両方が僕たちにとって必要ではないだろうかということなんです。

自分の専門分野で優れた技術を発揮するのがスペシャリストであり、自分の専門だけにこだわらず総合診療科的な見方をするのがジェネラリストです。僕らは運動器外傷のスペシャリストということで仕事をさせてもらっています。勿論、それに関しては技術を極めていく必要があるでしょう。外傷に対する病態推論をするにしても、例えば超音波を使って精度を上げていったり、また施術方法もいろいろ切磋琢磨をしながらどんどん良いものを作り上げていくのはとても大切だと思います。

しかし、腰が痛いと来た人で原因が癌である人も居る訳です。その場合に腰椎その他の運動器に対するアプローチのみを行っていれば良いのかというと、そうではない。やはり優先順位としては、もし癌があるのなら、早く専門医に確定診断をつけてもらってしかるべき治療をしなければなりません。またそもそも患者さん自身は癌であることに気づいていないからこそ接骨院に来ているのですから、まず僕たちがいつも遭遇するものとは違うのではないかということに気づかなければならない訳です。

この2つの役割は両方同時に果たすことが大事で、どちらかだけに偏ってしまってはダメだと思うんですよね。ジェネラリストの役割ばかりに偏って、専門外の病気を見つけることばかりをやっていても、それでは仕事になりません。僕たちは施術をして初めてお金をいただけるのですし、施術をせずに紹介した患者さんについては一銭もお金は頂けないからです。しかしながら接骨院に来てはいけない患者さん、行くべき所は別にあるという患者さんをちゃんと見つけ出して、そっちに道筋をつけるというのも、これはサービスではなく、義務だと思っています。またそれは国民が望んでいることでもあるだろうと思います。

此処に行ったけど見落とされました、死んでしまいましたではダメなので、医療に携わる人はみんなそういう風にやっていかれるのが理想だと思っています。

 

―問診を丁寧に行うことが大切だと思いますが、丁寧に行うとかなり時間がかかると思います。1人の患者さんにいっぱい時間をかけると多くの患者さんを診ることが出来ないと思いますが、その辺は如何なんでしょう?

それは大変難しいところですけれども、複数のスタッフを雇っていた時は、患者さんが次から次に来られるし、見立てに時間がかかってしまう患者さんもいらっしゃるので、施術は他の柔整師達に行ってもらって、僕自身は問診と身体所見を取って、施術方針を決めたり紹介状を書くことに特化していたこともありました。勿論僕も施術を行ってもいましたが、その頃は殆どの時間をそちらの業務に使うという体制がとれていましたね。

 

―今は一人でやられているので、かなり難しいのでは?

はい。ただ、患者さんが大分減っているので(笑)。でもたまたま本当にこの人は脳梗塞かも知れないという人が来られた場合は、待っている患者さんに「申し訳ありません。こうこうこうで…」ということでやるしかありません。やはり、いつも原点に立ち返ることが大切だと思います。僕らは何のためにこの仕事をやっているかというと〝人の役に立つため〟という一語に尽きると思います。従って、今この人はくも膜下出血を起こしたかもしれないという患者さんを診た時に、この人を助けなければということを他の患者さんにちゃんと説明をするしかありませんし、またそうすれば理解してくれると思います。

待っている人を優先して、くも膜下出血の人を置いておくことは出来ません。ケースバイケースですが、優先順位をつけています。

 

―筑波大学名誉教授の白木仁氏は、〝柔道整復師は所謂救急救命士の役割もあり、無血療法を行い、また生活リハビリテーションにまで踏み込んでくれる〟等、重要な役割を担っていると述べていらっしゃいますが、酒田先生はどのように思われますか?

白木先生が仰ったように、救急救命士的な役割というのは柔整師にとってとても大切な役割の一つだと思います。これは医師との連携の上で実際に成り立ち得ますし、やはり患者さんと向き合う仕事である以上、その役割も果たす責任が僕たちにはあるとも思いますね。そして生活リハビリテーションというのも、柔整師にとって力を凄く活かせる部分だと僕も思います。どうしても時間に制限のあるお医者さんでは中々やりにくいところを、僕らが補完することは出来得ると思います。そういうところでスペシャリストとしての柔整師の有用性を伸ばしていくというか、それは是非我々が取り組んでいくべきことだと思いますね。

運動器疾患における治療は、結局何を目指すかというと、無痛性と運動性と安定性です。痛くなく、ちゃんと動いて、しかも異常可動性がなく安定している。その3つをちゃんと取り戻すというのが整形外科の役割であり、勿論我々柔整師の役割でもある訳です。しかし各種のリハビリを医師が付きっきりでやる訳にはいかないため、どうしても整形外科では人が行うのではなく、電気をかけたり、或いは患者さん自身で何かをやってもらったりという形になりがちです。たとえば運動療法に関しては「こういう運動を自分でやってください」となりますが、しかしそれって患者さんは自分一人で中々出来ないんですよね。その点、僕らはマンツーマンで患者さんにつきながら、たとえば骨折後の浮腫改善や可動域改善、筋力強化などを実際にやってあげられます。

要するにオーダーメイドでそれぞれの患者さんに合わせて必要な施術を提供出来るという意味では、結構世の中の役に立つ仕事になり得るのではないかと思っています。

 

―また、元帝京大学教授の佐藤揵氏は、柔道整復師は軟部組織損傷の学問的解明を行い超音波を使用することでやっていかれるのが良いとも仰られています。それについては如何でしょうか?

確かにそう思います。超音波に関しては、乗り遅れたというか機会を逸してしまって、僕自身は超音波で観察したり、読影はまだまだ出来ないんですが、その場でタイムリーに撮れますし是非やっていって欲しいと思います。僕の場合は、MRIやCTをお願いして、それをこちらでも拝見させてもらっていましたけれども、超音波であれば施術所内で直ぐ行うことが出来るので、より知見も蓄積されやすいと思います。今後柔整師がきちんとエビデンスに基づいた施術を確立していくのにも役に立つだろうと思います。是非とも進めていって欲しいと思っています。

現在の柔整業界にとって、多様な視点が必要と思っています。役に立つものはどんどん使って良いと思います。徐々に良い方向に向かっていくことになるのではないかと期待しています。

 

―2024年元日に能登半島大地震が起きて甚大な被害がでました。酒田先生は東日本大震災の被災地に毎日のように行かれ、ドロの掻き出し、お風呂を用意したり、食事の手配等もされていらっしゃいました。今回の地震で、柔道整復師の方も被災地に行かれていると聞いています。どのような救済が良いとお考えでしょうか?

今回の能登半島地震の災害に対し、どういう役割を果たせるかということだけに限ってお話すれば、現地の人が何を必要としているかによると僕は思います。現地の人にとって必要なことを自分が出来る限りやるということの以上でも以下でもないと。僕も東日本大震災の時に2年間ほど毎週支援活動に行きましたが、柔整師という職業だから施術を提供しようと考えて行った訳ではないんですよね。確かに骨折した患者さんとか、捻挫した患者さん、そういう人に応急手当をし、その他にも肺炎を発症した方や様々な病人の方々を病院に搬送したりもしました。しかし現地のニーズは、僕らの仕事に関わることばかりではありません。初めは、物資のピストン輸送から始まって、次はドロの搔き出し、遺品捜索だとか、お風呂に入れないというのでお風呂を作ったりなど、いろいろありました。とにかく如何に困っている人達の役に立つかというのが重要で、そのために自分は今何をするべきかということを考えることかと思っています。

例えば、中村哲という医師、あの方はお医者さんですが、アフガニスタンを支援しに行って、やられたことと言えば、詳しくは知らないんですが、畑に水路を引くなどの事業であったと聞いています。勿論お医者さんとして患者さんを診られることもあったかと思いますが、でも現地の人に凄く求められていたのは別のことであって、医師としての診療以上にもっと優先順位が高いことがあった訳です。

やはり能登に支援活動に行かれている方々もそういう視点で活動されると良いのではないでしょうか。そういう意味でも、其処でコミュニケーションを如何に取るかということが重要なんですよね。

その点僕らは、患者さんと毎日話をしたり、患者さんのニーズを聞き出したりという意味では日々トレーニングを積んでいると言えるかと思います。僕も被災地に行った時は、やはり被災者の方々が必要としていることを何とか上手く聞き取ることが出来たのが良かったと感じていますし、それができたからお役に立てる活動も行えたように思います。勿論柔整師として日々やっている施術が役に立つ時もあるので、その時は精一杯やるのが良いと思っています。

 

…こうして考えてみると、そうですね、中村哲医師の生き方にこそ、今回僕が最もお伝えしたかったことが象徴されているように感じます。

スペシャリストとジェネラリスト…この2つの役割を両方ともしっかり果たすこと。

それは中村医師のように、目の前の困っている人々対して、自分の専門能力を活かして救うと同時に、その人々が抱えている一番大きな問題を見抜き、その一番大きな問題を解決するために人脈から何からあらゆる手段を使って全力を尽くす、ということなのかも知れません。 私たち柔整師を含めたより多くの医療人の皆さんが、そういう信念を持って患者さんと向き合われるようになって、その皆さんがより強い連携で結ばれていかれたなら…と想像することがあります。

きっと今よりずっと多くの人が、救われる社会になっていくのではないでしょうか。

 

 
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