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ビッグインタビュー:国士舘大学大学院法学研究科 教授 森田悦史 氏

2016/12/01

―骨折や脱臼の治療に関して、応急手当が医師の同意なく許されていますが、その範囲に関しては、厚労省の見解として、『「応急手当」とは、医師の診療を受けるまで放置すれば患者の生命又は身体に重大な危害をきたすおそれがある場合に、柔道整復師がその業務の範囲内において患部を一応整復する行為をいう。したがって、その場合においても、全く柔道整復師の業務に含まれない止血剤の注射、強心剤の注射等は許されない。また、応急手当後、医師の同意を受けずに引き続き施術をすることはできない。本条に違反して施術を行った者は、二十万円以下の罰金に処せられる。』(法第二十七条参照)としていますが、患者さんが医師の診療を拒否し、引き続き診療を依頼してきた場合であっても、診療を拒否しなければならないのでしょうか。こうした中には患者さんの状況により倫理的な場面も含まれますが、拒否すべきなのでしょうか。また拒否せずに診療を行った場合処罰されるのでしょうか。

応急手当をする場合に「医師の同意はこの限りでない」となっています。では応急手当はどういう場合かというと、やはり病院、医師に診てもらうまでの間だろうと考えられます。日数的には2・3日の場合もあれば1週間位もあろうかと思います。

ただ、引き続き病院に行かないで柔道整復師に〝診てください〟と言う場合は、拒否できるのか。或いは患者さんが故意に病院には行かず、柔道整復師に施術を求めるとなった場合、これは患者さんの倫理的な面があろうかと思います。その場合にちょっと問題があるという気はします。そうではなく、行こうとは思っているけれども行きそびれてしまった、例えば高齢者で〝息子が来ないので連れていってくれない、接骨院には1分で行ける〟と言った時に柔道整復師は拒むのかというとそれは先ほどの範疇、法律の世界でも刑法では緊急避難や正当防衛、民法では事務管理というのが一応ありますので、余程のことが特になければ法の適用は難しいと思います。例えば子供が倒れていて助けなさいと言われていないけれども、手助けすることがあります。助けようと手を引っ張ったら抜けてしまったという場合、後で〝あなたのせいだ〟となって仮に裁判をしたとしても、いきなり法的な議論になるかというと、少し躊躇する面があるのと同じように、この場合も拒否せずに治療を行ったからといって即処罰とは考えにくい。その点は先述のように患者の内面や側面をみる必要があり、その1点で処罰の対象というのはいかがなものかと私は思います。医療の場ですから、そういう判断は特に必要です。

実際これが裁判で応急手当の議論になった時に裁判所で応急手当とはこういうものであると判断した時に初めてこれが意味をもってきます。従ってこの文言だけでは、いかようにも解釈出来ます。結局、柔整師界としては今後そういう点も含めてガイドラインが必要と思います。専門部会を作って全国を把握するために臨床データを集めていくなど、精査していくことでエビデンスをオープンにしていくように統括し吸い上げていくことが重要かと思います。

 

―前述に関連しますが、昭和23年の法制化の際、それまで「応急処置」とする文言を「応急手当」と変更しています。インターネット検索では両者の違いに関して、応急処置とは負傷や負傷などに対してのさしあたっての手当てを指す。厳密にいえば応急処置は救急隊員が行う行為と定義されているため、一般市民が行うものは応急手当と呼ぶことになっている。としています。柔道整復師の行為は一般市民の行うレベルを指すのでしょうか。しかも「応急手当」に関しては、按摩マッサージ指圧師には条文になく、許されていない行為なのか、どう解釈するのかわかりません。柔道整復師法(施術の制限)第十七条 柔道整復師は、医師の同意を得た場合のほか、脱臼又は骨折の患部に施術をしてはならない。ただし、応急手当をする場合は、この限りでない。 あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律 第五条 あん摩マツサージ指圧師は、医師の同意を得た場合の外、脱臼又は骨折の患部に施術をしてはならない。 いずれにしましても、こうした内容に関して、全て厚労省通達により行動するということなのか、それとも、学会としても見解を出せるものなのでしょうか。

確かに文言として、「応急処置」、「応急措置」、「応急手当」と用語があります。しかし柔道整復師の行為が一般市民レベルの行為を指すかとなると、誰でもやって良いという風になってしまうので、其処はやはり柔道整復師法に求められる応急手当というのは、先ほどの脱臼・骨折での応急ですので、一般市民のレベルと同じと解釈するのは無理があります。柔道整復師のやっている行為が一般市民の人がやっていることに類似する面があったとしても、資格を持った専門家の応急処置がそれと同じと解釈する必要はないのではないか。

またあん摩マッサージ師には何故無いのかということですが、あん摩マッサージ師の方は先ほど申し上げたように慰安的な目的がありますし、柔道整復師と比較してみて緊急性があまりないのではないか。そもそも法規の目的からして違いがあるので其処は違っていて良いように思います。応急手当というのは、あくまでも手当をしないと痛みが酷い、病院に行くまでの間に生命の危険性や病状の悪化・進行を防ぐという重要な意味合いがあると思います。一般の人が倒れている人を助けて、〝救急救命士でもないのに、なんで勝手なことをするのか〟とは言えないですね。やはりそれはそれで、人の生命に危険がおよんでいる時には緊急避難的に助ける行為をしても、それをダメだということは人として如何だろうかと。つまり柔道整復師による行為を一般市民と同じと理解するよりも、柔道整復師法の目的はきちんとした施術の一環として行われると捉えたほうが良いという気がします。

 

―診断権についてお伺いします。以前日整では、弁護団により、診断権と言う権利はない。柔道整復師は業務の範囲内で診断行為が出来るとの見解を出しています。一方、厚労省では、柔道整復師は診断してはならないという事を、通達としては出していませんが、前述したクローズアップ現代の番組の中では示しています。お考えをお聞かせください。

法律の世界で、診断権という言葉はないと思います。権利と名がつくためには、やはり認知されていることが必要です。いま「自己決定権」という言葉がよく使われますけれども、その言葉は元々あったのかというと無いんです。何所を見ても書いていない。それが所謂権利となっていくためには、多くのニーズの下に認知される必要があります。医師の場合は当然問診して診断も行うので、それを敢えて診断権と言っているのでしょう。診断をするのは当然と思います。

一方、柔道整復師法は、診断をするという規定が存在しませんので、診断はできないことになりますが、ただ現場では診断をしなければ治療ができないということで、ご質問にあるように業務の範囲内で診断するとのことですが、診断という名称が、医師法の領域とぶつかることになり、柔道整復師が医師法の領域に介入し、各法規の目的・業務や法的齟齬がみられると思います。やはり、柔道整復師の業務の範囲はどこまで及ぶのか。その点は法規の問題であり、「みたて」という用語がよいかどうかは別として、その用語を明確にしていくことも他の法規との分業という意味でいいと思います。まずは柔道整復師の原点を押さえながら、業務の実態を正確に把握することが必要と思います。

 

―以上を含め、柔道整復師の方から、矛盾点や不明な点のある法律だと言う指摘があります。法律の解釈に於いて、厚生労働省では、一応の解釈を示していますが、柔道整復学会においても、追及すべき点や、学会として取り組むべき、法規の内容に関し、ご指摘がありましたならお聞かせください。

学会をやられることは大いに結構ですし、私は法律的な視点しかありませんが、法規との関係を明確にされていないところが多々あるような気がします。柔整は、裁判の事例はあまりないのですが、本当はそういう積み上げを紹介する等、医療における事故の事例を勉強する機会を持たせることも必要ですし、今こそ倫理が問われていると思います。医療関係の大学でも、倫理、情報、信頼、権利、守秘義務、法とは何か等を教えていかなければこれからの時代は些細なことが直ぐ検証されますので、どう対応するのかについて知っておくことが自分たちの職業を高める気がします。

そういうことを踏まえて学会でも取り組まれることが大事と思っています。法律の視点で言わせて頂くと、多々グレーゾーン的なところがあるので、そこを精査する必要があります。柔整の資格を取得すれば、夫々が個人的なプレイとして、拡大させるという時代に転化しつつあるかもしれません。そういう有耶無耶になっている部分を、もう一回〝柔道整復師の業務とはいかなるものか〟についてキチンと学会で認識していくことも大切で、柔道整復師の立場を明確に社会に認知してもらうことが必要と感じます。

 

―国家試験問題の委員をされていらっしゃったとお聞きしています。現在毎年約5千人が合格、柔道整復師が誕生することに森田教授はどのように思われますか?いま、業界では保険者や行政から保険を取り扱える柔道整復師とそうでない柔道整復師を差別化するとして卒後研修や教育制度改革に着手しています。その辺についてもお考えをお聞かせください。

国家試験の委員を8年務めました。弁護士でも合格者を沢山出したことで今までの仕事が減っていると分りました。人数を減らしたら維持できるという意見、いや数の問題ではなく出来る人と出来ない人がいて出来る人は伸ばせば良いし、出来ない人は努力が足りないという意見がありますが、柔整の場合だと医療に携わる分野ですので、普通の自由業と同じように好き勝手で淘汰されればいいという領域ではないと思います。従って、ある程度の人数制限というのはありうるとは思います。

今のところその歯止めは無く一定のラインを超えれば合格しますので、既存の柔道整復師の方からすると、資格を取って直ぐ開業しているけれど事故があったり問題が起きたりと、そういう柔整師と一緒にされたらかなわないということだと思います。やはりそこは、ある先生の所で1年間の実務研修を行う等の卒後研修に一歩踏み込んでいくことが必要です。

昔は勝手に開業していたのに、今なぜ私たちだけが制限されるのかと思われるかもしれないので、数年先の設定で調整して卒後研修を必修化することで柔整の評価が高くなるという気がします。柔整の方達は、今後スポーツトレーナーとしてやっても良いわけですので、働き場の門戸はこれからオリンピックに向かって拡がるのではないでしょうか。

 

―地域包括ケアシステムの構築を目指して各自治体が医師会と一緒に各医療職と連携をとりながら町づくりをされていくことになっております。今後は予防が重要であり、必要な医療を除いて生活重視、在宅重視となっていく方向のようですが、そのことについて森田教授はどのように思われていらっしゃいますか?

これからは多分、生活・在宅重視でやらざるを得ないのではないでしょうか。病院は飽和状態ですし、限界があります。地域一体型といいますか、本当は柔整の方も個別的な治療院を持つというよりは、地域包括ケアシステムの中へ入って一緒に構築していくことが求められていると思います。そういう形の方向性がないとこのシステムが上手く機能しないかもしれません。昔は公的扶助があったけれども、最近はお金がないので私的扶助にシフトさせているようです(個人負担を中心とする)。地域で共生をどのように考えるか、地域医療の問題はまさにそこを考えざるを得ないと思います。

柔整の視点からすると、飽和状態ですので、そういうところにも仕事が出来るシステム、様々な道を模索すべき時代に来つつあると思います。法的には、地域包括ケアシステムの中で問題が起きた場合、責任はどうなるのかというのは曖昧な気がしますし、重要な盲点かもしれません。其処をどういう風に考えて、団体として地域医療にあたるのか。先述したように〝やってあげましょうか〟と言う善意で事故が起きた時に〝貴方のせいだ〟となるので、そういう事務管理的な問題があります。日本の良さは、手助けしてあげよう、食事を持っていってあげようという優しさなので、それはとても大切です。未だ問題にはなっていませんが、相互扶助的な側面がある部分なので、今後こういう問題が焦点になろうかと懸念しています。子どもは東京に行って地域はお年寄りばかりで、誰がみるんだと言った時にみる人や血縁は居ない、箱型の老人ホームへと言われてもお金がかかる、やはりその問題を解消するのはコミュニティしかないでしょう。その時に援助してあげたい、手助けしたいという気持ちはみんな持っている訳で、地域の中で役所も補助金を出せるのかという問題もあるでしょう。ネットワークだけは進んでいますが、公的な責任は放ったらかしのような気がしてなりません。責任の問題についてあまり法が踏み込むとかえって難しいところがあるので起きた時に考えるとして、グレーゾーンで泳がしている部分もあると思います。従って地域包括の問題はそういう問題を含んでいます。

余談になりますが、本来スポーツは体育が基本ですが、これからオリンピックもありますし、スポーツ庁も出来ました。スポーツと健康・予防となると、体育があってスポーツが出来るだけでは、スポーツトレーナーにはなれません。もし過度にやりすぎた場合、それは法律的にこうなるということも知っていて欲しいですし、これからそういう知識が求められています。私ども国士舘大学院では3コースの内にスポーツ法というコースを設けています。柔整その他関係者が体育を通じて教育委員会の教育主事等に就職出来るように法律とスポーツの両方を学んでいくコースで法的にスポーツを考える新しい分野です。仮に自分で経営していて事故で相手が負傷した場合に、相手から訴えられるということもあります。今までは弁護士に任せていたけれども、どうするかということを事前にしっかりと法の考えに基づいて扱っていくことが可能です。主事とかインストラクターにもなれると思いますし、そういう人が地域包括ケアシステムの中に居れば、隙間を埋めたりバランスがとれると思います。資格者それぞれの隙間をキチッと繋ぐような役目を担えるのではないかと考えております。

 

―下流老人や貧困社会で誰もがホームレスになり得ると言われ始めているようですがこのことについて森田教授はどんな風に受け止めていらっしゃいますか?

あり得るパターンです。税金が高い上に収入が伸びていない。一旦会社を辞めるとその後の家賃等の支払い、収入がないから路上暮らしということも十分予想されると思います。余計なお世話ですが、例えば高島平にある団地、そこに文科省が補助金を出して学生を安く住まわせ、ボランティア活動で地域貢献を行っているようです。若い人がいるだけでも安心感もあって気分が違うと思います。包括的な住宅のほうがこれからの日本に合うかもしれません。大学も例えば学生生活をしながら高齢者への役割も担っていくという一体型の取組みを考えないといけないです。アルバイトをこういうところにシフトさせていくことも地域貢献です。従ってアルバイトもインターンシップに近い形にもっていく時代ではないかと私は考えています。

また文科省がボランティアの必要性を指導し、当大学としてはオフィシャルな団体から認められたボランティアについては2単位認めることを決めました。先日、瀬戸内寂聴さんが〝今まで自然を大事にしてこなかったのでここ最近地震・津波が来ているのは、今こそ日本がその試練に立たされている訳で、そういう災害に如何、対応するのか一人一人の意識、よく考えていく時代に入っているのではないか〟と言われておりますが、私自身本当にそうだと思います。国家としてどういうプランを描くのか、国家として若者をそういう方向に求めていくべきではないでしょうか。

 

●森田悦史氏プロフィール

1992年専修大学大学院法学研究科民事法学専攻後期課程単位取得満期退学、2003年フランスパリ第十大学比較法研究所研究員として在外研究、2005年国士舘大学教授、同大学院法学研究科教授、その他元柔道整復師国家試験委員、言語聴覚士国家試験委員、元日本医科大学講師、首都大学東京法科大学院講師兼任、現在:国士舘大学大学院法学研究科科長。

 

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