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ビッグインタビュー:専修大学教授 スポーツ科学研究所・所長 佐竹 弘靖 氏

2019/11/16

専修大学教授でスポーツ科学研究所所長の佐竹弘靖氏はスポーツ人類学者である。
10代のときに水泳選手として活躍、その後筑波大学大学院で、やがて訪れる「高齢化社会」にスポーツを通して健康維持に貢献できるのではないかとして、社会学や歴史的側面から「水」とスポーツを学問的に追及、現在その分野の第一人者である。
佐竹教授の追及する研究内容について教えていただいた。

水とスポーツを介して、高齢者をはじめ多くの人が健康で幸せな社会の実現を目指しています!

専修大学教授
スポーツ科学研究所・所長
佐竹 弘靖 氏

 

 

 

―専修大学教授として、机上の論理でなく実体験をもとに生きた言葉で行われる佐竹の講義は、学生の間でも人気の的である。水を追い求める学者として、飽くなき人間探究心は佐竹の研究活動をトルコ、シリア、アラブ共和国、中国雲南省など世界的規模に及ばせている。
特に辺境の地や紛争地帯など危険をともなう地域(実際エジプトで乗り合わせたバスが銃弾で蜂の巣にされ辛うじて一命をとりとめている)での古代遺跡探検や少数民族との触れ合いから導き出す水と人間との関わりは、冒険できる学者として佐竹ならではの成果として評価が高い。等、サイトに書かれてあるのを拝見しました。
冒険できる学者ということにロマンを感じます。飽くなき人間探求と水との関わり等、これまでの佐竹教授の経緯についてお聞かせください。

私の大学時代は、丁度日本が高齢化社会に突入するということを言われ始めた時代でした。元々私は社会学を専攻していましたので、これから日本は高齢社会に突入して、高齢化ではなく最終的には高齢者がメインになる社会が来るということで、それが何年頃ということは未だ具体的には言われておりませんでしたが、いずれ社会的に高齢化問題は大きくなり、そうした時に医療費との兼ね合いが必ず出てくると予想されていました。

医療費をどんどん上げていけば高齢者の方達をケア出来るかもしれないが、高齢者一人一人の方への負担は莫大なものになっていって、〝もしかすると日本は崩壊してしまう〟という話が私の学生時代にありました。一方で、その当時もう既に高齢化社会を予測していたのでしょうアメリカでは「エイジング」という言葉が出てきていました。高齢者に対して如何ケアしていくのかといった時に、当時の日本には、高齢者に対し健康を維持させるための方法は未だあまりなかったのです。

もう1つ、若い人達やスポーツを行う人達に「エアロビクス」という言葉が出てきました。
所謂有酸素運動です。エアロビクス運動をすることで、健康が維持できる。私が大学生の時ですからもう30数年ほど前になりますが、高齢者の人達が運動することで健康維持が可能になるということをターゲットに出来ないだろうかと考えました。

社会学的な側面からみて、それを研究するためには先ず調査をしなければダメだということで、「高齢者のスポーツ実施による日常生活への影響」というタイトルで調査を始めました。その頃、アメリカに拠点を置いていた私の恩師から〝日本の社会は高齢化していく、お前は水泳も専門なんだし、これからもっと水泳は普及していく〟と言われていました。当時はオリンピック等で水泳が活躍している時代でした。陸上で運動をすることも必要かもしれないけれども、高齢者が陸上で運動をするのはとても大変です。どうしても重力がかかって腰や膝に負担が大きいため運動したいと思っても中々出来ません。その時に「水」というものが武器になるということを指導されていました。

しかし、その時点では未だ漠然としており、なによりも〝高齢者の人達は運動をやっているのか?〟という実態が分かりませんでした。そこで地域の高齢者の人達にアンケートをとるなどしながらやっていくことになりましたが、その時代の高齢者の運動といえば、ゲートボールや散歩等で、専門的なスポーツのジャンルはありませんでした。アンケートをとっていると、〝腰が痛い〟〝肩が痛い〟〝膝が曲がらない〟等を訴える方が多く、スポーツをやることで治せるのだろうかとも思っていました。要するに統一的に研究されたものがないような状況になっておりましたので、私が大学院に進むにあたって、高齢者をターゲットにスポーツとの関わり合いを中心に研究を行っていました。

また、昔スポーツをやっていて引退した方達というのは、その後はスポーツをやらなくなるのだろうかと考えていた時に、当時日本ではまだ普及していないけれども、アメリカではスポーツを一旦辞めた人やリタイヤした人、或いは定年を迎えた人など、年をとってもスポーツはやっていることを知りました。しかもそれは競技としてやっているということが分かりました。

つまり、それが「マスターズ」です。
その当時の日本では、マスターズというのはあまり普及していませんでしたが、アメリカではかなりマスターズが普及していて、要するに高齢者の人達がスポーツを続けることによって、体力維持・増進だけではなく、ある程度記録も出せると聞きました。世界各国に高齢者はいっぱい居るのだから調べなければ分からない、じゃ今度は本場の状況を調べに行こうということで、アメリカに渡りました。

マスターズ大会をやっている会場に行って、アンケートをとりました。ある会場では、なんていうのか人間のおおらかさや温かさを感じました。私の指導教官の名刺の裏にメッセージを書いてもらって、その人に会って〝実はこういう者で、こういう調査をしています〟と伝えると、いきなりマイクで〝日本から佐竹という人間が来て、アンケートをとりたいそうだから手伝ってやってくれ〟みたいなことを話したところ、ウワーっと人が集まってくれまして、それで一気に調査することが出来ました。その結果、やはりアメリカのマスターズスイマーは成績にはこだわっており、記録を伸ばしたいという気持はあった訳ですが、それよりも〝ほら見てよ、こんなにお爺ちゃんお婆ちゃんでも一緒に泳げているのよ、楽しくてしようがないわよ〟というような、水を媒介としてコミュニケーションや精神的な充実感というのか、そういったものを獲得しているんだと肌で感じました。

つまり、泳ぐことで健康を維持するという目的もあるでしょうけど、それよりもこういう場でみんなとワイワイ騒ぎながら楽しんだりすることが重要で、大切にしているということが分かりました。そうした時に〝じゃ日本って今如何なっている?〟と思うと、確かにプールで泳いで健康を維持する等ありますが、プールの場というのは、今後どうなっていくのだろうということを漠然と考え始めました。

 

―水泳で佐竹教授を九州で知らない者はいないと、インターネットに書いてあります。やはり佐竹教授はアスリートだったんですね。それでいて社会学のほうから高齢社会の到来にあたって健康に関すること、またアメリカのマスターズの水泳の人達のことを知って研究を始めたということですが、何故紛争地域にまで行かれて調査を行うことになったのでしょうか?

実は私、大学の教員になる前にスイミングクラブに一度就職をしましてインストラクターをやっていました。私はこういう研究をしていたものですから、スポーツジムでは、佐竹は高齢者を対象にやってほしいと指示されました。選手を育てるよりもお年をめされた方達の健康づくり、或いは水泳練習等を担当しなさいと言われておりました。

確かに経験がありましたから、出来るだけ沢山泳いでもらって楽しくやってもらおうとした時に、ある方が〝先生、私速く泳げなくてもいいのよ、ただ水に浸かってプカプカしてみんなと一緒に泳げたらいいのよ。スピード練習なんて私たち高齢者にはきついのよ〟ということを言われました。しかし、自分としてはマスターズの知識も若干ありましたので、お年を召された方でも泳ぎ始めれば記録も伸びるのにと思いつつ、そういった方々も居るんだなと。そうであるならば〝泳ぎって一体何だろう?〟という疑問が徐々に大きくなりました。

これまで泳ぐということは、水を使い、水が人を幸せにするということは分かりました。ただし水には、もっともっと深い意味があって、水がなければ人間は生きていけないし、水って一体何だろうと。科学的に解明するのではなく、日本という国には水がふんだんにあるけれども、しかし水の無い国の人達に水泳をやれといっても無理で、水自体が無いのだからとなった時に、「水」と「体」と「スポーツ」というキーワードが1つになって、私の研究ジャンルが定まったのです。

そこから「水」というものを追及するためには、日本のように水のある国はよいとして、〝水のない国の人達が如何やって生活しているのか〟と疑問がわいてきて、じゃ調べてみようということで始まったんです。競泳とか競技スポーツを追及されていく方もいてしかるべきだと勿論思いますけれども、アスリートだったからずっとアスリートを続けていくかというと、やはりその時々の出会いもあり、自分の考えていることを追及し実践しようとなった時に、〝自分は水を使った水泳というものをやっていた。水泳というのは絶対水が無いと出来ない。海や水があるから日本では水泳が出来るけれども、海も無い、水も無いそういう人達が水泳どころか、どうやって生きているのか〟と思った瞬間にうずうずしてしまって、行ってみようとなりました。最初に何処に行くか?水があまり無く古代の歴史的な側面などを考えていた時に、私は恩師とともにパキスタンに行く機会に恵まれました。

パキスタンにはモヘンジョ=ダーロという遺跡が残っていて、「死の丘」と言われているところですが、そこには古代遺跡がいっぱい残っていて、その中に沐浴場が残されていて、そこを調べに行きました。水といえば、貯水池などに「溜める」や、水で「清める」、水を「飲む」等いろんな使い方があります。歴史的には沐浴場と言われていて、水を溜めて、そこで体を清めるなどしていたという話が残されており、実際に調べたところ、確かに段差があって、水が溜まるような形状になっていました。しかし、その沐浴場の周りにいろんな部屋があることも発見したのです。水飲み場、マッサージルーム、或いは休憩室等もありました。その瞬間、〝ここってただの沐浴場なの?〟と思ったのです。というのも、私が務めていたスポーツジムに似ていると気がついたからです。もしかすると、ここはプールのかわりでもあり、住民はここで泳いでいたかもしれないとも思いました。沐浴場に水を溜めるには相当な技術も必要ですし、それより〝何故町のど真ん中に沐浴場があるのだろう?〟と考えながら他の遺跡をも探索しました。そうすると家庭の遺跡にはシャワーのように水を流す設備があることを発見しました。ということは、わざわざ此処に入りに来なくてもいいのに「なぜ?」と頭を悩ませました。

結論としては、此処は沐浴場と言われているけれども、水を介して集まってコミュニケーションを交わすコミュニティの場ではなかったかと考えたのです。やはり、水があるということは、其処に人が集まって、いろんな情報を交換したり、体を癒し、マッサージ等をしたり、様々なことを行う場所だから、町の中心地にあるんだと解りました。其処から〝これは面白い〟と思いまして、水って自分が考えた以上に文明にとって重要なポイントだと実感した瞬間でした。其処からいろんな国々を周ることになりました。つまり、水のある国というよりは、先ずは水の無い国、水の無い地域で人は水をどういう風に使っているのか。其処でどういう風な生活をしていくのかを調べに行ってみようということで、中近東のほうを周るようになったんですね。

 

―凄いロマンがありますね!ただ資金が無いと難しいのでは?

元々は私個人がやっていたことですが、でも自分だけが知るのは勿体無いと思いまして、もしも興味を持っている学生がいるのであれば連れていこうとなって、ゼミの学生と一緒に毎年行くことにしました。ゼミを開設した当初は「文明を歩く」という名称で開講していましたが、大学の方針がもう少しターゲットを絞ったほうが良いとなりまして、その時から「シルクロードを歩く」にタイトルを変更しました。一時期、シルクロード上のいろんな国を周りました。しかしシルクロード上の国は、最近でも行ける国は幾つかありますが、ここ10年くらい生命の危険を伴う状況になりましたので、シルクロード上に限定してしまうと危険な場所に学生を連れていきかねないため、それは良くないとして、もう一度「文明を歩く」というタイトルに戻しました。一旦シルクロードから離れていろいろな地域を周るようにしましょうということです。

 

―とことん「水」を追求されて新たに解明出来たということは、どんなことでしょうか?

水を使ったスポーツという観点だけではなく、水本来の姿を追及していくと直ぐに頭に浮かぶのは、「飲む・浸かる・洗う」です。あとは、流す等もありますけれども、これらは全て人間の生活に関わるところの「水」なんです。そこから、ある一つのことが分かってきたのです。それは何かというと、水を制する者は世界を制するのです。古代遺跡に行って王朝等を見ると、必ず豪華な水施設を所有していました。つまり、水施設を持っていて、その水を配給することによってその国の国民の生活を保証出来るのです。「水」を供給することが権力の象徴だということで、必ずどの国でも権力者は「水」を自分のものにしてコントロールしていたのです。

実は昔から分かっていたことなんでしょうが、やはり「水」を制することイコールその国を制するということです。では水をコントロールするということは如何いったことかというと、先ずインフラ整備を行うためには当然力や財がなければならない。つまり、お金が無ければ出来ないことです。しかも、インフラ整備を行うということは、そこの国民に仕事を与えるということになります。仕事を与えられると、給料として当然お金が入るので生活が出来るようになります。インフラ整備をさせることで国民から信頼を得て、その信頼があるからこそ、権力を持ち続けることが出来るという構造です。その代表が「ローマ水道」です。ローマの町中に山から水をずっとひいてきて泉をつくったのです。山から延々とひいてきた水を、ローマ市内でふんだんに使う。しかし、その水道を作るためには、ローマ市民に権利を与えたり、奴隷を使ったりしながらやっていった。話がずれてしまいますが、一時日本で流行った映画「テロマエ・ロマエ」は、まさにその社会です。

そういう風に水を追いかけている内に、スポーツの〝ス〟の字も出てこなくなりましたが、ただ溜まった水の中で戦いをするということが出てきた時に、泳ぐことが出来なければ戦えない。たとえば、川が境界となっている相手の領地を奪うためにはその川を渡って相手の領地に攻め込まなければなりません。其処へ行くためには泳いだり、筏などを使わなければならない。そこで頭に浮かんだのは、〝当時の人達は、泳げたのか?〟ということでした。そこで、何か残されている文献等はないのかと調べたところ、あったんです。それはとても古いもので、エジプトの象形文字にヒントがありました。「ネブ」という言葉です。ネブというのは当時の呼び方ですが、その象形文字は波型の上に人がまさにクロールの形をしており、これを「泳ぐ人」と読ませています。つまり、古代エジプトから人は泳いでいたことがわかりました。エジプトの象形文字というのは一般市民が読めるものではなく、ファラオと呼ばれた王様達に知らせるために粘土板を描く専門家がいて、書かせていました。高級な人達が先ず読むということは、水泳という泳ぎが象形文字になること自体、かなり高度な社会生活を営んでいた人達が行った身体活動になるでしょうし、それを知らせることによって、例えば戦闘或いは船が転覆して人を助けるためには、泳がせなければいけない等の指導的な要素があったのかもしれません。要するに泳ぐという身体活動自体はかなり昔から重要視されていたことが分かってきました。

 

―ゼミの学生さんは、社会学を専門とされていらっしゃるのでしょうか?また佐竹教授が水を追及されている中で、私達一般人が知っておくべきだと思われることがありましたら教えてください。

ゼミの学生は、文学部や経済学部、経営学部など様々な学部で学んでいます。決して、社会学が専門というわけではありません。

私が今研究している学問はスポーツ人類学です。人類学なのでおおよそフィールドは決まってきます。アフリカを研究している人もいれば、南極を調査している人もいて、いろんな国を調べて研究しています。その中で、例えばアフリカでも、アフリカの民族や人種をターゲットにする人もいれば、アフリカの動物或いは狩猟形態や、ものづくりを研究するなど様々な形があります。私の場合は、アフリカはまだ途上ですけれども、元々シルクロードという中東文明を歩いて水の無い国をほぼ周りました。ユーラシア大陸でいえば、中東の砂漠に近い所がメインになります。それと同時に、人類学を学ぶ場合には、生活風土も必要ですが、宗教が重要になります。宗教がバックグラウンドにありますから、生活様式が全く違ってくる訳です。そうした中で水をどのように使うのか、ということが研究課題になります。たとえば、イスラム教圏ではモスクに行くと、必ず中に入る前に手を洗ったり、顔を洗ったりして清めます。それは、日本でも神社での手水もありますし、やはり水には清めるという役割がある訳で共通しています。不思議ですね。取り組み前の力士が必ず水で口を濯ぐことも「清める」という意味がありますね。こうやって見ていきますと水の重要性、水の大切さ、水の与える影響を、昔の人達は肌で感じていたことがわかりますね。

水をコントロールする人が居るということはその国が安泰な証拠であり、安泰な国を治めてくれているのは、やはり王様だというように話がずっと続いていくのです。そうした中で、一般の市民達は水で遊んだり、泳いだりしている内に、人間の本能として勝ち負けの意識が出てきたり、或いは記録というものが出てきた時に競技、スポーツというものに移行していったと言えると思います。

 

―佐竹教授は、スポーツ研究所の所長もされていらっしゃいますが、スポーツ研究所の理念や活動内容など教えてください。

専修大学スポーツ研究所は、「健康科学部門」、「スポーツ科学部門」、「スポーツ文化部門」の三領域で構成されております。スポーツ研究に関しては、1つ目にアスリートの養成があります。オリンピック選手などトップアスリートや世界で戦える選手を養成していくことが大きな目標です。もう1つは、地域の人達との交流です。スポーツを通して地域の人達に健康を維持・増進してもらうことを重視しています。3つ目は、専修大学のスポーツ研究所ですから、学生たちにスポーツの〝素晴らしさ〟や〝重要性〟、或いは近代・現代スポーツの状況等を伝えていく役割があります。いま、研究所には14名のスタッフが居ります。私は水泳ですけれども、レスリングの専門家がいたり、サッカー、剣道、テニス、バレーボールという形で専門種目をもっている先生方が研究所の所員です。

先ほどお話したように私はスポーツ人類学というある意味文科系的なジャンルを研究していますが、スポーツ医学的なことをやっている先生もいらっしゃれば、アスリートを育てるコーチング、社会学を専門にされている方など、いろんな学問的ジャンルをお持ちです。しかもスポーツの専門家が集まっていますので、非常に広い範囲を研究していることになります。特に今は、オリンピックの前ということもありまして、注目度は非常に高まっております。オリンピックは未だ始まっていませんので、どういう結果が出てくるのか非常に楽しみです。スポーツに注目が集まっていくのは、決して一時的なものであってはいけない訳です。アスリートのような高度な技術、スピードやタイムをもった人達だけがスポーツに関わるのかというと、そうではありません。話が戻ってしまいますが、高齢の方や一般の方達がスポーツをやるということになった時には、技術的なものだけでは括れない〝下手でも良いからみんなと一緒に居たいのよ〟という人だっていると思いますので、そういう場の提供、或いはそういった場で指導できるスタッフの養成なども我々研究所の役目です。地域の方達との交流ということでは、「スポーツ公開講座」を行っております。その講座には40代位の方から80代位の方まで男女問わず参加しています。地域の方達が集まってもう20年になります。やはり無理やりではなく、〝来たい〟とか〝やりたい〟という気持ちがわいて、〝あ、やってみようかな〟と思った瞬間を大切にしてもらいたいですね。

 

 

―様々な研究活動を続けてこられて、2010年に「日本における柔道整復師の役割」を発表されていらっしゃいます。しかも佐竹教授は、「日本スポーツ整復療法学会」の会長もされていらっしゃいますが、学会の役割や活動について教えてください。

これまでは、整復療法と所謂スポーツというものが少し離れた状態にあったものを合流させて「日本スポーツ整復療法」という学会名称になっております。来年にオリンピック・パラリンピックを迎えることになった日本は、今後どういう形になるかというと、スポーツ人口は益々増えることになります。スポーツ人口が増えると、どうしても故障や怪我、或いはスポーツに関わる形でないにしても、高齢化社会に突入しますので体の異常等も増えてくるでしょう。そうした時にスポーツの特性について、或いはスポーツに関わる特徴的な疾病や症状等をやはり知っておいてもらわなければいけないと思っています。そうした上で、治療院の先生方が適切な対応をしてもらえるとアスリートにしても所謂スポーツ愛好家にしても助かる訳です。

今までは、日常生活の中における故障や怪我の対応でしたが、「整復療法」というのは、勿論スポーツに関わる人もそうですが、所謂通常の日常生活のみをやっていらっしゃった方にスポーツとどういう形で関わっていってもらうかといったこと、今後は其処が重要視されていくだろうと考えています。2010年に書いた「日本における柔道整復師の役割」という論文はまさにそういった内容です。柔道整復師の先生達に、例えばラグビーや陸上、そしてまた現場の臨床例についてもご協力頂きました。

 

―昨年10月に東京海洋大学で開催された第20回スポーツ整復療法学会の学術大会で、佐竹教授は大会長を務められ、また伊調かおりさんとのシンポジウムで司会進行を務められて、とても会場は和やかな雰囲気に包まれたことを覚えています。佐竹教授は「2020東京オリンピック・パラリンピック」にどんな期待をされていらっしゃいますか?

やはりオリンピックというのは、国と国との平和の祭典ですので、いろんな国々の人達との交流は勿論必要だと思います。ただし、其処には勝敗ということが出てきますし、メダルの数云々が言われるとは思います。しかしながら、アスリート達が、先日のMGCでもそうですが必死になって走って、そして出場権を獲得したという選手一人一人のドラマが沢山ある訳です。そういった中で、選手はオリンピックに出場していますので、勝った負けた、取れた取れない等にだけこだわるのではなくて、最大限の頑張りを伝えてあげれば良いと思っています。アスリートの方達がトップにいくまでの過程には、どんなに苦しいことや辛いことがあったかということも知って頂けると、スポーツの楽しさ・苦しさ・面白さなどいろんなことが分かってきます。メダルをとれない人もでてくるでしょう。そこで、スポーツをやることの意味をこのオリンピック・パラリンピックで体験、実感して頂いて、〝ほら、あれだけお金をかけたのに結局こうだったじゃないか〟といううような自虐的な話をするのではなく、スポーツ本来が持つ意味を感じて、皆が一緒にスポーツをやってもらえるといいですね。実際にみんなでやったほうが体に良いんです。自分は早く泳ぐということを希望しているのではなく、この場で楽しめば良いんだという人は、昔からおりましたし、スポーツを本当に楽しめる日本になってもらいたい。我々がそうすべきではないかと思います。スポーツを勝った負けただけにとらわれてしまうと一過性のものになってしまうかもしれません。勝った負けたというのはその選手一人一人の最大限の努力、そして国の最大限のバックアップがあって取れるか取れないか、それは日本だけではなく、いろんな国の人達がやっていますので、結果がどうだったかということも確かに大切ですが、その結果を得るための過程の中における一人一人の生き方というか、スポーツに関わっていく重要性とか、そういったものを感じとってもらえるオリンピック・パラリンピックであってほしいですね。 つまり、オリンピックを観戦する経験を通して、「するスポーツ」の素晴らしさを実感して頂き、〝観る体験〟をした後に〝する体験〟つまり、興味あるものでよいですから実際にスポーツをやってほしいと思っています。

もしも、自分から一歩踏み出すことが出来ない場合には、友人や隣近所の人達が声かけをすることで、恐らくいま問題になっている孤独死といったようなことも防止できることに繋がっていく可能性がありますし、スポーツを介して社会のコミュニティがより強固なものになっていくことが求められていると思います。そのキーワードとして、今回の「東京オリンピック・パラリンピック」という見方もあると思っています。

 

●佐竹弘靖氏プロフィール

1960.4.22 福岡県北九州市生まれ。
1976.3福岡県立小倉高等学校卒業
1979.4筑波大学体育専門学群入学
1985.3同体育社会学レクリエーション専攻卒業
1985.4筑波大学体育専門学群研究生コーチ学専攻
1986.4筑波大学大学院修士過程体育研究科入学
1988.3同コーチ学専攻修了

専門:
スポーツ人類学・体育スポーツ史・レクリエーション水泳・マスターズ・スイミング・高齢者・妊婦のための水泳・古代美術・古代遺跡からの泳ぎの起源・水とスポーツ

所属学会:
比較文明学会スポーツ産業学会日本水泳・水中運動学会日本体育学会スポーツ史学会健康・教育・スポーツ総合政策研究会日本スポーツ整復療法学会日本体育学会体育史専門分科会日本・雲南聯誼協會日本海洋人間学会

主な著書:
古代インド・ペルシャのスポーツ文化「モヘンジョ=ダーロの大浴場から」松浪健四郎他(担当:共著)ベースボールマガジン社1991年6月「メンタル・タフネス読本」(「スポーツ・テクニックの原点に還る!」)猪俣公宏他(担当:共著)、「スポーツ文化論」「身体活動の文化誌」「スポーツの源流」以上文化書房博文社他多数。

 

 
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