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アスリートからみる柔整業界【国士舘大学・中島タケシ 教授】

2011/08/01

「柔道整復師って何?」どんな職業であるのかを医療従事者でさえも知らないということを耳にする。もっと「柔道整復師=接骨院の先生」を国民に知らしめる必要がある。また知っていただくことも大事であるが、評価されることも大事である。そこで柔整ホットニュースでは今回から業界外部有識者並びにアスリートの方々から本音で柔整の良い悪いを論じていただくことにした。トップバッターは、武道教育第一人者の国士舘大学教授・中島タケシ氏にインタビューをこころみた。

 

―まず中島教授の柔道歴を教えてください。

1959年、大阪電機通信高校在学時から始め、柔道歴は今年で52年になります。現在は七段です。

 

―海外生活が長かったようにお聞きしていますが、何故海外に出ていかれたのか、その経緯について教えてください。

昭和45年(1970)大阪で行なわれた万国博覧会で刺激を受けたことがきっかけで、翌年別段これといった目的はありませんでしたが、兎に角自分には柔道と言う武器(武器かどうかはわかりませんが?)“男児志出てて郷関を出ず・・・”(釈月性作)を思いだし1971年に貨客船に乗り神戸港を出港、一路NZへ1年旅立ちました(NZの友人を頼って)。そして翌年オーストラリアへ移動、シドニー武士道柔道クラブで6カ月、タスマニア柔道連盟で6カ月間を過ごし、1973年4月に一時帰国、11月結婚、12月に再びオーストラリアはタスマニア警察に1984年から勤務しました。
1980年母校柴田総長来豪、総長の御誘いにて1981年8月帰国、9月より、国士舘大学講師として奉職、現在に至っております。海外生活10年(1971~1981年)は私にとっては貴重な経験でありました。(雨有り、風有り、雲有り、時には晴天有り)

 

―中島教授は障害者武道協会代表理事をされておりますが、障害者武道協会の理念と活動内容などお聞かせください。

所属研究所が2006年に「障害者と武道」についての研究会が行われその際に大阪にある肢体不自由児施設「わらしべ学園」を開設した故村井正直先生と出会いから、ノーマライゼーション・障害者の自立支援を目的として、2009年6月に一般社団法人障害者武道協会を設立しました。柔道の創始者嘉納師範の理想とした、「己を完成し、世を補益するのが柔道修行の究竟の目的である」を理念として活動しています。 「何が出来ないのかではなく、何が出来るのか」をスローガンにして日夜研鑽。また現在は、障害者の国際的な交流を目的として「国際障害者武道文化連盟」に向けて協議・検討中であります。

 

―また中島教授は「武道徳育研究所」の所長もされているそうですが、武道徳育というのは、どのようなことをいうのでしょうか。

国士舘大学創立者故柴田徳次郎先生の建学の理念を継承すべく、1978年柴田梵天総長を初代所長として設置された武道徳育研究所であります。
武徳研は、在野に埋もれる国士の発掘や、日本の伝統文化として今も継承されている武道の研究を通じ、国際的に文武両道の人間学を実践・普及とその交流を目的とした世界唯一の研究所です。
近年は、「21世紀の時代における武道の役割」や「障害者の武道療育」に積極的に取り組み、世界に貢献し得る有意の人材の育成等を探求しております。

 

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