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(社)日本医学協会主催 第2回医療問題懇談会開催!
去る9月25日(日)、目白教育ホール(東京都豊島区)で(社)日本医学協会主催の第2回医療問題懇談会が開かれ、(社)日本アイソトープ協会常務理事の佐々木康人氏による「放射線から人を守る国際的仕組み-福島原発事故の影響をよりよく理解するために-」と題した講演が行われた。
今回の医療問題懇談会は〝あなたは原発に反対か、賛成か。放射線の健康に対する影響はどうか、線量単位についてどれだけ理解しているのだろうか。今回佐々木氏の講演を聴き、その中から未知の危険に対する過剰な不安を取り除き、危険を少なくする理性的現実的な対応を学ぼう〟という趣旨で開催されたものである。
講演で佐々木氏は、〝放射線防護の規制というのは国際的枠組みの中で決められている〟〝放射線の健康影響がどんな風に考えられているのか〟〝国際放射線防護委員会(ICRP)の最新の勧告で防護体系というのはどんな風に考えられ、特に福島の原発の事故に対しICRPの緊急時の被ばくへの勧告が活用されているがどういう形で活用されたのか〟について話した。
1895年11月にX線が発見され、翌年の1896年にベクレルが自然の物質から放射線を出している現象を発見し放射性物質及びX線が広く世の中で使われるようになっていった。特に医療でのX線の利用、精製したラジウムを使った医療が急速に発展するが、その中で放射線が実は悪さをするということが知られるようになった。1896年にX線による皮膚炎の報告があり、主に医療放射線従事者の手の防護について「できるだけ放射線にさらされる時間を短くする」「放射線、X線の環境から距離をとる」「手にワセリンを塗るなど遮蔽する」とした今でいう放射線防護の3原則についてフックスが助言。その後もX線熱傷や脱毛が報告され、1902年放射線誘発皮膚がん、1911年白血病、1924年ラジウム鉱山労働者の肺癌、1934年夜光塗料工員の骨肉腫が起きて放射線が両刃の剣であるということが解った。放射線防護への活動は少し遅れて始まり、1928年に国際放射線医学会の第2回会議がストックホルムで開催され、X線とラジウムの防護委員会が設立された。この委員会が現在のICRPの前身である。ICRPは常に助言的な役割を果たし放射線防護の原則について勧告をしてきた。そしてこの勧告は、世界各国、各地域、各国際機関が発表する規範や規則の基礎をなし、現在の日本の放射線障害防止法は1990年勧告の多くを取り込み2001年に改正されたものである。2000年頃からICRPでは90年勧告の改定作業を始め、2007年の12月に刊行物を発刊したが、その約8年間私はICRPの審議会委員を務め、新勧告作成のほぼ全経過を経験した。
1950年代、米ソの冷戦下で大気圏内の核爆発実験が多数行われその影響に対する不安と関心が世界中に高まった。1955年、国連総会が設立、国連科学委員会(UNSCEAR)が設立され1956年に最初の会合が開かれた。現在21カ国が代表団を送り年1回委員会を開催、その結果を国連総会に報告している。UNSCEARの任務は世界中の放射線源と影響についての情報を収集し科学的健全性を検証した上で、被ばくの影響を推定し報告をすることであり、2006年、2008年に報告書が出ている。各国の統計資料を集め、多くの研究成果をレビューし報告書に盛り込んでいるが、放射線医療の中で最も重視されているのが広島、長崎の原爆被爆者の寿命調査、健康調査であり最も規模の大きな放射線医療の人における疫学的な研究である。ICRPが基本的な勧告を出すと、国連の国際原子力機関(IAEA)が防護管理のより具体的な基準、BSS(ベーシックセイフティスタンダード)を作成する。ICRPの勧告、IAEAの提案する基準に基いて国内の放射線防護管理規制が作られており、我が国の放射線障害防止法というのは1990年勧告を取り入れて2001年に改定されたものである。最新のICRP勧告は2007年勧告と呼ばれているが、一般の人がどれくらい放射線を被ばくしているかを世界平均値として報告している。自然放射線の線量は、世界平均値で年間2.4 mSv、場所によってインドのケララ地方、ブラジル、中国、イランなど、自然放射線の高い地域がある。自然放射線の高い地域と高くない地域を比較しても癌患者が増える等、特段の健康影響があるという報告はこれまで一切されていない。自然放射線のレベルからいえば、100 mSvまでの地域に長年住んでいる人も特別な影響がないということが1つの治験になっている。人工放射線源からの被ばく線量では、放射線診断から受ける患者さんの被ばく線量が年間0.4mSv、大気圏核実験0.005mSv、チェルノブイリ事故0.005mSv、核エネルギー製造0.002 mSv とされている。(UNSCEAR2000年報告)