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『民主党統合医療を普及・促進する議員連盟』が震災後初の勉強会を開催
さる平成23年7月20日(水)午前8時から衆議院議員第2議員会館第1会議室において『民主党統合医療を普及・促進する議員連盟』が「被災地におけるメンタルケアの在り方」をテーマに勉強会を開催した。今回の勉強会は、鳩山由紀夫氏が再び議連の会長に就任して以来、また3月11日に起きた東日本大震災以後初の勉強会であり、仕切りなおしとなったものである。
先ずはじめに同議連幹事長の山根隆治参議院議員が開催の趣旨を説明、司会は大島九州男参議院議員が務めた。
鳩山会長は〝短かった総理の期間ではあったが、統合医療を進めるように申し上げた。人間の健康を考えていく中で、西洋医学と東洋医学を区別するのではなく一体化させた医療が求められており、定着させていくためには長い期間を要する。3月11日に発生した東日本大震災では、多くの方々が精神的にも肉体的にも大変厳しい環境下におかれており、メンタルケアのあり方はどうあるべきかとして今日の会を開いた〟と述べた。
続いて日本統合医療学会・渥美和彦理事長は、患者中心の医療、全人的医療であり、これまでの治療中心から予防中心に変化している等、統合医療について説明し、統合医療推進の不可欠な条件としては、国益である以上は諸外国と同様に国策として行う必要がある、今回は第1回ということであるが、定期的に開催していただきたい。3・11の大震災によって医療が大きく変わり、エコ医療、セルフケア、我が国の健康教育が必要であり、看護師等医療関係者との協力の下に東北の地に統合医療の拠点を作りたいと新たなビジョンを提示、政府、議員連盟に協力を求めた。
◇医師であり相馬市長の立谷秀清氏が東日本大震災の現場の声を報告した。
「相馬市の一次被害対応と二次被害(人命・健康)対策」
今回の震災で、マッサージのボランティアの方々がお出でになった。相馬市の場合、医療に関する事は全部私の所で掌握しており、お願いした。大変効果があったと思っている。
相馬市では5000人の方が住宅が流されるという被災をし、死亡者459人であった。9割の人は助かった。震災直後、内陸部の消防団に倒壊家屋の下で生きている人がいたらすぐ助けるように、海岸部の消防団には直ぐに津波が来るからと避難の指令を出した。彼らが頑張ったから死者が少なかったと言えるが、頑張った消防団員10名が戻らなかった。彼らの犠牲によりおよそ4500人が助かった。津波が来たのは4時、5時半位に日没、その間に情報収集。ヘリコプター要請。生存者を救出し救出した生存者を避難所に、避難所に入った人と住基台帳を突合せていく。水道が断水。他の市町村に給水車を要請、スーパージャスコ1軒を丸ごと確保。孤立者の救出が震災直後最大の仕事。そういう人たちは脱水状態になっている。水を与えなければいけない、ガム等も。孤立者を救出し、避難者の健康支援を行う。地道な作業をしなければならない。この段階で明日の朝食の手配。広報車を走らせて市民からタオル確保。地域再建に向けてやらなければいけない事。被災した夜、明日の朝になれば相馬市内の空きアパートを全部押さえるよう指示。夜中に市内の仮設住宅建設可能な場所と建設可能な戸数を全部割り出す、競争になるから早い方が良い。着の身着のままで放り出されているので生活支援金の準備。ライフラインについて、電気は駄目でも水の供給がないと基本的な暮らしができない、給水車をどうやって動かすか。棺桶も発注。瓦礫の撤去をこの段階から考える。道路の上に船があり、集落全体約800戸が瓦礫化している状況、瓦礫を撤去する為の道路を作らなければいけない。3月13日の段階では未だ外からのボランティアはいない、市民からボランティアを募って、皆で力を合わせる。日本医師会、仙石副官房長官、東京医大、全日本病院協会等に医療支援を要請。医薬品が搬入されなくなり、卸の社長と直接交渉。人工透析の薬液等は相馬からトラックで取りに行った。3月12日に原発騒ぎがあり、物資がない、ガソリンがない、タンクローリーも来ない、自主避難する人が沢山いた。医療従事者、特に看護師が避難してしまったが、患者は避難できない。ある病院では入院患者が180人、院長が朝行ってみたら看護師は8人しか残っていなかった。結局その患者さんを避難させざるをえなかった。その後4カ月たって、夫々の病院が診療停止に追い込まれた。外来だけ行っている所はあるが入院はできない。収入がない中で医療スタッフを抱えきれない。医師達が南相馬市から他所の地域にどんどん移動。元々医療過疎の所に今後再開しようと思っても医師がいない。医療はライフラインであり、これら病院を一刻も早く救う必要がある。唯一給料が支払えているのは南相馬市立病院だけ。民間病院に、一時金を出して頂きたい。圏域に精神病院が4つ、相馬地方に2つあったが2つとも今閉鎖している。避難所に統合失調症の人がおり、薬を投与しないと痙攣を起し、放っていたら死んでしまう。福島医大の精神科の教授をトップにした相馬地方の精神科の体制を作った。「心のケアチーム」、全国からボランティアを呼び、相馬私立病院に精神科の窓口、外来を作った。医療は総合産業で、薬剤師も調剤薬局も必要で東京から呼んだ。なんとか精神疾患の人に薬を続ける事を維持できた。