柔整探訪、業界内に埋もれている秀でた先生を発掘!【第2回 はしぐち整骨院 橋口浩治 氏】
近年、柔道整復業務内容が不明確になったとされている。古くから「骨接ぎ」として、外傷および運動器の疾患を担当し、医療の裾野を担う職種として、地域に貢献してきたことは紛れもない事実である。
柔整養成校の急増に伴い夥しく誕生した柔道整復師は従来の柔道整復師と一体どこが違うのか?勿論、今の時代背景もあるが教育者並びに業界の責任が問われるところである。今後柔整業界はどのように整理区分され、どのように統一されていくべきなのか?また、保険者が発行するパンフレット等に記されている単なる肩こり・単なる腰痛はどういうものなのか?今後どのようなことを提示していけばいいのか?
長崎県の橋口浩治氏に率直に話していただいた。
柔道整復師は元々医学と体育がベースとなっている職種であり、その特色をもっと有効活用すべきと思います!
―最初に橋口先生の柔道整復業務に対するお考え・志などお聞かせください。
私の考え・志というのは、患者さん、スポーツ選手のために本物の「ほねつぎ」「アスレティックトレーナー」を志、それに向かって日々過ごしているのが現状です。
―何故、橋口先生は柔道整復師になろうとされたのでしょうか?
私の出身中学校には福岡市内でも珍しくアイスホッケー部がありました。アイスホッケーに入部しGKになりましたが、ケガをした時に近所の整骨院を受診したことがきっかけで柔道整復師を知り、アイスホッケーを続けたかったこと、スポーツに携わりたかったこと、紹介者の先生が東北柔道専門学校OBであったことから東北柔道専門学校に入学しました。また、入学前から住み込みで研修をしました。研修先の鈴木壮士先生は、アントン・ヘーシンク(東京五輪柔道無差別級金メダリスト)も指導された柔道家で、接骨院にはスポーツ選手が多く来院していました。
研修をさせていただく中で鎖骨骨折、コーレス骨折などの「ほねつぎ」を目の当たりにしました。私の母が鎖骨骨折の手術をしているのですが50年前のことなので術痕も大きいのです。それに対し非観血術で傷を残さずに施術できることに感動し、最初に助手をした鎖骨骨折の整復・固定・後療法は今でもよく覚えています。研修中は、湿布づくり、包帯巻き、固定材の準備など毎日していました。家庭の都合で在学中の研修は1年半程で一旦中断し、卒業後に、お礼奉公という形になったのですが、今度は先方の都合により半年程で研修が終了となりました。
折角、宮城県まで来ていたので学校の授業で印象が強かった柴田仁市郎先生に弟子入りをお願いし約3年お世話になりました。教員でもある先生からは柔道整復師として必要なことをすべて教えていただきました。ここでも「ほねつぎ」が基本にありました。「いつ骨折、脱臼の患者さんが来ても対応できるように刀(知識・技術)を錆びさせるな」という言葉を覚えています。また骨折、脱臼の処置だけでなく柔道整復師が扱う多くの傷病も経験させてもらいました。特に院内勉強会での症例発表を通して患者さん一人一人に対する深い観察や構造論文の作成法などを学ぶことができました。院内には書籍が沢山ありましたので、そのような発表の際にはいやおうなしにも自学するわけですが、当然、労力が掛かる分、自分の知識となりました。また「なぜ治るのか?」というEBMに対する考えも少しですが身に付けることができました。
ちょうど研修3年目に柔道整復研修試験財団主催スポーツ科学講習会が仙台大学でありました。仁接骨院では柴田先生を筆頭に多くの勤務柔道整復師が受講することとなったのですが、もともとスポーツに携わりたかった私にはこの講習会受講が将来の指針となりました。話は逸れますが、今、考えると毎週土日の講習会を受講された柴田先生の向学心には今更ながら脱帽です。また震災の津波で多くの書籍が損失したと伺い非常に残念ですが先生をはじめ皆さんがご無事だったのが何よりです。
―橋口先生は、専門学校卒業後も人一倍勉強された先生とお聞きしています。卒後の臨床研修等を含めて、これまでの経緯をお聞かせください。
スポーツ科学講習会がきっかけとなり、アメリカでのNATA取得やアスレティックトレーナー研修を考えたので仁接骨院を退職しました。実家に戻るつもりで勤務先を探していたら静岡県掛川市の平成接骨院にお声をかけていただき渡邉高久先生の下での勤務となりました。こちらではカイロプラクティックを本格的に学ぶことができました。また今までの勤務先と変わらず「ほねつぎ」も軸になっていました。ある事情にて私一人で施術をすることが多く、今まで学んだことを全部動員しても間に合わないくらいの来院数、症例数にて、私の芽生えかけていた自信は折れることが多かったです(笑)。
特に記憶に残っているのは上腕骨外科頚骨折にて十分な処置ができずに専門医に委ねた私の知識・技術不足の症例があったり、小学校高学年のコーレス骨折があり治癒には導けたのですが、当然、骨端線の問題があるので成長期の骨折を取り扱う責任の重さを知る症例があったり、また顔面打撲をしたブラジル人の来院があったのですが、日本語はもとより英語がまったく通じない方とどうやってコミュニケーションを取るのか。という問題に直面し自分が独立開業した際に遭遇するケーススタディをレアのものからメジャーなものまで学べました。
また、この間にNPO法人ジャパンアスレチックトレーナーズ協会が主催するポートランド州立大学でのアスレティックトレーナー研修に参加しアメリカのスポーツ選手をバックアップする環境のすばらしさには感動を覚えました。その一方でNATAATC取得のための費用やハードルも確認することができました。何よりもこの研修では片岡繁雄先生、片岡幸雄先生、佐野裕司先生などの大学教員の先生方と寝食を共にし「So What?」という問いかけを常に受け、研究の大切さ、学会発表の大切さを毎晩の飲み会を通して深く心に刻むこととなりました(笑)。
静岡での勤務終了後、色々な事情があり長崎に来たのですが、なぜ縁もゆかりもない長崎での開業なのか?ということをよく聞かれます。一番の決め手は医師との連携でした。アイスホッケーをしている薬剤師の友人がおり、クリニックが4軒入っているビルの前で、いわゆる門前薬局を営んでいました。そこの医師と相互関係を築け、レントゲンを撮ることのできる環境、柔道整復以外の疾患に対応ができる環境の構築ができたことが最大の要因でした。当然、経営は大変で、開業後2年で現在の場所に移転しています(笑)。
しかし、私の軸は「ほねつぎ」「アスレティックトレーナー」に変わりなく、開業後も長崎市内の高校スポーツに携わり、アイスホッケーにも携わっていることが評価され長崎県体育協会より日本体育協会公認アスレティックトレーナー(以下、JASA-AT)養成講習会受講の推薦をいただき何とか2回の受験で合格することができました。この講習会では柔道整復師だけでなく、理学療法士、鍼灸師、すでにトレーナーとして活躍している方、NATAATCなどのバックボーンを持った方々と寝食を共にしながら学ぶことができました。この間に柔道整復師だけでいるとなかなか気づかないのですが、他の医療職者等といると柔道整復師のstrong point、weak pointの気づきができました。特にweak pointである他医療職、特に医師との相互関係、生涯学習、学校制度、研究については大きく差がついているのを実感しました。私自身も自分の知識、技術不足からくる施術レベルの低さを痛感し、出来ていないことの大きさに無力感さえ生まれました。
理学療法士の方で、その後、JASA-AT、スポーツ科学博士を取得された大工谷新一先生からは多くの気づきをいただきました。鹿屋体育大学の藤田英二先生ともJASA-AT同期なのですが、同じ柔道整復師でもこんなに差があるのかと思い知らされました。私もそれなりに研修してきた自負もあったからでしょう正直、かなり凹みました(笑)。米田病院に勤務されていた藤田先生の「ほねつぎ」に対する知識、経験の深さには、ただただ脱帽するばかりでした。その頃藤田先生は柔道整復師専科教員を取得されたのですが「専科教員受講の推薦はなくなる」という情報を得ましたので選抜試験であればチャンスはあると考え、今度は「ほねつぎ」に対する研鑽として選抜試験を受け、何とか柔道整復師専科教員認定講習会を受講することができました。
JASA-ATの受講を開始した頃に、アスレティックトレーナー長崎県協議会の前身である長崎県アスレティックトレーナー協会が横山茂樹元会長(京都橘大学教授)を中心に設立されたのですがJASA-ATはスポーツドクターとの連携も必須なので、そのため研修会や患者さんを通して長崎市内の整形外科専門医とコミュニケーションが取れるようにもなりました。
こういう経緯、またエコー超音波画像診断装置の導入などもありようやく、ここ5年くらいで自分の整骨院にて「ほねつぎ」ができる環境が整い、後進の指導もできる環境が整いました。まだまだ知識、経験不足は否めませんが専門学校にて「アスレティックトレーナー」「ほねつぎ」を後進に指導することでも一緒に成長させてもらっています。昨年度よりスポーツトレーナーとして長崎県教育委員会よりある事業を依頼されたり、白石洋介医学博士、柔道整復師主催研修会に参加しEBM、生化学の必要性を強く感じたりしながら自分のweak pointである研究というものがkey wordになっているこの頃でもあります。
―橋口先生は、多くの学会の会員になられていますが、柔整の中心的な学会はやはり日本柔道整復接骨医学会と思います。接骨医学会に多くの先生が発表されていらっしゃいますが、橋口先生も発表されていますか?そして他の医療職種の学会にも柔道整復師の方がどんどん発表していく必要があると思いますが、橋口先生のお考えをお聞かせください。
接骨医学会に関しては、私は17・8年前に初めて参加しましたが、その時と今とを比べると凄く良いですね。やはり大学が出来たことによって物凄く研究というものが進んでいるからだと思います。
私自身は第20回日本柔道整復接骨医学会学術大会にて「楊心流柔術と楊心流静間の巻」について発表しています。柔道整復の施術に関する症例発表などが普通は考えられると思いますが、私には温故知新・温故創新の考えがあり古いものも好きなのです。古典の名著である正骨範の中で著者の二宮彦可は吉雄耕牛を師事し整骨を学ぶにあたっては吉雄の紹介にて吉原元棟を師事したと記載されています。吉雄の邸宅跡などは実在しており私の施術所から徒歩3分の場所にあります。しかし吉原については誰も調べていませんでした。調べを進める中で長崎学の創始者である古賀十二郎氏は著書の中で吉原は本下町在住との記載がありました。実は、私が開業している長崎市築町の半分は旧町名を本下町と言います。そんなつながりもあり古典を調べるモティベーションになりました。また、なぜ柔道整復という分かり辛い名称になったのかも古典を調べることで理解できました。その中で、長崎歴史文化博物館には柔道整復の源流である楊心流最古の伝書である「楊心流静間の巻」があることを知り、博物館の研究員のご指導を仰ぎながら現代語訳とし発表しました。まだまだこの研究には続きがあるのですが遅々として進んでないのが残念です。
他の医療職種の学会に限らず色々な場所で柔道整復師は発表をする必要があると私も思います。なぜなら他の医療職並びに専門職の方々に柔道整復師も研究をして国民に貢献していることをアピールすることが、この職業及び職域の確保につながると考えるからです。
―橋口先生は日本体育協会の公認アスレティックトレーナー資格を取得、アスレティックトレーナー長崎県協議会会長・(公財)長崎県体育協会スポーツ医・科学委員会の委員等幅広く活躍されておられますが、柔道整復師の職種とはどのような職種と思われていますか?現在、治療のみをされていらっしゃる先生もいらっしゃれば、スポーツトレーナーとして活躍されていらっしゃる方もいます。また治療も含めて介護分野で活躍されている方も多数いらっしゃいます。このような形で柔整の多様化がますます進むのでしょうか?また公認のアスレティックトレーナーの役割というか職業として今後の方向性やお考えがありましたらお聞かせください。
柔道整復を職種ということで考えると医療+運動と思います。それは整復+柔道が示していると思います。またも過去からの引用になりますが明治から大正の公認運動の際には、柔道接骨で申請したのが結局、柔道整復で認められました。柔術家の経験的医療(エンピリシズム)ということです。そもそも楊心流柔術が医療と柔術を併せ持っていたのですから、最初から医学と体育がベースとなった職種なのだと思います。したがって柔道整復師が介護分野で活躍すること、スポーツトレーナーとして活躍することは自然の流れなのかも知れません。しかしながら現在の柔道整復のカリキュラムは医療にほとんどを割いていますので、もう少し体育系の知識は必要と感じています。
余談ですが、TVドラマ水戸黄門の格さん(最後に印籠を出す役)は柔術家という設定です。したがってドラマの中で倒れている方がいると「活」をいれて蘇生させ「手当て」をします。まさに私たちの原型です。公認アスレティックトレーナーの職業としては、東京オリンピックも決定しましたので、ようやくスポーツ関係での職業として成り立っていけるのではと考えています。
―東京オリンピックが決まり、柔整の活躍が期待されています。ただ、長野で冬季オリンピックが開催された時に、相当苦労されたともお聞きしました。橋口先生は長崎県でアスレティックトレーナーの会長をされていらっしゃいますが、東京オリンピックにもし柔道整復師の先生たちが参加される場合、既にアスレティックトレーナーとして活動されている方達であれば可能性が高いでしょうか?
正直言いますと、柔道整復師の免許だけでは、通じないように思います。医学系のカリキュラムは充分ありますので、体育系のカリキュラムを足して、関西医療さんや花田学園さんが既に開設されているアスレティックトレーナー科というのを作ってどんどん養成させるのであれば凄く良いと思います。或いは、以前財団が行っていたスポーツ科学講座を復活させるというような、それを受講することで、例えば日体協のアスレティックトレーナーの何かの教科を免除されるとかであれば、受かりやすくはなりますね。
―橋口先生は、柔整業界の現状についてどうお考えですか?また、中央と地方の違い等について、何か感じられていらっしゃいますか?
業界の現状についてと言うか、平等(調和の目的:責任)と公平(進歩の目的:自由)が機能していないのが根底にあると考えます。平等は柔道整復師であれば等しく所有する権利ということですが、公平は、何かした(若しくは何もしない)柔道整復師には、公平に権利が与えられるということです。免許の更新制度、保険取扱い制度や更新制度、学校制度などをなおざりにしてきた結果が今です。人間ならラクをしたいのが自然の摂理なので何も変化させずに食べていけるのであれば誰もが改革に手をつけることに躊躇します。
中央と地方の違いということですが中央のことは分かりません。私は地方の県庁所在地の中心部で開業していますので中央とも違いはあるとは思います。それから長崎には離島へき地が多くあります。私は公的機関からの依頼にて壱岐、対馬、五島でJASA-ATの立場として講義などをしましたが、もしそのような離島で柔道整復師が活躍し続ければ養成校で学んだことが十分に生かせるだろうとは感じています。
―厚労省から保険者に通知が出されたこともあり、適正化という名のもとに患者照会や返戻が頻繁になっていますが、橋口先生はそのことをどのように思われていますか?そういった状況が今後も続き、ますます増えていく状況というのは、柔道整復師がどんどん誕生している背景があってのことだとも思われます。それら相乗作用が働いて業界が混とんとしており、規律が全く働かなくなっているように思われます。橋口先生はこういった事態をどう思われ、どうすれば悪循環を断ち切れると思われますか?
患者照会については納得がいかない部分は多いです。健保組合、協会けんぽ、共済保険に加入している方の照会が多いようですが、このことで患者さんがケガをしても施術を受けにくいネガティブな要因となっています。施術を受ける患者さんは決められた保険料を納付している訳で、なぜ柔道整復施術を受けたからといって差別的に照会を受けないといけないのでしょうか。当然、こうなった背景は理解していますが・・。
また福岡裁判後、新設校の規制をしていない訳ですが、その当時は、九州、中国、四国の有資格者が少なく学ぶ機会の平等が成り立っていないため福岡にて学校を設立したいという意味合いでの裁判だったと理解しています。そのため現状では十分な数の養成校があります。私たちの免許は国家資格であり受領委任払い形式なのですから今後医師と同様に国より入学者数が規制されるべきと考えます。
―所謂単なる肩こり、単なる腰痛という表現で、健康保険組合のパンフレット等に接骨院で保険取扱いができませんと表記されておりますが、そのことについて柔道整復師の先生方はどのように捉えていらっしゃるのでしょうか?納得されていらっしゃるのでしょうか?
患者さんは何が慰安行為で、何が施術を受けるべき痛みなのかは分かりませんので、そもそもこういう広報は意味があるのでしょうか。柔道整復での施術を受けるには「こういった原因、こういった症状がある場合」という広報は柔道整復業界や厚労省と相談をしてからされた方が皆にメリットがあると思います。
―頚椎捻挫や腰部捻挫というのは柔整ではどういった疾患に対して、そういう病名にするといった一定の取り決めごとがあるのでしょうか?お答になられる範囲で教えてください。
ご存じの通り、柔道整復術とは「運動器に加わる急性または亜急性の原因によって発生する各種の損傷に対する施術」です。ここで言葉の補足をしますと急性とは急性の外力による損傷、いわゆる外傷。亜急性とは亜急性の外力による損傷、いわゆる障害となります。私の記憶では一定の取り決めごとはなかったと思いますが頸部の軟部組織損傷に対しては頸部捻挫としています。また、走っていてハムストリングの肉離れやランニングが原因による腸脛靭帯炎は大腿部挫傷としています。
昭和63年に発行された柔道整復学校協会編集、柔道整復理論初版の序文に「ここに新しい柔道整復理論の教本を完成した。また、この内容について、厚生省健康政策局医事課の監修を頂き、公的にも柔道整復師の業務範囲を明らかにすることができた。」と記載されています。従って業務範囲の基準と考えられます。また記載されている傷病名が適切とも考えられますが、それでは初版の教科書の内容が全部なのか。と問われればそうとは言い切れません。例えば、現在養成校で使用している第5版の教科書には、不全骨折の分類の中に骨挫傷:bone bruiseの記載がありますが初版にはありません。軟部組織損傷についても初版にはないものが多くあります。しかし「運動器に加わる急性または亜急性の原因によって発生する各種の損傷に対する施術」ではあります。また、初版の教科書は柔道整復師試験が国家試験に移行する際に発行されたものですから、当然、それ以前に免許をとられた方はこの内容はご存じないと思いますし、また、どのくらいの方が初版や現在の教科書の内容をご存じなのかも分かりません。
―もし、いろんな疾患の定義が出来たとしても、業界全体の共通認識にならなければダメでしょうし、同時に学校教育に反映されなければ意味がないように思います。その辺についてはどのようにお考えですか?
傷病名問題を解決する必要はあります。例えば、テニス肘はスポーツ障害の代表的な傷病名ですが、これは肘関節捻挫なのか。前腕部挫傷なのか。上腕部挫傷なのか。施術者の判断に委ねられているのが現状と思います。上腕骨外側上顆炎ですので上腕部挫傷とすべきなのかも知れません。しかし前腕部の伸筋群にも損傷があるのであれば前腕部挫傷なのかも知れません。現在の学校教育では第5版の教科書を使用していますが、この本の内容は私たちが取り扱う傷病をおおよそ網羅していると思います。しかし、先ほども述べましたが、今、養成校で使われている教科書の内容を知っているのは学生、教員と少数の向学心のある柔道整復師のみと思われますので業界の共通認識ではありませんし、在学している1万人以上の学生とは傷病の共通認識は取れますが、その習った傷病名をどうやって柔道整復負傷名に当てはめたら良いか彼らは知りません。当然、業界の共通認識にならないとまったくの無意味です。例えば大腿部挫傷(腸脛靭帯炎)、足底部挫傷(足底筋膜炎)、殿部挫傷(中殿筋損傷)というような記載方法にすれば保険者、審査委員の整形外科医、行政などの私たちを取り巻く方々とも共通認識が取れます。ひとつひとつの細かい傷病をつけることは数年後には新たな概念が生まれ傷病名に変化が起こることが容易に想像できますので、あくまでも柔道整復術の範囲で施術していることが表現されれば良いと考えています。
―以上のような保険者の返戻の基準がバラバラだとか、パンフレットも疑問のある内容もあったりとして、業界の一部では、そうした課題に対して、統一した基準としてのガイドラインを作成して対応していくとする動きがあるとお聞きしておりますが、そのことについて橋口先生はどのようにお考えですか?
統一した基準としてのガイドラインの作成に関して私は知りませんが保険者に柔道整復のことを色々と知ってもらう努力はすべきとは考えます。最近の返戻のレセプトを見ていると患者照会アンケートとの相違が多くなっています。それ以外に疑義が生じたものは基本的にキチンとなぜそのような請求なのかを記載していれば問題は解決しています。こちらがその請求の根拠をキチンと示すことも重要と考えます。
―卒後研修制度の必要性について教えてください。
私は医師なようなシステム作り、法的なバックアップが必要と考えます。実は、現在の卒後臨床研修制度が始まったばかりの頃に、キチンと決まったカリキュラムの卒後臨床研修を受けたいと思い相談をしたところ「この制度は卒業後間もない方が受けるもので先生は該当しません」と言われて残念な思いをしたことがあります(笑)。私の施術所の勤務柔道整復師には必ず受けてもらっています。なぜなら研修の内容を勤務者に提供するにはかなりの労力を割きます。また専門家に話をしてもらった方が聞き手の吸収も良く効率的です。現在の制度は任意ですから何らかの特典を付加し改善し、できれば医師のようなシステムにすることが理想です。なぜなら養成校で学んだことを臨床で理解するには特定の指導者の下で学んだ方が効率的だからです。養成校のカリキュラム内の臨床実習はとても脆弱です。私たちの頃は施術所に住み込みや勤務をしながら学校に通っていたので授業内容に共感しやすかったのですが、今はそのような学生さんは少数で、免許を取って初めて患者さんと接するため学校で学んだことと臨床との隔たりが大きいと感じています。
何よりもどこで卒後勤務するのかで、その柔道整復師の将来が決まると言っても過言ではない現状があります。いわゆる保険の使えるマッサージ施術所に勤務すれば、その方法が正しいと認識してしまいます。何が正しい、正しくないというのは基準点で変わってきます。現状はかなり不平等になっていると思います。卒業生には平等に卒後臨床ができる環境が与えられることが引いては業界の底上げ発展につながると考えます。
繰り返しになりますが、現場研修が大事ですし、あとは医療機関等の連携も考えれば、必ず医療機関で病院や整形外科で、別に見学だけでも良いので病院内でのリハビリテーションや、内科・外科では患者さんをこういう風に診察をしているといったことを見るだけでも自分たちが学校で習ったものが、こうやって活かされているんだなというのが理解できますし、患者さんがいらっしゃった時の患者さんの疾患を見つけるフィルターになって、これは運動器の傷病である、これは運動器ではなく他の原因でこういう痺れが出ているんじゃないかという鑑別診断が出来ます。それを観ていなければやはり分り難い。貴志に書かれている酒田先生は凄いなって思います。実際に患者さんを診させていただいていると、私達の範疇ではないと思える患者さんがいらっしゃいます。その時にそう思えるかどうかを習っていれば分かるんですが、習っていなければ分らないんですよね。
―厚労省も業界を統一して、一本化して意見を持ってきなさいと言われているようです。若い柔道整復師の先生方は個人契約の方が多いように聞いています。どのようにすればそういった若い先生方のコンセンサスを得られるように思いますか?
公益法人に入会することのメリットが大きければ必然的に若い先生方の入会が増えると思います。若い先生方と共通認識、合意を得られるよう魅力を作ってみたいとは思います。正直な話をすると私も開業前は個人契約を考えました。恩師に会のことで相談をしたら当たり前に叱られました(笑)。なぜ悩んだかというとつながりがなかったからです。また当時の高い入会金もネックでした。
―最後に橋口先生は今業界でどのようなことが起こっていると感じていらっしゃいますか?また、最も懸念されていることはなんでしょうか?
色々な懸念はありますが教員という立場からすると養成校で学んだことが生かされていない、もったいないという現状です。あれだけの時間を割いて「ほねつぎ」のことを学びます。外傷・障害の処置を自分の判断で対処できるのは医師か柔道整復師のみです。整形外科医になるのは1学年100人医学部生がいるとしたら何名でしょうか。少数だと思います。柔道整復師は整形外科医と連携をすることでより業務がしやすくなり国民のニーズを満たせます。整形外科医も保存療法で対応可能な症例に関しては柔道整復師に任すことができれば整形外科医としての専門性をもっと出せると考えます。特に地方では医師不足が迫っています。そのような時だからこそ、私たちがなぜこの業務ができるのかの根拠を示し前進していけば国民医療に大きく貢献できると考えます。
一柔道整復師の立場からすると他者との交流なしに継続的に施術所を運営できる現行のシステムを懸念します。柔道整復の主たる学会は柔道整復接骨医学会と質問で言われましたが、ではどれだけの柔道整復師がいてその内どれだけの方が学会会員なのでしょうか。また施術所内で適切な柔道整復が施されているのでしょうか。柔道整復の業務は正直、凄いと思います。そもそも医行為は禁止行為なので免許制度なのですが、その一部を柔道整復という業務範囲で限定解除され自分の判断にて施術をすることができます。これは国民から信頼された先人の努力によるものですが、この素晴らしい職業、職域を永続的に存続させるには何らかの規則が必要だと考えます。
橋口浩治氏プロフィール
S47年10月8日、 鹿児島県名瀬市生まれ(奄美大島)、宮崎県宮崎市・福岡県福岡市育ち。平成7年、東北柔道専門学校卒業。13年、橋口整骨院を開業(長崎市江戸町)。15年、築町に「はしぐち整骨院」として移転。現在、こころ医療福祉専門学校非常勤講師、日本柔道整復接骨医学会会員・日本スポーツ整復療法学会会員・アスレティックトレーナー長崎県協議会会長・長崎県アイスホッケー連盟理事(国体強化委員長)・(公財)長崎県体育協会スポーツ医・科学委員会委員。
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