(公社)埼玉県接骨師会・阿部一先生「お別れの会」、開催
平成26年2月2日(日)、埼玉県さいたま市にあるパレスホテル大宮において『阿部一先生のお別れの会』が開催された。
このお別れの会は平成25年11月29日に肺炎のため71歳で亡くなった(公社)埼玉県接骨師会・阿部一前会長を偲ぶものとして、現会長の渡邊寛会長を中心とするお別れの会実行委員が企画。故人と親交のあった政治家や(公社)日本柔道整復師会役員をはじめ、(公社)埼玉県接骨師会会員、ゆかりのあった業界関係者など数多くの参列者が集まり厳かに開催された。
お別れの会は(公社)埼玉県接骨師会・大河原晃副委員長(副会長)による開式の辞で開会。列席者全員で黙とうを行なった後、追悼の辞として内閣常任委員長・柴山昌彦衆議院議員、総務副大臣兼内閣府副大臣・関口昌一参議院議員、古川俊治参議院議員、(一社)埼玉県医師会・金井忠男会長、埼玉県柔道連盟・中島政司会長、(公社)日本柔道整復師会・工藤鉄男会長、日本柔道整復師会関東ブロック会・岡本和久会長ら7名が、故人への感謝や惜別の想いを籠めた弔辞を述べた。
(公社)日本柔道整復師会・工藤鉄男会長は弔辞の中で〝突然のお別れとなりましたことは誠に痛哭の極みで残念でなりません。先生は真摯で温厚にして協調性に富み、しかも厳格で実行力があり、柔道整復師会会員からの人望も非常に厚い方でした。また地域住民からも深く敬愛されていたとお聞きしています。会員数850名を超える有数の柔道整復師団体である地元埼玉県の会長として、業界の最重要懸案事項である新公益法人制度の改革にいち早く着手し、公益社団法人の道しるべを刻まれたことは、その後の各県の公益移行に対し大変重要なことでした。日本柔道整復師会におきましても、長年代議員を歴任され最後の役職は公益社団法人移行後、大変重責を担う監事の職をまっとうされるなど長年にわたり業界に貢献され、今後さらなるご活躍を期待していました。今回の訃報はまことに惜しみても余り有るものがあります。先生はお亡くなりになられましたが先生の魂は消えていません。我々会員一同、先生のご意思を受け継ぎ一層団結を強め、将来に向け、我が国の伝統医療である柔道整復師のさらなる発展に努力していくことお誓い申し上げます。我々が一歩踏み出す時、間違い道を外すようなことがあれば、阿部先生の天の声を聞かせていただきたいと思います〟と、阿部前会長の長年の功績を讃えると共に、業界のさらなる発展に努める決意を表明した。
その後の弔電代読に続いて行なわれた喪主挨拶では、喪主代理として次女の阿部薫子氏が列席者へ挨拶。故人の人生をたどり、故人が残した想いを列席者へ伝えた。薫子氏は挨拶の最後に〝阿部一は自分の愛した名前のとおりに、真一文字にまっすぐ筋を通して生きた男でした。お線香よりもおいしく楽しいお酒を傾けて父の笑顔を思い出していただきましたら嬉しいです。本日のお運び、並びにひとつひとつのご縁に家族としてまた父に代わって厚く御礼を申し上げます。誠にありがとうございました〟と時折流れ出す涙をこらえながらも、しっかりとした口調で列席者へ精一杯の感謝を述べた。
実行委員長として挨拶した(公社)埼玉県接骨師会・渡邊寛会長は列席者への感謝の言葉と共に〝私も幾度か病院へ行き会務報告をしていましたが、そのたびに会長は本会の様子など心配を交えてお話をしていました。早く元気になり会長職に復帰していただく日を楽しみにしていましたが、再び病魔が襲い11月29日周囲の願いも空しく急逝されましたことは、誠に痛恨の極みです。ご遺族の悲しみを思いますと言葉もございません〟と、無念の胸の内を述べる一方〝生前、阿部会長は「人が変わったから実現できないということであればそれは本物ではない。皆が一丸になって目標に取り組んでいるならばそれは誰がやっても成就するはずだ。これぞ阿部一精神」と言っていたことを思い出します。そして阿部会長の下一丸となって取り組んだ結果、念願の公益社団法人を取得できたことの業績に対し心から感謝申し上げます。私どもはこれからも阿部会長の教訓を生かし、公益社団法人埼玉県接骨師会の発展に努力していく所存です。本日、ご列席の皆様方にはどうぞ今後とも変わらぬご厚意・ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます〟と、故人の遺志を継ぎ会員全員が一丸となり、埼玉県接骨師会の発展に努力していくことを誓った。
その後は列席者一人ひとりが献花台に献花し、故人との最後の別れを行ない『阿部一先生のお別れの会』は閉会した。
このお別れの会では改めて故人の人望の厚さ、柔道整復業界に残した多大な功績を感じ取ることができた。故人が残した熱い想いを糧にし(公社)埼玉県接骨師会、ひいては柔道整復業界がますます発展していくことを期待したい。
阿部一様のご冥福をお祈り致します。
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