NPO法人JATAC第20回全国活動報告会 開催
NPO法人JATAC 第20回全国活動報告会が平成27年9月19日(土)~21日(月・祝日)の3日間、東京海洋大学越中島キャンパスで開催された。
20周年記念シンポジウム
「長野冬季オリンピックの経験から2020年東京オリンピックに向けて」
その1:講演
長野冬季オリンピックの経験から2020年東京オリンピック・パラリンピックに向けてJATACは何をすべきか
JATAC副会長 原 和正 氏
1998年に開催された長野冬季オリンピックに運よくアスレチックトレーナー(以後AT)がオフィシャルとして活動することが出来ました。
1990年代は高齢化社会到来が声高に叫ばれ、当時の(社)長野県柔道整復師会・木下会長の力強いリーダーシップにより「認定スポーツ接骨師・認定高齢者ケア接骨師」制度の講習会を長野方式で94、95、96年の21カ月間をかけ自主的に開催しました。
当時、柔道整復師試験財団と日本体育協会が前年からAT養成の講習会を始めていました。財団と日体協に直接電話をして、私どもの要望を話しました。当時私は長野県の理事をしていましたので、とにかくオリンピックに参画するには2・3年位前にある程度組織化出来ていなければ無理ではないかとして、2年前には組織化しようと見切り発車で勉強会を会長に強く進言をして実施しました。あくまでもオリンピックに参画できるか高齢者の介護に参画できるか全くわからない中で、そんな約束できないことをやったってしようがないという意見もありました。しかし柔道整復師の質を上げるということにおいてはどんな勉強をしても良い訳で資質の向上をうたって140~150名が講習会を受けました。カリキュラムで足りない部分は補講を行って、足かけ3年、21回殆ど日曜・祝日を使って開催しました。出席率も非常に厳しく8割はクリアしないと役員であっても認定はしないとしました。
長野オリンピック組織委員会の医事課、体育協会、県の教育委員会のスポーツ課に講師の依頼に行きました。講習内容を全て明らかにして予定講師の名前まで書いて全部渡しました。講師派遣承諾の返事をもらいましたがオリンピック参画については中々返事は来ませんでした。2年後に丁寧なお断りの手紙を頂きました。2日後くらいに直接行って〝検討頂いたことに感謝している〟とお礼を述べ、いろいろ話をさせてもらって、参画出来なかった理由を聞いたところ、医療者から見ると何をしている団体か分らないというのが一番の理由でした。その足でボランティア課に行き〝ATとしてボランティア登録は出来ますか〟と尋ねると〝ボランティア登録は是非お願いします。ボランティアは何でも結構です。団体として登録していってください〟と。当然オリンピックでは、医師も殆どボランティアです。話が前後しますが、県の体育協会から1 996年のスケート国体で長野県選手のコンディショニングをしてくれと要請されました。何故依頼が来たのかというと、講習会を開催するにあたって長野県の体育協会に講師の派遣を依頼したからで、長野県の柔道整復師会はこういう勉強会をしているのかと。オリンピックだけではなく、まず長野県に協力してほしいということでした。組織のほうに話して〝誰か行ってくれないか〟と言うと役員も誰も手を挙げない。受講者全員に組織として声かけをしたが誰一人手を挙げない。言いだしっぺだったので私一人が行きました。2月にもスキー国体に来てくれと要請があり、みんなに話したが誰も手を挙げない。親しい会員に頼んで2人でスキー国体をやりました。当時私は接骨院を一人でやっていましたので1月に1週間休み、2月に1週間休んで非常に辛かったです。それで現在も長野県はずっと国体にJATACからATが帯同して行っています。結局、体育協会に協力したことで、最終的に体育協会がJATACを長野県オリンピック組織委員会に推薦してくれました。それがやはり大きかったです。
最終的に1年前の97年1月に連絡が来ました。要請してから2年以上経っています。入れるということになって、其処から又ひたすら勉強です。柔道整復師用語で話しをしていたら相手に話が通じません。また柔整評価ではダメなんです。標準医療の評価をキッチリと勉強会をやりました。社団に話をして講習会を受けた人たちはJATACの会員として、最終的には55名が参加しました。講習会に参加しない人は認めなかったということです。オリンピック組織委員会というのは細かいことがいっぱいあり、完全な役人組織です。要綱を作るにあたってマニュアルがなくて本当に苦労しました。
選手村の課長から電話がかかってきて、クレームが出たということでした。内容は〝もし柔整のアスレチックトレーナーがフィットネスセンター棟内で活動するのであれば私たちPTはオリンピックでの協力は辞退する〟というものでした。とにかくここで躓いたのではまずい、クレームに対してどういう風に反論するべきか。相手を攻撃することは一切しませんでした。アスリートファースト、とにかく選手を大事に、世界のスポーツ界の潮流と、スポーツの分かる医療者でなければならない。それを前面に出して反論文を書いて、課長に持っていきました。その後、何も言われずに通過しました。其処で一気に突っ走っていきました。ただ、私どもは器具の取扱いについて講座に入れていなかったのでトレーニングマシーンの勉強会をしました。 オリンピックというのは実は2週間しかない。ただし選手村をオープンするのは1週間前です。1日会員4名常駐、2か所で8名。55名の会員が毎日日替わりです。全部記録を残して翌日のトレーナーが誰だれがどうなっているということを全部書くようにしました。朝8時にはもう体制を整え、夜終わるのが22時です。結構選手たちは遅くまで来ます。就業時間が一日14時間できつい、ご飯も冷たくておいしくないし、本当にかわいそうだった。また、その日のリーダーが全て責任を持つことになっており、何かあったらそのリーダーが全部責任をとって、私の携帯電話に。全体的な責任は私になっていました。事前に厳しいリーダー研修も行いました。
オリンピック参加国は72カ国、オリンピック村への入村選手・役員は3,200名強、この内約500名は白馬、志賀高原、野沢温泉等に宿泊。このオリンピックに、Drおよびトレーナーを帯同した国は33カ国、不帯同は9カ国、不明30カ国。この施設でJATACのケアを受けた選手役員は54カ国、269名(9割以上が国外選手)でした。選手村入村者の1割が、私どものケアを求めた。予想を上回る世界のトップアスリートがJATAC(NAGANO)が運営したトレーナールームを活用してくれました。競技種目別ではスケート系73名、スキー系69名、ソリ系60名、その他12名でした。業務内容は手技療法、ストレッチング、テーピング、アイシング等。フィットネスセンター(トレーニングルーム・サウナ・シャワー・トレーナーズルーム含む)利用者は7,353名でした。
2020東京オリンピック・パラリンピックに向けて何をすべきか。組織委員会対応①NPO法人JATACの組織として協力する意思をはっきり示すこと②医療の一員として参加協力するのか、コンディショニングとして参加するのか、両者なのかによって対組織委員会での対応部署が違う③医療の一員で参入やアスレチックトレーナーとして参入どちらで折衝するにしてもボランティア登録する必要がある④何処(選手村内or競技会場)でどのように対応、活動の意思表示⑤アスリート本位での計画書および内容作成⑥JATACatcの特徴(医療系資格を有しているATであることを前面)をだす⑦次回全国活動報告会に2020東京オリンピック・パラリンピック組織委員会ボランティア担当者を招待or講師として招く⑧組織の活動実績をPR用として持参する。また会の趣旨、目的、規約等も持参する。長野冬季オリンピックでの成功例を資料として添え提出する。まとめとしては東京オリンピック・パラリンピックの組織委員会に出向き、協力姿勢を示すことが絶対条件である。オリンピックに関する全て(良否に関係なく)を記録に残すことで、後世に有効活用が可能となる。
その2:討論
「JATAC設立20年を振り返る。JATACが目指すべき社会貢献とは」
総合司会:原 和正 氏、岩本 芳照 氏(JATAC副会長)
原:
私は柔道整復師が増えたから柔道整復師が苦しくなるとは思っていません。小池先生は柔道整復師が毎年5千人増えると。しかしPTは年間1万2千人毎年増えるんです。柔道整復師が増えることは決して悪い訳ではない。柔道整復師同士がライバルではなくて、ライバルはPTです。若者に夢と希望を与えられるような、こういう方向に進んだらというご意見があれば、聞かせて頂きたい。
会場・O:
沢山有意義な話、活動を聞かせてもらって心躍る話が多かった。学生支部の話を聞いて未来を感じました。最後のほうになってくると未来のない話に落ち込んでいって、僕も柔整師ですが、JATACという集まりの中でどうやってトライアルの話に進むのかと思っていたら最後は柔整に固まってしまった話は残念でした。PTの学生さんも来ている中、他の有資格者の先生もいる中で柔整に向けた話が多かった。学生支部の話は凄くて、この中にいけばもっと膨らむのかなと感じたし、その先にJATACがあるのかなと。
岩本:
私も学生さんの発表を聞いていて、そういう時代が来たのかなという気がしました。我々有資格者、主に柔整師が立ち上げて柔整師が主体であったんですが、正会員となってやってきた人たちが片岡先生のお話にあったようにどんどん止めてあまり活動もしなくなって、その中で多くの若い人たちが動きだした。じゃその中でこれからのJATACのあり方をどうしたらいいのか。医療資格を持ったATという集団であることは間違いないけれども、まだ資格を取っていない学生さんも含め、他の科学系スポーツ係を出られ医療資格はないけれども入ってこられる会員さんも含めてどういう活動をこれからしていくと良いのか、それが課題です。一つ思ったのは、国は財政の問題で、地域包括ケアシステムという形で高齢者をみんな在宅に帰して、地域で医療も介護も住宅も地域ぐるみでみていこうという政策を打ち出しています。従ってケアマネ等がいろいろ手配する訳で、そういう所にATとして出ていくような手立てを地域で行っていくと良い。所謂ケアマネさんによく知ってもらって、我々を活用して頂く。高齢者にも我々のやれることはいっぱいある訳です。将来、スポーツにかかわってこられるような高齢者もおられますし、世の中で地域の連携、活躍できる場もあるのではないかと。アスリートだけではなく、その辺も今後考えていっても良いのではないかと思います。
北海道・佐藤:
今日はお三方の貴重なお話有難うございます。20周年を迎え、これから先ということで、4年後に東京オリンピックがあります。どのようにして我々が参画するか。それを一つの起爆剤として未来に「我々が一つになれる目標」に向かっていく一番のチャンスと思います。早めに見すえて進めていけたら良いと思いますがシンポジストの方の意見を伺いたい。
原:
佐藤先生が言われた東京オリンピック・パラリンピック、皆さんが「やりたい」という意思がハッキリ出てくれば、必死で執行部も動くと思います。そういう情熱を感じないと動いたはいいが、いざ協力するといったらみんな尻ごみをしてお手伝いしないとなればダメなんです。皆さんのほうからやれという意見が出てくれば私どものほうは積極的にやりたいと思います。皆さんがどういう気持ちでいるのかを聞かせて頂きたい。東京オリンピック・パラリンピックに、JATACとして参加したいのか、参加したくないのか。
会場・O:
是非、参加して、其処を機にATという名前を大きく広めていきたいと思います。
会場・A:
いま、学生に与えられている役割を考えてやっていく。正会員になった時に目標である「即戦力」を意識して活動していくのが現状で一番大切じゃないかと。
原:
やるからには勉強もしてもらわなければ、このままでは出られないということです。それだけのカリキュラムを勉強していく、その時に参加してくれるかどうか。やったはいいが、参加者が殆どいなかったでは困る。積極的に参加して欲しい。
片岡(JATAC副会長):
今日の原先生のお話を聞きました。大変な苦労の中で実現してきた訳です。しかしそれだけでは何もつかめません。それを活かさなければいけないということでしょう。国民全体のことを考えてください。高齢者がどれだけ居るか、必要とされる対象は物凄い数です。20年の経験をこれから如何いかすかということは今非常に重要なところです。
岩本:
JATACの組織としてオリンピックに行きたいといっても向こうがどうぞと言ってくれなければ入れない訳ですから、どういう風にして参入するか、それは今組織を上げて執行部で考えていかなければいけない。
小池(JATAC専務理事):
地元で実績をつくっていくことが大事です。行政の方々は前例がないものに尻ごみするんです。〝私たちは東京マラソンでもやっています。つくばマラソンも参加してこういうことをやっています〟前例があるんだと言うと、お役人さんは〝じゃやってもらおうか〟ということにもなりやすい。JATACがやっている活動、一生懸命やっていることを公に訴えることによって入り易くなると思います。
(※ここで東京オリンピックに参画するかの賛否を会場に確認し、多くの賛同を得られた。)
原:
強力に進めて参ります。講習会も行います。皆さんが目指されるようなカリキュラムを組みます。そんなに負担のかからないようにします。ただし、行動については厳しいかもしれません。トップアスリートに触るんですから怪我をさせたら必ず責められます。成績はよくて当たり前、成績が悪かったら我々の責任、そのぐらいの自覚をもってやる、私どもはお手伝いをするだけ、あの選手は俺が直したから走れた、そんなことは自己満足です。トレーナーは黒子です。黒子に徹してもらって決して俺が治したなんていうことのないように。オリンピック会場でもそうです。〝俺が治してやるから来い〟なんていうことはダメです。絶対に許されません。そういう教育をしっかりする積もりですので、参画がかないましたら是非皆さんのご協力を頂きたいと思います。若い先生は夢と希望を持って、決して暗い話ばかりではありません。ATはやはり未来を開くんです。これでシンポジウムを終了したいと思います。
※敬称は略させて頂きました。
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