『原健先生を偲ぶ会』が開かれる
平成27年9月26日(土)リーガロイヤルホテル京都にて公益社団法人日本柔道整復師会と公益社団法人京都府柔道整復師会による「原健先生を偲ぶ会」が開催された。
『原健先生を偲ぶ会』が開かれ、多くの著名人がお別れを惜しまれ、そのご功績を讃えられました!
はじめに黙祷が捧げられ、「偲ぶ会」委員長で(公社)日本柔道整復師会会長・工藤鉄男氏が〝故・原健先生の偲ぶ会を行うにあたり公益社団法人日本柔道整復師会を代表し、謹んで哀悼の誠を奉げます。この度、突然のお別れとなりましたことは、まことに痛哭の極み残念でなりません。先生は昭和58年に京都府柔道整復師会会長に就任、厳格・実行力・人望厚く地域住民から深く敬愛されました。平成11年には日本柔道整復師会第15代会長として「改革・前進・斬新」を標榜し機構改革、全国を統括する会と都道府県の社団との役割分担の明確化、連携の強化を図られ、また介護支援専門員の育成等業務拡大に繋がる事業を推進されました。特に柔道整復師を未来に向けて更に発展させていくためにはWHOへの対応が不可欠であるとの思いから平成14年、自らスイス・ジュネーブで開催されたWHO保健総会に出席、柔道整復業界を代表してスピーチを行い、日本の伝統医療である柔道整復と柔道整復師の存在を世界に発信されました。現在、日本柔道整復師会がモンゴル国で活動を展開している事業はWHOで認知された柔道整復師を世界に普及する活動の第一歩といえるものです。先生の数々のご功績は永久に我々の胸に生きるでしょう。我々会員一同先生のご遺志を受け継ぎ一層の団結に努め柔道整復師の将来に向けて我が国の伝統医療である柔道整復師の更なる発展に努力していくことを誓います〟と追悼の辞を述べた。
次に京都府知事・山田啓二氏は〝原健先生の偲ぶ会がこのように厳粛に行われるにあたりまして京都府民を代表してご生前のご遺徳を偲び衷心より追悼の辞を奉げたい。先生はまさに卓越した指導力で、京都だけではなく日本における柔道整復師のリーダーとして柔道整復師の社会的地位の向上に尽力され世界に広められ、京都においては地域の医療福祉などリーダーとして大きな役割を果たされ、介護保険と柔道整復師の関係を結びつける大きな役割を果たされました。また、第15回の世界保健総会に日本を代表してスピーチをされ、まさに「ミスター柔道整復師」として大きな足跡を残されました。振り返りますと先生の存在の大きさを改めて痛感する次第で先生が遺してくださったこうした思いは多くの人々によって必ず守り育てられ、京都において大きな花を開かせると確信しています〟。
続いて京都市長・門川大作氏は〝原先生は、日本柔道整復師会会長、また京都府柔道整復師会会長として柔道整復師の進路獲得に情熱的に全力投球されました。人々の健康と幸せのために貢献され必死に努力されました。世界保健機構への取り組みで日本の伝統的医療と認められ現代における医療技術の1つとして治療を確立することに繋がりました。京都市社会福祉協議会の会長職をはじめ数々の要職を歴任され地域福祉に対する多大な業績、最後まで献身的に努めて頂きました。私どもは原先生が示された道と残された功績をしっかりと踏まえて地域に根差し、子供たちがすくすくと育つそんな「まちづくり」を皆さんと一緒に進めて参りたい〟。
衆議院議員・伊吹文明氏は〝日本柔道整復師会の顧問をしている伊吹です。原先生と私は本当にざっくばらんなお付き合いをさせて頂いておりましたので、原先生との思い出をお話して原先生の追悼の言葉としたい。原先生は私がまだバッジをつける前、私のちっぽけな事務所に訪ねてこられて、あんた気にいったから応援することに決めたと仰いました。その後、原先生の音頭で柔道整復師による伊吹文明の後援会を作ってくれました。この後援会は今も続いています。原先生が日本柔道整復師会の会長になられた時に私は厚生関係の自由民主党の仕事をしており当時の保険局長を紹介しました。以後フリーパスで保険局長のところにいつも出入りしておられました。原先生の時に料金改定について日本柔道整復師会は初めて関与した訳です。政治にとって大切なことは政策が分らなければ政治は出来ません。演説も勿論大切です。しかしそれだけでは人は動かない、人が動くのはやはり心の触れ合いだと思います。原先生は心を許しあった先輩だったと思います。大変厳しい一面がありましたが、非常に優しい方でした。まことに堂々たる人生であったと思います〟。
引き続いて、衆議院議員・谷垣禎一氏は〝改めてご遺徳を偲びつつ謹んで哀悼の辞を奉げます。在りし日の先生のお姿を偲ぶ時、言葉では到底言い尽くせない深い悲しみを覚えずにはいられません。原先生には私の父の時代から大変お世話になり、32年前私が初めて国政に挑戦した補欠選挙の際、谷垣君、勝負は絶対に負けてはいかん、一緒に頑張ろうと何度も力強い激励を頂きました。己の心身の力を最大限にとき放ち自分だけでなく他人と共に栄えある世界を築いていこう。いま目を閉じて生前の原先生の姿を思い出す時、私はこの「精力善用 自他共栄」を思い出さずにはいられません。ただひたすら世のため人のために生きる原先生の実直な姿勢には本当に多くを学ばせて頂きました。改めて原先生のご冥福をお祈り申し上げお別れの言葉と致します〟と万感の思いを語られた。
次に出席者一同追悼の意をこめて原先生への献花が行われた。
偲ぶ会京都の実行委員長・京都府柔道整復師会会長・長尾淳彦氏から〝原先生は昨年の6月、肺に癌がみつかり、非常に大きくなっていたため手術することは出来ませんでした。昨年の10月から、府立医大の病室やご自宅に月に2回呼んで頂き、いろんなお話を頂きました。原先生がお亡くなりになられる前の4月8日に“日本で育って日本で生まれた国家資格の柔道整復を日本の中に、そして世界に広報しなければいけない”と仰られました。今日はジュネーブの総会でのWHOのエンブレム、これは京都の大徳寺芳春院さんや本願寺の襖絵を描かれている宮絵師の安川如風先生にお願いして手描きで描いて頂いたものを貼らせて頂きました。また原先生は“柔道整復師は自信もってないだろう、なんでやと思う?”とお尋ねになりました。“勉強をしていないからや、堂々と勉強していたら自信が出てくるはずや、勉強してへんからあんたらあかんのや”と仰いました。工藤会長とご相談して明日近畿ブロック学会で京都テルサの開会式の時に貼らせて頂きます。原先生の遺言、「もっともっと柔道整復のことを告知しよう、広報しよう」ということで会を催しました。沢山の方にお出でになって頂いて原先生が喜ばれていると思います。有難うございました〟と謝辞を述べた。
なお原健氏は、保健衛生功労で平成6年4月に藍綬褒章、平成14年11月に勲四等瑞宝章を受章。27年4月23日にお亡くなりになられてからの平成27年5月に叙位叙勲 正六位を授与されておられます。
謹んで哀悼の辞を奉げます。
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