スペシャルインタビュー:稲城市長・高橋 勝浩 氏
稲城市の人口は、約9万人。うち、高齢者人口は約1万7千人で、高齢化率は約20.1%である(平成27年10月1日現在)。
稲城市は、東京都の近郊に位置しながら緑豊かな自然が残っている都市として若者にも年配の人々にも愛され、憧れの町である。その土地柄を上手く活用し、将来にわたって住み続けられるように叡智あふれるまちづくりが行われている。 高橋市長は、突出した能力をフルに活かし、新しい施策をぐいぐい打ち出し、それを市の職員と市民が一体となって後押ししている形である。 そんな頼もしい高橋市長に今後の政策や考えを広くお聞きした。
『地域包括ケアシステム・稲城バージョン』をきめ細かく早急に構築し、市民みんなが支え合うまちづくりを推進していきます!!
稲城市長
高橋 勝浩 氏
―日本の社会保障制度について高橋市長のお考えをお聞かせください。
世界各国にいろいろな制度があり、公的な社会保障が薄い国もあれば、北欧のように高福祉の社会保障制度を持っている国もあります。もっと良い制度があればそれを望むというのは、人情として分かるんですが、今、我が国では『税と社会保障の一体改革』を行っている最中であり、あまり負担せずにサービスだけ受けようというのは、もう立ち行かなくなっています。
日本の福祉は、第二次大戦後の所謂戦傷病者対策から本格化したと言えると思います。勿論戦前に福祉的な配慮が全くなかった訳ではありませんが、公的にサービスが確立されてきたのは戦後で、戦争で傷ついた方や戦災孤児への復興支援を行っている内に障害者等の支援という形で確立してきたんですね。児童福祉や高齢者福祉、障害者福祉について契約制度として整備され確立されてきましたが、これまで一貫して財源問題は言われてこなかったように思います。まあ、日本は高度成長期で、高齢化は全く問題にならないくらい人口構成がピラミッド型で、支える人は山ほど居て、寿命はそれ程長くもなく、一定程度で皆さん亡くなっているという意味では非常にバランスがとれていました。税収も収入所得も右肩上がりで今では考えられませんが、高度成長期は翌年の予算を立てる時に使いきれないからもっと歳出を考えてくれといった時代でした。その過程で、作らなくてもいいようなものを乱立してきたという反省もありますが、当然それは持続可能性はなく、高度成長が何時までも続く筈がありません。
昭和50年代後半から60年代に入って、安定成長になった時に、初めて財源問題が出てきて、なおかつその頃から実は高齢化・少子化の根があったのです。本当はもっともっと早期に気が付いて取り組むべきところだったのです。所謂バブルで日本が世界で一番だと、みんなお立ち台の上で踊っていた時代があった訳です。その後一気にいろんなことに気づいて、成熟社会とはどういうことなのかという様々な反省が其処であったと思います。気が付いてみたら、もうとっくに少子化・高齢化であったということで、急いでそれに対応しなければならないと。しかし、まだまだそのことに気づいていない人が大半だと思います。つまり〝なんとしてでも役所が努力して負担は少なくサービスは多く、それをやるのが役所だろう〟というような間違った期待感があるように思いますが、それはもう全然持続不可能です。
北欧のように〝高福祉を得るために高負担を容認します〟という国民的コンセンサスは得られないと思いますし、残念ながらそういう国民性ではないと私は思っています。一方で、少負担少福祉という、全く自己負担で、自己責任だというのも今の時代にはあまりそぐわないのかなと思います。日本の国民性と最低のコンセンサスを得るという形からすれば、私は「中負担中福祉」を目指すべきと思います。現状は少負担中福祉でありバランスがとれていません。其処で「税と社会保障の一体改革」では、負担もある程度上げましょうと。しかし消費税が10%になっただけで大騒ぎになっていることからすると、北欧みたいな高福祉を求めるのはおかしいと思うのです。
いま日本の皆保険制度は機能していますし、年金制度についても安い安いと仰るけれども、自分でかけた以上には皆さん貰っており、自分がかけた額以下に貰う人は居ないのですから、そこに文句を言っても仕方がありません。そういった意味で皆保険制度も年金制度も一定の機能を果していますから、一般論でいえば公的な社会保障制度を更に補填する生活保護等のセーフティネットが機能していて、それが保障されている社会といえると思いますし、この考え方に基づいて、負担を適正化すれば十分なシステムを全体としては整えていけるのではないかと思っております。また「中負担中福祉」を目指し国民の理解を得ていくことも大事です。
―近年、社会保障費の財源が苦しくなっていることに加えて、高齢社会で医療費も介護費も大変な増加が見込まれ、それに伴い在宅ケアを含め包括型の医療ケアシステムの構築が求められております。稲城市で現在取り組まれている地域包括ケアシステムの構築状況についてお聞かせください。
まず私、昨年の4月の統一地方選挙で再選をいたしまして、その二期目の選挙公約の1つの柱として取り組んでいるのが、『地域包括ケアシステム』です。稲城市は介護保険制度の導入当初から比較的いろんな取組みを進めてきまして、介護保険の分野では「介護支援ボランティア制度」等、全国的に有名な施策を行って、全国からかなり沢山の団体がこれまで見学に来られました。介護保険の制度自体については全国に冠たるという自負を持っている訳ですが、それは介護の分野であり、将来ずっと在宅で住み続けて「終の棲みか」とするようなシステムは介護だけでは成り立たない訳です。医療・介護・介護予防等も必要で、また生活支援や相談ということが全部セットで提供されなければ出来ません。それらをワンストップで提供できる体制を作っていくというのは、業者を含めて様々なステークホルダー、多くの関係団体がお互いに連携しながら一人の対象者に相談にのってあげられる体制を構築していく必要があります。医療との連携等を含めてこれから一番主要な施策として取り組んでいこうと。
やはりこの『地域包括ケアシステム』についても出来れば目指すのは「稲城モデル」で、全国に冠たるシステムを作っていきたいと思っています。お蔭さまで若い世代から「住みやすい町」ということで全国第2位という評価をいただいた時もありますが、老いも若きも住みやすい町、生涯定住、そして世代交代の出来る町を一番の目標にしておりますので、そういう意味では柔軟でキメ細やかなシステムを作っていかなければいけないだろうと思っており、これは着手したところで、取り組みを始めたところであります。
―具体的に取り組まれている施策についても教えてください。
様々な事業に取り組んでおりますが、その中でも平成25年度から「摂食嚥下機能支援推進事業」を始めました。摂食嚥下というのは、どの病院、高齢者施設、或いは在宅でも共通の課題で、嚥下がしっかりできないとお年寄りが肺炎になりやすい。これは一番最初に取り組むべきだろうということで取組み始めました。
また平成26年度から「在宅医療介護連携推進事業」を開始し、更に昨年の5月から稲城市の医師会に相談室が開設されています。稲城市の先進例としては、一つは多職種連携のプログラムを開始しており、いま全国的に柏市さんの多職種連携プログラムが非常に脚光を浴びておりますが、実は稲城市でも富士通総研さん及び柏市さんに関与されている東大在宅医療学拠点のサポートによって柏市のプログラムをベースに、さらに稲城市の実情に応じた形での取組みを開始しています。
もう1つ稲城市の先進事業として、「介護予防日常生活支援総合事業」があり、以前は介護保険の中で給付されていましたがその一部を市町村事業に移行するもので、当市は平成27年4月から積極的に取り組みまして、4月から東京多摩地区でこの事業を行っているのは国立市と稲城市のみです。いろんなご質問を受け〝切り捨てて利用が減っていくのではないか〟とのご意見もありますが、同等の利用件数を維持しております。本来の目的はより身近な市町村で多様なサービスを開発しながら、個別のニーズにきめ細かに対応していこうというもので、副次的に保険給付が野放図に増えることを抑え、経費効果もあれば良いとして、単に保険給付を切り捨てようというものではないと思います。
『地域包括ケアシステム構築』への準備として、一つの柱は「認知症対策」です。現時点で市内の地域包括支援センターの2か所に「認知症支援コーディネーター」を置いています。また「認知症サポーター」の養成を平成20年から取り組んでおり、これまで講座を100回開き、養成したサポーターの数は約3500人になります。更に私の発案で、市の職員全員を「認知症サポーター」にするため、3年かけて全職員を養成し、私も既に受講して認知症サポーターになっています。また高齢者問題とは別ですが、救急救命訓練も私を含めて全職員がやっております。ユニークな取り組みとしては「認知症ケアパス」をいろいろな関係機関との協働で、準備を始めています。病気になって入院した場合に、見通しが立つと不安が解消されますので、いま医療分野で「クリティカルパス」の整備が進んでいる訳ですが、これは福祉・介護の方にも拡充されていくと思います。当市では、仮に認知症を発症した場合、何所に相談をして、どういうサービスが受けられてどのように生活していったらよいのかという一つの安心材料になってくれればという思いで「認知症ケアパス」を作ろうということになり、来年度には完成してパンフレットを配る予定です。更に「認知症初期集中支援チーム」を設置しようと準備を進めており、認知症対策に徹底的に取り組んでいます。
幸い稲城市内には東京都から『地域連携型認知症疾患医療センター』の指定を受けている稲城台病院がありまして、これを核にして平成29年度に向けて地域で支援チームを作っていく予定です。稲城市は比較的狭い市でありますが、市をブロック別に4つの生活圏域に分割して、認知症高齢者グループホームや、小規模多機能型介護施設等の地域密着型サービスを各圏域ごとに整備しながら介護施策を整備してきました。今後はこの生活圏域を母体として、地域包括支援センターも4つ、「認知症コーディネーター」もゆくゆくはその4カ所に1人ずつというように、全て市を4分割して、同等の整備をしていきたいと考えています。
他にも「生活支援介護予防サービス協議体」を設置して、地域の状況の情報共有と今後どんなサービスを作っていったら良いかを話し合います。一層二層に分けて、第一層協議体は、生活支援介護予防サービスを協議するもので一か所設置しています。その構成員は、生活支援コーディネーター・自治会・民生児童委員協議会・老人クラブ連合会・シルバー人材センター・社会福祉協議会・市民活動サポートセンター・配食とヘルパー等のNPO法人・介護保険事業者・介護予防自主グループ・地域包括支援センター・市など、所謂高齢者介護を支えていく関係者総てに入ってもらっています。第2層協議体の構成員は第1層とほぼ同一ですが、第2層協議体はより具体的なことを協議します。
介護は比較的確立されたシステムで、元々介護保険事業者等の連携もあったり認定審査会があったり、システマティックに整備されている訳です。ただし医療は必ずしも連携がとれていないということもございまして、もっとそれを生活全般に密着させていく必要があります。我が国ではフリーアクセスな医療が原則ですから、各市町村そうだと思いますが、あまり医療について関与していない。今まで市町村との連携は予防注射、或いは健康診断や定期健診、乳幼児健診などの所謂健康事業、予防事業に関するものでした。ただ稲城市の場合、医療に参入し単独で市立の「稲城市立病院」を運営しております。その稲城市立病院と稲城市の診療所の医師会の先生方との関係で、医療の提供体制における地域連携がはかれており、稲城市版の『稲城市医療計画』を作ることにしました。これも私の今期の選挙公約の1つですが、〝地域包括ケアシステムを適切に機能させる稲城市バージョンを作っていく〟というのは、口では簡単ですが、結局医療とのところをどうやって密接に連携をとっていくかについて難しい問題があり、お互いに膝を突き合わせて話し合いをするためにも、先ずは現状把握で市内の何処に何科の医者があるのか?等、現状を把握して〝本来あるべきは何なのか〟、更には先述の2025年の推計で高齢者が倍になり、認知症も倍になる。単に我々がこういうシステムを作りましょうと言っても空回りして、介護保険でいう事業者、医療でいえば診療所に提携していただけないと成り立たない訳ですから、稲城市の医師会さんと一緒に考えていく。一定のご理解を得て「稲城市医療計画」を作成します。ただし、これはいま国や都で取り組んでいるような医療計画とは全く関係ないもので、我々サイドで考えた独自のものですがそれを今やっております。
―また地域包括支援センターの力量差も言われており、地域力が弱くなっている現在、「互助」による支援体制が機能する可能性についてもお聞かせください。
都会では「互助・共助」というのは深刻な問題で、また稲城市においても最近ニュータウン化された団地住民の方などは、やはり同じような問題があると思っています。それでも稲城市は、長らく地域密接型で地域力の強い純農村みたいな土地柄でしたから、良い意味での田舎らしさは今でもかなり残っている所がありまして、自治会や民生委員さんなどがある程度現役で機能している部分はあります。実は平成16年度から東京都の介護予防推進モデル地区として指定を受け、東京都で制度化する前から既に介護予防事業を開始していました。人を集めて〝なるべく転倒や骨折をしないように筋力をアップしましょう〟といった介護予防事業を始めまして、しかも将来的にはその教わった人たちが今度は自分たちが各地区で自主グループを作って欲しいということを最初から織り込んで実施しまして、今では沢山の自主グループ・介護予防グループが出来ました。それはある意味、防災でいうところの「自助・共助」だと思います。
公助の部分というのは、措置であったり、共助は保険給付の部分についてであり、自助・互助については、平成19年度から全国に先駆けて「介護支援ボランティア制度」という、困ったら介護保険をすぐに利用するのではなく、出来れば介護保険の世話にならないように動ける内から介護の現場に行って支援する側のボランティアをして頂くことが介護予防であり、それに対し一定のポイントをつけてキャッシュバックしようというものです。稲城市が特区提案したその後、国の制度そのものに取り込まれて今では全国的に定着しています。そんなことで「自助・互助・共助・公助」については当初から取組みを行っています。十分かどうかはいろんなご評価があると思いますが、今後も当市は、防犯面、防災面、そして高齢化問題、環境面も含めて当然行政が最後に行う必要不可欠な部分はある訳ですが、出来るところは自分たちで行う。自分の家の前にゴミが落ちていたら市内一斉環境美化運動として、みんなでゴミを拾いましょう。防犯面でも自分の家の近所の防犯パトロールは自分たちでやってください、そして年に数回はみんなで全域の防犯パトロールを市内一斉にやりましょう。消防や市の職員が回ったりするだけではなく、青パトの車を走らせていますので夫々の団体みんなで、自分たちができる範囲で防犯パトロールをやってもらう。「互助・共助」は全ての分野にわたってやっていきましょうということで市民との協働をどんどん進めています。私はその総トータルを『地域力』と呼ばせてもらっています。『地域力』が稲城の今の原動力であり、源なんだろうと思っています。
―介護の人材不足、在宅系看護師不足等、人材が不足していると聞きます。稲城市においては人材は足りているのでしょうか。
稲城市では、介護だけではなく、慢性的に看護師不足という状況です。全国津々浦々求人が難しいという話は事業者からお聞きしています。ただ稲城市の現状は、市内の施設や事業所で人材不足が原因で休業や廃業、或いは事業縮小という話はありませんので、今のところは何とか成り立っているとは思います。しかし、人材育成とか人材確保は正直いって一市で出来る話ではありませんので、当然国をあげての話になります。私は口をはさむ立場にはありませんが、今後の人口減少を考えると看護・介護をする人が足りないのは誰が見ても分かることです。所謂外国人労働力の活用というのは、課題として避けて通れないと思います。これについては違う次元での問題になり感情的な議論になり中々前に進展するのは難しい様相で、移民問題を口に出すこと自体がはばかれる状況に今なっているようです。
日本が国際化をしていく中で、しかもこの超高齢化少子化人口減少を如何切り抜けていくのか。単に人口が減って明治維新の頃までの人口が適正規模で6000万人位になってもへっちゃらだよという人がいますが、全く人口構成が違います。純粋なピラミッド型のまま減少して、それで6000万人であれば国力はそがれませんし、ヨーロッパの国は大体そんな規模で国力を維持している訳です。そうではなく胴長型の人口構成がそのまま縮小したらどうなるかというのは、全く違う議論です。単なる人数で見るべきではありませんし金銭的な問題ではなく、支える人がいなくなる、ハンドサービスをやる人がいなくなるのです。いずれ介護・看護の職に外国人を入れなければいけないのであれば、勤務形態や報酬の在りようについて議論があって然りと思います。安かろう悪かろうではいけませんが、同等の給料を払うべきだという結論が先にありきであったとしたら絶対に進まないと思います。
―今後の超高齢化社会においては、運動能力の維持管理が重要なテーマの一つと感じます。介護分野では柔道整復師は機能訓練指導員として機能訓練を行える職種であります。稲城市では地域包括型ケアシステムに柔道整復師が既に参入しているとお聞きしました。柔道整復は阪神淡路の大震災、2011年の東日本大震災時においても活躍してきました。高橋市長から見て、柔道整復は今後どのような活用が望まれるでしょうか。
既に柔道整復師の方たちには、参入して頂いております。先述しましたように27年4月から国立市と稲城市では「介護予防日常生活支援総合事業」を開始しておりまして、従来の保険給付の枠組みから市町村の総合事業へ移行し、多様な地域のニーズに応じたきめ細やかな事業、まさにその部分の通所介護Cを現時点で4事業所でやって頂いています。これは希望があればもっとやっていただいても良いと思っています。柔道整復師を医療・介護の分野から締め出そうという声も一部にあるのかもしれませんが、稲城市は私も含めてそんなことは全く考えておりません。医師会の会長先生ご自身が、柔整について非常にご理解があって、寧ろ頼りにされております。従って地域包括ケアシステムの構築にあたって柔整の先生方には現に介護保険事業の市の総合事業もやって頂いており、今後の参加をお願いしている側で、いろんなご意見を頂きたいと思っています。
稲城市の医師会の今の会長さんは非常にリベラルな方で、東日本大震災後に各避難所に医療救護所を構築する体制を築かれました。怪我した人全部が市立病院に来られたら収容しきれない。クリニックに入れないとなるとやはりトリアージして軽度の方は避難所で、中度の方はクリニックで、重度の方は病院に搬送という風に。避難所に医療救護所を設けて開業医の先生方に来てもらって、臨時に軽症の方を手当てするような医療救護所を作りました。おそらく怪我、骨折とか捻挫について緊急時の現場において、柔整の先生方に補助として関わっていただく、連携をとって頂くとして災害時の協定を結ばせていただいています。災害医療の提供体制の中でのお付き合いもあるから当然ですが、地域包括ケアシステムの中でメンバーとして活動してもらわなければいけないと考えております。
―昨今、地球規模で大災害が多発しています。稲城市の防災計画について教えてください。防災計画を立てる時に極めて重要なことは、何を前例として何を想定するかと言われておりますが、その辺についても教えてください。
「災害時事業提供体制」の整備は大きな課題です。阪神淡路大震災の教訓を元に震災前と後では防災体制が180度変わりました。公助を中心に、税金で消防力を増強して対応しようとしても、機能しないということが阪神淡路で分った訳ですね。そこで自助・共助中心の防災計画に変更するとともに、市内全域に自主防災組織を整備して、自助・共助という考え方を皆さんに周知しております。
最初の頃は〝なんで自分たちがやるの?〟と、家が倒壊したら消防署が来て助けるのは当然だろうという発想は今でもありますが、そうではなく自分の身は自分で救うという考え方です。その後、東日本大震災がありました。大規模災害が起こる度に地域防災計画は順次見直しをしてきました。また、災害対策基本法の法律改正や国の防災基本計画の修正、東京都の地域防災計画の修正等、いろいろ大震災後の計画等の見直しを含めて、その都度いろんな新しいエッセンスを取りこんで稲城市の地域防災計画をかなり頻繁に改正してきました。しかも稲城市の特色は、東京で唯一消防本部を自前で持っていることで、稲城市消防本部イコール稲城市の職員です。東京消防庁というのは、本来市町村で消防業務を行うところを東京都に委託しているのです。消防署というのは、市の行政とは一線を画して災害対応を行う訳で通常の防災等は行ないません。つまり日頃から火災にならないように計画しましょうというのは消防署の仕事ではありませんから、其処の連携というのは組織が違うと難しいのです。稲城市は市の単独の消防本部ですから転勤もありません。従って以前は防災を市の総務部でやっていましたが、私が市長になってから消防本部防災課に移しました。
私ごとでありますが、元市役所の職員であると同時に地元の消防団に入って、分団長までやらせてもらって、サイレンがなると直ぐ現場に行って火を消してという生活が長かったので、消防本部の常勤の職員とも知り合いです。また地域の八百屋さん、魚屋さん、酒屋さん、大工さんなど、みんなと一緒になってやっていたので職人との付き合いも多いです。そういう中で、何が必要だということが分ります。素人が防災をやっても中々分りませんし、ここで骨をうずめる、一緒に死ぬんだっていう覚悟がなければ出来ないことも多い。みんな災害現場を経験した人、救急搬送を経験している人が防災課に異動して、つまり現場経験のある制服組が防災を担当していますからかなり詳しい。地域防災計画など全て自前で作っていますし、東京都の計画の改正があれば直ぐ分かるようになっています。現在進めているのは、南海トラフ等の被害想定を行っており、火山対策、雪害対策も含めて見直しております。
―今後、病院で死ぬことが出来ない時代がやってくる中で、どのような地域社会を構築できるか。地域における健康づくりを従来型の健康政策のみではなく、機能の集約化、住居環境及び交通網の整備などまちづくりの視点も加えた総合的な施策の構築等についてはどのようなお考えをおもちでしょうか。
いずれにしても超高齢化になれば病院の収容力も限られ、看護・介護の人員体制等も非常に先細りだとすると、ご質問にあるように病院で死ぬことが出来ない時代が来るように思います。〝死ぬのを予約で来週来てください〟といった冗談にもならないようなことになってしまう可能性は、本当に深刻だと思います。一方、それを避けるための言い訳ではありませんが、病院や施設のお世話にならずに元来人間は自宅で生まれて自宅で死んでいました。それがいつの間にか、生まれるのも病院、死ぬのも病院と思っているのはおかしいだろうと。実は聞いて驚いたのが不動産屋さんの重要事項説明、例えば〝ここで自殺があった〟ということを契約の時に説明しなければいけない。しかし普通に天寿を全うして亡くなれば、それは自然死です。これは重要事項説明の対象ではない筈で、何も事故物件ではないけれども、前の住人が畳の上で死んだら、もうそんな所に住めないから重要事項で説明しろと。まずこの感覚を改めないといけないでしょう。人は自宅で生まれて自宅で死ぬのはごく普通であって、それが何時のまにか生まれるのは病院、結婚するのは結婚式場、昔は全部自宅で行っていました。何時からそうなってしまったのか?死ぬのも病院でないといけないというのは、誤まりです。ただし「終の棲みか」、最後まで自宅でというのは「看取り」をしなければなりません。その「看取り」をやってくれる人はいるのかというと現在では非常に少ない。地域包括ケアシステムが出来たからといって最期に自宅で死ねるかというとそうでもない訳で、ここだけは課題です。最後まで施設に入らないで在宅でというのは、なんとか出来たとしても、最期に自宅で看取れるかというのは、やはり訪問診療しかありません。稲城市の開業医さんは、通勤開業医の方で当市に住んでいない方が多いため「看取り」が課題でしたが、初めて訪問診療の有床のクリニックが出来ました。非常に志の高い若いドクターが有床診療所を開業して訪問診療を行うということですので有望な核になって頂けるかなと期待しています。これまで稲城市は、介護の分野では事業所の誘致など役所がどんどん拡充してきましたが、医療の分野ではいろいろ難しい面がありました。そこを何とか「医療計画」を作る過程で話し合いをして、最終的には不足している部分について誘致できるようなところまでもっていけば良いと考えております。やはり『地域包括ケアシステム』を早期に構築して、できるだけ健康で施設等に頼らず、生まれてから亡くなるまで在宅で健康に過ごすまちづくりを志向して参りたいと思っています。
高橋勝浩氏プロフィール
昭和38年2月8日生まれ。早稲田大学高等学院卒業(昭和56年3月)、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業(昭和60年3月)。稲城市役所入所(昭和60年4月)。稲城市消防団(昭和61年4月から平成12年3月)。稲城市長一期(平成23年4月27日から)、稲城市長二期(平成27年4月27日から)、現在に至る。
主な役職:東京都三市収益事業組合管理者、多摩川衛生組合管理者、稲城・府中墓苑組合管理者、南多摩斎場組合副管理者。
趣味:バスケットボール・ゴルフ
座右の銘:この道より、われを生かす道なし、この道を歩く
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