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ビッグインタビュー 【新・柔整考⑪】 業界内外の声をお聞きする!

2024/06/01

JB日本接骨師会の最高顧問・本多清二氏は柔整業界になくてはならない人物である。コロナ禍になる前に打ち出した数々の施策、平成21年10月~平成22年の間に「柔道整復診療と療養費の問題協議会」を計4回開催。同21年2月には〝患者と柔道整復師の会〟を創設。以来、〝患者と柔整師の会〟では「保険者会議」「患者会議」「柔整師会議」を次々と開催され、また平成23年6月には〝接骨院・整骨院の患者相談ダイヤル〟を開設。その並々ならぬ活動展開には目を見張るものがある。コロナが落ち着いた現在、本多弁護士が次に取り組もうとされているのは一体何であるのかについてお聞きした。

常に患者さんに寄り添い、柔道整復の原点に立ち返ることで新たな道を切り拓いていくべきと考えます!!
社団JB日本接骨師会最高顧問・弁護士 本多 清二  氏

社団JB日本接骨師会最高顧問・弁護士 本多 清二  氏

 

 

―JB日本接骨師会ではこれまで数々の先駆的な取組みをされてこられましたが、その内容について、どのような意図、趣旨で活動されてきたのかお聞かせください。

設立当初はどちらかというと、やはり他団体、特に日整さんを意識しながら、日整さんに無いところに対して取り組んでいました。そういう姿勢でやってきたつもりです。日整さんの場合には、保険を中心にやられておりましたが、保険以外にも例えば会員の教育等にウエイトを置いて行っていました。東京以外の地域との格差みたいなものを少しずつ変えてみようということで、夫々地域のカラーがあったのですが、それを出来るだけ統一していったら良いのではという考え方をもっていましたので、支部というのを作りませんでしたが、あまり成功しておりません。

 

―設立当初は試行錯誤されたことも多かったのでしょうか?

反日整さん的な考えが強い会員が居ましたし、その人達との折り合いで苦労したところがあります。日整さんのことを批判しながらも、やることは同じことを考えている人が多かった。つまり、いじめられたら、いじめ返すという考え方なんです。どこかの運動部みたいに(笑)。そういう意味で、自分達が中心になったら今度は自分の思い通りにやろうというような感じでした。それを抑えるというか、バランスとろうというのは大変な苦労をして、意見が分かれて結構辞めていった人も居ます。やはり権力志向型で、そこをなんとかクリアしたいと思っていましたが、難しかった。当時は、柔道の高段者というか段位を持っていた方が柔整業界の指導者で多くいましたし、そういう人が中心になって会を運営されていたのではないでしょうか。しかし、今はそういう会員はもう少数派です。当時はレントゲン問題が中心テーマでした。レントゲンを取られてしまうのは、柔道整復の仕事としては困る、それが一番強かったのではないでしょうか。なんとなく行政のほうも目をつぶっていたところがありましたが、だんだん整形外科が増えてくると整形外科の多い地域では、レントゲンの締め付けが厳しくなって、隠れて撮るような、そういう時代でした。それを奪還したい、破りたいというのがありました。なんとか勝ち取ってあげようという、もうお亡くなりになった佐野先生らが中心になっていました。それはやはり私は良い話だったなって思っています。一番やりたかったというか、取り組まなければいけないことは、支払い側の保険者と受け取り側の柔整師との間の距離を縮めたいという、双方の間の誤解を解きたいという思いが大きく80%位はそこに力を注ぎました。
誤解を受けるのを恐れずに言えば、医師会、医師側と商売敵のような感じがあります。特に、柔整師さんのほうが流行っていて、お医者さんの方が流行っていないという地域が激しかったように思います。今は知りませんけれども、その当時は柔整師さんのほうが親しみやすかったように思いますし、お子さんがスポーツをやっているとか、スポーツを通してやっていましたから、お医者さんよりは近場に居て、また料金が安かった。お医者さんと柔整師の距離を縮めようとして、反柔整師・非柔整師の発言をするドクターに何度か個別にお会いして、考えを聞きだして距離を埋めようという努力もJBはしました。

 

―柔整フォーラムを何度も開催されて、また盛り上がりもありましたね。

柔整師さんもこれではいけない、やらなきゃいけないという反発もあったので、割と理解しやすかったように思います。勿論、そんなのをやっても意味が無いんだと反発した方もいましたから、状況は二分していました。二分したのは、お前のせいだとご指摘を受けたことは何回もありました。とにかく、日整オンリーの時代でしたから、日整さんと分かれて活動することは、やはり分断活動であり、分断者といわれるのは、やむを得なかったと思います。昔は、団体を作ってもダメになって、また日整さんに戻るという人が何人もいましたので、どうせまた戻ってくるのであろうという発想でした。そのようななかでも、日整さんの幹部の方達とレントゲン問題で2,3度ディスカッションをした記憶があります。

 

―フォーラムを開催された目的や意図というのはやはり保険者の理解を深めようということでしたか?

保険者の理解を深めたいという思いと、やはり医者との関係の両方です。私はあの時に、保険者さんとの間のコミュニケーションを上手くとれないかということ、つまり〝柔道整復療養費というのは、何だ?〟と。そこのところをキチッと理解をしなければいけないというのがありました。もう一つは、お医者さんとの間でどういうコミュニケーションをとれるようになるのが良いのか、ということでした。やはり、それはこちらからお医者さんのほうにメッセージを送らなければならない。あと一つは、当時は鍼灸と柔整師との垣根、整体との垣根が表に出てきた時代でしたから、〝柔整師の仕事とは何ぞや?〟っていうところ、柔道整復師の施術とはどういうことなんだということを、僕は素人だから分からないけれども、柔整師の先生達に聞いていくというかたちでした。マスコミの方も取り上げてくれてました。当時、整形外科の先生をお呼びして柔整師の医療過誤を防ぐということで、いろいろ講義をしてもらうようにお願いをして、名前を公にしなければ行ってあげるという、そういう雰囲気で来てくれました。大学の先生はあまり医師会に関係ないので来てくれて話してくれましたが、現場でやっている先生、開業医の先生は難しかったです。私どもは柔整の仕事を理解してくれないかという思いですが、例えばゴルフを一緒にやったり、お酒の席でというよりも、柔整ってどんな仕事をしているんだということを整形の専門家に理解してもらえれば、非常に仕事の上での距離感が縮まってくる訳です。

 

―平成20年に「公開シンポジウム―接骨院治療の療養費の運用を考える―」として開催されましたが、その目的と反響についても教えてください。

どちらかというと反響は、柔整師さん、特に日整さんの反響は良い意味でも悪い意味でもありました。やはり二通りあるんです。当時の雰囲気としては、一つはもっともっとやってほしいと。もう一つは、あんまり触るな、そこを触っては困るんだと。暗黙の了解でやっているんだから、公にされると潰されてしまうという二通りがありましたし、いろいろ批判も受けましたが、その考え方が強かったです。表現は不適切ですが、おこぼれをいただいているというような感じを受けました。しかし、それではダメなんだと。正々堂々と頂けるものは頂くんだということを行うべきだと主張しましたが、やはり其処は、そっとしておいてくれ、みんな上手に?やっているんだからと。だから今でも古い時代の先生であれば、同じようなことを言ったと思います。レントゲン問題を、表立ってやると逆に潰されてしまうから、そっと裏口でやっているのが良いという意見が多くありました。もっとやるべきだという人達、その時に一番努力したのは登山さんで、表立ってやるべきだと言って一緒に戦いました。彼はそういう意味ではおこぼれ頂戴ではなく、とれるものはきちっと主張して理由付けて厚生省と話を進めるべきだと主張されていました。ただ、だんだん私も厚生省の役人たちと話をしているとどうも相手は厚生省ではなく、やはり医師会だということが解りました。厚生省は正直言って柔整師さんに関してはどうでも良いんです。本当に理解していただくのは、厚生省ではなく医師会なんだということと、医師会でもある一定の特定のグループだというのを垣間見ることが出来ました。つまり商売敵ではなく補完関係であるとハッキリ分かれば良いと思いますが、今考えてみると、これはよく言われていたことですが、医師のほうは大学に6年、当時はその後インターンをやって、かなりの投資をして、また開業にもお金をかけています。それに比べて柔整師さんは、当時は2年でしたし、しかも高卒でもやれます。専門学校を卒業して直ぐに開業して、開業費用も安い。それが隣に出来てバンバンやられたら、それは面白くないでしょう。従って、それはもう理屈を超えたことです。其処を如何埋めていくかという努力を本当は団体がしなければいけないんですが、やはりそっとしているのが良い、明るみにすると潰されるという恐怖感があった。そこがちょっと残念でした。そこは鍼灸さん達のほうは違っていました。鍼灸さんのほうがどちらかというと正面からぶつかっていきます。つまり東洋医学というバックボーンを持っていますので、西洋医学と東洋医学は文化的にもひけをとらないんです。しかし、柔整にはそういうバックボーンがありません。伝統医学、伝統ある施術と称しておりますし、伝統というのはある意味で古いということになってしまいます。そういう意味では整体さん等は、アメリカの医療技術を移入するなどして行っていますが、柔整師さんはどうしても伝統医学という、ただ其れだけで終わってしまっています。

 

―JBさんは随分実技講習会をやられていましたね。

随分やりました。しかし、それは柔道整復師だけなんです。そうではなく患者さんに向かって、社会に向かってそれを公開していくという努力が大事です。匠の技というのは大事でおおいにやっていただいて良いのですが、それと対で公開の場を作って、費用をかけて宣伝をして、こういった骨折や脱臼の場合は、オペをしなくてもこういう方法で治って、副作用についてはやはり診てもらわなければならないところもありますし、柔整師さんには及ばないところがありますから、そういうところをちゃんと出してリスクヘッジが出来るような仕組みを作る必要があります。それは必ずしも整形外科医でなくても良いし、内科医でも十分出来る訳です。「匠の技」をやるのは大いに結構で、私も勧める人間の一人ですが、それにプラスアルファで社会に対して公開していく、マーケティングにのせるということです。学会に僕は何度か出させてもらいましたが、一生懸命にやっている人に怒られてしまうけれども、あれは本当に学会と言えるのかなという感じを持ちました。会員の方がこういう活動をしているということで、それを発表することで柔整業界の社会的地位を上げることは大事なことです。しかし技自慢というのか、それではダメなんですね。

 

―その他に取り組まれたことで、心に残ったことなどは?

私の大失敗、今でも苦笑いしてしまうんですが「患者友の会」を作ったんです。それは患者さんを取り入れるという「患者と柔整師の会」を作る前です。患者さんのニーズ・国民のニーズを聞こうとしてやった訳ですが、私の力量不足で途中で有耶無耶になってしまいました。患者さんのファンもいっぱい出来ていましたし、続ければ良かったじゃないかと随分お叱りも受けましたが、ちょっと私には力がなくて出来ませんでした。
療養費というものが誰のためにあるかというと、それは勿論国のためでもない、柔整師のためでもない、患者さんのためにある。患者さんの負担をなるべく軽くして柔整治療を受けられるようにすれば良いという。つまり、患者さんがポイントなんです。患者さんとコミュニケーションを交わして療養費の在り方を研究すべきだとしてその「友の会」が出来た訳ですが、ただしその前はそういう発想ではなく、柔整師さんにかかっている患者さんと柔整師が良いコミュニケーションがとれるための方法や場を創ってみようと思ったけれども、結局患者さんの名簿を提出して2,3歩動き出しましたが、そこから先へ進まなかった。保険者さんと柔整師さんが敵対関係にありましたので、真ん中にあるのが患者さんだから患者さんを取り込むことで両方が上手くいくのではないかというのは良い切り口でしたし、これが今の財団に結び付く土台を作った訳です。その時に、ある保険者さんから〝本多さん、何で患者さんを取り込むんだ?〟と言うから、〝いやあ貴方達が言うことを聞いてくれないからですよ〟って(笑)。親しくなった保険者さんとそういう話をして、苦笑いをしました。また、保険者さんの方もそういう路線があったんだということに気がついて、特に組合保険の場合は、従業員の方が患者さんなので、柔道整復の治療を受けて、それを支給しないとなれば会社の中での人事が難しいため、そこは乗り切れるパイプになりました。組合保険さんとの話し合いでは、柔整師の施術は安くて早い。更に職場復帰はどうすべきか、もっと言えば怪我をしなければ良い。そのためには運動療法や予防とかに柔整師さんを使える余地があるのではないかと。こういう座り方は怪我しやすいとか、こういうことをやれば腰に負担がかからないとか、そういうのが実際にはお医者さんよりも柔整師さんのほうが遥かに能力がありますよというようなことを言って、怪我の防止等にもお金をかけたら如何ですか、という話をしました。ただし、それを料金に加算していくにはどうすれば良いのかというのは、やはり知恵を借りなければならないけれども、そういった話をして共感されたことが何度もありました。

 

 

 
 
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