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ビッグインタビュー:全日本柔道連盟ナショナルチーム監督  井上 康生 氏

2015/03/01

数々の輝かしい功績と今なお絶大な人気を持ち続け、ひたむきな心で柔道に誠心誠意向き合う全日本柔道連盟ナショナルチーム監督・井上康生氏。
井上康生監督は、栄光を確かに手にしたが、その陰で人一倍の努力と苦労もした方であり、それが故に人間としての器や心の大きさは正しく誰にも負けないものがある。こういった器の大きい指導者を得て、日本の柔道界が世界に誇れる柔道を取り戻し本来あるべき姿を示していくことが出来るといえる。純粋な魂と一途な柔道への深い愛を持ち、日本柔道界のヒーローである井上康生全日本柔道連盟ナショナルチーム監督に今後の柔道界と今まで歩んできた道を振り返っていただいた!

柔道界の発展を全身全霊で支えていきたい!
大木 哲

全日本柔道連盟
ナショナルチーム
監督  井上 康生 氏

 

 

―「柔道を通して思うこと」をお聞かせください。井上康生監督は、柔道によって道を切り開いてきたと思います。そして世界の頂点に立ちましたが、原点に帰り柔道との出会いや、苦しかったこと、それをバネに再び立ち上がったことなどお聞かせください。

私は5歳から柔道を始めて、30歳になる1か月前位でしたが約30歳まで現役を続けさせてもらい、又いまなお指導者としても柔道に携わっていますが、私は生きていくために必要な様々な要素をこの柔道を通じて学ばせていただいたと思っております。その中で、簡潔に話させていただくと3つのことが大きかったと思います。まず1つは、子どもの時から、必ず自分は日本一になり、そして世界一になってオリンピックチャンピオンになるという夢と目標を持って、それに向かって精一杯、死に物狂いで努力をしてきました。

〝自分はなれるんだ〟という信念と強い決意を持って歩んできました。謂わば情熱というか熱意が私を動かしシドニーオリンピックで金メダルを取り、また様々な大会でも優勝できた要因の一つではないかと思っております。時には様々な犠牲をはらい、例えば友達と遊ぶ時間、またシドニーオリンピックの前に表彰台で写真を掲げましたが、母や兄を亡くしたりいろんな辛い経験しながら生きてくる中で、悲しいことや苦しいことも全て自分自身のエネルギーにして、自分自身の生きていく道を定め全力でやってきました。この「熱意」というものが一番大きかったように思います。

2つ目としては、様々な挫折や苦労を味わった一人でもありました。そういう中で、現実から決して逃げずに立ち向かっていってそれを乗り越えた自分と、そういう状況になればなる程とことん考え抜いていろんなアイデアを生みながら、またいろんな方達のアドバイスを受けながら戦い抜いてきました。そういう試練や経験を通して多くのことを学ばせて頂き、「創意(考えることの大事さ)と変化する勇気」を持ったことで自分自身を更なる成長させてくれた要因の一つとも思っております。

あと1つは、柔道というものは、単なる〝勝つ・負ける〟だけの競技スポーツではなく、最終的に人間を高めてくれる、人間性を向上させてくれる所謂崇高なスポーツであり「武道」であるように思います。そういう「誠意」という部分で私達人間は、人と人との繋がりの中で生きていて、自分自身が向上できることも支えてくださる方々がいるからこそだと思います。常に感謝の気持ちと恩恵の気持ちを持ち続けて生きていくことが如何に大事かということを、この柔道の経験を通じて学ぶことが出来ました。この「熱意」と「創意」、「誠意」という言葉の意味することを常に大事にして指導者としても進んでいきたいという気持ちであります。

 

―井上康生監督は、柔道をやったことのない方まで知ってらっしゃる、あまりに有名な方です。2000年のシドニーオリンピック100kg級で優勝され、世界選手権3連覇で、2大会オール一本だった選手は、他にいらっしゃらないですし、選手はあくまで一本勝ちを目指していると思います。多くの選手が一本勝ちを目指される意味を教えてください。

これは選手にいつも話していますが、自分自身が現役を振り返ってみる中で、日本人が海外の選手に勝ち続けていくために、何が必要かといいますと、やはり高い技術力、すなわち一本を取れる「技」だと思います。所謂我々日本人が世界で勝っていくための勝つ術(すべ)というのは、私はこの一本という「技(わざ)」にあるのではないかと思っているところであります。やはり体力の部分に関しても、様々なトレーニングをどれだけ行ったとしても海外勢より上回ることは難しいと私は思います。では、何が必要になってくるかというと、それを補うための高い技術というものが、我々日本人が世界で戦っていくために必要であり求められていると感じておりますし、そこが一つのキーポイントであると言えます。私一個人のことに関しましては、子どもの時から父に〝人に感動を与える〟といいますか、人を興奮させるようなそういう柔道を目指しなさいということをよく言われていました。そのためには攻撃柔道として一本柔道なんだということで叩き込まれた面があります。そういう中で自分自身は勝つために必要なものとして、技を追及してきたところがあります。私の勝ち方によって、国民の皆さんが私自身の柔道に対して共感を持っていただき、応援してくださり、時には感動していただいたことに関して、私自身非常に嬉しく思っておりますし、そういう選手たちをこれから一人でも二人でも多くつくれるように指導者としても努力していきたいと考えております。

されど世界で戦っていくためには、それだけでは勝てない現状があります。「一本」といわれる技を追及しつつ、細かな戦術を立てたり、オリンピックや世界選手権で勝てる計画などを立てる上での戦略を練ることが非常に必要です。

現在は全世界の柔道レベルが非常に上がってきている中で、勝つことは容易なことではありません。しかし、日本で始まった「スポーツ・武道」である柔道を、また日本人の先人が築き上げた柔道の伝統を良き形で継承していくことが我々の使命と強く思っております。世界の選手から尊敬され、愛され、「日本が勝つべきチームである」といわれるようなチームをつくっていきたいと強く思っております。

 

―30歳で「我が柔道人生に悔いなし」と引退され、その後JOCの2008年度スポーツ指導者海外研修員としてスコットランドのエディンバラに留学され、東海大学体育学部武道学科で教鞭をとられ、今はナショナルチームの監督をされていらっしゃいますが、今の柔道教育指導者に求められていることは何でしょうか?

私は大学を卒業し、その後は大学院、博士課程と30歳まで進んでいきましたが、その中で指導者や教育者というものの重要性、偉大さというものを痛切に感じました。中でも特に影響を受けたのは、この東海大学での教え、佐藤先生や山下先生、また橋本先生、そしてその他の方の教育・指導でありました。また、先生方は様々な分野で活躍する人材を輩出しており、嘉納先生が唱えておりました「柔道を通じて、いかに社会に貢献する人間となれるか」ということを体現されておりました。

海外留学をした理由としましては、30歳まで現役をやり、正直言って柔道以外では社会というものを全く経験したことがない人間でしたので、先生方のご指導、ご協力の下、2年間の海外研修を行わせて頂きました。2年間を通じて、一番に感じたことは、「己の無知さ」であり、世界にはたくさんの宝が眠っているということでした。例えば、言葉、歴史、政治、宗教等から指導法、哲学などにおいても深く、広く知ることができ、自分自身はまだまだの人間なんだと感じることができたことは大変良かったと思います。

その後、東海大学の先生となり、また全日本のコーチをさせていただいている中で、これは自分自身が常に考えていることですが、指導者に求められているもの、また指導者であり続けるためには、やはり我々が学ぶということを常に忘れてはいけないと思います。常に勉強すること、学ぶこと、そして自身を常に高める人間でありたいと強く思っています。そういう気持ちで一日一日、日々を送っているところです。

 

―今の学生さんについてはどんな風に思われていますか?

時代というのは流れていきますし、環境というものが人々を作っていくという一面があると思います。そういった中での様々な変化(身体的、精神的の変化)は当然あると思います。ただ、人間の本質的なものは、そんなに大きくは変わらないと思っています。我々が本当に大事にしなければならないことは、その時期、時期で足りないもの、例えば今の子ども達に足りないものについて〝あの時はこうだったから〟〝昔はこうだったから〟として過去形ですますだけではなく、描いている理想に近づけるために我々は如何に環境を与えるかが大事ではないかと思っております。

 

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