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スペシャルインタビュー:株式会社シンクハピネス代表取締役・糟谷明範氏

インタビュー 特集

38歳の理学療法士、糟谷明範さんの活動は、コロナ禍で社会が閉塞状況の今、大きな注目を集めている。
2014年東京都府中市に立ち上げた会社シンクハピネスでは「医療福祉」と「ライフデザイン」を2本の柱に掲げており、「医療」は<訪問看護ステーション>そして<居宅介護支援事業所>を軸に運営。また「ライフデザイン」はカフェ&コミュニティスペース<FLAT STAND>を中心に展開している。この「ライフデザイン」は年々発展を続け、会社とカフェが所在する半径50メートル以内に、子どものあそびのアトリエ、銅版画工房、お菓子工房などが集まり、共同体としての村の様相を呈している。
また2020年には、「府中コロナ会議」を立ち上げ、地域で奮闘するだけではなく、一般社団法人「CancerX」の理事として、全国的な活動も開始しており、その内容をお聞きした。

いつまでも未完成の村づくり

スペシャルインタビュー:株式会社シンクハピネス代表取締役・糟谷明範氏

株式会社シンクハピネス
代表取締役
糟谷 明範 氏

―まず会社の全体像を教えてください。

2014年が創業なので7年目に入ったところです。もともと医療を軸とした会社で最初に立ち上げたのは訪問看護ステーションです。これは訪問診療と違って、医者から指示書を頂いた看護師が1人で患者さん宅に伺います。やる事は主治医が作成する訪問看護指示書に基づいて、健康状態のチェックや療養指導、医療処置などを中心に看護をおこなっています。利用者さんとその家族の相談に乗り、アドバイスをすることも重要な業務の一つで、主治医の橋渡し的な存在として、また地域に関わる他職種との連携をスムーズにおこなう調整役としても私たちの役割は重要です。利用者のイメージとして、高齢者で寝たきりの方の印象が強いかもしれませんが、乳幼児の小児分野から高齢者まで、幅広い年齢を対象としています。あとは緊急対応ですね。24時間電話を持っているので何かあった際はご家族からお電話いただいて、対応させて頂く。うちは所属7名の看護師がいるので、昼間は1人で1日に5人くらいの利用者さん宅を自転車か車で廻ります。私たちのステーションでは、神経難病の患者さんが多いので。1軒当たり、60分程度の訪問時間になることが多いです。他には「訪問リハビリ」「居宅介護支援事業所」そして「カフェ」があり、社員は18名です。

―糟谷さんが理学療法士になった経緯をお聞かせください。

理学療法士になったのは2006年です。文系の大学に通っていたのですが2年で中退し、そこから4年制の専門学校に通いました。きっかけは高校生の時に腰の手術をして、その時に理学療法士の方にお世話になったのがきっかけです。大学は経済学部に進学しましたが、やはり自分の進むべき道は理学療法士だと決心し、中退してこの道に進みました。卒業後の2006年、最初は病院に勤めて回復期リハビリテーションに携わりました。けれども1年目のことから違和感を感じていたことがあります。それは、医師も看護師も、僕ら理学療法士も患者さんに対して上から目線だなということです。自分の考えを押し付けているような感じがあって、僕らと患者さんがケアをする人とケアをされる人という関係になっているというところが心地よくなかったんだと思います。一体誰のための医療なんだろうな?と疑問を持ちました。

勤務3年目に新しいリハビリテーション専門医が3人入ってこられて、今までのリハビリのやり方を刷新するという方針を掲げたんです。その結果、入院日数は半減し、早期退院という成果がありました。けれども、リハビリテーション病棟の管理をやっている時、ある患者さんに呼ばれて「いつもリハビリをしてくれて感謝している。でもね、私たちもあなたたちに気を遣ってリハビリを受けているのは分かって欲しいわ」と言われてしまったんです。それが自分にはとても衝撃的でした。これではいけない、この状況を何とかしないと、と思いました。あともう1つ、病院に戻ってくる人が多いんですよ。病院で毎日頑張ってリハビリをしても退院して家ではリハビリの機会が減ってしまうために、状態が悪くなって戻ってくるのではないかと思っていました。それで在宅の世界を見てみたくなったんですね。病院は5年間で退職し、訪問看護ステーションに就職しました。ところが当時、在宅の訪問リハは「なんちゃってリハ」が横行していると言われている時期で、マッサージだけして終わりというケースも少なくなかったと思います。そこで副所長になった時、この慣行を変えて行こうと動きました。

そうした中で地域包括支援センターとか市役所との関わりが多くなり、住民の相談先はここだと分かりましたが、行政は計画に入ってないから予算が無いので動けない等、そういった状況が見えてきました。そんな時、〝じゃあ一般の方々の健康の意識はどうなっているのだろう?〟と思いました。事業所の前にあったカフェに座談会を開かせていただけないかと頼み、ご自身の身体に関して困っていることはあるか、という話を中心にお聞きしていました。すると、ほとんどの方が、困っていないということにビックリしたんです。もう少し悩みが出てくるかなと思ったのですが、ジムに行ったり、食事を気をつけたりしているので〝大丈夫です〟という声がほとんどでした。そのあとは、一般の方向けに、パーソナルトレーニングスタジオやリハビリテーション特化型のデイサービスを立ち上げに関わらせていただき、その後、自ら起業して独立しました。

―そこでいくつかの事業を立ち上げたのに、独立しようと思ったのは何故ですか?そして作った会社の企業理念には「スタッフが笑顔でしあわせでいること。スタッフの家族や恋人、親しい人達がしあわせでいること。そのしあわせを利用者や家族、そして関わる全ての人達に届けること」とありますが?

健康な方たちに対する、医療や福祉のリテラシーを上げるためにはどうしたら良いか?それが会社を作ったきっかけです。もう一つの意味合いは、前の会社は人の出入りが激しく、その前の病院も半数のリハビリスタッフがやめていきました。みんなどうしてこんなに辞めていくんだろう?とずっと思っていました。じゃあ、人が辞めない会社ってどうすればいいんだろう?自分がチャレンジしていこうという気持ちもありました。なので、シンクハピネスの企業理念の1番は「スタッフが笑顔で幸わせでいること」なんです。それと、もう一つ切っ掛けがありました。それは当時まだ30歳位の時でしたが、小金井市の市民を集めて地域の情報誌を作るという企画を信用金庫さんが企画されていたのに参加したんです。そこで私は「理学療法士ですけど皆さん体で困っている事ありますか?」と聞いたところ「君たちは病院の者だろ、地域の事わかんないのにそんなこと言うもんじゃない」とそこに参加されていた、おそらく自治会長さんだったと思うんですが、そう言われてしまったんです。それは病院時代の「上から目線」に次ぐ2つ目の衝撃でした。確かに地域での暮らし、家庭での過ごし方も知らずに、ただ単にリハビリを行っても意味がない。それもそうだな、と納得しました。そういったことも会社作りのきっかけになりました。

―企業理念の続きですが、「専門職として人や街に対して何が出来るかを考えること。1人の市民として人や街に何が出来るかを考えること」が医療系の会社としては異色ですね。

地域や街づくりに関わる事は自分にとって、とても大切だと思っていました。 そしていざ会社を作るにあたって、今迄の違和感、「医療者の上から目線の問題」「病院と在宅の連携の問題」「行政の問題」、これらは病院や行政に任せていても解決しない。だから僕らだけで、地域の人と一緒に地域の課題を解決していこう。そのために「人と街」というテーマを掲げたわけです。その「街」とは府中市です。そして地域の人々が相談する所、それがカフェ&コミュニティスペース「FLAT STAND」です。医療を名乗ると壁が出来てしまうのではないかと思い、そこで暮らす一人の住民としてカフェに立つことにしました。この街にはどんな人達がいてどんな暮らしをしていて、どんな課題があるかをまず知るためのカフェです。今まで僕たちは医療の視点で街を見ていましたが、街の視点で医療を見るとどうなんだろう?ということが知りたいと思いました。それが「人と街」の意味です。そこで何が見えて来たか?というと、まちには医療以外のたくさんの課題があることを知りました。子育てや教育、居場所、食品ロス、モビリティ、ジェンダー、就労などです。そういう課題が僕がカフェに立つ中で見えてきました。しかしこれらは果たして解決できるのか?解決できると思いました。というより寧ろ、解決に向けて動く事は出来ると思いました。

―2019年7月14日(日)・15日(月・祝)、京王プラザホテル(新宿)で開催された第1回日本在宅医療連合学会大会で「リハビリとまちづくり」のシンポジウムで糟谷代表は『医療・福祉の専門職である前にそこで暮らす1人の人として』と題して基調講演をされました。その講演で〝「みんなで連携しましょう!コミュニティって大切ですよね!安心して暮らせるまちをつくりましょう!」と。使い勝手の良い言葉の力に任せて、なんとなく〝まちづくり〟をしていないだろうか〟と問題提起されたように思います。その内容について、お聞かせください。

フラットスタンド(カフェ)はいろんな方に使って頂いているのですが、彫刻家さんが2Fでワークショップをしていたり、1Fで書初め展をやったり等、カウンターに半紙を置いてあって、お客さんが勝手に書くスタイルです。あとはマルシェやフリーマーケット、医療福祉系の勉強会などがあります。これらは僕らが主催するのではなく地域の方たちが自身で行うスタイルで、決して僕らが主役にならないようにしています。「フラットさんの乗っ取り企画」と言って、街の人たちがタコヤキパーティーをやらしてくれと言って、店が乗っ取られたりすることもあります(笑)。

FLAT STANDの周りにアパートがあるんですが、3年前まではほとんどの部屋が空いていました。1年くらい経って〝自分たちで部屋をリノベーションしても良いですか?〟と大家さんに聞いて、地域の方たちと一緒にギャラリ―などが出来るスペースを作りました。ここで流しソーメンをやったり、飲み会をやったり、子どもマルシェをやる等しました。隣には銅版画の工房が出来て、ワークショップを行ったり、また農工大や外語大が近いのでその学生たちとも仲良くさせてもらっており、畑をやろうという話をして、僕の祖父の農地の一角を貸したりする等、そういうコミュニティー、村づくりを街の人たちと続けてきました。

―更に糟谷代表は、住民と医療・福祉との架け橋になる。5年後のビジョンは地域の寄り合い所であるとも話されていました。あれから未だ1年とちょっとですがその進捗状況なども教えていただけますか?

僕ら社員は約20人ですけれど、これまでつながってきた人たちが府中や東京など色んな所にいます。その方たちは、その方たちは、医療福祉の方たちだけではなく、様々な立場の方たちです。この人たちがいればきっといろんな課題を解決してくれるのではないか?そこで「life design village FLAT」という名のコミュニティづくりを始めました。周りの空いているアパートに、このような様々な立場の方たちに来てもらいたいと思い、僕らの想いを発信し続けてきました。まずここに来たのが「ズッコロッカ」という小学生たちのあそびのアトリエです。小学校の図工の先生と、マリンバの奏者さんの2人が運営しています。何で来たかと言うと、小学生たちが放課後集まる場所が無いからです。

今の教育は、枠にはめられた内容が多く、これが子どもたちの創造性を欠いてしまっていると思っています。創造性を育くむ場として、あそびのアトリエ「ズッコロッカ」その意味は”図工でもしようか”が語源です。またFFPという府中発のアパレルブランドの若者3人組が3Fに事務所を借りました。その後2Fに「中高生の学びの場”Posse”」を農工大や外語大の学生達が中心に運営しています。彼らの課題としては、いまの中高生は、学校に行けば生徒を演じるし、家にいれば子供を演じると。じゃ、自分を出す場所って、今は無い。個性を出す場所をここにしてほしい、という意味を込めて運営しています。あと、この2年で、フードロスに取り組まれている方が入って下さったり、地元の野菜を扱う八百屋さんが借りて下さったり、後はリラクゼーションサロン、もうひとつはコワーキングスペースという感じでアパートの中の部屋がどんどん埋まっていって、僕たちが取り組んでいる村づくりが、日々進んでいます。一方こちらのビルも銅版画工房以外に、上にデザイナーさんの事務所とお菓子工房が出来ました。この先の展開としては、街の人たちが集まって「今後10年、ここをどうしていきたいか?」を話し合う中で出て来たのが、村が地域的に拡張していくイメージです。訪問診療があったり、パン屋さんがあったり、図書館があったり、そんな場所を目指して少しずつやっていきたいと思っています。

僕らはここを「未完成の村」と呼んでいます。というのも、ぼくらの暮らし自体がどんどん変わるのだから、村もそれに合わせて変わっていった方が良いと思っているからです。作っては壊さなきゃいけない。それが未完成の意味です。今では村の通称を「タマレ」と呼んでいます。「多磨霊園駅」と「溜れ」を掛け合わせています。そんな取り組みをしています。

―殆どの事業で公的な支援を求める方々が多い中、糟谷代表は民間でやっていくのが大事といわれました。その理由についてお聞かせください。

公的な支援は常に求めており、やはり支援は求めたいのですが、医・産・官・学・民でそれぞれ役割を持っていて、行政も計画と予算が無いと動けないことは理解しています。ただ、行政の制度が成立するまで待てません。困っている人達をどうするのか?医療の現場だと待っている間に命が終わってしまう人もいるかもしれないですよね。それに、地域の端っこで助けてと声を上げ続けて、諦めてしまうかもしれません。まずは気付いた人が動けば良い。だからぼくらは民間として自分で動けば良いと考えています。もう一つは、公的機関に支援を求めるにしても、何を目的に求めるのか?ぼくらはこの街でどんな目的を持っていて何をしていきたいのかをまず明確にすることが大事であると思います。その時、自分たちで出来る範囲、街の人と一緒にやっていける部分、それでもここは難しいから公的機関にお願いしようとか、その思いをしっかり伝えられれば、行政も動いてくれるのではないかと思っています。行政も民間もお互いが必要な時に声かけあえれば良いし、実際に僕らも行政からお願いされた事には協力したいです。

―去年からコロナ感染拡大が止まりません。そんな中、何が一番大変でしょうか?現場の声を聞かせてください。

現場の声としては「全部大変」なんです。まずは最悪事態を想定して動いているというのが一つあります。長期にわたって事業所を閉鎖しなければならなくなった場合どうするか等々。それを見据えて4月から動いてきました。つまり「資金繰り」「スタッフ雇用をどうするか?」「利用者さんは毎日行かないと死んでしまう!」の3つの問題が出てくるのです。指針の1つは「感染しない、させない」で、2つ目は「医療福祉のサービスを止めない。絶対訪問に行く」。そしてスタッフに対しては「三密になる場所には行かない」や「感染症アプリを必ず入れて下さいね」いう通知を出したりしました。今の所、誰一人感染者は出ていません。

他にも行った事は「府中コロナ会議」を府中市の有志メンバーで立ち上げました。というのも僕らだけの事業所で対策を考えていてもコロナの問題は解決しないからです。会議の運営メンバーは10人位です。医療関係の各分野でぼくが知ってる人達を中心に有志の一本釣りです。介護士、薬剤師、医者、ヘルパー、自治会長、市民協同等々。こういう有事の時に、すぐに動けるために、地域コミュニティをつくってきていましたので、いざという時は動きが早いです。そして準備1週間くらいでもうオンラインのシンポジウムをやっていました。4月の終わりくらいでしたが、そこで話し合って、まず在宅医療の「コロナ対応ガイド」を作ろうとなりました。2つ目に「相談窓口」、3つ目に「横断的人材支援」を検討しました。例えば1つの事業所が閉鎖になった時、他の事業所さんにすぐ渡せるように個人情報も含めて事前に整備しておく。あとは物品です。その時、物品が足りなかったので、集めて足りないところに配ろうと、SNSで府中市内に発信して、フラットスタンド2Fを物品倉庫にしてそこに集め、欲しい所に届けました。マスク・アルコール・エプロン・ガウン。個人の好意で、マスク1箱とかそういう小さな規模で持ち寄った物をぼくらが届けていました。その後も月1回でずっと情報交換を行っています。途中からは府中市役所の方も動いて下さって、こちらに情報を求めてくれるようになり、福祉保健部の部長さんだったり障害者福祉課の課長さんだったりと情報交換をしました。しかも先日、この1年の報告会を開いた時はオンラインで、その部長さんにも登壇してもらったり、クラスターが起きた施設の人に話してもらうなどしました。

又、僕らの訪問看護の現場で、家だからとマスクをしたがらない利用者さんも多いのですが、僕らから「マスクをつけて」とは言い難い。そんな時に手渡す利用者さん向けの「マスク着用のリーフレット」を、市が予算を付けて作ってくれました。あと物品も東京都からの物資を率先して確保してくれましたので随分助かりました。今後も横断的人材支援の話を市と一緒にやれないかと思っています。また府中コロナ会議で30ページほどの「府中市コロナ対応ガイド」を作りました。その他、会社のスタッフにも心理的なサポートが必要になってきたかなと思っています。スタッフは、利用者さんの家に行かなければなりません。どこそこでコロナ感染があったというと、利用者さんだけではなく自分たちの身も守らなければと神経質になってきた気がします。

―訪問看護ステーションも運営されていらっしゃいますが、人材は足りていますか?

今は足りているのですが、今後、緊急対応ができる人数を増やしたいと思っています。というのもまだまだ経験の少ない若い人が多いので、もっともっといろんな人に入ってもらって、もっと質の高い看護が提供出来たら良いと思っています。今目指しているのが「急性期在宅」です。救急対応できる看護師がもっと欲しいです。

―医療現場の疲弊や破綻もいわれており、在宅医療の需要はますます高まると思われます。その辺についても教えてください。

病院現場の疲弊や破綻は確かに凄いものがあります。医療費の削減で病床数を削減して早く在宅に戻しましょうというのが国の指針なので退院した患者さんがどんどん在宅に流れてきて、問題になっているのは確かです。メディアでも「自宅で亡くなりたいと希望されている方が多い」とされています。でも、僕らの中ではそこまでヒヤリングできておりません。僕らの患者さんは難病を抱えている人は多いのですが、癌の終末期の人は少ない。従って在宅医療の需要が高まっているという実感は、今のところ僕らにはありません。

―本誌第153号で済生会理事長の炭谷茂氏が〝今の社会福祉の一番大きな問題は、障害者などに対する社会的排除です〟と述べられ、〝それを解決するためには、仕事をしたり、一緒に学んだり、一緒に遊んだりする等、住民の方々と一緒になって行えば理解が深まって社会との繋がりが出来る訳で、中でも一番重要なのは、一緒に働くことです〟と「ソーシャルファーム」の大切さを述べられていました。糟谷代表はどのように思われますか?

「インデペンダント・リビング」という映画があって、障害を持った人たちがどう自立してゆくかというドキュメンタリー映画ですが、その映画の冒頭でアメリカの詩人の言葉が出てくるんです。「彼は私を締めだすために円を描いた。私たちは彼を含める円を描いた」と。でもこれって、村づくりもそうなんですけど、実は円を描けば描く程、そこから外れる人って沢山出てくるのです。その人たちに如何そこに一緒に居てもらえるか?答えは出ていません。「社会的排除が問題」というのは、「円から出されてしまう人たちが問題」であると。そうならないためにも「一緒に働くことが重要だ」と。僕らもそのための村づくりをやっているのですが、実はそれをやればやるほど、結果的に強い円になっちゃうんですね。これが今凄く僕らの課題なんです。どうやってその強くなり過ぎた円を崩していくか?この街に住む多くの方たちは、あのFLAT STANDは独特の雰囲気だから近寄れない。円の中に入れない。参加はしないけれども、ただその場に居るだけはしたいとか、そういう人たちとどう一緒にやっていくか?というような事をずっと考えています。その人たちの「悲しい」とか「恥ずかしい」とか「死にたい」という気持ちと一緒に居られる場をどう作るか?これはずっともう課題だと思っています。だから未完成の村で作っては壊しをやってけば、そう強い円にならなんじゃないかなと思いながら常に壊し続けている。結局のところ「一緒に働けない人」も出てくるので、一概には言いきれませんし、課題は解決されないと思っています。

―最後に、そんなにたくさんの事業を抱えていて、1日のスケジュールはどうなっているのでしょうか?

日々やる事が違うので、決まりのパターンはありません。打合せに行ったり、市の委託でリハビリしたり、学校で非常勤の講師をしたりとかです。ただ、朝起きてランニングすることが多いです。6時か6時半位から約7~8キロ走ります。また年に1回か2回、ウルトラマラソンに出ています。身体を動かすことが好きなので、たまにサッカーやフットサルもやっています。7時過ぎに戻って1人で食事をします。今は独身です。それからメールチェックをしてスケジュール立てて会社に出勤することが多いです。良いのか悪いのか、365日同じスケジュールで動くことがないのですが、朝だけは大体一緒ですね。

近々、内閣官房長官や厚生労働大臣などが出席するキャンサー関連の大きなイベントがありますので、今はその準備に追われています。

糟谷明範氏プロフィール

1982年生まれ。東京都出身。2006年に理学療法士免許取得後。総合病院、訪問看護ステーションを経て、2014年に株式会社シンクハピネスを設立。“いま”のしあわせを創る。をモットーに東京都府中市で訪問看護、居宅介護支援事業所、カフェ&コミュニティスペースを運営。医療福祉の専門職である前にそこで暮らす一人の人として、街のみんなで村づくりをしている。

  • 株式会社シンクハピネス 代表取締役
  • 一般社団法人CancerX 理事
  • 理学療法士
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