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ビッグインタビュー 【新・柔整考⑧】 業界内外の声をお聞きする!

新・柔整考 特集

かつて酒田達臣氏は、けいゆう病院整形外科部長(当時)で脊椎脊髄外科専門医の鎌田修博氏と、それまで前例のなかった「医師と柔道整復師との特別共同発表」を数回に亘って行われたことで有名な柔道整復師の方である。また過去数十年で重篤な疾患を見つけ医師に送って多くの命を救ってきた人物でもある。これまでの経緯について話して頂いた。

我々柔道整復師には、外傷性運動器疾患のスペシャリストとして施術をする使命と同時に、患者さんに潜む他科重大疾患を判別し専門医療に繋げる使命があると思います!!

柔道整復師  酒田達臣 氏

―酒田先生は、東京理科大学大学院修士課程を卒業された後、1995年に米田柔整専門学校を卒業、1997年に接骨院を開業されました。医師との共同発表は柔整業界において前例のないことだったと聞いていますが…

これは裏話ですが…僕は27年前に横浜で開業したのですが、開業当初は日本柔道整復師会とは別の柔整師会に所属していたのですね。会に対し特別にこだわりがあったわけではなく、ただそれまで勤務していた接骨院がそこに加入していたから、という流れでした。そんな頃、ある日たまたま一人で行った焼き鳥屋さんのカウンターで隣に座られた方が、「自分も接骨院をやっているんですよ」ということで、「偶然ですね!」と盛り上がりましてね。そして2人で話し込んでいくうちに、その方から「自分が入っている勉強会に来てみませんか?」と誘われたんです。

今は事情があって退会したのですが、その勉強会は神奈川県柔整師会の有志の方々が中心となって作られた会でした。東京と神奈川の接骨院の院長50人位が会員となって、毎月主に神奈川県柔整師会館で勉強会を開催していました。そこでは毎回ドクターを講師に呼んで2時間ほど講演をしていただく形式を取っていました。講演テーマはバラエティーに富んでいて、整形外科領域がメインでしたが、それに限らず脳神経外科や循環器科、皮膚科など、様々な診療科の現役医師が講師を引き受けてくださっていました。専門医が講義してくださるその内容は高度で深く、臨床に直結したお話も非常に多く、すごく勉強になる会でした。僕はとても魅力を感じて、それから毎月参加させていただくようになりました。いつも最後の質疑応答のところでは講師のドクターに必ず質問もさせていただいて、その度にその場で多くの疑問点を解消することができました。

そうやってしばらく経ったある年、役員選出会議で学術部長に任命されたので、それからは僕が毎月ドクターを呼んでくるお役目をすることになりました。そうしてさらに数年が過ぎた頃、勉強会の代表の方から予期せぬあるお話をいただきました。「今度の『第30回 関東柔道整復学術大会』は横浜で開催することになっている。それで神奈川県柔整師会の自分達が中心となって企画運営することになったのだけれども、今まで学術大会でドクターと柔整師の共同発表というのは行われたことがないんだ。それを君にやってもらえないか」とのことでした。「ただし、発表者は日本柔道整復師会の会員であることが資格要件になっているので、入会手続きをしてほしい」とのことで、この時に僕は日整会員になりました。

そして、けいゆう病院の鎌田先生…当時脊椎疾患の患者さんの紹介・逆紹介で大変お世話になっていたドクターの中のお一人だったのですが、その鎌田先生に共同発表をお願いしてみました。そうしたら二つ返事で引き受けてくださったんです。発表の内容は、僕から鎌田先生に紹介して手術となった患者さんをお一方取り上げて、経過の詳細を報告する形式でどうですか?と提案しました。鎌田先生と相談した結果、初診時に当院で行った「問診・身体所見・推測疾患・紹介状」について僕から報告し、続いてけいゆう病院で行った「診察・検査・診断・手術・その後の経過」までを鎌田先生から話していただき、最後に「柔整師の立場からの考察」と「ドクターの立場からの考察」という形で、2人で交互に発表することになりました。最初に神奈川県学術大会で発表して、その後関東学術大会に招聘され、最後に東京都接骨師会の学術大会にも呼んでいただきました。全部同じ題目でしたが、ドクターが一緒にやってくれるのは珍しかったみたいです。

いま鎌田先生は偉くなってしまわれて、令和元年から令和5年まで日本整形外科勤務医会の会長を務められ、日本整形外科学会の副理事長も務められました。その頃にけいゆう病院の副院長から伊勢原協同病院の病院長になられています。そして当院の近くの病院にも月一回外来に来られていますから、手術が必要と思われる脊椎外科疾患の患者さんは今でも鎌田先生に紹介し、鎌田先生ご自身が手術をしてくれています。

鎌田先生とはこうして20数年間に亘って連携させていただいてきて、様々な重度の脊椎外科患者さんの手術を執刀していただいてきました。多い年は年間10例の脊椎手術を行って頂いたこともあります。手術適応ではないと判断されたその他多くの患者さんも含めて、紹介した患者さんお一人お一人に鎌田先生と僕とで共有する思い出深いドラマがありました。

何百人にも上るこういった患者さんを介したやり取りを通じて、僕は鎌田先生には医学的技術的な面だけでなく人間的にも全幅の信頼を置くようになりました。このようにして紹介が必要な脊椎疾患の患者さんは主に鎌田先生に送ったり、膝関節疾患の患者さんは〝世界の野本〟と言われていた済生会横浜市東部病院(当時)の野本先生に送ったり、脊椎外科、肩関節・肘関節外科、手外科、股関節外科、膝関節外科、足関節外科、リウマチ科、腫瘍専門医など、ドクターそれぞれのご専門領域に合わせて紹介先を選定し、助けて頂いてきました。膝の野本先生には重度の半月板障害や膝の骨腫瘍や骨壊死、変形性膝関節症など、多い年で年間19例を手術して治して頂いた年もあります。勿論その他にも多くの専門医の方々に助けて頂いてきました。

紹介先を選ぶにあたっては、これはおそらく高い確率で手術適応と判断されるだろうなとか、高次の検査が必要だろうなとか、またもう麻痺が進行してきていてこれは緊急を要するなとか、そういった方は、クリニックに送ると結局患者さんご自身にとって遠回りにもなってしまうため、初めから手術にも対応できる大きな病院に紹介します。逆に疾患の種類やその程度によっては、総合病院や大学病院ではなくまずはクリニックの先生に送ったほうが良いだろうというケースもたくさんあります。

またもう一つ申し上げれば、このように紹介が必要な患者さんは、整形外科疾患に限らないというところが重要なんですよね。これまでに紹介した事のない診療科はありません。脳神経外科、神経内科、消化器科、循環器科、皮膚科、耳鼻科、眼科、婦人科、小児科、精神科などなどすべての診療科に紹介してきました。この取り組みはプライマリケアと呼ばれていますが、これを続けてきた中で、ありがたいことに信頼できるたくさんの素晴らしい専門医の方々と巡り合わせて頂いてきました。

こちらとしては患者さんを救うために必要に迫られて紹介するわけですが、このやり取りが思いがけず僕にとっても勉強になりました。要するに、「こういう主訴で来られた患者さんに、僕の方ではこういう問診をしてこういう所見をとりました、その結果こういう疾患の疑いを持ちました、いかがでしょうか?」と、紹介状を書く訳です。そうすると同じ患者さんを専門医が診て、「こういう診察と検査をして、こういう診断結果が得られ、こういう治療をすることになりました」と報告書に詳細を書いて教えてくれる訳です。僕の推測が当たっていた場合もあれば、もちろん違っていた場合もある訳ですが、こうやって正解をフィードバックされることで凄く勉強になりますし、自分の中に経験値としてどんどん蓄積されていくんですよね。多い年で年間500通の紹介状を書きましたので、症例数とその情報は膨大なものになっていきました。そういう意味でも紹介状のやり取りをさせてもらってきたのは、患者さんにとってだけではなく、僕にとっても凄く有難かったです。

―また酒田先生は、以前近畿大学医学部整形外科の浜西教授との対談で、〝柔道整復師の先生方は地域医療のゲートキーパーの役目を果たしてほしい〟と言われたこともあり、その役目をずっと担われてきているように思います。もし良ければ対談の内容なども聞かせてください。

対談は確か十数年前の1月でしたが、その一か月前くらいに対談させて頂くことが決まりました。そうしたらその直後に、いきなり浜西教授から「事前対談をしましょう」ということで、いっぱい質問がメールで寄せられてきて、約一か月間濃密なメールのやり取りを行いました。

柔整師には、いろんな言われ方があります。医業類似行為だとか医療じゃないとか様々なものがあり、それはそれで勿論仕組みや理由は理解しています。しかしながら国家資格であり既に職業として存在している訳です。浜西教授はご自身のことを「柔整師不要論の急先鋒」と公言されていました。〝整形外科医が居るんだから柔整師は要らない〟というご主張も分からなくはありませんが、柔整師には柔整師のコアコンピタンス、すなわち社会に資すことができ得る特長や良い所もあると思っていますので、それぞれが補完し合えるのではないかという主張を僕はしました。

これは治療や施術における補完関係というだけの意味ではなく、そもそもの「見立て」の部分も含んでの意味なんですよね。と言うのは、多くの患者さんと関わってきて実感しているところなんですが、医師の診察で“どうしても見落とされがちな傾向にある患者さん”っているんです。まず医師が置かれた厳しい環境というのがその一つの要因になっているかと感じています。今の日本の医療環境では、医師が患者さん一人に割ける診察時間は大変短いです。たった3分前後の限られた時間内で、見落としを完全に無くし、毎回正確な診断を行えと言われても、それはちょっと難しいのではないかと想像します。診察する側にとって唯一の情報収集源が患者さんという生身の人間で、問診ではその人との会話を通して情報を収集するしかないからです。患者さんには様々な人がいます。コミュニケーション能力一つ取っても、自分の症状について少し変わった言い方をしたり、分かりづらい説明をする方もいれば、あまり重要でない情報に長い時間を使って話したり、医師が実態を誤解しやすいような表現の仕方をする患者さんも中には居ます。結果的にそういったことが要因となって見逃しや見落としが発生した場合、後で振り返ってみてもそれは致し方なかったというケースも多い。そういう背景もあって医師のほうで〝異常ありません〟と言われた患者さんが、症状が改善せず、もうどこに行けばよいか分からないのでと接骨院に来られる場合があります。

ただ僕ら柔整師には、資格や能力の点でできることが限られているとは言え、医師の方々にはない環境的なメリットがあるんですよね。どういうことかと言うと、医師に比べれば患者さんお一人お一人に寄り添う時間をより長く取ることが可能、というのがその一つです。患者さんから有用な医学情報を引き出すのには問診や身体所見といった作業が必要ですが、その作業に充てられる時間を3分程度の短い時間ではなく、より長く取ることも接骨院の運営の仕方によっては可能なんですよね。初めの問診に長く時間をかけることもやり方によっては可能ですし、その後に行われる施術の最中に、追加の情報収集も併せて行って行くことも可能です。施術にかける時間は各施術所によって違うと思いますが、大抵は10分、15分など、ある一定の時間をかけながら施術を行いますよね。その間黙って行う訳ではないので〝こう動かした時はどうなの?〟というように、施術と並行して問診と身体所見を同時に積み重ねていくことが出来る訳です。

また患者さんに施術している間に、僕たちの専門外の話をされることもあります。例えば「昨日頭が痛くなって」と患者さんが言ってくる場合もあります。そういう時でも、常に患者さんを目の前にしている僕たちは、「頭が痛くなったのはどういう状況だったの?」などと、問診を追加していくことが出来るのですよね。そこで有用な医療情報を獲得できるチャンスがあるわけです。そうやってくも膜下出血の患者さんを見つけたこともあります。脳梗塞の患者さんを見つけたこともあります。脳腫瘍の患者さんを見つけたこともあります。それぞれに特徴的な頭痛の発症様式や随伴症状や神経学的所見がありました。だから見つけ出して専門の医療機関に送ることができました。

このように時間的な意味に限って言えば、いま医師が置かれている環境に較べれば、その部分では我々のほうにアドバンテージが与えられていると感じています。勿論、能力という点では、我々は医師の能力には到底及ばないのですが、しっかり勉強をして、特徴的なサインとか症状をちゃんと知っていれば、医師のほうで聞き出したり見つけ出したりすることが出来なかった大切な情報を、我々の所で見つけさせてもらえることもある訳です。業務範囲外のもの、特に進行性の病気だとか、重篤な疾患だとかが疑われた場合、その時目の前にいる僕たちが迅速にその疾患にマッチした医師に紹介することで、患者さんが救われる道がもう一度開かれることになるんですよね。

ここで浜西教授のお話を振り返ると、そのロジックとしては、「まず柔整師は医療の仕組みの中にいない。診断も出来ない。ただ患者さんを自分達の独自の理屈に当てはめて、施術するだけの存在。それでもし過誤があったとしても、患者さんが不幸になったとしても、柔整師は責任をとらなくても良いが、医師は責任をとらなければならない免許なんです」と。それは社会にとって良くないので、柔整師は不要だというほうに結び付けて話されました。

しかし僕が主張したのはこういう事です。「柔整師は外傷性運動器疾患に携わるものとして、そうであるかそうでないかをまず見分けるということを日常的に行っています。また医師と連携することで患者さんが救われる道筋を取ることも可能ですし、実際に行ってもいます。それらをきちんと実行していくという条件下でならば、これまで培われてきた柔整師の知見や技術を社会から無くしてしまうのではなく、さらに発展させ活かしていくことが社会の利益になるのではないかと思います」と。そして、いくつか実際の症例についてもお話をしました。「今そこで右膝をガクッとやってしまった」と来院された患者さんを拝見して、これは膝の外傷性疾患ではない、この人はたった今脳梗塞を起こして右の不全片麻痺を発症したために膝がガクッと脱力したんだと判断し、救急車を呼んで救命できたケースなどです。

そうしたら浜西教授は「酒田さんなら医療の仲間として迎える。しかしそれはあなた個人の能力だ。100校以上の養成学校ができ、毎年何万人も柔整師が輩出される中で、そのすべてをあなたが代弁することはできない」とおっしゃいました。僕は自分の所にいたスタッフが免許を取得して別の接骨院に転職した後に、そこで1年目に脳梗塞患者さんを見つけ出して病院に送った話をしました。「要するに教育が大事で、何万人柔整師が輩出されようとも、教育いかんによっては世の中の役に立つ柔整師を養成し得ると思います」とお伝えしたところ、浜西教授は最後にその意見には賛同すると言ってくださいました。とてもうれしく心強く感じたのを覚えています。

―所謂多くの柔整師の先生方は、訪れた患者さんに対して、この症状はどういう病名かをつきとめずに、施術されている場合も多々あるように思いますが…

柔整師といえども後から検証した時に、この症状だったら、或いはこの所見を取ってこういう結果が出ているのであれば、そもそも自分達の業務範囲外だし、直ぐにでも専門医に送らなければいけなかったはずだ、と言われないようにしなければなりませんよね。そうしないと患者さんにとって不幸な結果を招いてしまいます。またきちんと医学的根拠に基づいて病態推論をする習慣は、私たちにとって見逃し見落としを防ぐための自己防衛手段でもあると思います。「ギックリ腰になった」と言って来られた患者さんが、そうではなくて尿路結石であるという事を問診と身体所見で見抜く医学的方法は既にあるのですから、それを毎回ちゃんと実行することが必要なんですよね。

ただ、これは何も柔整師に限ったことでは無いと思うんです。このように、自分の専門外の診療科の医学知識も総動員して患者さんを診る能力は“総合診療科的能力”とも呼ばれていますが、柔整師も理学療法士も看護師も鍼灸マッサージ師も言語聴覚士も、また医師も、こういった総合診療科的能力の向上に向けたベクトルを一生持ち続ける必要があると思うんですよね。医師にも耳鼻科の医師・眼科の医師・整形外科医等々それぞれ専門があります。しかしながら自分の専門以外の症状については、しっかり診なかったり、或いは自分の専門の疾患にだけ当てはめて治療しているけれども、実は全然違ったりということがあってはならない訳です。患者さんが急に耳が聞こえなくなって耳鼻科に行ったら「突発性難聴」と診断されたが、実は「聴神経鞘腫」という脳腫瘍だった、ということはあってはならないんですよね。この患者さんは僕から脳外専門医に紹介状を書いて、確定診断が下って手術になりました。

したがって、自分の専門領域のみに当てはめて判断するのではなくて、総合診療科的能力を高めていくこと、それに基づいて真の病態を追求すること、そして必要な場合にはその分野の専門医と連携すること、この3つはすべての医療従事者にとってとても大事なことだと思います。

ではその能力をどうやって培っていくかですが、勿論一つには自分自身で医学書を使って勉強するというベーシックな方法があります。でもその他にもいろんな学びの場があるんですよね。

例えば、これは全ての患者さんに行う訳ではなく必要に応じてですが、ドクターへ紹介する際に僕も同行して直接情報をお伝えした方が良いなという時は、許可をいただいた上で一緒に診察室に入らせていただくことがあります。そうするとドクターの診察もそこで見られるんですよね。それを狙って同行する訳ではないのですが、ドクターの問診や身体所見を一から十まで見させていただくことが可能ですので、それが思いがけず勉強になりました。また各々の先生でやり方が多少違いますから、〝あ、こんな風にやっているんだ〟と、本を読むだけとは違った勉強になりましたね。

あとは例えば、医師の勉強会に参加させていただけるようになったのもありがたかったです。うちの近くの総合病院では、月に1回程度地域の医師を対象とした勉強会を開いていて、内科系から外科系からいろんな錚々たる開業医の先生達がたくさん来られます。医師会の生涯学習単位にも認定されている勉強会なのですが、その中にポツンと1人柔整師の僕も呼んでいただいて勉強させて頂いています。たとえば〝今回皮膚科の先生を呼びました〟とご案内が来て、大学などの皮膚科の先生が講義をされます。要するに自分達の専門外の知識を学ぶのです。そういう所で皮膚科の先生が〝7ミリ以上のホクロは、癌化する怖れがあるので紹介してください〟といったことを教えてくれたりします。その講演を聴いた後、ふと患者さんを見たらホクロがあって測ってみたら7ミリを超えていて、これはちょっと皮膚科の先生に診てもらったほうが良いでしょうと紹介して、それで皮膚癌が見つかったことも実際にありました。

医師の先生達はそうやって、病院主催だったり医師会主催だったりと、生涯学習をする機会がおそらく多くあるのでしょうが、僕ら柔整師にはあまりそういう機会がないので、専門医の方々にご協力をいただきながら自分たちでもそういう機会を作っていくことも、これから求められていくのではないかなと考えています。

―紹介状のレクチャーもされていましたね!

今でこそ紹介状のお返事はほぼ100%頂けていますが、紹介状を書き始めた頃は、殆ど返信はありませんでした。患者さんが「接骨院の先生への返事を書いてくれませんか」と言っても「イヤ接骨院はいいんだ」と言われたり、そのようなことは初めの内はいくらでもありました。かといって、僕らの業務範囲ではなく、これは専門的な治療をしないといけないという患者さんが次から次へと来る訳ですから、紹介せざるを得ない。返事は来ないけど紹介状を書き続けました。そうするとある時から返事が来始めた訳です。書き始めた頃の紹介状を今読み返してみると、凄く稚拙で、ちょっと自分の思い込み的な内容だったり、あとは文章自体が読みにくかったりしましたが、それを少しずつ工夫していきました。如何に相手に共感してもらえるか、できればお返事をいただけるかを念頭に置きながらだったと思います。

繰り返しているうちにいくつかのことに気付きました。大事なのは、紹介状に書いた内容がドクターの診察にとって有用な情報である、ということなんだと。つまり、当たり前の話ですが、ドクターが診察する際にこの紹介状があることによって診察が進めやすくなる、つまりドクターの役に立つ内容でなければダメだということなんですね。後はドクターに共感してもらえるような内容であることが大事です。そのためには何が必要かというと、論理性と読みやすさですね。科学的な根拠も無く「こうじゃないでしょうか」と自分の思い込みで書いたら、ドクターから見ると「何を言っているんだろう?」みたいな話になります。しかし、主訴はこうでした、問診したところこういう話が聴取され、それを基に身体所見をとったらこうでした、なのでこれこれの疾患が疑わしいかと考えましたが如何でしょうか?という感じで書くと、ドクターも最後まで読んでくれるのではないでしょうか。

あと僕たち柔整師は紹介状に推測疾患名を書いてはダメだと聞いたこともありましたが、なんのために紹介したのかという目的がドクターに伝わらなければ、逆に良くないのではないかと僕は考えて、推測疾患はちゃんと根拠を示した上で必ず書くようにしています。それがあるとドクターの側でも「こういうことだったならこっちに紹介するのは、正解です」と思ってくれるのではないかと思うのですよね。調べた結果、僕の推測疾患ではありませんでしたとなるかもしれません。しかし、それを疑うこと自体は間違えていないと思ってもらえると、お返事を頂けるようにもなろうかと思います。

ドクターが不快に感じたという紹介状の例というのも聞いたことがあります。ぶっきらぼうな文面で、最後にただ「レントゲンをよろしくお願いします」と書いてあったそうです。レントゲンを撮るかどうかはドクターが判断することであって、柔整師が指示するなと大抵のドクターは思うのではないでしょうかね。そういう最低限の礼儀や自分の立場をわきまえた上でのソーシャルスキルも重要で、それを含めた上での読みやすさが求められるかと思います。

あとは診察時間が限られているドクターが紹介状を読むのに割ける時間も考える必要がありますね。僕はどんなに長い時間、たとえば2時間かけて問診した内容であっても、紹介状は必ずA4で1枚に収めるのをモットーにしています。 

余談ですが以前、「酒田塾」という勉強会を行っていて、継続的に受講してくれている人もいました。全て実症例、それも医師に紹介して確定診断がくだったものだけを取り上げて内容を供覧するというスタイルでやっていました。脳梗塞の患者さんはこれまで20例以上見つけさせてもらったので、そういった症例についても問診の仕方とか身体所見の取り方とかを含めてレクチャーをしていました。

その中で何より嬉しかったのは、受講生の方の中からその後3人、「僕も脳梗塞を見つけました」と報告してきてくれた人がいたことですね。所謂僕と同じ普通の柔整師が、来院された患者さんの中から脳梗塞を起こした人を見つけて病院に紹介状を書き、患者さんを救った。これはたった3人ではありますが、同じことを全国でやっていけばそういう柔整師が必ず増えていくと期待できますし、その人達がまたこの取り組みを続けて、さらにその情報を共有していくことによってどんどん精度を上げていくことも出来るのではないかと思います。

「脳梗塞患者を見つけるのは自分達の仕事じゃないだろう」「自分達の仕事は施術して、良くしてなんぼなんだから」というご意見もよく聞きます。しかし、僕が訴えたいのは両方必要だということです。要するに「スペシャリストとしての役割」と「ジェネラリストとしての役割」、その両方が僕たちにとって必要ではないだろうかということなんです。

自分の専門分野で優れた技術を発揮するのがスペシャリストであり、自分の専門だけにこだわらず総合診療科的な見方をするのがジェネラリストです。僕らは運動器外傷のスペシャリストということで仕事をさせてもらっています。勿論、それに関しては技術を極めていく必要があるでしょう。外傷に対する病態推論をするにしても、例えば超音波を使って精度を上げていったり、また施術方法もいろいろ切磋琢磨をしながらどんどん良いものを作り上げていくのはとても大切だと思います。

しかし、腰が痛いと来た人で原因が癌である人も居る訳です。その場合に腰椎その他の運動器に対するアプローチのみを行っていれば良いのかというと、そうではない。やはり優先順位としては、もし癌があるのなら、早く専門医に確定診断をつけてもらってしかるべき治療をしなければなりません。またそもそも患者さん自身は癌であることに気づいていないからこそ接骨院に来ているのですから、まず僕たちがいつも遭遇するものとは違うのではないかということに気づかなければならない訳です。

この2つの役割は両方同時に果たすことが大事で、どちらかだけに偏ってしまってはダメだと思うんですよね。ジェネラリストの役割ばかりに偏って、専門外の病気を見つけることばかりをやっていても、それでは仕事になりません。僕たちは施術をして初めてお金をいただけるのですし、施術をせずに紹介した患者さんについては一銭もお金は頂けないからです。しかしながら接骨院に来てはいけない患者さん、行くべき所は別にあるという患者さんをちゃんと見つけ出して、そっちに道筋をつけるというのも、これはサービスではなく、義務だと思っています。またそれは国民が望んでいることでもあるだろうと思います。

此処に行ったけど見落とされました、死んでしまいましたではダメなので、医療に携わる人はみんなそういう風にやっていかれるのが理想だと思っています。

―問診を丁寧に行うことが大切だと思いますが、丁寧に行うとかなり時間がかかると思います。1人の患者さんにいっぱい時間をかけると多くの患者さんを診ることが出来ないと思いますが、その辺は如何なんでしょう?

それは大変難しいところですけれども、複数のスタッフを雇っていた時は、患者さんが次から次に来られるし、見立てに時間がかかってしまう患者さんもいらっしゃるので、施術は他の柔整師達に行ってもらって、僕自身は問診と身体所見を取って、施術方針を決めたり紹介状を書くことに特化していたこともありました。勿論僕も施術を行ってもいましたが、その頃は殆どの時間をそちらの業務に使うという体制がとれていましたね。

―今は一人でやられているので、かなり難しいのでは?

はい。ただ、患者さんが大分減っているので(笑)。でもたまたま本当にこの人は脳梗塞かも知れないという人が来られた場合は、待っている患者さんに「申し訳ありません。こうこうこうで…」ということでやるしかありません。やはり、いつも原点に立ち返ることが大切だと思います。僕らは何のためにこの仕事をやっているかというと〝人の役に立つため〟という一語に尽きると思います。従って、今この人はくも膜下出血を起こしたかもしれないという患者さんを診た時に、この人を助けなければということを他の患者さんにちゃんと説明をするしかありませんし、またそうすれば理解してくれると思います。

待っている人を優先して、くも膜下出血の人を置いておくことは出来ません。ケースバイケースですが、優先順位をつけています。

―筑波大学名誉教授の白木仁氏は、〝柔道整復師は所謂救急救命士の役割もあり、無血療法を行い、また生活リハビリテーションにまで踏み込んでくれる〟等、重要な役割を担っていると述べていらっしゃいますが、酒田先生はどのように思われますか?

白木先生が仰ったように、救急救命士的な役割というのは柔整師にとってとても大切な役割の一つだと思います。これは医師との連携の上で実際に成り立ち得ますし、やはり患者さんと向き合う仕事である以上、その役割も果たす責任が僕たちにはあるとも思いますね。そして生活リハビリテーションというのも、柔整師にとって力を凄く活かせる部分だと僕も思います。どうしても時間に制限のあるお医者さんでは中々やりにくいところを、僕らが補完することは出来得ると思います。そういうところでスペシャリストとしての柔整師の有用性を伸ばしていくというか、それは是非我々が取り組んでいくべきことだと思いますね。

運動器疾患における治療は、結局何を目指すかというと、無痛性と運動性と安定性です。痛くなく、ちゃんと動いて、しかも異常可動性がなく安定している。その3つをちゃんと取り戻すというのが整形外科の役割であり、勿論我々柔整師の役割でもある訳です。しかし各種のリハビリを医師が付きっきりでやる訳にはいかないため、どうしても整形外科では人が行うのではなく、電気をかけたり、或いは患者さん自身で何かをやってもらったりという形になりがちです。たとえば運動療法に関しては「こういう運動を自分でやってください」となりますが、しかしそれって患者さんは自分一人で中々出来ないんですよね。その点、僕らはマンツーマンで患者さんにつきながら、たとえば骨折後の浮腫改善や可動域改善、筋力強化などを実際にやってあげられます。

要するにオーダーメイドでそれぞれの患者さんに合わせて必要な施術を提供出来るという意味では、結構世の中の役に立つ仕事になり得るのではないかと思っています。

―また、元帝京大学教授の佐藤揵氏は、柔道整復師は軟部組織損傷の学問的解明を行い超音波を使用することでやっていかれるのが良いとも仰られています。それについては如何でしょうか?

確かにそう思います。超音波に関しては、乗り遅れたというか機会を逸してしまって、僕自身は超音波で観察したり、読影はまだまだ出来ないんですが、その場でタイムリーに撮れますし是非やっていって欲しいと思います。僕の場合は、MRIやCTをお願いして、それをこちらでも拝見させてもらっていましたけれども、超音波であれば施術所内で直ぐ行うことが出来るので、より知見も蓄積されやすいと思います。今後柔整師がきちんとエビデンスに基づいた施術を確立していくのにも役に立つだろうと思います。是非とも進めていって欲しいと思っています。

現在の柔整業界にとって、多様な視点が必要と思っています。役に立つものはどんどん使って良いと思います。徐々に良い方向に向かっていくことになるのではないかと期待しています。

―2024年元日に能登半島大地震が起きて甚大な被害がでました。酒田先生は東日本大震災の被災地に毎日のように行かれ、ドロの掻き出し、お風呂を用意したり、食事の手配等もされていらっしゃいました。今回の地震で、柔道整復師の方も被災地に行かれていると聞いています。どのような救済が良いとお考えでしょうか?

今回の能登半島地震の災害に対し、どういう役割を果たせるかということだけに限ってお話すれば、現地の人が何を必要としているかによると僕は思います。現地の人にとって必要なことを自分が出来る限りやるということの以上でも以下でもないと。僕も東日本大震災の時に2年間ほど毎週支援活動に行きましたが、柔整師という職業だから施術を提供しようと考えて行った訳ではないんですよね。確かに骨折した患者さんとか、捻挫した患者さん、そういう人に応急手当をし、その他にも肺炎を発症した方や様々な病人の方々を病院に搬送したりもしました。しかし現地のニーズは、僕らの仕事に関わることばかりではありません。初めは、物資のピストン輸送から始まって、次はドロの搔き出し、遺品捜索だとか、お風呂に入れないというのでお風呂を作ったりなど、いろいろありました。とにかく如何に困っている人達の役に立つかというのが重要で、そのために自分は今何をするべきかということを考えることかと思っています。

例えば、中村哲という医師、あの方はお医者さんですが、アフガニスタンを支援しに行って、やられたことと言えば、詳しくは知らないんですが、畑に水路を引くなどの事業であったと聞いています。勿論お医者さんとして患者さんを診られることもあったかと思いますが、でも現地の人に凄く求められていたのは別のことであって、医師としての診療以上にもっと優先順位が高いことがあった訳です。

やはり能登に支援活動に行かれている方々もそういう視点で活動されると良いのではないでしょうか。そういう意味でも、其処でコミュニケーションを如何に取るかということが重要なんですよね。

その点僕らは、患者さんと毎日話をしたり、患者さんのニーズを聞き出したりという意味では日々トレーニングを積んでいると言えるかと思います。僕も被災地に行った時は、やはり被災者の方々が必要としていることを何とか上手く聞き取ることが出来たのが良かったと感じていますし、それができたからお役に立てる活動も行えたように思います。勿論柔整師として日々やっている施術が役に立つ時もあるので、その時は精一杯やるのが良いと思っています。

…こうして考えてみると、そうですね、中村哲医師の生き方にこそ、今回僕が最もお伝えしたかったことが象徴されているように感じます。

スペシャリストとジェネラリスト…この2つの役割を両方ともしっかり果たすこと。

それは中村医師のように、目の前の困っている人々対して、自分の専門能力を活かして救うと同時に、その人々が抱えている一番大きな問題を見抜き、その一番大きな問題を解決するために人脈から何からあらゆる手段を使って全力を尽くす、ということなのかも知れません。 私たち柔整師を含めたより多くの医療人の皆さんが、そういう信念を持って患者さんと向き合われるようになって、その皆さんがより強い連携で結ばれていかれたなら…と想像することがあります。

きっと今よりずっと多くの人が、救われる社会になっていくのではないでしょうか。

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