HOME 特集 何故、柔道整復は国民に支持されてきたのか? 何故、柔道整復は国民に支持されてきたのか?【第5回:大正時代の骨継ぎ・接骨術】

何故、柔道整復は国民に支持されてきたのか?【第5回:大正時代の骨継ぎ・接骨術】

何故、柔道整復は国民に支持されてきたのか? 特集

明治政府の新たな医療政策によって接骨術は大きな危機を迎えることとなり、苦難とも言える歴史的事実を残すことになりました。
明治18年に接骨営業が禁止となり、明治44年に按摩術・鍼灸術の営業取締規則が制定され接骨術者は、その殆どが按摩業者の門下生となります。
いわゆる按摩術に隠れて接骨術を行うという苦肉の策で業務を行ったようです。

さて、大正時代を迎えると大審院判決により「医術開業試験を経た者でなければ接骨を業となすことを得ず」とされ、業界の混乱をも招くこととなりました。医術開業試験を経ずに接骨術を業とした場合には、明らかな医師法違反です。
大正時代は、これら非常に厳しい状況を迎えたことから、接骨術を修めた柔道家にとっては死活問題となります。

そこで国技とも言える柔道の保存、我が国独自の伝統医療である従来接骨術の復興と共に、同志の大同団結を目的として柔道接骨術公認期成会(大正2年)が結成され、当時の政府議会への請願運動を展開することとなります。
接骨術の名称を「柔道接骨術」として請願運動を開始したようですが内務省の理解を得られず、当時の医師会権威者である方の助言を参考に「柔道整復術」と定められました。

請願運動に際しての大切なキーワードは、「柔道家の保護・国技(柔道・接骨術)継承」とし、講道館:嘉納治五郎 館長、医師会関係:三浦謹之助 博士・井上通泰博士、整形外科学大家:田代義徳 東京帝国大学整形外科教授らの指導を得て実動することになります。

嘉納治五郎
万延元年(1860)生、明治15年(1882)講道館を創設

田代義徳
元治元年(1864)生、明治39年(1906)東京帝国大学にて日本初の整形外科 学教室を担当

嘉納治五郎 館長にあっては、「柔道家が他人の足、腰をさするようなことはさせたくない」と発言され、柔道接骨術公認期成会運動を反対する意思をお持ちであったと語り継がれる一説があるようです。これは当時の時代背景や社会情勢から、単に表現方法が誤解を生じただけであろうと察することもできます。ゆえに嘉納治五郎 館長は、柔道と接骨術の関係を密にするべく様々な協力を惜しまなかったようです。

さて、いよいよ請願が行われることになりますが世論の後押しも重要であり、それらに係る対応と共に、会長:竹岡宇三郎氏、副会長:市川歛氏、理事長:萩原七郎氏が就任され動きが開始されます。大正3年、国会に初の請願が提出されましたが国会の委員会付託とされ、数回の請願提出も同様に足踏み状態が続きます。
そして大正5年3月の衆議院委員会で質問が行われ、「柔道接骨術はエンピリズム、即ち機械的実験に基づくものなり」などと答弁がなされた後に、衆議院委員会での採決により辛うじて請願が通過しました。

大正7年には内務省において柔道整復術公認案が作成されますが、同省に設置されていた中央衛生会の良き理解が得られません。
萩原七郎氏ほか関係者の惜しみない努力が実り同委員会10名中、賛成6名、反対4名で採択され、大正9年4月21日ようやく公認が発令されました。この公認発令を機に柔道接骨術公認期成会は発展的解消となり、第1回柔道整復術試験を迎えることになります。

公認を得たものの事実上は、内務省令である按摩術営業取締規則の一部改正、つまり準用的な公認です。この按摩術営業取締規則の中で柔道整復術を認めた準用条文は、「営業者は脱臼または骨折患部に施術をなすことを得ず。但し医師の同意を得たる病者についてはこの限りにあらず。」とし、付則として「本令の規定は柔道の教授を為す者に於いて打撲、捻挫、脱臼及び骨折に対して行う柔道整復術にこれを準用す。」と加えられました。この内務省令の改正により柔道整復術を行う者としての身分が確定します。

請願運動の開始から約10年(明治時代の接骨術禁止から約40年)を経て、大正9年10月に2日間に渡る「柔道整復術試験」が実施され、163名の合格者を輩出し合格証書は警視庁名で発行されています。

この第1回合格者によって「大日本柔道整復術同志会」が結成され、これが現在の公益社団法人日本柔道整復師会の第一歩となります。

このような経過をたどる柔道整復は柔術、柔道と接骨術の融合とも言える我が国の伝統的な医療技術です。現在、多くの医療関係専門職がありますが柔道整復を広義に医療職と捉えた場合、唯一「柔道」という武道を表す名称が伴います。

柔道は、「精力善用・自他共栄」を基本とし、単に道としての技を習得するだけでなく、天下の大道を学ぶものと嘉納治五郎 館長の教えにあります。
単に医療職としてのみならず、武道精神による規律を守り倫理を涵養し、仁術者であることから各時代において国民の信頼が得られて現代に継承された職業であると言えます。
従いまして、信頼の無い柔道整復は柔道整復にあらずとも言えます。

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