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これだけは知っておいて【最終回:日本の文化である「柔道整復」 ―文化庁京都移転を記念して―】

これだけは知っておいて 特集

長尾淳彦

「柔道整復」は日本で生まれて日本で育った日本が世界に誇れる「民族医療」であり、「日本の文化」です。

「柔道」という特定のスポーツ競技の名称を冠する施術が法的根拠を得て国家資格へと発展した例は世界中を見渡しても類を見ないと海老田大五朗氏は自身の研究で述べられています。

柔道整復師、柔道整復術の歴史は古く、大宝律令(701年)医疾令(718年)や養老律令(757年)の中にも骨傷を専門とする官職のことが記載されています。また、宮中医官を務めた丹波康頼(現在の京都府亀岡市または福知山市出身といわれている)が朝廷に献上した日本最古の医学書である「医心方(984年)」には、骨折、脱臼、打撲、創傷などの処置についても詳しく記載されています。 日本では「武」の精神と「療治」を重んじ、戦国時代の書物には武術を指す「殺法」とケガの治療に当たる「活法」が必ず対で記されています。ここでいう「活法」が医療の一部として柔道整復術へと発展してきた経緯があります。

1746年日本最初の整骨書「骨継療治重宝記」が高志鳳翼によって纏められ、その後、1807年「正骨範」が二宮彦可によって纏められ「整骨新書」が1810年各務文献によって纏められました。

この「骨継療治重宝記」「正骨範」「整骨新書」整骨三大聖書を2019年日本柔道整復師会では10年間の歳月をかけて現在語訳版として発刊いたしました。

私たちの業は1920年日本政府により「柔道整復術」の名称で公認されました。なぜ「柔術」ではなく「柔道」、なぜ「接骨」ではなく「整復」が選ばれたのでしょうか?

明治・大正期の「講道館柔道」は、その他の「柔術」を抑えて発展・普及していました。嘉納治五郎師範が日本から普及させた「柔道」を整復術に冠することで日本起源の治療法であることを強調する狙いがあったのかもしれません。

戦後GHQによる弾圧からも「柔道整復」は先人の努力により存続の危機を乗り越えてきています。

近年では、2001年2月にWHO(世界保健機関)より発刊された報告書に柔道整復師Judotherapist と紹介され2002年WHO(世界保健機関)総会で原健日本柔道整復師会会長(京都府第九代会長)が講演して世界に認知されました。 柔道整復師は外科手術や投薬・その指示などは行なえませんが、西洋医学と東洋医学の良きところの研究・検証を行い、身体への浸食・介入の少ない安全性の高い整復固定術を臨床の場で発揮できるようになりました。

これは先人の想像を絶する苦労の上に成り立っています。それと患者さんである国民の皆様の支持があってこそだと思っています。

今年(2023年)は文化庁の東京から京都の移転という記念すべき年です。日本における「柔道整復」のこれまでの歴史的背景を理解しながら「医療」としても「文化」としても継承していかなければなりません。

国民に愛され必要とされる柔道整復師業界となり、資格としてもそれに伴う対価としても正しく評価される業界でなければなりません。柔道整復師は勿論のこと柔道整復師業界に関わる全員でその覚悟を持ってひとつひとつ改善して進んでいきましょう。

私事により今回をもって筆を擱くこととします。長きにわたりありがとうございました。

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