これだけは知っておいて【第90回:柔道整復術公認100年が経ち柔道整復師皆で考えること】
長尾淳彦
柔道整復師の歴史は古く、大宝律令の医疾令(718年)に按摩生と記載されております。当時の按摩は、骨傷などを診る専門職で骨・関節損傷の整復や固定を行っていました。「医心方(984)」「骨継療治重宝記(1746)」「正骨範(1807)」「整骨新書(1810)」にもその存在と治療法などが記載されております。
明治の西洋医学への完全転換より「骨接ぎ、接骨医」は大きな波に吞み込まれました。しかし、骨接ぎ、接骨を利用される国民の支持は高いものがあったおかげで、大正9年に日本国から「柔道整復術」と名を変えて公認されて2020年で100年が経ちました。
柔道整復師法が単独法になったのは昭和45年で2020年で50年が経ちます。
先人が多くの苦難を不屈の行動により今に繋いでいただいた「柔道整復」という襷を大切に次世代の柔道整復師に引き継ぎたいと考えております。
私たち柔道整復師のアイデンティは運動器(骨・筋・腱・関節など)外傷の非観血的療法のエキスパートであるということです。
特に応急手当と言えども医師以外に骨折、脱臼の整復固定を行えるのは柔道整復師だけです。名称「ほねつぎ」の所以です。
私たちの施術所には運動器の痛みや不都合で老若男女問わず多くの患者さんがおいでになります。
運動器(骨・筋・腱・関節など)の外傷が起こり応急的処置を含む手当を行うこと、患者さんの社会現場(学校、職場、スポーツ現場など)への早期復帰、また、競技者や高齢者の外傷予防についても柔道整復師が担う大切な業です。
その業において、柔道整復師(は・が)出来ないこと、柔道整復師(も)出来ること、柔道整復師(しか)出来ることを明確にしていく必要があると思います。
現状において「出来ること」「出来ないこと」が明確になれば、「出来ること」を更に広く深く出来るようにしていき「出来ないこと」は何をクリアすれば「出来ること」に成るかが分かります。ただ、やみくもに出来る「だろう」出来ない「だろう」では、柔道整復師という職業のクオリティはあがりません。
尾高邦雄氏(1908―1993:東京大学文学部名誉教授、社会学者、渋沢栄一氏の孫)がいう職業の三要素。
- 個性の発揮
- 生計の維持
- 社会貢献
を柔道整復師業界が自らクリアにされているかを検証していかなければならないと思います。
柔道整復師個々で活動するより集団・組織になることで多くの交渉事が可能となり国民の為の柔道整復術を広く深く普及、貢献するために公益社団法人柔道整復師会という組織が出来上がりました。
一人一人の柔道整復師は所属する組織を通じて「自分の力」を柔道整復師として「社会貢献」するために使い、患者さんである国民の皆様に認められて「生計の維持」が出来ています。
地域の人々の為に生涯にわたって働くためには柔道整復師は生涯にわたり学ばなければなりません。医療職者としての倫理観や実務能力を育み、療養費という浄財の適正な使用に貢献することも大切な事柄です。
業界を「明るく」するのも「暗く」するのも私たち柔道整復師です。先人が築き上げてこられた礎を基に更に社会貢献できる業界を皆で創っていくことが大切です。
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