スペシャルインタビュー:世田谷区長 保坂展人氏
東京都で一番の面積(58.05平方km)と人口(906,739人)を有する世田谷区。下高井戸・三軒茶屋間を走る玉電こと世田谷線の停車駅には、井伊直弼の菩提寺である豪徳寺や吉田松陰を祀る松陰神社、江戸五色不動のひとつ目青不動が祀られている教学院最勝寺など歴史ある建造物が点在し、また国士舘大学、成城大学、駒沢大学、昭和女子大学等の大学や公立・私立の教育機関が多く林立。しかも世田谷区は公園も多く緑がいっぱいである。中でも等々力渓谷は〝ここが本当に東京都なのだろうか?〟と目を疑うほど、せせらぎの音も聴かれる静謐な場所であり、まさに文化と自然が見事に融和している地である。
そんな資源豊かな世田谷区は、地域の人材も豊富であり、人に優しく自然にも優しいまちづくりを行っている。広大な世田谷区を束ね統括する世田谷区長・保坂展人氏にまちづくりと今後の取組み等について分かりやすく話して頂いた。
区民同士の緩やかな繋がり・連携に切れ目のない支援を行い、バランスのとれた明るく楽しいまちづくりを目指します!!
世田谷区長
保坂 展人 氏
―日本の社会保障制度について保坂区長のお考えをお聞かせください。
近年、日本の人口構造の変化に伴い、持続可能な社会保障制度の在り方が問われています。例えば、アメリカでは医療保険に加入できていない人も多くいるということですが、日本の場合、病気になったり怪我をしても誰でも医療を受けられて数日の入院ないしは入院に至らない治療で回復する人が殆どであるという現実があります。そういう意味でいうと、日本が国民皆保険という制度を継続しているということは、やはり素晴らしいことであると思います。貧富の差に関係なく誰もがみな平等に最新の医療を受けられるという点は誇れるのではないかと思っています。しかしながら日本の少子化が加速する中で、高齢人口がジワジワと重くのしかかってきていますので、持続可能性については、財源の問題が今後更に大きくなると思います。こういう制度をなんとか継続できるように自治体としても努力をしたいと思っています。
―人口減少社会に突入しました。少子化に対する世田谷区の取組みを教えてください。
少子化に対し、世田谷区では『世田谷版ネウボラ』ということで、子育てがしやすい環境を作っていこうと取り組んでいます。とりわけ今は近くに実家もなく、長屋住居でご近所の世話好きのおばちゃんがいろいろと教えてくれる時代でもなく、マンションで孤立して子育てに直面している方が多くいらっしゃいます。世田谷区ではまず妊娠届出の時点で全妊婦に対する面接を行って、区における子育て支援サービスの全ての説明を行っています。工夫をこらして見やすい育児パッケージを作製し、その内容について知って頂くようにしています。また出産後に助産師などによる赤ちゃん訪問も行っておりますし、「産後ケアセンター」というホテル様式の所に宿泊して、産後の不安定な時期に専門家から育児の手ほどきやサポートを受けられる場所も作っています。育児パッケージというのは、母子手帳と一緒に渡す母子保健バッグのことですが、妊娠中に見てください、出産後に見てくださいというようにその時期に合わせた適切な情報を掲載しています。また妊娠期面接でお渡しする子育て利用券は、産後ケアセンターなどで使えます。これらは生まれた子どもに対するケアですが、結果として子どもをこの世田谷区で育てていこうという気持ちになって頂いたり、子育て世代の定住という効果を生んでいるのではないかと思っています。また在宅で子育てをしているお母さん達に向けて児童館は25館、「おでかけひろば」は31カ所あります。そういった場所で育児の孤立化を防ぐような取り組みも行っています。
―近年、社会保障費の財源が苦しくなっていることに加えて、高齢社会で医療費も介護費も大変な増加が見込まれ、それに伴い在宅ケアを含め包括型の医療ケアシステムの構築が求められております。世田谷区で現在取り組まれている地域包括ケアシステムの構築状況ついてお聞かせください。
現在65歳以上の高齢者が18万2千人位で高齢化率が2割をちょっと上回ったところです。地方と比べると高齢化率は未だ2割という見方も出来ますが、区内の人口構成を見るとこれはもうどんどん増えていかざるを得ないでしょうし、とりわけ団塊の世代が75歳以上になる2025年以降は更に増えていくだろうと予想されています。また区の高齢者18万2千人の中で介護認定を受けている方が3万8千人位で数としては多い。その中で特に認知症の疑いがあるという認定を受けている方が軽度の方も含めると約2万1500人いらっしゃいます。高齢者施設では、特別養護老人ホーム、地域密着特養ホーム、認知症高齢者グループホーム、サービス付き高齢者向け住宅等々、いろいろな施設も作られてきていますが、それだけでなく在宅で様々なサポートを医療も含めて受けることが出来るような地域づくりを目指しています。それが地域包括ケアシステムの構築にも繋がる訳です。現在世田谷区には5つの総合支所があります。90万都市なので所謂政令指定都市並みということです。行政区のような区分で区役所の支所として比較的大規模な建物で、保健福祉関係の窓口を持っています。この総合支所で、様々な福祉に関わる手続きが出来ます。世田谷区では地域包括支援センターのことを「あんしんすこやかセンター」と呼び、この「あんしんすこやかセンター」が27カ所にあります。27という数の根拠は、所謂生活領域に密着した地区(平均3.3万人位の人口の所に1か所ずつ)ということで、実は全地区に行政施設である「まちづくりセンター」が存在しています。また27カ所の中には「あんしんすこやかセンター」も一緒になっている所が一部ありましたが、バラバラな所が多かったので、「まちづくりセンター」と呼んでいる27の区の施設にこの「あんしんすこやかセンター」を入れて、しかも社会福祉協議会の地区活動を担っている職員にも来て頂いてその3者が同じ建物に並んでいる形をとりました。つまり、区民の方が介護・福祉の関係で窓口に相談に来れば、介護保険をどういう風に使ってどのようなサービスを受けることができるのかといった相談や手続きが27か所で出来るのです。他にも障がいのある方、知的障がい、身体障がい、精神障がい、発達障がい等の方に出来るサポートや難病の方の医療費助成、子どもの手当など様々な相談があります。従って高齢福祉以外の福祉に関しては、「あんしんすこやかセンター」の職員、或いは区の職員がうかがって先程述べた総合支所などの適切な窓口に繋ぐことが出来ますので、区民の方は窓口を右往左往して探すようなことはしなくても良いようになっています。地区毎に福祉サービスの拠点、窓口を設置したことで住民団体、町会・自治会をはじめサークルやNPOの方たちが地区を拠り所に活動をしていくというような姿を描いて、2年前の7月にスタートしてから丸2年になります。更に高齢者施設がオープンした時に施設の1階ロビーが広いので〝地域の人たちに使って頂いても良いですよ〟という話を「あんしんすこやかセンター」の職員が区役所の職員に伝えて、サークルや町会・自治会で使われ出したり、多くの活動が始まっています。区民の方が福祉サービスを探すのは大変ですし、特に初めての方が多いのでイザという時に何所に行ったら良いかというのは、歩いていける、または自転車で少しの距離にある「あんしんすこやかセンター」に行ってくださいというのは利便性が高いと思っています。
―地域力が弱くなっている現在、「互助」による支援体制が機能する可能性についてお聞かせください。
窓口を一本化したことで、住民から分かりやすくなったと好評ですが、相談の絶対数は今後増加していく訳です。多くの相談者の中には、引っ越してきたばかりで、〝自分は今どこも悪くないけれども、ちょっと体を動かして介護予防をして健康寿命を延ばしたい〟や〝地域の身近なところで参加できる活動は何かないかしら〟という方がいらっしゃいます。介護予防に関しては「あんしんすこやかセンター」、活動については主に社会福祉協議会が地域の活動を支えておりますから、ご案内をしています。しかも、そういった団体同士が横の連絡をとってお互いに支え合うということで、特に精神的な孤独については支えられると思いますし、こうした支援は行政だけが支えるのは中々難しい。いろんなサークル活動や健康づくり活動等に参加して頂くことによって、ご近所同士高齢になっても知り合いやお友達を作ることが可能になります。結局、知り合いでなければ困った時に助けられません。一人暮らしの方も多くいらっしゃるので、一人暮らしの方が具合が悪くなった場合、誰も気がつきませんが、その方が普段顔を見せる場があれば〝ちょっと様子がおかしいね〟ということで早期の治療などに結びつけることが出来ます。そういう意味での「互助」になります。しかも世田谷区は突出してサークル・サロンが多く、その数は全部で770位あります。非常に住民同士の活動が盛んです。沢山ありますので、先ほどの相談でも、例えば〝認知症のお母さんの介護で心身共に疲れ切った、でも介護しない訳にはいかない〟というような悩みを抱えていらっしゃる方について、相談に乗ることもできますし、更に「家族の会」が身近なところに30カ所程あり、月に1回位の割合で開いていることをご案内もできます。同じようなことを経験した人が相談に乗ったほうが良いと思いますし、経験者ということで言えば、家族を癌で亡くした方達の会、癌の闘病者の家族会もあります。また「認知症カフェ」もあって、ご家族や介護施設の職員の方と認知症当事者の方も一緒に行って交流する場です。今40カ所位ありますが、やはり毎月1回くらい開かれています。そういったことも世田谷区の土地柄であるとは思いますが、元々市民活動や自発的な活動が盛んだったということは言えるだろうと思います。
―介護の人材不足、在宅系看護師不足等、人材が不足していると聞きます。世田谷区において、人材は足りているのでしょうか。
やはり世田谷区においても不足しています。つまり何所も不足している訳ですが、ではこれまでは何故不足していなかったのかというと、長びく不況で一般の求人が非常に少なかった。その中で介護業界だけは求人があり続けていました。現在、東京都内で介護関係の求人倍率は、約6倍です。一人に対して6事業所が引っ張り合うような形です。ここ数年、いわば雇用の場があちこち増えたということと、元々介護業界の待遇が他の産業に比べて(保育も同じことが言えると思います)かなり低いという業界でしたので、新規の人材が入ってこなくなった。加えて、高校・大学・専門学校で介護を目指す学生も減少している状況です。人材不足はかなり深刻な問題ですので、やはり介護関係の環境改善と職員の方のやる気を支えていくような具体策を考えなければいけないと思っているところです。
―保育待機児童対策について中々解消されていかない原因は何所にあるとお考えでしょうか?子育て支援、女性の雇用対策や働き方改革などについ保坂区長のお考えを教えてください。
足りない保育園を7年間で107園開設し約8千人の待機児童を解消することが出来ました。具体的には、3歳以上の児童の数は0になりましたし、場所によっては2歳以上も0になりました。未だ0・1歳、特に1歳が少し厳しい状況にありますが、一応解消に向かって大きく動いています。待機児童の原因は、とても単純で、子どもを産んだ時に在宅子育てではなく、保育園に入れて働くことを選ぶ保護者の方が急増して、その増え方と保育園の増え方が釣り合わなかったということが待機児童の深刻化を生むことになった訳です。今後懸念されるのは、保育の無償化に伴い保育園を希望していなかった方も保育園を活用したほうが良いとなって、更に希望者が激増するようであれば又深刻化を招くという危惧もあります。以前、世田谷区でも、保育園の反対運動はありましたが、それについては2年或いは2年半という時間をかけて何度も何度も説明会を開いて、ご理解を得た上で作ってきましたので、反対運動によって断念したというケースはありません。また一時ほど保育園の反対運動は激しくなくなりました。結局、静かな住宅地で、保育園があることで居住環境の価値が下がるという風に思った方もいるようですが、実際には保育園が近くにあると居住環境の価値は上がるんです。世田谷区は町名毎に保育園があるような状況になっていますから、何所に住んでも身近な場所に保育園があるということは、子育てをしようという世代にとって好環境といえると思います。
―昨今、地球規模で大災害が多発しています。世田谷区の防災計画について教えてください。防災計画を立てる時に極めて重要なことは、何を前例として何を想定するかと言われておりますが、その辺についても教えてください。
端的にいえば、災害は予防できませんし、起きてしまうのです。例えば、大雨にしてもそれを止めることは、今の段階では出来ないんです。従って、その雨をどうやって逃がすのか、氾濫させないのかということです。或いは被害が起きても最小にとどめるということが大事ですので、特に阪神淡路大震災以降は、地震による直接的な被害よりも過密都市での火災によって亡くなるなど、そういった危険が世田谷区の場合も多いと予測されますので、家と家の間が狭すぎる密集住宅地での防火建築を推奨し、道路を拡張する等、そういう密集対策事業に力を入れています。他には住民同士が安否確認を行うなど力を発揮していろいろな活動をしなければなりませんから、先ほどの27地区で「防災塾」を行っています。それについては地区の住民が行政の助けがあまり来ない72時間という間を、どのようにサバイバル出来るのかということをシュミレーションしてやって頂いています。ただ、今年の夏の暑さも災害といえば災害で、熱中症の死亡が非常に多い。また数年前に甲府で1メートル雪が降ったことがありましたが、冬のドカ雪というのは、昔の江戸時代の記録などを見ると品川で1.5メートルの積雪があったという記録があります。現代社会では、50センチ積雪すると全ての交通機関が止まってしまいますし、それによっ例えばケアが必要な方たちの酸素が運べなくなるなど、様々なことが起きてきます。かといって豪雪地帯ではないので、除雪車を購入することは難しい。それより更に難しいのは火山の噴火です。火山灰が5ミリ位積もってしまうと、その積もった灰を片付けなければ殆どの車は動けなくなるということですし、今度はその灰を何所に捨てるのかということが大問題で、これまでの大震災や先日の西日本の土砂災害、洪水による被害を受けた地域の大量のごみを廃棄する場所について難しい問題になっています。結局、そういった災害が、今まで起きていなかった、想定外ということで中々その体制は作れていない。少なくとも何が起きても不思議ではない時代に来ているということですから、出来る限り災害現場への支援に力を入れようとして、いま東日本大震災の被災地に7名の職員を派遣しておりますし、熊本にも職員1名を送っています。
―柔道整復は阪神淡路の大震災、2011年の東日本大震災時においても活躍してきました。また柔道整復は、高度診断機器、薬物を用いることなく救護にあたれる医療職種として、近年盛んに言われ出したエコ医療であると言えます。古来から地域医療を支えてきた医療職種である柔道整復師は、骨接ぎ・接骨院の先生として地域住民の方々に親しまれ、スポーツ現場でもスポーツトレーナーとしてアスリートの怪我やパフォーマンスの向上に役立つ指導を行ってきました。今後の超高齢化社会においては、運動能力の維持管理が重要なテーマの一つと感じます。運動能力を維持していくには、単に痛みを取るという考えではなく、能力そのものへの取り組みとしてトレーナー的な業務は必要と感じます。介護分野では柔道整復師は機能訓練指導員として機能訓練を行える職種です。地域包括型ケアシステムの中に柔道整復師の参入は可能でしょうか。
地域包括ケアシステムというのは、様々な職種の方が関係するものと思います。ただ、区がいろいろな医療サービスについてこれを使いなさいといえるものではありませんし、特に世田谷区の場合は、地域包括ケアの会議に柔道整復師の先生も参加されていますので、そのシステムの中でご意見を述べる機会があるということになります。高齢者は転倒がきっかけになって骨折をし、その骨折が本で内臓疾患等が悪化して、お亡くなりになるというケースは多いと思います。また足や膝の痛みを訴えられる方が多いので、柔道整復師の方が介護予防などでも既に活躍頂いていることを更によく知って頂くことが大事であるという風に思います。
―今後、病院で死ぬことが出来ない時代がやってくる中で、どのような地域社会を構築できるか。地域における健康づくりを従来型の健康政策のみではなく、機能の集約化、住居環境及び交通網の整備などまちづくりの視点も加えた総合的な施策の構築等についてはどのようなお考えをおもちでしょうか。
いま「コンパクトシティ」とよく言われており、それは市街地を一カ所に束ねて纏めていくという考え方です。世田谷区の場合は「コンパクトシティ」が葡萄の房のように沢山集合体として出来ている地域です。つまりあまり隙間がないということですが、逆にいえば27地区、その1つ1つの地区が人口2万人~3万人位のコンパクトシティで、普通の市町村くらいの人口がある訳です。医療・介護・福祉に関する地域資源が効率的に回って其処で完結出来てしまうということ、しかも区民の参加も非常に活発であるという地域づくり、まちづくりを目指すことが一番の回答であると思います。実は「砧ご近所フォーラム」というのをやっておりまして、そこでは砧地域にある介護事業所や医療機関、健康づくりサークル、社会福祉協議会、「あんしんすこやかセンター」(地域包括支援センター)等、また「おでかけ広場」だとか、「サロン」、学校、そして行政等々が全部集まってお互いが交流し合う場です。そういう場の中で新しい区民同士の繋がりが出来たりしています。様々な事業所の職員の方も〝そういう繋がりがあるなら参加してみたい〟という思いやアクションを作りだす良い機会になっています。つまり27の地区の相談窓口に来られる方達だけではなく、住民同士の繋がりを育んでいきたいとして〝参加と協働による地域づくり〟と呼んでおりますが、そこを重視していきたいということです。病院で亡くなるのも自宅で亡くなるのもどっちが良いかといえば、病院が良いとは限らないと思います。「終末医療」について、どういう風に人生の最期を終えていくのかについて「芦花ホーム」という特別養護老人ホームの石飛幸三先生という医師が、「平穏死」ということを推奨されています。平穏死というのは高齢になると口から食べにくくなって、「胃ろう」をするかどうかという選択をする中で、ご本人の意思とご家族の気持ちが大事ですが、「胃ろう」をしないことを選択した時に、ある期間水だけで平穏に命を全うするという形があると問題提起をしていらっしゃいます。そういうことからも、どのように命を終えていくかということについても、今の高齢化時代にあっては、ご本人だけではなくその息子や娘、近親者も考えていくべき時代なんだろうと思います。
―世田谷区の将来ビジョンについてもお聞かせください。
世田谷区では、〝個人を尊重し、人と人とのつながりを大切にする〟〝子ども・若者が住みやすいまちをつくり、教育を充実する〟〝健康で安心して暮らしていける基盤を確かなものにする〟〝災害に強く、復元力を持つまちをつくる〟〝環境に配慮したまちをつくる〟〝地域を支える産業を育み、職住近接が可能なまちにする〟〝文化・芸術・スポーツの活動をサポート、発信する〟〝より住みやすく歩いて楽しいまちにする〟〝ひとりでも多くの区民が区政や区の活動に参加できるようにする〟、以上9つの将来ビジョンを掲げています。これまで、医療や介護、子育て支援など福祉の話と災害やまちづくりについてお話しましたので、未だお話していない4つのビジョンについて、お話します。
まず〝環境に配慮したまちをつくる〟ということで、将来の世代に負担をかけないよう、環境と共生し、調和したまちづくりを進めます。農地、屋敷林といった武蔵野の風景をはじめ、23区内でも希少なみずとみどりを保全・創出し、その質と量の向上を図ります。また、地球環境の問題も意識し、エネルギーの効率的な利用と地域内の循環、再生可能エネルギーの拡大、ごみの抑制、環境にやさしい自転車や公共交通機関の積極的な利用などを進めていきます。次に〝地域を支える産業を育み、職住近接が可能なまちにする〟については、地域を支える多様な産業を育成し、活気のある商店街や食の地産地消を可能にする農地、環境や生活に貢献する工業技術も重要です。各分野で世田谷ブランドを創造し、区内外に数多くある大学、NPOなどの専門性や人材を生かし、又ソーシャルビジネスなどによって若者や子育てをしている人、障がい者、高齢者も働き手となる職住近接が可能なまちにして参ります。仕事と生活の両方を大事にするワークライフバランスを提唱しています。また〝文化・芸術・スポーツの活動をサポート、発信する〟については、区内から多くの人材を輩出している文化・芸術・スポーツの分野では、区民の日常的な活動をさらにサポートし、より多くの人に親しむ機会を提供します。区民が生涯を通じて学び合い、文化やスポーツを楽しみ、世代を超えて交流できる地域の拠点をつくります。そこで生まれた文化や芸術を国内外に発信していきます。更に今も残る世田谷区の伝統行事や昔ながらの生活文化も将来の世代に引き継いでいきます。あと1つ〝より住みやすく歩いて楽しいまちにする〟についてですが、区は他の自治体に先駆け、区民と手を携えて総合的なまちづくりに取り組んでおります。今後も区民とともに、地域の個性を生かした都市整備を続けていきます。駅周辺やバス交通、商店街と文化施設を結ぶ道路などを整えます。歴史ある世田谷の風景、街並みは守りつつ、秩序ある開発を誘導し、新しい魅力も感じられるよう都市をデザインします。そして空き家・空き室を地域の資源として活用するなど、より住みやすく、歩いて楽しいまちにしていきます。以上の9つのビジョンの実現に向けて区民の方々のご参加とご協力を得ながら推進していきます。
保坂展人(ほさかのぶと)氏プロフィール
宮城県仙台市生まれ。教育問題などを中心にジャーナリストとして活躍し、1996年から2009年まで(2003年から2005年を除く)衆議院議員を3期11年務める。2009年10月から2010年3月まで総務省顧問。2011年4月より世田谷区長(現在2期目)。 著書:「相模原事件とヘイトクライム」(岩波ブックレット)、「脱原発区長はなぜ得票率67%で再選されたのか?」(ロッキング・オン)、「88万人のコミュニティデザイン希望の地図の描き方」(ほんの木) 近著に「〈暮らしやすさ〉の都市戦略 ポートランドと世田谷をつなぐ」(岩波書店2018年8月)、「子どもの学び大革命」(ほんの木2018年9月) 他
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