スペシャルインタビュー:三鷹市長 河村孝氏
三鷹市の人口は、190,168人である(令和2年11月1日現在)。 太宰治や山本有三ら文豪が愛したまち三鷹市は、今もなおジブリ美術館、国立天文台、国際基督教大学など多くの人に愛され、夢と希望が溢れるまちである。2005年に「インテリジェント・コミュニティ・オブ・ザ・イヤー」で世界1位に輝いたこともあり、市民は堅実で聡明である。また三鷹市は国が目指そうとしている「地域包括ケアシステム」の根源的な在り方を追求している一歩先を行った自治体である。
時代の転換期にあって、高い志と熱い情熱を秘めた三鷹市の河村市長が自治体のトップにおられることは、真に素晴らしく、三鷹市に住んでいることが市民の誇りであり、幸せを実感できるまちなのである。
その三鷹市長・河村孝氏にこれからのまちづくりについて話して頂いた。
輝かしい未来が待っているまちづくりを市民と一緒になって持続して参ります!
三鷹市長
河村 孝 氏
―日本の社会保障制度について河村市長のお考えをお聞かせください。
私は、日本の社会保障制度については、よく言われるように、かなり独自な道を歩んでいると考えております。つまり、アメリカ的な社会保障制度と特に北欧に象徴されるようなヨーロッパ型の社会保障制度との中間を常に歩んできていると思います。
日本の社会保障制度は、アジア各国と家族制度も似ており儒教的な基盤もある等、共通項を持っている部分がありますので、アジア各国から見ると日本を目標にしやすいと思います。従って、今も多くの国が日本を視察に訪れています。その理由は、ヨーロッパやアメリカは遠いということも勿論ありますが、背景にある文化や制度が違うということもあると思います。独立自尊のアメリカ。また、スウェーデンの場合は、税金は高額ですが、社会保障が行き届いているといったほぼ完璧な制度です。日本は、どちらかというとヨーロッパ型に近いものを目指しながら、中負担・中福祉と称されておりますが、その辺りを模索し続けています。中負担・中福祉と称される日本の社会保障制度がアジアの目標になってきていると感じております。全く制度は違いますが、最近三鷹市にも中国から視察が来られました。いま中国では、富裕層に向けた仕組みが研究されており、ある意味ではアメリカ型に近いものを目指そうとしているのかもしれません。やはり、そういう意味からも、日本は独自の道を歩んでいると考えております。
―少子高齢化社会については、どのように考えていらっしゃいますか?
少子高齢化社会は、高齢者の社会保障を少ない人口の若い人たちで支える構造になります。場合によっては、少子化に対するサービスと高齢者に対するサービスの取り合いのような状況を招く可能性もあります。かつて日本の中でも、どちらに重点を置くのかといった議論がされたことがありますが、ここまで少子化が進み高齢者人口が増加を続けますと、高齢者を尊重する社会というのは成り立たなくなる可能性があります。アメリカの次は日本と言われていたかつての時代とは違います。これからの日本経済は、深刻な状況が一層進むだろうと考えております。
―三鷹市で取り組まれている地域包括ケアシステムの構築状況などお聞かせください。
三鷹市の中には7つのコミュニティ住区があり、それぞれに住民協議会があります。このようなやり方は、半世紀くらい経ちますが徐々に定着し、現在は医療も介護も地域包括ケアシステムもその7つの住区毎に全てあるという状況になりました。住民協議会と全てがイコールではありませんが、住民協議会の厚生部会と連携をとりながらネットワークを作っている状況です。半世紀前に構想していた7つのコミュニティ住区というものが、漸く実を結びつつあります。構想した当初は、その住区の中心に住民協議会があり、現在の「地域包括ケアシステム」も全てその住区が司ると理解して、それを目指してきました。しかしながら、結果的に今は、その7つの住区それぞれがテーマ毎にネットワークを形成しています。それは良い面と悪い面の両面があり、要するに行政と市民の方の活動が7つの縦割りになっているということも言えます。
いま私は、その次のステージに進まなければならないと思っております。住区単位というのは、ほぼ中学校区単位の大きさです。実際にご高齢の方、或いはお子さんがいらっしゃる主婦の方、そういう方々が歩いて通える距離は、小学校区単位です。中学校区単位というのは、ご高齢の方にとっては、少し広くて遠い距離です。半世紀ほど前、「コミュニティ」という言葉は、日常ではあまり使われておりませんでした。実はヨーロッパでは「近隣住区」という概念は、小学校区を単位としたまちづくりの考え方です。三鷹市では、これを中学校区単位で全市に展開しました。そして、ようやく今、地域のまとまりをベースにして定着してきております。しかし、地域ケアネットワークは、住民協議会、福祉施設の関係者の方々もおられる多岐にわたるネットワークですから、情報交換が中心です。その先に前進するためにも、これから三鷹市の中で深い議論をし、市民の皆さんと一緒に考えてさらにきめ細かく前進していかなければならないと考えています。
―「共助」による支援体制が機能する可能性についてお聞かせください。
三鷹市の今の状況は、以前あった町会や自治会が半分位残っております。コミュニティ行政を展開した1965年頃には、競合しているところもありましたが、いまは町会の皆さんやマンション管理組合の方々も、しっかり活動されていらっしゃいます。
「自助・共助・公助」というのは昔からある言葉ですが、中でも「共助」というのは、町会や自治会のみを指している言葉ではありませんし、その仕組みをどのようにするのかということは、かなり難しい問題を孕んでいると考えております。
去年台風第19号が関東地方に到来した際、テレビで〝野川が決壊する、危険です〟といった報道がありました。三鷹市始まって以来、避難所を10か所設けたところ、約600人の市民の方が避難されました。実際に被害があった近隣の市では何千人という単位の避難者でした。三鷹市では、99歳・100歳以上の方を市長が訪問し、敬老金を贈呈しておりますが、危ないとされた野川の直ぐ傍にお住まいで寝たきりの方を台風の数日後に訪問したことがあり、本当に驚きました。私が訪問した際には、たまたまご家族の方が来られず、ヘルパーさんだけがいらしておりましたが、その方は「自分で出来る限り自活したい。」「ヘルパーさんを付けて頂いて助かります。」と話してくれました。台風の話題は一言も出ませんでしたが、やはり今そういう方がとても増えております。その方はしっかりされておられますから、自立して、まさに自助の世界で頑張られて、自分で出来ることはすべてなさっています。ただし、自助には限界があります。また、自助だけが独立してあるわけではありません。
自助は、共助、公助とともにあり、共助、公助も同様です。まさに現場では、共助があり公助がある中で出来る限り自立しているという姿があります。また、そこには精神的な部分の「誇り」がなければなりません。その方が生涯を全うするという時に、勿論肉体面での現実的な問題もありますが、精神的に誇りを持って、最後まで自分の生涯を全うする仕組みをどのように作るかということが、大きな問題です。これに関しては、自治体レベルだけではなく、これからの地域社会において大きな問題になってくると考えております。
―介護の人材が不足していると聞きます。三鷹市において、人材は足りているのでしょうか。
私は、いわゆる「感情労働」というのは大変重要で難しい働き方だと考えております。各ご家庭を訪問されて、触れ合いながら在宅の支援を行う訳です。特に今の新型コロナウイルス感染症が蔓延している状況の中では、サービスを行う側も受ける側も「怖い」と思います。日本における新型コロナウイルス感染症の状況は、ある程度知られてきましたが、三鷹市でもPCRセンターを設置する際は、医療従事者でさえ「怖い」と言っていました。新型コロナウイルス感染症について理解している人であっても、例えば医療機関でPCR検査を受けることになれば、待合室で感染する可能性もありますし、またクラスターが発生した場合には、風評被害も考えられますので、非常に難しい面があります。人手不足という点においては、現場で働くヘルパーさんや保育士さんにしても、感染する危険性と向かい合いながら仕事をしておられます。もともと人手不足のところに、感染症の影響により益々人手不足になる傾向がありますので、その支援策を考えているところです。ただ、外国人労働者に頼るということは難しいと考えております。それに、その仕組みを今のところ日本は指向していないようです。また、高齢者を支える仕組みを全てロボットで対応出来るかといえば、非常に難しい問題を孕んでおります。従って、どのように支えていくのかが課題です。
いま三鷹市では〝高齢者のためにお手伝いしてくださる方はいませんか〟と呼びかけ、研修を受講していただき、「みたかふれあい支援員」として活動していただく取り組みを行っております。先日、講座の修了式で受講された方々へ修了証をお渡ししましたが、若い方からご高齢の方まで皆さん目をキラキラさせて意欲に満ちておられました。この制度で全ての需要に応えられるわけではありませんが、初めの一歩と考えております。
また、数年前に廃止になった「どんぐり山」という市の特養施設を人材育成の場所に活用するため、三鷹市医師会の先生や専門家の方たちとともに研究会を開催しております。先ほどもお話ししましたように、誇りを持って地域で生活してもらうためには、支える人たちにも誇りを持ってもらわなければなりません。更に三鷹市としては、在宅医療介護者が「ワンチーム」となれるような仕組みについて支援をしていきたいと考えております。理想論と言われるかもしれませんが、金銭的な問題だけではなく働き手の人たちに「誇り」を持って働いてもらうという構造を作らなければ、人は集まらないと考えております。但し、これは三鷹市だけでなく全国的な問題とも言え非常に難しい面もありますが、先鞭をつけていきたいと思っております。
―待機児童対策と小中一貫教育への取り組みについても教えてください。
三鷹市の待機児童については、令和4年3月にはゼロになるという目標で頑張っているところです。現状では、0・1・2歳に未だ少し待機児童がおり、逆に3歳以上は空きが出ている状況です。その原因については、0歳児や1,2歳児は対応する保育士の人数に違いがありますし、もう1つは一番お子さんが多かった時のピークが過ぎてしまったということもあります。しかし、今後は学童保育所が足りなくなるといった問題が考えられ、その状態が暫くは続くと思います。
三鷹市の小中一貫教育については、以前「コミュニティ・スクール」を展開した元の教育長に復帰して頂いて、以前の「コミュニティ・スクール」から、今は「スクール・コミュニティ」という構想を打ち立てて、展開し始めているところです。7つの中学校区に中学校と小学校を一緒に組み合わせて、例えば「東三鷹学園」という名称で小中一貫教育を実施しております。まさにコミュニティを学校の側から補完する形で、学校も地域の拠点にしていこうという構想です。地域のコミュニティ・センターも含めて、また、学校開放の在り方についてもどのように地域資源として考えていくかを検討しています。例えば、三鷹市内に芸術文化センターという施設がありますが、そのような文化施設で行われている音楽鑑賞を学校でも連携して行うことや、茶道連盟の皆さんにご協力いただき学校の茶道部に教えに行ってもらう等、様々な形で展開していこうと考えております。また、大学などと地域を結び付け、縦割りではなくお互いに交流していくことがとても重要です。
小学校の運動会を見ると大人の人たちが大勢集まって来られて、物凄い熱狂で元気いっぱいやっておられます。そういう姿を拝見しますと、やはり学校を地域の中にもっと開いていかなければと思います。高齢者の方々の中には社会教育等、様々な経験から高度な知識や技能を豊富にお持ちの方もおられますので、学校での活動を通してそれらを活かしてもらいたいという構想です。
―予防医療に対して三鷹市はどんな取り組みを展開されていますか?
三鷹市も他の市町村と同じような展開をしていると思います。ご質問にあるように、予防医学については、かなり前から言われ始めておりましたし、予防医学の観点から展開していかなければならないと考えております。特に柔道整復師の方々は、スポーツ選手や一般の方たちの骨折や捻挫等に対応しながら、治療を行っていると思います。また、リハビリ等により若い方からご高齢の方までサポートし、多くの方に喜ばれる仕事であると思います。5年前に私が倒れた際には、リハビリで元気になりましたが、その時〝これは元気な時には全然考えもしなかったことだ〟と感じたことを記憶しています。柔道整復師の皆さんが持っているノウハウは、ご高齢の方にも、リハビリにおいても、社会にとっても必要なことだと思います。
―昨今、地球規模で大災害が多発しています。三鷹市の防災計画について教えてください。
現在、三鷹市の地域防災計画の見直しを行っているところです。三鷹市の場合、課題が幾つかあります。その中心は先ほどのご質問にあったように、「自助・共助・公助」の仕組みをどのように作り上げるかということです。
これも先ほどお話ししたことですが、去年の台風第19号の時に約600人の方が避難されました。避難所を設置すること自体が初めてのことでした。勿論訓練は、小学校や中学校の体育館を避難所として、何度も行ってきましたが、実際に避難所が必要になったことは初めてでした。避難所を10か所設置して、全ての避難所がいっぱいにはなりませんでしたが、約600人もの方が避難される状況になりました。今回の新型コロナウイルス感染症も含め、想定していなかった災害等が毎年のように起きるかもしれないということに非常に驚きました。
災害時に重要な共助、その仕組みをどのように作るかという点では大きな課題があります。1つは、災害になった時に避難をする方たち、中でも高齢者の方たち、或いは障がいのある方たち、そういった支援が必要な方の名簿を用意していますが、実際に避難したいという人を、誰がどのように支援するのか、その仕組みをどのように作りあげるのかというところまでは未だ出来ていない、ということです。しかもこの問題に付随することはたくさんある訳です。その1つは、毎年情報を更新していかなければ対応できない、ということです。この部分については、予め担当者は決めていますが、その人たちも年齢とともに変化していきます。トリアージではありませんが、本当に支援が必要な人は誰なのかということを絞り込んでいく必要があります。おそらく避難所まで車で移動するなど、具体的な対応を詳細に決めておかなければなりません。
災害の種類や程度にもよりますが、これは市の職員だけでは十分な対応が難しいことです。災害から市民を守る責務を担う自治体として、共助の仕組みを市民一体となりしっかり構築していかなければならないと考えております。
―この度の新型コロナウイルス感染拡大に伴い三鷹市のデリバリーサービスが注目されましたね!
デリバリーサービスの支援について、発想のきっかけはいろいろありました。1つ目は、ボランティアの人たちが高齢者の方々へ給食を宅配するサービスを行っていましたが、新型コロナウイルス感染症の影響により実施できなくなったことにあります。お弁当を受け渡しする際の感染を防止するためです。その結果、給食を待っている高齢者の人たちにどのようにサービスを提供するのかという問題が生じました。2つ目は、アルバイト先の休業により収入が減少した学生をどのように支援するのか、ということです。三鷹市内には新たに拡充された大学もありますので、その学生支援をどのように行うかという問題がありました。3つ目は、飲食店を経営する方から、来店するお客さんが少なくなったのでテイクアウトのお弁当を始めたい、という話もありました。それらを統合するサービスとして、この新型コロナウイルス感染症が未だ蔓延している状況の中で、幅広く支援していこうとスタートしたのが、「デリバリー三鷹」です。今も継続しており、大変好評です。
以前のように飲食店で食事ができるようになり、学生が本来のアルバイトが出来るようになり、給食サービスのボランティアも復活してくれることを願っておりますが、当面そういう状況にはならないと思いますので、暫くは「デリバリー三鷹」を継続していこうと考えております。この取組みを通じて、様々な問題に迅速に対応できる社会、同じまちで生涯を全うできる地域社会をどのように作っていくかという視点を、失ってはいけないと思っております。
―他の対応策についても教えてください。
令和2年4月7日に緊急事態宣言が発出され、三鷹市では「新型コロナウイルス感染症 三鷹市緊急対応方針」に基づき、市民の皆様の暮らしや中小企業の経営継続に向けて様々な支援を行いました。第1弾として4月17日には、給付金の支給に向けた迅速な対応を行いました。また市税や下水道料金の支払い猶予をはじめ、食料確保が困難な方への支援として、「フードバンクみたか」や「三鷹市生活・就労支援窓口」での食料調達の支援、子どもの居場所の確保としては、児童・生徒の校庭等の利用と昼食の提供、市内公園の巡回による子どもの安全の確保、感染症予防対策の推進体制の強化を図り、三鷹市医師会、杏林大学病院など医療機関との連携を強化する等、様々な対応策を講じました。
第2弾としては、5月7日に、市民生活のセーフティーネットの確保に向けて、PCR検査センター等の設置の検討を三鷹市医師会と開始しました。相談体制の拡充を図り、また市の条例改正等を行い国の基準に基づいて国民健康保険税の減免を行いました。市内小規模事業者への給付金、また先ほどお話ししたデリバリーサービス、学生アルバイトを活用した宅配事業による飲食店の支援、保育施設等への運営支援、高齢者や障がい者の通所・訪問サービス事業者への運営支援、介護及び障がい福祉サービス従事職員の応援等々があります。
更に7月7日、第3弾として、感染者等の受け入れ体制の整備を行いました。家族が感染した市民の宿泊施設の整備、軽症者等の受け入れ病床確保の支援、また避難所での感染症対策にも取り組みました。そして先ほどお話しした避難行動要支援者の避難支援を行う町会・自治会・マンション管理組合に対して、感染症予防物資の配備と感染症予防用の備蓄品の充実等々、きめ細かな取組みを実施しました。
基本的に、国が決めた給付金の事業を実際に行うのは、全世帯の情報をしっかり把握している基礎自治体です。三鷹市では臨時の組織を作り、大変な作業でしたが職員が夜遅くまで対応してくれました。
―今後、病院で死ぬことが出来ない時代がやってくる中で、どのような地域社会を構築できるか。従来型の健康政策のみではなく、機能の集約化、住居環境の整備などまちづくりの視点も加えた総合的な施策の構築等についてはどのようなお考えをおもちでしょうか。
これまでは、医療施設等に入院してそこで亡くなることが当たり前のように思われてきましたが、そのようになったのは、実は高度成長期以降です。それ以前は、自宅で亡くなる方が多くいらっしゃいました。しかしながら今後は、在宅支援をどのようにすべきか、在宅を目指すにはその仕組みをしっかり作ることが大きな問題になってきました。
言葉では「地域包括ケアシステム」になってしまうかもしれませんが、私としては共助のネットワーク「見えない村」を作ることだと考えております。三鷹市の名誉市民の第1号は、武者小路実篤さんですが、その武者小路さんが行っていた「新しき村の運動」というものがありました。その当時、まさに自立している村を作っていくというような運動で、未だにやっている所があると聞いています。その現代版のようなものを目指したいと考えています。三鷹市のコミュニティ行政の展開、或いは地域包括ケアシステムのネットワークというのは、生きてきます。それは必ず、これまでの三鷹市の財産の上に市民の皆さんが共有出来るのではないかと考えており、実際にその共助の仕組み、見えない仕組みをどのように作るのかということが、私に課せられている使命の一つであると思っております。どこの自治体も、或いは特別区でも、似たようなコミュニティ行政を展開しておりますが、三鷹市の場合、これまで相当な議論が行われてきましたし、施設づくりからその運営までを住民の皆さんに任せてきているという先駆的な歴史があります。
ただ、高齢化が進むとよく言われることですが、「昔はお祭りの櫓1つを作るにも自分たちで作業していたが、今は難しく業者さんに委託している。」というように、運営の在り方が変化しております。やはり、活動する上で高齢化は、地域社会において大きなボディブローになっていると言えると思います。
そういったことからも、新しい仕組みを考えなければなりません。そのために市役所も変わらなければなりませんし、学校も変わらなければなりません。方向性を明確にして少しずつですが変わっていかなければならないということが、今の地域社会の中で大きな課題になっていると感じております。
予防医学的な視点において、健康であり続けるためには、出来る限り健康づくりを楽しめる社会であり、福祉の視点から見ても最後まで誇りをもって生涯を全うできる地域社会を目指したいと考えております。
河村孝(かわむらたかし)氏プロフィール
生年月日:昭和29年1月13日生まれ
最終学歴:昭和52年3月早稲田大学商学部卒業
職歴:昭和52年4月三鷹市就職、平成8年4月同市企画部企画調整室長、平成11年7月同市企画部次長企画調整室長事務取扱、平成12年4月同市企画部長、平成15年7月同市助役・副市長(平成15年7月1日から平成27年2月5日)、平成19年4月公益財団法人三鷹市スポーツと文化財団(旧:三鷹市芸術文化振興財団)理事長(平成19年4月1日から平成27年2月16日)、平成21年6月株式会社まちづくり三鷹代表取締役社長(平成21年6月26日から平成25年6月23日)、平成25年6月株式会社まちづくり三鷹代表取締役会長(平成25年6月24日から平成27年2月5日)、平成28年6月公益財団法人三鷹国際交流協会理事長(平成28年6月14日から平成31年1月31日)。平成31年4月三鷹市長(任期:平成31年4月30日から令和5年4月29日)。
現在の主な公職:市長会関係東京都市長会総務文教部会・厚生部会委員、一部事務組合等ふじみ衛生組合:管理者、東京たま広域資源循環組合:理事。大学関係東京大学大学院総合文化研究科・教養学部運営諮問会議委員。東京都の審議会等東京都:第22期東京都社会福祉審議会委員。公益財団法人等公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団:副理事長、株式会社東京スタジアム:取締役。
趣味:読書・散歩
座右の銘:持続
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