ビッグインタビュー:国立大学法人筑波大学人間総合科学研究科スポーツ医学専攻 教授 白木仁 氏
筑波大学人間総合科学研究科の白木教授は、長野オリンピック冬季競技大会日本選手団本部トレーナーをはじめ、日本スケート連盟トレーニングドクター、シドニーオリンピックシンクロナイズドスイミング日本代表チームトレーナー、アテネオリンピックシンクロナイズドスイミング日本代表チームトレーナーとして活躍。また日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナーマスターであり日本ゴルフ協会競技者育成強化本部シニアディレクターを務める等日本のスポーツ界にとって、なくてはならない方である。
誰よりも謙虚である白木教授の学生に対しての教育信念は、現場で活躍のできるスポーツ科学の専門家を養成していきたいとしている。
スポーツに対する熱い思いとAT(アスレティックトレーナー 以下、AT)について話していただいた。
スポーツ医科学教育で幅広い知識と技術を備えた指導者の育成とATの地位の向上を目指しています!
国立大学法人筑波大学
人間総合科学研究科
スポーツ医学専攻
教授 白木仁 氏
―白木教授は第28回日本柔道整復接骨医学会学術大会の実践スポーツ医科学セミナーのシンポジストとしてソフトバンク監督・工藤公康氏と一緒に登壇されていらっしゃいましたが、工藤監督との関係等を教えてください。
工藤公康氏とは、もう長い付き合いになります。一番最近の話をすると、実は工藤公康氏は当大学の修士を取りました。3月25日に論文発表と最終試験も終わりましたので体育学修士になりました。筑波の大学院1年生の時に王さんにソフトバンクの監督をやって欲しいと頼まれて、休学して監督をやることになりましたので、ちょっと長くかかりました。それが5年前で、王さんが悪いんです(笑)。まだ監督をやっています。先日、僕も宮崎のキャンプに行ってきました。
最初の出会いというか切っ掛けは、彼が28歳の時でした。福林先生がラモスさんをよく知っていてそこのトレーナーが〝工藤公康という野球選手が肉離れで困っている〟と福林先生に相談されて〝肉離れなら白木だろう〟と。僕は野球をしたことがなかったため最初はお断りしましたが、1度来られて、僕らは陸上で肉離れをしょっちゅう診ていましたので、これは肉離れでも軽傷だなと思いました。〝じゃトレーニングをしよう〟と言って、最初彼は、痛いと治療をするのが当たり前で、トレーニングをして治すという感覚はなかったようです。つまり30年位前は、スポーツ関係者に「トレーニングをしながら治す」という概念はありませんでした。〝トレーニングをしたら痛みがとれてくるよ、これとこれとこれでやってみて〟と言って、其処は彼の凄いところで、良い悪いではなく、言われたからやってみようとやってくれました。2週間経って〝先生、治った〟と。ふざけるなと思いましたが、1時間位のメニューを1日2回午前、午後に行ったと言うのです。そんなに治したいと思っていたことや彼が「トレーニングで痛みがとれる」ということを実感して、そこから僕のトレーニングをしたいという話に繋がります。
丁度その頃に肝臓を悪くされ、また結婚もされて、今は俳優をされている長男が生まれたばかりの時に奥さんと一緒に僕の所へ来て〝野球を長くずっとやりたいのですが、先生、面倒みてもらえますか?〟と言われたことから始まりました。僕らは公務員ですので、現在のように産学連携はありません。〝お金はもらえません〟と話したところ、〝トレーニングをしてもらうのに何故お金を受け取れないのですか?〟と驚かれました。10年以内で終わったら年俸として研究費をもらいますと。その代わり、10年分の筋力トレーニングやMRIのデータを全部渡して、またそのデータを僕にくれるのであれば面倒みますとなって、僕のトレーニングを始めることとなりました。
当時僕は、未だ35、6歳でしたからバンバン走って〝なんだついてこれないのか〟みたいに言って、死のトレーニングが開始され、100メートルを30本やりました。彼は殺されると思ったそうですが、やはりその辺の選手ではない、素質が充分あるので、走っている内に〝先生これは投げるのと一緒だね〟と。こいつは走りながら一体何を考えているんだと思いました。そうやって走り方を全部教えていって〝こうしたら9イニング投げられるよ〟と言って、持久力と筋肉も一緒につけていきました。しかし、僕は申し訳ないけど肩のことは解らないから、肩のトレーニングはしないということで、本人任せでした。丁度「インナーマッスル」という言葉が出た頃で〝こんなのもあるらしいぞ〟〝これは、どうやってやるの?〟みたいに2人で議論しながら作り上げていったのが彼のトレーニングです。
―数々のオリンピックチームの指導をされていますが、どういったチームのトレーナーとして指導にあたられたのか、特に印象に残るチームや選手のことも聞かせてください。
井村雅代コーチと一緒にやった時が凄く面白かったです(笑)。工藤公康氏とずっとやってきたことをそのまま出来ました。やはり、それは井村コーチが優秀なコーチだからです。競技種目は異なるけれども、井村コーチが具体的に〝この選手をこうしたいんだけど、こうしたらこういう演技が出来るから、こういう力はつけられますか?〟と、言いに来るんです。〝じゃ、これをやってもいいですか?〟と言って、動かし方のコツもありますし、いろんな種目のやり方に応用する等、それを行っていったところ、どんどん強くなっていきました。〝先生凄いね!〟って、井村コーチは僕のことをピノキオを作る「ゼペット爺さん」と呼ぶんです。〝人間をちゃんと一個一個作っていってくれるよね〟と。本当に有難い話です。
実は、最初はスピードスケートからなんです。今、小平奈緒のコーチは結城匡啓さんといいますが、僕は結城君がスピードスケートの選手の時に一緒にトレーナーをやっていましたので、工藤公康氏のトレーニングにも結城君が来てくれていました。スピードスケートをやりながら、工藤公康氏もやりながら、素質のある選手は全然違うということが解りました。結城君も筑波大学の卒業生で、博士の学位をもっていて、今は信州大学の教授です。長野オリンピックのスケートの代表選手に対し〝こうやったらどうだ〟と結城君が教えて、体のチェックは僕が行っていました。レース前にはどうする、レース後はどうするということをシミュレーションしていました。その時のいろいろな失敗とか成功を含めて小平奈緒の指導に繋がっていくんですが、結城君って凄いコーチです。僕らはコーチではないので、そこをサポートする人材としているので、コーチを立てる役です。コーチングをよりスムーズにするためにどうするかということをやるのが僕らの仕事です。
―ATの資格や役割について変化等ありましたら教えてください?
僕らも日本スポーツ協会の資格制度に絡んでおりますが、医療の側面が強くなりすぎているように感じています。柔整の方も鍼灸の方もいらっしゃいますが、PTの方が多くなって、PTは運動療法とか物理療法等を行いますが、どちらかというとあまりスポーツをしたことがない人が入ってきますから、スポーツ現場に直面した時には少し面食らう方も少なくありません。かつ、スポーツの技術にしても自身の感覚として捉えにくいものです。そのために、スポーツ現場で選手と共に活動するということが難しいところもあります。僕らは体育学部出身で、元々が選手から入っていますし、大学で教育もコーチングも受けているので、選手の何処を観たら良いかを大体分かって入っています。当然ですが、選手を強くするためには、一番は怪我をしないことです。怪我をさせないようにして、トレーニングを行い、そこにケアが入ってきます。ケアの主は、柔整・鍼灸・マッサージです。
―医の側面が強くなってきているということは?
スポーツには、怪我が多いということと、役割、役職としては一番ドクターに近い位置にいるのがPTです。ドクターは、やはり使いやすいPTに〝あと、やっておいてよ〟というだけですし、またそれがPTの職務ですので、どうしてもそうなってきて、ドクターの所で選手が治療を受けた後に〝トレーナーがいないのであれば、うちのPTは中学校の時にスポーツをやっていたらしいからやらせますよ〟と。しかしトップアスリートって、そんな話ではない。しかもスポーツを観ることができて、PTの業務をやれる人は中々いない。今は、PTが増えたので、スポーツを専門にやられてきた方もいますが、そうでない方も選手を観るようになってきています。うちの大学院生にもPTはいます。本当にやりたかったら、もう一度体育学部に入ることが望ましいと思っています。
―パラリンピック選手のケアやサポートというのは如何なっているのでしょうか?
やはりパラリンピックとオリンピックとは、基本的に違います。特にパラの選手達というのは、結構自分で自身のコンディショニングを行う方が多くいます。しかし健常の選手達、特にオリンピックに出るようなエリート選手達は非常にデリケートで、様々な専門家からサポートを受けています。ATの専門性や技術が低い場合は、〝あんたは要らない〟というようなことになってしまいます。すなわち、高い能力を持ったATのみが必要となってきます。一方、パラのほうにトレーナーサポートという形でつくのは大変な勉強になりますが、付くのは良いんですが、お金は出ません。いくら資格を持っていて、優秀であったとしてもパラの選手に付いて、たとえ金メダルをとれたとしても刹那的な話で、その後のサポートは、資金面から見ても続きにくいのが現実だと思います。恐らく2020オリンピック・パラリンピックが終わっても、予算的には、減少するでしょう。予算がついたとしても、パラの選手一人に対して何人スタッフが必要なのか。様々な種目がありますので、そこにお金をかけたら財政破綻をします。医療や年金でさえ削減しようという時に、どうやって予算組みがなされるでしょうか。収支関係を見ていくとパラの方々にはやはりボランティアベースでの活動にならざるを得ないと思います。
基本的にボランティアの方達は自分の余った時間をやりくりしてイベント、競技に対応していると思いますが、選手のほうはいつもサポートしてくれることをどうしても望んでしまいます。其処のギャップを選手も理解していれば、ボランティアの方でのサポートはこれからも繋がっていくと僕は思っています。ただし、これが職になるということは凄く難しい問題を孕みます。というのは、パラ選手がお金をとる、即ちプロです。プロパラ選手が出てきた時に何処がその人をどこまでサポートしていくか。オリンピック・パラリンピックで、今は盛り上げていますが、その後のレガシーを残さなくてはいけないのですがかなりの困難があると思います。企業はその後の支援、CMは減少するでしょうし、予算的にも厳しくなるのは必然でしょう。僕らがスポーツ競技の世界を俯瞰してみるとオリンピックも縮小され、世界一を決めるのは世界選手権だけになっていく可能性が強いと思います。現実に、サッカー、ラグビーなどのプロ競技では、オリンピック以上の価値を世界選手権が持っているものもあります。パラリンピックも水泳であれば、パラ水泳の世界選手権が世界一を決める舞台となるでしょう。パラ水泳の面倒をみますという本来のボランティアの方が増えていくことによって実施されるのが本来のパラの世界大会であり、オリンピック・パラリンピックのレガシーではないでしょうか。だからそこをサポート出来る体制を僕はずっと続けるべきだと思いますし、パラの灯を絶対消しちゃいけないんです。子供達がパラリンピックにかわる世界選手権に〝将来出てみたい〟〝勝ってみたい〟と志した時の希望を閉ざしてはいけないんです。
―科研費、研究費等についても教えてください。
いま大学は金を取ってこないといけないので、この研究を行うことで、儲かるかどうかにかかっています。この研究をしたことによって、何が益を取るか。益を取る時に企業と連携をするというのが、今のパターンです。企業と連携して凄く良ければ国がポーンと出してくれます。その最初のとっかかりが企業連携です。こういう研究をしていて、これは非常に価値があるんだ、こういう技術で行って、これは将来こうなりますという風に資料を作成し、提出した時に「これは面白い」となれば、国が科研費を出してくれます。企業も良い所と繋がると、例えば、大企業と繋がれば多分研究費は何億でしょう。そうすると企業も儲かりますが、国の力になる訳です。国は財政難なので企業と上手くやってくれとしているのです。
いま僕らは国家公務員ではなく国立大学法人により半官半民です。この辺のシステムがもの凄く変わりました。しかも文科系では科研費はほとんどとれません。これは酷い話で文部科学省を見れば分かります。文部科学省は一番お金をうまない省庁ですから、使い捨てという風に見られています。厚労省は国民を守り、経産省は、金を産む省庁ですから結果がすぐに見えるために、比重がかかるのはよく分かりますが、本来一番予算がつくのは、次の世代を育てている文科省な筈です。つまり、僕らの国立大学法人というのは文科省なのでお金を産まない。〝研究費を使ってあんた何をしたの?〟って言われます。〝実験してこういうことが分かりました〟と。〝それで、何に役に立つの?〟〝百年後に〟って言ったら終わりです(笑)。そういうシンギュラリティというのは、やはりこういう中に居ないと育たない。〝あ、これやってみるかな〟というのもある訳で、それをバックアップしてくれる企業は何所だろうと選ぶのは結構大変です。いまスポーツの世界であれば、例えば、マラソンのスポーツシューズメーカーの靴のような特許、やっぱり道具などの開発ですね。
―また白木教授は接骨医学会で長きにわたってスポーツ医科学に関して指導的立場におられますが、接骨医学会ではどのような目的を持ってやっていらっしゃるのでしょうか?今後追及すべきテーマ等ございましたら、お聞かせください。
学会というのは、世の中の何かに対してイニシアティブを持つところです。例えば医師の学会でも、今猛威をふるっている新型コロナウイルスに対して、こういう方向で行きましょうという指針を出すのが学会です。柔整の学会の場合、本来は「捻挫・骨折・脱臼」です。従って、これをメインとして「どういう治療法が良いのか」、「無血療法でどの方法だと回復していくのか」について疫学的にも状態を見ていく等、そういう研究を行っていくべきで、それらの研究結果をスポーツにどう応用していくかを示し検証することが接骨医学会でのスポーツ分科会の役割ではないでしょうか。また、僕は接骨医学会の中でスポーツを前面に出すことをあまり好んでいません。研究をやられている方々の治験を上手く応用するために、今のスポーツは如何なっているかという情報を与えるのも分科会だと思っています。〝今こうなっていますよ〟というスポーツのトレンドを学会で伝えていくことが大事だと考えています。
現在でもそのような論文は見受けられますが、スポーツに応用したらどうなるかという論文が出てくると良いと思っています。当然、骨接ぎの歴史も絶対必要で、やはり本質をキチッとやっておかないと足元をすくわれてしまいます。メインの「捻挫・骨折・脱臼」というものにキチッと目を当てて、骨折・捻挫・脱臼を早期に治療をしたらどうなるかとか、或いは放置しておいたら如何なるかを追及する。いろんな治療法がありますから、これをやるとこうだという治験はありますが、徒手療法なのでマニュピレーションがどういう影響があるかについての研究もあると良いですね。目の前で見せてもらったり、やってもらったりしましたが、治療家の皆さん本当に上手いです。そこからスポーツに如何活かしていくかといった時に、練習前に行うのか練習中に行うのか、試合の何分前にやるのか実験的にやってみたほうが本当は面白い。それが柔整の生きる道でもある臨床研究だと思います。
―いま、(公社)日本柔道整復師会では、「匠の技」を一生懸命やっています。これについて白木教授はどんなお考えをおもちでしょうか?
それをエビデンスにすれば良いので、もう十分出来ます。そこをキチッとやっていけば、例えば捻挫の治癒過程をMRIで追っていけば良いのです。筑波にはMRIが3つあります。本当にやるのであれば〝やりますよ〟って今は手を挙げられます。MRIで日々の変化を捉えるんです。実は今、僕らはこれをスポーツマンで行っています。うちの院生が行っているのは、足根骨の動きを見ています。捻挫をする時に例えば外反、内反の時に足根骨はどういう挙動を示すか、如何回転するかまでデータを出しています。研究に関しては、疫学者や科学者がメンバーに入っていないともう対応出来ない時代になっています。
―白木教授の研究テーマに、スポーツ競技選手が競技力向上をするためのベーストレーニング、スポーツ外傷・障害を予防するためのトレーニングやコンディショニングの方法を構築するための研究、スポーツ外傷・障害から競技復帰するためのアスレティックリハビリテーションの研究、 スポーツマンのコンディショニングを担うアスレティックトレーナーの役割、能力、社会的位置づけに関する研究等を上げていらっしゃいますが、ATの地位が向上するためにはどんなことが求められますか?
実は、毎年僕は、大学院生に僕らの授業を受けて「1年間でATに対する考え方が如何変わったか」というテーマでプレゼンしてもらいます。大学院生は、資格を持っているものが多く、PTもいますし、柔整・鍼灸・マッサージもいます。体育大学から来る学生もいますが、やはりスポーツ医学研究室には、トレーナーをやりたいと入って来ます。プレゼンの内容は、ATは、職としては成り立たないだろうというのが今の現実で、学生達も其処はよく分かっています。僕らがATの質の向上、或いは地位の向上といったところで、AT自体が社会の中で必要なければ地位の向上もあり得ません。
怪我した選手の初期の治療は医療機関で、リハビリの主たる担当はPTですから、PTがやってくれることが第一です。しかしながら医療の現場からスポーツの現場に行った時に〝はい、歩けるようになりましたよ。今からサッカー出来るようにしましょうね〟って、これはトレーニングなんです。今はこれもATの役割となっていますが、僕らは「コンディショニングコーチ」と呼んでいます。コンディショニングということは、その選手の痛みを軽減させて、筋力や持久性、柔軟性の向上等をはかって競技に戻す。ATと称されていますけれども、本当はコンディショニングコーチです。コンディショニングコーチは、トレーニングの専門家であってコーチングの専門家でもあって治療の専門家であって欲しい。現場ではそういう人間が必要とされており、これは絶対に雇われます。つまり、PTだから雇われるのではなく、そういう人材が雇われる時代になってきているので、その時に資格がPTだったり柔整だったり鍼灸だったりするのです。どうしても現場で必要なのは前述したコンディショニングコーチですから、その人が怪我の処置も行えるとなると怪我に関して強いのは、やはり柔整です。絶対外傷に強い。申し訳ないけど、PTではないのです。
現場でやるには僕は柔整だとずっと思っていて、柔整・鍼灸・マッサージを持っていたらそれで十分ですが、プラス体育大学を出てほしい。そういう人が現場に来てくれると、これは使えます。なんでもできる便利屋さんなんですけど、これが本来のトレーナーではないでしょうか。
―ATの方の将来のことを考えるとルールや組織を作って規定を設けるべきと思いますが、何故約20年経っても出来ないのでしょうか?
日本のスポーツは、根底に学校体育があります。学校の先生が無報酬でクラブ活動を教えているからです。学校には、課外活動が設けられており、これも教育の一環として捉えられています。そのため、課外でスポーツを教えることは、教育の一環なので、先生が生徒を指導するときには、その指導料は、給与に含まれているといった考えなのではないでしょうか。
クラブ活動を指導する先生の労力は、土日も皆勤という並大抵のものではないために、ボランティアというひと括りになってしまっているようです。しかし、プロコーチとして〝サラリーをもらいます〟と言った時にコーチの能力のみで、職に就くことは、プロ野球やサッカーなどは除いて、安定したものではなく、学校の教師と何が違うのかと批判されてしまうこともあります。さらに、プロ野球のコーチになるためには、サッカーのように講習会も試験もありません。特にチーム成績が不振な時は解雇されてしまうこともあり、コーチ業としては不安定です。それについても工藤公康氏は〝コーチ制度を作りましょう〟と言っている訳です。
例えばA級であれば1000万以上、S級であれば1500万以上という年俸で「最低限これです」というのを作りたい。それをプロ野球で行えれば全部に波及します。ただし、サッカー協会にはあります。チーム事情でお金はコミットされていますが、トレーナーに関しても一応はあります。またPGAプロゴルフ協会は、A級とB級のインストラクターを養成しています。其処へ僕も講義に行っています。実は、最初僕らもカリキュラムに参画しました。カリキュラムにコーチングの基本もあります。ゴルフの場合は、そのインストラクターを取るとPGAプロゴルフ協会公認のインスタラクターという看板をかけられます。ただし、サラリーは決まっていませんし、この資格がなくてもやっても良いことになっています。医療ではないので、其処までは規制していません。
―やはり、接骨医学会学術大会のスポーツ医科学セミナーにおいて、〝選手を大事にする。大勢のスタッフなどがいるので決まりごとを決めておくことも大事、心技体が大事だが、栄養のことなども大事〟等、述べられています。それらについて、もう少し詳しく説明していただけますか?
僕は選手をどんな子供でもリスペクトしているんですね。やはり競技に出て、人と戦い、自分自身に挑戦する、これはもうどんなに小さくてもやはり選手なんです。僕らはその選手達を上から目線で見てはいけないのです。甘やかす訳ではなく〝偉いね〟という一言があった上で〝もっとこうしたらもっとこうなるよ〟ということをやらなければいけないので「選手をリスペクトする」ということは、教育です。僕らは選手が大事で手助けしているだけ、切っ掛けづくりだけです。その切っ掛けを作るために勉強しているのです。それを教えていくのが教育です。選手との信頼関係、即ちリスペクトする。〝これはこうだ〟ではなく〝これはこうやってみようか〟みたいに言葉一つで変わります。
栄養に関しては、サプリメントが選手の必需品なっています。これは、家庭での食生活が変わったからではないでしょうか。昔であれば、食べに行く所がなかったけれども今はコンビニで食べられます。便利になった反面、お母さんが家に居ないことも多い。家に帰って来たら「ご飯がある」というそんな理想的な家庭は少なくなっているのではないでしょうか。それに対して選手も同様で中高の時に両親共働きであれば、コンビニ弁当です。いま学生達はみんなコンビニ弁当です。コンビニ弁当は以前よりずっと良くなっていますが、栄養学を知っていると、今日はこういう料理だけど、これにサラダをつける、ヒジキもつける、少し高くなってしまうけれどもというイマジネーションを持たせることが大事で、知恵を与える栄養学です。昔は好き嫌いがあると怒られました。今は〝選手になるんだったら、これ食べたほうが良いよ〟っていう言い方をするんですが、本人も分かってくれます。理想だけを言ってもダメな場合もあるので、栄養士の先生にその子たちに合うような、コンビニ弁当でも何とかやっていける方法は無いか等そういうラインで話してもらっています。
もう1つ大事なことは〝こういう場合、如何したらいいですか?〟〝この薬はドーピングに引っ掛かる?〟と選手は僕らに聞いてきます。ドクターが居る時は良いけれども、居ない遠征もありますので〝何かあったときは連絡して良いですか〟〝いいですよ〟と。そういうドクターや薬剤師とのネットワークが無いと僕らはやっていけません。
―〝医療・医学の進歩に伴い、医学的なエビデンスが山ほどあって混在している。多くの治験を捉えて、体を診る時に何が大事かを捉えて選手にあったオーダーメイド的なトレーニングも必要である〟と仰られました。山ほどあるエビデンスの中から選ぶというのは、どのようにされるのでしょうか?
どういう人を対象に被験者にしているかです。一般の人を対象にしたものではトップのアスリートに当てはまらないことが多いのです。つまり、一般のスポーツにはこの方法で効果があるけれども、トップのアスリートにあてはまるか、あてはまら無いかを見極めるためには、いろんなエビデンスを知っておいてやってみるんです。「これだ」と決めてはいけない。「○○法が良い」として、それだけをやるのは、ダメです。例えば筋力を高めるために、どの方法が良いのか、この選手にはどれがヒットするんだろうというのを与えてみて、〝これどう?〟と聞いて、〝これ良いかもしれないですよ〟とやっていかなければ、トップアスリートというのは本当に集団の一部なので、ある実験でエビデンスがあっても、この選手には合わない場合もあります。どのレベルの被検者を対象に行ったのかを見れば、この研究は使えないというのがあったり〝これ面白いな、やってみるか〟と、それを見極められるトレーナーがいて欲しいんですが、そんなには居ませんし、研究者でなければ分からないところもあります。
つまり研究と現場を繋いでいないと分からない。僕らはアブストラクトの内容だけを見て、これ面白そうなんだけど被験者に何を使っているのか、統計に何を使っているのかを調べて〝これ使ってみるか〟といったことが出来ますし、僕らはこの大学のバックグラウンドを持っているから言える話で、本当に有難いです。そういう意味では僕らが発信して〝これは、こういうことですよ〟と伝えて、こういう風に使われているんだなということが現場で分かれば、1つの方法に固執しなくても済む時代になります。いま野球に関する最新情報を海外のものも含めて全部集めています。それで使えるか使えないかを見極めて、工藤公康氏も現場でやってくれますので、それを出していこうかなと考えています。
―同じくセミナーで会場の先生から〝良いところをつまみぐいして近道を見つけるのは、どうしたら良いのか?〟という質問に、〝選手本人がトレーニング方法が解らない。また高校には指導者がいない。スポーツ有名校の知識は凄い。などの認識が高校生は持っているかもしれませんが、大学に入ってきたら、学生達にこの方法だということは教えない。選手自身に判断させる。迷っている時にアドバイスを行う〟等お答えになられていましたが、今の高校生は専門の学校に入らない限り、キチッとした指導を受けられない状況に置かれているということでしょうか?
大学に入った時には、方向性だけを示してあげれば良いのです。先述しましたように大学に居る先生は必ずエビデンスをもたなければいけません。
結局「良い指導者って何なのか」というところが問題なんですが、子どもの動きを見極められるくらい経験則の多い指導者にみてもらうのが、僕は一番良いと思っています。僕も高校3年生の時に初めてみてもらった先生のお陰で110mハードルの記録が1秒縮まりました。1秒って凄いことです。この人に最初から教われば良かったと思いました。その方はかなりご自身の実績もありましたけれども、生徒をずっとよく見て、必ず生徒のほうを向いている先生でした。やはりコーチの指導力でどうにもなるんだなと思いました。中高でも鍛えるだけではなく、その子を見極められるコーチが居てくれたら良いと思いますし、そのためにもオリンピック選手がジュニアの指導者になってもらいたい。コーチや先生達には申し訳ないけどお金がかかるかもしれませんが、試合や練習のライブを観てもらいたい。例えばサニブラウンの走りを目の前で見るなど、そういうチャンスを得ることが子供達に対して重要な良い指導に繋がると思います。
私自身も選手の動きをライブで観れたことはトレーナーとして活動する上で、重要な経験となり選手を観る上でも一瞬でその動きの状況を判断できるセンシティビティを得たと思ってます。片山晋呉選手やタイガーウッズを目の前で見させていただいたり、スピードスケートもオリンピックに帯同したり、ワールドカップ等も現地で見ていますから、自分なりに感覚で分かって〝わーこれ楽しいな、凄いな〟って思えるんです。大学に勤めているにかかわらず大学の教授陣が私を遠征に行かせてくれたことと国への感謝がいっぱいで、今はもう有難うしか言えません。本当にセンシビリティを磨かせて頂いたことにより、様々な種目の選手の状況はある程度のことは見えてくる訳です。コーチと話をして〝この子はこうだからこういうことしてみたいんだけど如何思う?〟って、聞かれます。〝うーん、こっちのほうが良いと思いますけど、どうですか〟みたいな会話をしていきながらコーチも勉強してくれます。僕はいつも選手は凄いなと思っていて〝こんなことしたいけど出来ないよなあ、でもやってみる?〟と伝えて其処の興味はちゃんと持っていないと選手を教えることは出来ないのではないかと思っています。
―2020オリンピックで柔道整復師や鍼灸師の資格免許を持ってATになられている方は、長野の冬季オリンピックのようにアスリートのケアは出来ないのでしょうか?
実は去年の5月にIOCが認めました。日本の柔整、鍼灸マッサージ、作業療法士、日本スポーツ協会のAT、アメリカのAT、これら全て応急処置を行えるPT班に入ることになりました。僕はゴルフのPT担当で、ゴルフの選手向けの応急処置班は、ドクターと柔整のATです。殆どの種目にPTも入りますし柔整も鍼灸も入ります。ゴルフの場合、カートで動くんですが、ドクターと柔整が一緒に乗って選手が怪我した場合には、ドクターが応急処置として必要であれば〝脱臼整復してくれる〟と言えばできないことはありませんが、2020オリンピックでは競技現場では、基本的に応急処置しかできないことも申し加えておきます。去年の5月前までは確かにダメでした。5月に僕のところに直ぐ連絡が来ました。ゴルフに関しては、柔整の先生は杏文学園をメインに皆さんが何十年もやってくれていましたので、絶対、活動してもらいたかったのです。スポーツに関わっているPTがそれほど居ないため、IOCが特別に認めたのです。このメンバーは医事委員会に登録され講習を何回か受けて、後は現場でのシュミレーションを6月の末に行って実際のオリンピックに備えることになります。
―いま、新型コロナ感染者増加で世界中パンデミック状態にあると思いますが、事態が収束しないと2020東京オリンピック・パラリンピックが開催できない可能性も言われております。白木教授はこのことに関してどのように思われていらっしゃいますか?
早く終息してくださいと、もうそれだけです。収束して減りだしてくれば良いと思うんですが、このままでいくと恐らく中国選手団が入れないでしょう。それをやると一時的ボイコットになってしまいます。それだけは避けたい。デッドラインを決めないで、最後の最後まで待つのではないでしょうか。
白木 仁(しらきひとし)氏プロフィール
1957年1月15日、北海道生まれ。
1979年、筑波大学体育専門学群卒。1982年、同大大学院体育研究科体育学修士修了。大学院に進学するとともに、専門学校で柔道整復師の資格を取得。1991年、筑波大学体育科学系にてスポーツ医学講師。現在、筑波大学人間総合科学研究科スポーツ医学専攻教授。筑波大学体育センター長。
主なサポート歴
本陸上競技連盟医事委員会トレーナー、日本スケート連盟トレーニングドクター、シドニーオリンピックシンクロナイズドスイミング日本代表チームトレーナー、アテネオリンピックシンクロナイズドスイミング日本代表チームトレーナー、長野オリンピック冬季競技大会日本選手団本部トレーナー、日本プロゴルフ協会技術委員、日本ゴルフ協会競技者育成強化推進本部シニアディレクター、日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナーマスター
その他
プロ野球選手の工藤公康投手、プロゴルファー片山晋呉・村口史子選手、スピードスケートの清水宏保選手、アテネオリンピックシンクロナイズドスイミングデュエットの立花、武田選手、その他多数
著書
スポーツ外来ハンドブック(南江堂)、スポーツ外傷・障害とリハビリテーション(文光堂)、コンディショニングの科学(朝倉書店)、スポーツ整形外科(メディカルビュー社)、アスレチィックトレーナーのためのスポーツ医学(文光堂)、ゴルフストレッチング(新星出版社)、スポーツマッサージ(成美堂出版)、ゴルフカラダを作る(ゴルフコンディショニング)(新星出版社) 、驚異の1分間コアトレーニング(学研パブリッシング)、トップアスリートがなぜ「養生訓」を実践しているか(PHP新書)、その他20冊以上
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