患者代表インタビュー 『患者と柔整師の会 菅道子 氏』
2010年、『患者と柔整師の会』が設立され、その活動が4年目に入った。これまで保険者をはじめ多くの方々に国民の声を伝えてきた。この度、インタビューした菅道子さんは接骨院の患者さんではあるが、マッサージ師でもある。
菅さんに、接骨院本来の役割から看取りの話まで、そして今後の日本社会がこうあって欲しい、日本国民は今後こうあるべきではないかという、まさに深くて尊い国民の真の声を代弁していただいた。
地域住民の健康と生活を支えてこられた柔道整復師の業務内容と役割を今一度見直して頂きたい!!
患者と柔整師の会
菅 道子 氏
―菅道子さんが『患者と柔整師の会』に入られたのは、何時頃でしょうか?
『患者と柔整師の会』があることを知ったのは、去年の暮だったと思います。パンフレットを見て、これは入らなきゃいけないと思いました。それで今年になって入りました。ガイドライン委員会に出席するようになりまして、3回出席しました。柔道整復師の治療に健康保険適用がされてやっていけるためには、相当なことを切り替えないとダメじゃないかと思っています。高齢化や医療費の巨大化等の問題をかかえる中で日本の伝統に根ざしたこういう医療の役割は重要だと思います。
ただ、お金や物中心に動く世の中の流れではダメになってしまうのではと危機感を持っています。
―道子さんが接骨院にかかられた経験など教えてください。
接骨院にかかった経緯はもう30年になります。私は、先天性股関節脱臼で生まれていて、今は杖がなくても歩けるんですけど長く歩く時には一応杖を持っています。赤ちゃんの時に東京の整形外科で治療を受け半年くらいギプスをかけて、それから半年ほど、母がマッサージに通って、なんとか治ったんです。一応治ったということで、子どもの頃は特別支障なく育ったんですが、20歳頃にスキーをやっていて、どうも右のターンが上手く出来ないということで気が付いて、大学病院で検査を受けたところ、変形性の股関節症という診断所見で〝遠からず痛みが出るでしょう〟と、言われました。その後、やはり痛みが出てきて〝子供産むなら早いほうが良いですよ〟とお医者さんが言われるように、痛みがどんどん酷くなっていきました。当時、私は大学の職員で勤務していましたが、勤めの行き帰りも大変になり、出産した後にガクンと痛くなって、その時にはそれこそ鍼灸やマッサージなどいろんな施術を受けました。大学病院にも慶応と医科歯科大と女子医大の3軒に行きました。それで、とても評判の良い女子医大の先生に執刀をお願いして手術の予約をしていたんですが、丁度、その時に接骨院に行くことになりました。というのは、勤務先の大学で同僚の弟さんが交通事故で股関節がすっかり壊死してしまわれて、手術をして、装具をつけて一生地面に足をついちゃいけないという状態だったそうです。それが接骨院の先生の所でちゃんと歩けるようになったということを聞きました。その同僚が〝手術をするのも良いだろうけど、切る前に一度だまされたと思って行ってみたら〟と連れて行ってくれたのが切っ掛けです。とても流行っている大学病院の手術待ちは3か月で、その時私は杖がないと歩けないような状態だったんですけど、その間に痛みなく歩けるようになりました。それはとても不思議な体験で、人間の痛みは単純なものではないなと思いました。それから手術をキャンセルして今に至っています。
―その接骨院にはどの位通われたのでしょうか?また治療はどんな治療を受けられましたか?
接骨院が遠方でしたから週末に通いました。電気治療などもありましたが手技中心でした。私はカイロとかいろんなものを受けていて、良いなと思うことも時々あったんですけど、その接骨院で1回受けたら何かが違っていたんです。なんにも大したことをする訳ではないんですが、背筋がシャンと伸びたような不思議な感じがして、通っている内に大分良くなって、それで面白くなって頼もしく思いました。2か月位経った頃に手術をやめようと決めました。私の場合、子供のころからですから慢性もいいところで(笑)。それなので私の話はJBさんの活動等にあまり役に立つ話ではないかもしれません。痛みは怪我と関係があるかどうかも分りません。もしかして出産の時にはずれたんじゃないかとお医者さんに言われました。歩きだすまで母は気がつかなくて、ヨチヨチ歩きで、お爺さんが〝ちょっとおかしいよ〟と気が付いてくれたそうです。その後、歩行器で歩いていた時に縁側から落ちて、一日中泣いていたことがあったそうです。だから母はその時に外れたんじゃないかと思ったそうです。そうであれば怪我が原因である可能性はあると。
日本の伝統的な柔整師さんというのは、脱臼や骨折だけでなく色々な痛みを治したみたいですね。大勢の人を診ますからそういう意味では経験からの判断もできますし、あと柔道をやっているため身体に関して物凄く直観的なものを持ってらっしゃいます。そういった直観的な指導力というものが備わっているため、お医者さんとは違った指導ができると思います。
―道子さんから見て、整形外科と接骨院の違いはなんでしょうか?患者さんから見て両者のメリット、デメリットなど教えてください。
様々な違いがあると思います。基本的には整形外科というのは現代の西洋医学で、私のイメージとしては接骨院というのはどちらかというと東洋的な怪我の治し方であると思うんですね。多分実際は西洋医学の教育しか受けていない先生たちがいるから、現代の新しく出来た接骨院は、違うのかもしれません。ただ、私の思っている伝統的な骨接ぎのイメージというのは、どちらかというと東洋医学だと思います。柔道が必須科目になっていることからも、体を理屈ではなく手で感じられる人が行うものであると思っています。ですから治し方も昔ながらのやり方で、レントゲンも使わず、しかも薬や注射や手術をせずに「人」を五感で診てくれる、そういった違いがあると思います。お医者さんでは責任も大きく、現代の科学で証明できる理論や体系、常識に基づく治療をするので、手術をすすめられることになるような骨折や関節の変形も、接骨院で手術なしで治ることもあるのです。未来の科学では証明できるようになるかもしれませんが・・・、それぐらい人間の治る力って未知で、そして治療はもっと未知かもしれませんが、お互いの気の合い方とか信頼関係だとか、心を開いているか閉じているかということもきっと関係があるのでしょうね。
―道子さんご自身は医療全般に何を望まれていらっしゃいますか?国民の求める医療というのは、どういった医療でしょうか?
私は、6年前には父を、今年のお正月には母を亡くしました。私も60歳を過ぎたのでそういう時期に来たということなんですが…。別に病気ではなく2人共老衰で、家で看取ることが出来ました。在宅の医療チームの方達にサポートしていただいて、一回も病院に行かないで家でそのまま食べなくなって動けなくなって亡くなったんです。多分、江戸時代や明治時代くらいまではみんなそういう風にしていた家での家族の死を私も経験しました。結局、人間ってあんまり贅沢しないで、質素に暮らして、寿命までそういう風に暮らせば本当に豊かで納得した死に方が出来るんだと思いました。でもあそこで家族が慌てて病院に連れていったらそれこそ、いろんな栄養や体に管をつけられて凄い医療費がかかって死ぬに死ねなかったと思います。本人たちが、もう行ってもいいなって納得していましたし、在宅の先生が〝病院に行きますか?これ以上食べなかったら動けなくなるよ〟と仰って〝いや、結構です。お引き取り下さい〟って父が言うんです。それで、ヘルパーさんが介護に来てくださると〝どうぞよろしく〟みたいな対応でした。じょじょに食べなくなって家に居て10日位で亡くなりました。だんだん小さくなって枯れていく親を看るのは辛いところもありますけれど、考えてみるとそれはみんなやっていたことだと思うと耐えられました。具体的にそんなにハッキリした考えもありませんでしたが、自然の流れでそうなって、2人共90歳近くでしたから慌てるようなこともなく、医療チームの人も来てくれましたし、遠い所に住んでいる妹が、亡くなる時、飛んできました。妹とも意見は一緒だったので特別病院に担ぎこもうとは思わなかったのと、とても優れた在宅医療チームの先生が近所にいらしたので、その先生が来て〝方針変わったら、いつでも対応してあげますよ〟と、たんたんと支えてくださったので出来ました。そういった経験をしましたので、死ぬ時だけではなく、生きている間もそういうスタンスで居たいなって思います。
どういう医療を望むかといえば、やはり過剰な医療とか高額な医療ではなく、つつましやかな医療が有ればいいと思うんですね。欲ばったことを考えなければ、特別憲法を変えてまで他国と争いあったり、今のエネルギーでは足りないからと原発をやめられなかったり、原発やらない替わりに代替エネルギーを今以上に使おうということをしないで済むような、エネルギー消費からいえば、2・30年前に戻せばかなり余りが出ると思います。そういうような考えで医療ももう少し控えてみんなが医療費を少なくするためにはちょっとした痛みで直ぐにレントゲンだMRIだってやるよりは近所に安価で相談しやすい医療機関があるというのは大事であると思います。助産師さんや骨接ぎ、在宅で看とりを支えてくださるお医者さんといった仕事は非常に大事な医療であり、日本の文化だと思うんです。確かに医療過誤があったり緊急の病気に対応できなかったこともあるかもしれないけれど、それ以上に普通に元気に暮らしている人が多少つまずいた時にフォローしてくれる、ごく普通の医療を求める人が頼れる地域医療を守っていかなければいけないんじゃないかということを親を看取って思いました。
―治療計画書というものを出していただくと、治療の目安が分って良いと思われますか?
治療計画書というのは接骨院には向かないのではないかと思っているんです。良い面も勿論あると思います。ただ私の場合で言えば、先天性のものですから、いつもいつも痛い訳ではなく何かの拍子にグキッとくる訳で凄く痛くてこのまま歩けなくなるんじゃないかと思う事があるのです。つまり、特別に怪我をした訳ではありませんし、慢性的なものになっていた場合に、現行の制度では、保険適用ではないかもしれないんですが、それに対して股関節症を治しますという治療計画書を書いていただいても私という患者にとっては、余り意味がないように感じます。慢性の変形性の疾患を抱えているといろんな要素がからみあって、例えば生活習慣や抱えている仕事、出産や介護等いろいろあります。そういう生活環境に応じて自分の状況というのは精神的なことも含めて変わってきます。
実は私、痛みや病気のことをあまり否定的には考えていないんです。寧ろそれによって人生が豊かになったり、勇気を起こす力が出てきたり、凄く大事なことだと思うんですね。病気に対して、自分で向き合って超えていく力を養っていく、或いは多少の痛みがあっても大丈夫なように強さを養っていくとか、そういうことで慢性の病気というのはポコッと治れば良いというものでもないと思っているんです。結果的に30年かかえてみて、自分にとってその痛みをもっていたことが大事なことだったのではないかなと。整形で行っていることは、悪い部分を治すということで、でも接骨院というのは例えば慢性の膝の痛みで来たお婆さんがその場では治らないかもしれないけれど、その時に話を聞いてもらったり、若干の手技を受けたりして気持ちを立て直してやっぱりこれでやっていこうと思って帰れる、そんな場所ですよね。
今、腰痛について、よくテレビの『試してガッテン』等では、ヘルニアの原因の80%はストレスだと言われたりするように、心身医療で心や脳の問題というのが凄く関わってきていると言われております。一概に痛みを、例えば痛み止めの薬やブロック注射で留めてしまうよりも、もっとしっかりそれに向かい合うと自分の生活の質の向上や考え方の変換、仕事のやり過ぎだったことに気がつかせてもらって少し生活のペースを穏やかにしたり、例えば犬を飼ったら、よくなったりとか、そういうのに気がつくことがとても大事だと思います。つまり、薬や手術で痛みを取り除くのではなく、一緒に寄り添って看ていてもらえる信頼できる先生が傍に居るというのが生活の質を向上させる大事なことではないかと思います。生活を援助するような医療が求められている中で、接骨院がその一翼を担えると思っています。寧ろ私としては、「痛みの相談窓口」であればいいなって思います。怪我じゃなければダメだとか元々そういう考え自体が凄く差別的なものじゃないかと感じています。人間ってそんなにここからが怪我じゃないとか、こういう怪我だから〝1週間で治ります〟〝1月かかります〟だなんて、支配できるものではないですよね。痛みがあった時に怪我であろうが何であろうと近くに相談できる所に行けたら良いと思います。お医者さんに行くと必ず薬だ、注射だ、レントゲンだということになるけれど、そういうのはなるべくやりたくない。できればそういうことはもうちょっと困った時にお願いしたいけれども、とりあえずは近所の柔整師の先生にお願いしてこれはどうしたら良いのかというのを聞きに行く、それを放置して悪化しても困りますし、何か助言してもらったり、摩ってもらったりしていただいて、その人が立ち直れるまで診ていただくというのは、私は保険適用できるように思っているんです。今実際に、痛みを相談できる場所になっているんですから、これをちゃんと保険者の方に認めてもらいたいと思います。
―受領委任払いを償還払いに戻すといった声がよく聞かれますが、それについてどのように思われますか? また様々にある問題点の中で一番何を改善されて欲しいと思われていらっしゃいますか?
今でも一部そういうことがなされていて、県外で医療助成を受けたりした時等、あまり現実的ではありませんね。バス代かけて受取に行ったらマイナスになってしまったり、それぐらい柔整師さんの治療費というのは小額だと思います。それを償還払いにするというのは患者いじめみたいじゃないかと感じます。患者としては、差額を少し負担しても適正に健康保険が使えるようになってほしいと思います。
この間の全体会議では、柔整の保険請求を厳しくたたいたところ、結果として全体の医療費の額が上がったという話がありましたが、例えば私が股関節が痛くて整形外科に行ったら、柔整師さんの所に何日か通うよりずっと医療費がかかってしまいます。
―患者照会が届いたことはありますか?患者照会についてどのように思われていますか?
照会の手紙のことは知っています。皆さん迷惑しています。何か悪いことしたのかみたいな、自分は健康保険組合に目をつけられるようなことをしているのか、と。そういう風に恐れる人もいれば、ちょっと前のことなんか忘れてしまったのに、出すのは面倒くさいという人もいるようです。私自身、患者として困ります。柔整師さんにかかっている人の多くは新鮮な怪我ではない人が多いですから実際あういうものが来たら正直には書けない訳です。特に高齢者の方達はそうでしょうし、私みたいな疾患は困るというのもそうですが、それよりもっと基本的なことは、プライバシーの問題です。語弊があるかもしれませんが人権蹂躙に近いんじゃないかと感じます。何故なら個人的に怪我して困って行った所のことをそうやって根掘り葉掘り人に言わなければならない義務は無いと思うんです。仮にお医者さんに行った場合、患者調査なんて行われていません。
結局、患者が自分の勤めている会社に縛られている訳で、そのために守秘義務や権利を主張出来ないでいるのではないでしょうか。長いものには巻かれろみたいに仕方がなくて書いている。接骨院の先生のほうからこれは困りますとは中々言えないみたいなので患者さんが問題意識を持って、こういうことはしたくないとみんなで言わない限りはやりようがないのかなと考えています。『からだサイエンス』前号で埼玉県農協健保の常務さんが話されたように領収書の提出等、内容の改善をしていって、あういうアンケートや患者調査が必要なくなるように働きかけるしかないと思っています。結局、接骨院の治療内容をもう少し公けにして痛み全般のことをやっているということを少しずつ認めていってもらわないと問題は解決しないのではないでしょうか。そういうことは保険者さんには伝わっていないのか、ご自身の周りのお年寄りのこと等を考えるとかなり想像はつきますよね。
とにかく欧米と日本では凄く違いがあります。アメリカはともかくとして、フランスとかドイツなどヨーロッパでは東洋系の医学とか自然医学に対する認識がもっと温かくて、例えば温泉療法なんかに物凄く保険を割いています。温泉で治るというので券が発行されて、保険で温泉に入れたり、イギリスでは聞くところによると心霊治療も効果があれば保険が下りるそうです。私が一番思うのは、患者が選べることをもっと大事にして欲しいということです。自身が健康保険料を支払っている訳ですから、どういう医療が適切かどうか自分が選択できるような、例えば骨折で、医師の指示書がないと骨接ぎでは保険が使えないなんて本当に被保険者である患者を無視したやり方です。自分が行きたいところで治療を受けられるというのが一番なってほしいと思うことです。そういうことをするとべらぼうなことになって歯止めがかからないというのであれば、そういうことをしても歯止めがかかるような知恵を出して作っていけば良い訳です。
―接骨院の治療内容について、患者サイドとして、改善してもらいたい点がありますか?また、接骨院の治療で問題だと思う点をお聞かせください。
私が接骨院に望む治療は手技を大事にして欲しいということで、あまりいろんな機器をつかったり、高度なものを多く求めて経済的に高くつくようなことをしなくても良いと思っています。なるべく素朴で人と人とのスキンシップを重視して大切にして欲しい。高度な医療であるならばお医者さんに行けば良い訳ですから。もっと民間療法の研究をしたりケガや病気には、日本に生えている草であったり、例えば枇杷の葉とか、そういうものにも詳しくなって、接骨院の先生からもっといろいろなアドバイスがいただけたらいいなって思います。お年寄りだけではなく、お子さんに対しても、今のお母さんはお年寄りからいろんなことを習ったり、文化を引き継いでいないので、そういうことを接骨院の先生は勉強をして〝こういう時にはシップしてあげればいいよ〟〝こういうところを擦ってあげれば治るよ〟等、助言してくだされば、お母さんも安心出来ます。だからもっとそういう人と人との繋がりとか触れ合うことを大事にして高度で高額な医療を受けないで済むような砦になってほしいですし、本来骨接ぎはそうだったと思うんです。
―第3回のガイドライン委員会で、道子さんは確か「マッサージ」という用語は入れないほうが良いと発言されたように記憶していますが、その理由等を聞かせてください。
あの会議では、マッサージという用語をガイドラインの文言に入れるかどうかとして議論が交わされました。実は、私はマッサージ師なんです。自分がこういう体なので、手を使って治ることに興味をもちました。それで子供が大きくなって40歳過ぎてからですけど、小田原の神奈川衛生専門学校でマッサージの資格を取りました。
柔整で手技を受けていると確かにマッサージのようなことはされるのですが、普通のマッサージとは印象が異なるので、柔整のガイドラインに〝マッサージをします〟と謳うと誤解されるのではと思ったからです。後で、「柔整マッサージ」という名称が存在するとお聞きして、なるほどと納得しました。
柔整マッサージは、軽く摩る手技が中心で、まず患者に手でふれ安心させる。左右の手足や体のバランス、動きなどを手で看る。体をゆるめて整復を受け入れられる下地をつくる。整復をしながら摩ることで、痛みを和らげる。その後、拘縮や可動域の変化を評価したりする、といったことに焦点を絞ったマッサージだと思います。時間的にも短く、シンプルですがそれぞれの柔整師さんが、知識や経験や体力を生かし、各自で磨かれてきた技です。マッサージ師のマッサージが小説や詩だとすると柔整マッサージは俳句のようかなと…(笑)。
―もし道子さんが『患者と柔整師の会』の今後の活動において、最も力を入れていく点、訴えていかれる内容をお聞かせください。
先ほど申し上げた患者の選択権といいますか、『患者と柔整師の会』で、それを少し主張していけるようなことが出来たらと思っています。やはり、アンケート調査の問題にしろ、類似負傷といいますか、昔の怪我、或いは慢性的なものにしろ患者さんが切実に思っていることが外に向かって自由に言えていないですね。私たち患者の考えや意見を外に向かってちゃんと発信していけたらいいんじゃないかと思っています。
―今、地域包括型ケアシステムを構築している最中ですが、柔整師の先生は機能訓練指導員として介護分野で活躍できるんですが、柔整師の先生方がその中に入っていただくようなことは希望されますか?
柔整の専門学校を卒業して、医療チームや介護のチームの中に入ったりすることで力を伸ばすであろうと思われる若者は沢山いると思います。従ってそういう人たちを地域包括型のケアシステムに組み込んでいただいて地域の医療を支えていただけたら良いと思います。接骨院自体が地域のプライマリケアを担っていると思いますし、そういった役目も昔からあった訳ですから〝こういう場合には接骨院へ行って治してもらってください〟というような仕組みの中に入ってしかるべきだと思っています。お医者さんに行くよりは気楽に行けてずっと敷居が低いですからね。私はマッサージ師ですから在宅マッサージみたいなこともしたことがあるんですが、寝た切りにならないで少し動けるようになったら、歩けたり動けると保険で在宅マッサージは出来なくなるんですね。お医者さんに関節拘縮で歩行不能とか歩行困難といった同意書を書いていただかないと。ですから治るとマッサージに行って上げられなくなるんです。通ってきていただいても中々保険が適用されない。お医者さんに行ってレントゲン撮ってもらったりする必要は殆どないと思いますので、近くの接骨院に行くのが良いと思います。接骨院が増えすぎているという話もよく耳にしますが、接骨院が沢山出来たら出来たなりに活用する方法はあると思います。怪我だけではなく、こういうことを接骨院というのは出来るんだっていうのを、出来ればガイドラインにも入れてほしいですね。
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