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ビッグインタビュー:全日本柔道連盟ナショナルチーム監督  井上 康生 氏

インタビュー 特集

数々の輝かしい功績と今なお絶大な人気を持ち続け、ひたむきな心で柔道に誠心誠意向き合う全日本柔道連盟ナショナルチーム監督・井上康生氏。
井上康生監督は、栄光を確かに手にしたが、その陰で人一倍の努力と苦労もした方であり、それが故に人間としての器や心の大きさは正しく誰にも負けないものがある。こういった器の大きい指導者を得て、日本の柔道界が世界に誇れる柔道を取り戻し本来あるべき姿を示していくことが出来るといえる。純粋な魂と一途な柔道への深い愛を持ち、日本柔道界のヒーローである井上康生全日本柔道連盟ナショナルチーム監督に今後の柔道界と今まで歩んできた道を振り返っていただいた!

柔道界の発展を全身全霊で支えていきたい!

全日本柔道連盟
ナショナルチーム
監督  井上 康生 氏

全日本柔道連盟
ナショナルチーム
監督  井上 康生 氏

―「柔道を通して思うこと」をお聞かせください。井上康生監督は、柔道によって道を切り開いてきたと思います。そして世界の頂点に立ちましたが、原点に帰り柔道との出会いや、苦しかったこと、それをバネに再び立ち上がったことなどお聞かせください。

私は5歳から柔道を始めて、30歳になる1か月前位でしたが約30歳まで現役を続けさせてもらい、又いまなお指導者としても柔道に携わっていますが、私は生きていくために必要な様々な要素をこの柔道を通じて学ばせていただいたと思っております。その中で、簡潔に話させていただくと3つのことが大きかったと思います。まず1つは、子どもの時から、必ず自分は日本一になり、そして世界一になってオリンピックチャンピオンになるという夢と目標を持って、それに向かって精一杯、死に物狂いで努力をしてきました。

〝自分はなれるんだ〟という信念と強い決意を持って歩んできました。謂わば情熱というか熱意が私を動かしシドニーオリンピックで金メダルを取り、また様々な大会でも優勝できた要因の一つではないかと思っております。時には様々な犠牲をはらい、例えば友達と遊ぶ時間、またシドニーオリンピックの前に表彰台で写真を掲げましたが、母や兄を亡くしたりいろんな辛い経験しながら生きてくる中で、悲しいことや苦しいことも全て自分自身のエネルギーにして、自分自身の生きていく道を定め全力でやってきました。この「熱意」というものが一番大きかったように思います。

2つ目としては、様々な挫折や苦労を味わった一人でもありました。そういう中で、現実から決して逃げずに立ち向かっていってそれを乗り越えた自分と、そういう状況になればなる程とことん考え抜いていろんなアイデアを生みながら、またいろんな方達のアドバイスを受けながら戦い抜いてきました。そういう試練や経験を通して多くのことを学ばせて頂き、「創意(考えることの大事さ)と変化する勇気」を持ったことで自分自身を更なる成長させてくれた要因の一つとも思っております。

あと1つは、柔道というものは、単なる〝勝つ・負ける〟だけの競技スポーツではなく、最終的に人間を高めてくれる、人間性を向上させてくれる所謂崇高なスポーツであり「武道」であるように思います。そういう「誠意」という部分で私達人間は、人と人との繋がりの中で生きていて、自分自身が向上できることも支えてくださる方々がいるからこそだと思います。常に感謝の気持ちと恩恵の気持ちを持ち続けて生きていくことが如何に大事かということを、この柔道の経験を通じて学ぶことが出来ました。この「熱意」と「創意」、「誠意」という言葉の意味することを常に大事にして指導者としても進んでいきたいという気持ちであります。

―井上康生監督は、柔道をやったことのない方まで知ってらっしゃる、あまりに有名な方です。2000年のシドニーオリンピック100kg級で優勝され、世界選手権3連覇で、2大会オール一本だった選手は、他にいらっしゃらないですし、選手はあくまで一本勝ちを目指していると思います。多くの選手が一本勝ちを目指される意味を教えてください。

これは選手にいつも話していますが、自分自身が現役を振り返ってみる中で、日本人が海外の選手に勝ち続けていくために、何が必要かといいますと、やはり高い技術力、すなわち一本を取れる「技」だと思います。所謂我々日本人が世界で勝っていくための勝つ術(すべ)というのは、私はこの一本という「技(わざ)」にあるのではないかと思っているところであります。やはり体力の部分に関しても、様々なトレーニングをどれだけ行ったとしても海外勢より上回ることは難しいと私は思います。では、何が必要になってくるかというと、それを補うための高い技術というものが、我々日本人が世界で戦っていくために必要であり求められていると感じておりますし、そこが一つのキーポイントであると言えます。私一個人のことに関しましては、子どもの時から父に〝人に感動を与える〟といいますか、人を興奮させるようなそういう柔道を目指しなさいということをよく言われていました。そのためには攻撃柔道として一本柔道なんだということで叩き込まれた面があります。そういう中で自分自身は勝つために必要なものとして、技を追及してきたところがあります。私の勝ち方によって、国民の皆さんが私自身の柔道に対して共感を持っていただき、応援してくださり、時には感動していただいたことに関して、私自身非常に嬉しく思っておりますし、そういう選手たちをこれから一人でも二人でも多くつくれるように指導者としても努力していきたいと考えております。

されど世界で戦っていくためには、それだけでは勝てない現状があります。「一本」といわれる技を追及しつつ、細かな戦術を立てたり、オリンピックや世界選手権で勝てる計画などを立てる上での戦略を練ることが非常に必要です。

現在は全世界の柔道レベルが非常に上がってきている中で、勝つことは容易なことではありません。しかし、日本で始まった「スポーツ・武道」である柔道を、また日本人の先人が築き上げた柔道の伝統を良き形で継承していくことが我々の使命と強く思っております。世界の選手から尊敬され、愛され、「日本が勝つべきチームである」といわれるようなチームをつくっていきたいと強く思っております。

―30歳で「我が柔道人生に悔いなし」と引退され、その後JOCの2008年度スポーツ指導者海外研修員としてスコットランドのエディンバラに留学され、東海大学体育学部武道学科で教鞭をとられ、今はナショナルチームの監督をされていらっしゃいますが、今の柔道教育指導者に求められていることは何でしょうか?

私は大学を卒業し、その後は大学院、博士課程と30歳まで進んでいきましたが、その中で指導者や教育者というものの重要性、偉大さというものを痛切に感じました。中でも特に影響を受けたのは、この東海大学での教え、佐藤先生や山下先生、また橋本先生、そしてその他の方の教育・指導でありました。また、先生方は様々な分野で活躍する人材を輩出しており、嘉納先生が唱えておりました「柔道を通じて、いかに社会に貢献する人間となれるか」ということを体現されておりました。

海外留学をした理由としましては、30歳まで現役をやり、正直言って柔道以外では社会というものを全く経験したことがない人間でしたので、先生方のご指導、ご協力の下、2年間の海外研修を行わせて頂きました。2年間を通じて、一番に感じたことは、「己の無知さ」であり、世界にはたくさんの宝が眠っているということでした。例えば、言葉、歴史、政治、宗教等から指導法、哲学などにおいても深く、広く知ることができ、自分自身はまだまだの人間なんだと感じることができたことは大変良かったと思います。

その後、東海大学の先生となり、また全日本のコーチをさせていただいている中で、これは自分自身が常に考えていることですが、指導者に求められているもの、また指導者であり続けるためには、やはり我々が学ぶということを常に忘れてはいけないと思います。常に勉強すること、学ぶこと、そして自身を常に高める人間でありたいと強く思っています。そういう気持ちで一日一日、日々を送っているところです。

―今の学生さんについてはどんな風に思われていますか?

時代というのは流れていきますし、環境というものが人々を作っていくという一面があると思います。そういった中での様々な変化(身体的、精神的の変化)は当然あると思います。ただ、人間の本質的なものは、そんなに大きくは変わらないと思っています。我々が本当に大事にしなければならないことは、その時期、時期で足りないもの、例えば今の子ども達に足りないものについて〝あの時はこうだったから〟〝昔はこうだったから〟として過去形ですますだけではなく、描いている理想に近づけるために我々は如何に環境を与えるかが大事ではないかと思っております。

―平成24年(2012年)4月から中学校体育で男女共に武道が必修になっています。しかし柔道が一番事故が多いということですが、その主たる要因は何だと思われますか?また怪我を防ぐために現場で求められていることは何でしょうか?こうしたことを克服してぜひ柔道を多くの学生に広めていただきたいと思います。

先ほどの「指導者に求められること」という質問の答えと重なると思いますが、柔道による事故をなくしていこうという中で一番重要なのは、指導者たちがどれだけ多くのことを学んで、生徒たちにその学んだことをしっかりと伝えていけるかが一番大切なのではないかと私は思います。

日本で始まった柔道でありますが、フランスで行っている柔道教育は学ぶ点が多くあります。良い面は良いと認めて、その成功例を如何日本バージョンとして作っていけるかが、私は今後とても重要なのではないかと思っていますし、これから我々は柔道における事故をゼロにしていくためには、現場で学んだ様々なことをしっかり活かし進めていくことが大事であると思っています。また身体の構図や医学的知識等の知識力を向上させていくことが大事であると思いますし、指導する上で必要不可欠と思います。自分らはこうやってきたからという経験だけでは指導者としてやっていけないと思います。先ほどの話に戻りますが、今の環境と昔の環境は全然違う訳ですから、いち早くその時代時代の様々なことを敏感に察知して、対応するなど、その現場で何が必要かというものを考え抜いて、還元して行くことが非常に大事なのではないでしょうか。

―井上康生監督は、選手時代に右大胸筋断裂の怪我をされたそうですが、どの位で完治されましたか? また接骨院にかかったことはありますか?

柔道ができるようになるまでには半年くらいかかりました。試合に出たのが1年半後くらいでしたので、じっくり慎重に治して試合に臨んだというところはあります。東海大学病院で手術をしてリハビリも行いました。今も数多くの選手たちを診てもらっておりまして、元全日本柔道のチームドクターもされていた方にオペをしていただきました。 接骨院には、小さい頃に時々行っていました。また高校でもお世話になっていました。高校で肘を脱臼した時もずっと整骨院でお世話になっていました。しっかりリハビリを行ってトレーニングもみっちり行った上で現役に復帰しましたから、その後に再発はありませんでした。その方は柔道整復師で、柔道をされており、道場の先生でもありました。いろいろ技術的な指導もしていただいたり、その先生の息子さんが私の高校・大学の先輩でもありましたので、時には食事をご馳走になったり、柔道の話もしていただきました。

―東海大学には有賀先生という有名な指導者の方がいらっしゃいますね!

私はトレーニングに関して有賀先生にみっちり鍛えて頂いた一人であり、有賀先生のサポートなしには世界チャンピオンやオリンピックチャンピオンの栄光はなかったように思います。その様に、私は全日本監督になって、如何に様々なプロフェッショナルの力を借りながら世界と戦っていくかという課題を持ってやっております。我々は世界と戦っていく中で、究極を追い求めていかなければなりません。そのためには様々な分野で極めた方々に協力して頂き、高い知識、理想をもった集団を作り上げることが重要と考えております。いま全日本の中で、また私自身の現役の中で、科学的な様々な分野の力を借りながらアスリートを強化しております。

されど試合というのは予期せぬことが起きたり、尋常ではない世界で戦っていきますので、いわば非科学的な目に見えないものも必要になってきます。そのバランスをよく考えた上での練習をやってきましたし、今後もそれらを取り入れながら指導を行っていきたいと考えております。

―以前からだサイエンス誌では、2009年12月に開催された『柔道グランドスラム2009』終了後に了徳寺学園柔道部監督の山田利彦氏、コーチの金丸雄介氏、福見友子さん、小野卓志さん達を取材させていただき「輝け、柔整の希望の星たちよ!」と題した記事を掲載させていただきました。その時にある選手が言われたのは、選手引退後柔道整復師になられる人も多いが勉強しなければならないのでハードルが高いと言われたことが記憶に残っています。柔道一筋でこられた方が、学校の武道教育現場で指導にあたられたり、接骨院の先生になられ地域の青少年教育の育成に関わられ貢献されていらっしゃいます。このことについて井上康生監督はどのように思われていらっしゃいますか?

セカンドキャリアということで、いま柔道だけではなく、全スポーツに対して注目されているところだと思います。私自身も柔道一筋でやってきた中で、勿論柔道で生きてきたことがメインであり全てでしたから、他の分野でとなると自信を持っていえることや自分がどれだけ出来るというものはありません。

いろんな分野に行くにしても第二の世界に足を踏み入れるというのは、大変だと思います。例えば、会社に勤めるにしても、或いは柔道整復師の勉強をするということもそうですが、自分自身が今までの人生を歩んで来た中で〝こういう人間になって行きたい〟ということを明確にして、更にその目標に向かって全力で取り組めるかどうかが実は最も大事になってくるのではないかと思います。常に自分自身どう生きていくべきか、どういう人間になっていきたいかということを自問自答しながら生きているところがありますので、其処を深く考えていけば自ずとやるべきことが見えてくると思いますし、人夫々の立場で全力で生き抜いて、しかもそれをどのように社会に還元していくかということが非常に大事になってくるのではないかと思っておりますので、柔道整復師の方々たちは、怪我やいろんな困難と闘っている方達に体のケアをされ、また心のケアも出来る非常に大切な仕事の一つであると思っています。

繰り返しになりますが、私自身も怪我をした時に、体も心もどれだけ助けられたか、今の自分があるのも、そういう方達の支えなくしては、ここまで来れなかっただろうという思いがあります。ですからそういう道に進まれる皆さんは、柔道整復師という仕事に対して誇りと自覚というものを持っていただいた上で、仕事に専念されることが何より大事ではないかと思っております。

―柔道整復師もそうですが、今後国民みんなが地域貢献をやっていくことになるようですね。

そうですね。今プロの世界、プロスポーツにおいても地域密着ということが重要視されております。プロ野球やプロサッカーを始め、多くのスポーツ関係がまさしく今そういうことを大きく取り上げて活動されていますし、地域密着・地域貢献というものは、私は非常に重要なことであると考えています。最初にお話した通り、やはり誠意を持って我々は人と人との繋がりの中で生きていますので、常に周りの人たちや様々な分野でお世話になっている方達に対して感謝の気持ちを持つということは、最も大事であると思いますし、感謝の気持ちを持って次の方達に繋いでいくということで非常に良い効果が生まれてくると私は思います。いま東海大学でも地域貢献に熱心に取り組んでいるところであり、私はとても良いことだと思います。そういう活動を一人一人の人たち、或いは一つ一つの団体が広く長く続けていけるように、そしてまた良き伝統というものが受け継いでいかれるようなシステムづくりを行って、そのためには一人一人の意識が最も大事なのではないかと強く感じています。

―嘉納治五郎先生が目指された「精力善用」「自他共栄」を柔道整復師の方々も目標にされておりますが、この意味するところを井上康生監督のお言葉で聞かせてください。柔道の道を切り開いている井上康生監督の考え、思いをお聞かせください。

私自身が考える「精力善用」「自他共栄」というのは、先ほども話ました通り、人間夫々の役割や立場というものがあると思います。ですが、その役割・立場というものに対して「誇り・自覚」を持った上で精一杯努力をし続けていく、そのことを嘉納先生も仰られている通り、例えば柔道を通じて社会に貢献することが大事だというところ、やはり我々はその立場から会社、学校に対して、家族に対して、自分自身が如何に貢献していくか。もっと言えば日本という国、また世界の平和や発展に繋がっていくことを考えた上で一生懸命生きていくことが大事だと考えます。

また「自他共栄」というのは、やはり人と人との繋がりだと思います。これなくしては人間社会で生きていけないと思いますので、常に周りに対しての気配りや感謝の気持ち、また恩恵の気持ちを持ち続けながら生きていく、しかも自分自身が高めようとしてやっていることを皆さんが大きく支えてくれますし、その中で自分自身も成長し、周りにも良い影響を与えていけるのではないかと思っています。やはり私は柔道家である以上、常日頃この言葉を胸に持ちながら生きています。

―2020年に開催される東京オリンピックへの期待などお聞かせください。

私は、スポーツというのは、この世の中で非常に必要なものと思っています。またスポーツは、平和や発展に貢献できる偉大な力を持っているのではないかと考えている一人であります。スポーツにおいて、例えばサッカーであればワールドカップ、野球であればWBCがありますが、全スポーツの中で最大のイベントといえば、やはりオリンピックですし、世界中総ての人たちが注目するものです。そういう意味では、スポーツをより発展させて、そしてまたスポーツを通じて社会に大きな貢献が出来るということも、オリンピックは大きな力を持っていると思っています。そういう全世界が注目する中で2020年に東京オリンピックが開催されることの意味は非常に大きいことだと思っております。日本という国をより発展させていき、また世界で「日本ここにあり」というものを知らせていくためにも、この東京オリンピックの成功というのは非常に大事になってくると思います。

選手は勿論ですが、スポーツを通じて日本の底力を見せてもらいたい。これまでスポーツにあまり関心がなく、直接的に関係がない方達も是非ともこの東京オリンピックに向けて、国民みんなが同じ方向を見て、いろんな形で携わっていきながら、所謂オールジャパンでこの『2020年の東京オリンピック』を成功させることが凄く大事です。それが皆さんの大きな力となりこの日本というものをより活性化させ、発展させていくことになるのではないかと思っています。是非とも全国の皆さんがこの東京オリンピックに同じ目線を向けていただくことと、本当にどんなことでも良いので何かに携わっていきながら一緒に目標に向かって、成功に向けてみんなで進めていくことが出来れば非常に素晴らしいオリンピックが開催出来るのではないかと思っています。

私はこの日本の素晴らしさというもの、日本の良さというものを日本に居る中でも、また海外に2年間居た中でも感じ取ることが出来ました。心から私は日本を愛している一人でありますので、2020年の東京オリンピックは精一杯自分自身が出来ることをやり、成功に少しでも協力できるように頑張っていきたいと思います。                                 

井上康生氏プロフィール

宮崎県出身。5歳で柔道を始める。東海大卒。1999年のバーミンガム世界選手権100キロ級で優勝。2000年のシドニー五輪の柔道100キロ級で金メダル。2001年の全日本選手権大会で優勝し、23歳にして3冠王者に。2004年のアテネ五輪では日本選手団の主将を務めた。2008年6月に現役を引退。日本オリンピック委員会の2008年度スポーツ指導者海外研修員制度によって同年12月から2年間英国に滞在。全日本柔道連盟の在外特別コーチを務める。2011年1月、スコットランドでの留学を終え帰国。同年3月、綜合警備保障を退職。同年4月、東海大学体育学部武道科専任講師、同大学柔道部副監督に就任。全日本のコーチとして世界選手権に帯同。現在、全日本柔道連盟ナショナルチーム監督を務める。また2013年8月、国際柔道連盟の殿堂入りを果たした。

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