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スペシャルインタビュー:東京有明医療大学学長 佐藤達夫 氏

インタビュー 特集

平成21年4月に東京有明医療大学が開学、佐藤達夫氏が学長に就任された。
それまで佐藤達夫氏は、東京医科歯科大学で長らく医学部長や副学長を務められた解剖学の第一人者である。また、平成12年に行われた医学教育改革では、委員長として「モデルコアカリキュラム」を作られた方である。

壮大なスケールの「知性」の持ち主であり、しかも深い洞察力を持って医学界を牽引されてきた方である。佐藤学長の偉大な「知」の一部分でも知りたいとして、インタビューさせていただいた。

『医の倫理』は常識でしたが、現代は医科学が進歩したので、難しい時代になっています!

東京有明医療大学学長
佐藤 達夫 氏

東京有明医療大学学長
佐藤 達夫 氏

―東京有明医療大学の教学の理念 Educational Philosophy に「1.豊かな人間性と高い倫理観とを兼ねそなえた人材の育成 2.保健、医療、福祉に対する深い見識を持ち、国民の健康づくりに幅広く貢献できる人材の育成 3.確かな技術と深い洞察力をもって健康を望む全ての人に適切な治療とケアを提供できる人材の育成 4.臨床、研究を通じて医療の国際的な発展に貢献することのできる人材の育成」を掲げられておられますが、その根底にあるお考えをお聞かせください。

どの学校も理念はほとんど同じで、その理念をどういう風にして実現するかということのほうが大切だろうと思います。既に専門学校があるのに、大学を創るというのは、屋上に家を建てるようなものだというところもありますし、一体どこが違うのかということは非常に悩むところで、国家試験の成績等はむしろ専門学校のほうが良いのです。また専門学校の場合、一度職に就いてから〝一人で何かやってみたい〟という人が多く入学してきますので、モチベーションが違います。大学の柔整に入ってくる人たちは、高校時代に柔道、サッカーや野球をやっていた人たちが多勢います。怪我の経験者が多く、周りを見渡すと学校の近くに接骨院があり、そういう所に通って親切に診療していただいたという経験が受験の一つの動機になっている場合が多いのです。

結局、大学と専門学校はどう違うのかというと、1つは今言ったモチベーションが違うと思います。専門学校は〝自分で稼ごう〟〝診療所を持ちたい〟という明確な目標を持っているということと、社会人としての基盤がありますし、異なる入学試験や資格試験に通過しているなど、勉強の仕方を知っていますから逞しい。教えていても打てば響くところがあって、先生達は授業がし易いと言います。それに対して大学の学生はどちらかというとゆったりのんびりしていますから、そういう人達をしっかりした医療者に育てていくことが意義のあることではないでしょうか。つまり、見つめている対象の焦点が近いか、遠いか、焦点が遠いのであれば良いけれど、もし焦点が無いという場合もありますので、如何に興味を持たせていくかが大事です。本学では学生何人かに一人の先生が貼り付いて指導します。それに対して、彼等も運動部でしごきに耐えてきた人たちですから、面白さが分かると非常によくやるというか、我慢強い面があり、とっても良いと思います。従って、そういう人たちを自主的に勉強するところまで持っていくこと、個々の先生たちが学生にどれだけ愛情を持っているかにかかっています。

皆さん柔道整復学の将来というものに対して、希望と危機感を持っている方達ですので、たいしたものだと思います。先生たちは非常に我慢強く、決して学生を見放しません。そういう中で育っていくうちに、4つの教学の理念が深まっていくと思います。ただ人間ですから、その全部が同じ速度、且つ効果的に上がっていくものではないと思います。ある時期には、西洋医学的な〝人間をモノとして観る〟という時期も必要ではないかと思うのです。全部精神的に観ていくと重苦しくなって勉強しなくなってしまいます。ある程度西洋医学的なことを先行させて、それから修正していくなど、方法はいろいろあると思います。

専門学校の場合は3年で、しかも割と時間が限られていて午前中だけや午後だけだとか、夜間部がある学校もあります。ということになると、大学は朝から夕方まで居て、4年間ですから、同じ内容でもゆったりと勉強が出来ます。したがって同じ内容のことを勉強しても、同じ内容のことを覚えたとしても、時間をかけて学習するということで「潜在能力」というものが蓄積されていくと思いますので、一生使える人、〝常に進歩を求めて、やっていける人を作る〟というのが大学の使命ではないかと思います。

―佐藤学長は、今後柔道整復は如何あるべきと思っていらっしゃいますか?

どちらかというと、棲み分けが出来ないかということなんです。脱臼・骨折・捻挫にしても、手術でメスを入れなければならないものは医師に任せて、そして非観血的なものについては柔整が診るという程度の棲み分けが出来ないかなという気がしています。脱臼の整復などについても、昔から伝わってきているのは有効だから伝わってきている面もある訳ですし、理屈が備わっていることはいくらでもありますので、そういうものを学問的に高めることを考えています。いま非常に助かっているのは、非侵襲的な超音波を使用できることです。本学の柔整の卒業研究にもこの超音波を使った仕事がかなり出ています。そういうことで捻挫や靭帯の損傷等を何とか勉強していって医師とは違った診方が開発出来ないかというのが一番の関心事です。やはり、医師が出来ないようなことをやって頂いて、チーム医療を行っていける体制に持っていかなければなりません。この頃は整形外科のほうで、昔であればPTの人たちをリハビリテーション要員として雇っていたのですが、柔道整復師も採用しましょうという気運になってきました。そうするとチーム医療に加わるには、チームとコミュニケーションがとれなければダメなので、西洋医学の基盤というものや考え方を勉強しておかなければいけないと思います。

―〝患者さんから最も近い視線に立って、その苦しみや痛みを理解できる立場にあること、また特に伝統医学の分野では、自らの「手」を使って患者さんの抱える苦痛の軽減や健康的な日常生活への復帰に貢献できることです。確かな治療技術とぬくもりを兼ね備えた「手」は、キュア(治療)とケア(専門的支援)の統合が望まれるこれからの医療において重要なキーワードとなることは間違いないでしょう。また看護職も平成20年の学術会議でなされた提言にみられるように、療養現場における裁量の幅を従来よりも拡大し、キュアとケアの両側面でより専門性の高い看護が実践できるような制度の模索が始まっています。こうしたキュアとケアの統合は、「現代医学に加え、各種相補・代替医療を積極的に導入して、患者さんの利益、体質に合わせたベストな治療とケアを提供する」という統合医療の理念と軸を一つにするものであり、本学の使命はこうした未来の医療を支える人材を育成することにあります〟等、東京有明医療大学のHPで言われておられますが、それについてもお話ください。

鍼灸・柔整の特徴は病人に非常に目線が近いということだと思います。今は、大学病院に行くと〝パソコンばかりを見て自分を診てくれなかった〟〝1週間入院していたのに、お腹に一回も触ってくれなかった〟というコミュニケーション不足とそれから実際に手を当てて診るということが非常に希薄になっていて、それが患者さんにとって一番の不満のようです。

先程お話しましたように柔整の場合も、やはりチーム医療として働ける人材として伸びていくという観点が必要だと思いますし、それと同時に超音波の例で出しましたが、科学的に今まで柔整がやってきたことを見直すということの両方が必要だと思います。そういう経験をつむ中で倫理感が備わっていってほしいというのが理想です。最初から倫理というものがあって、それを精神訓話的に修身的に教えるのではなく、やはり人体を扱っていることによって人体に対する愛情が湧いてきます。例えば〝人体の構造を解剖学を勉強する〟次に〝人体の代謝というものを生化学で勉強する〟またそれを〝人体の物理的側面を生理学で勉強する〟そういうものが上手く結びついて体が動いているんだということが分ったならば、〝自殺するのが勿体ない〟という言葉が出てくると思うんですね。こんなにも精巧な体を親からさずかったのに自殺していられないという気になってほしいと思うのです。そういう風に神様から最初から与えられた倫理ではなく、人体の勉強をしていくことで人体に対して愛情が持てて、大切にしていこうという気になるのが本当の倫理教育だと思います。ところが中々そこまでいかずに曲がってしまう人が居るので、最初に倫理を系統的に教えなければならないという考えが出てくるのです。

但し倫理というのは、考えてみたら常識の範囲なんですが、今までと想定外のことが起こるようになってしまったので、例えば、今までは食べた物がお尻から出ていってその間に栄養摂取がされて、口から空気が入っていって呼吸が出来た。そういうことで生きていた訳です。しかし科学技術が進歩してくると、手足がなくても生きていける。或いは、内臓もお腹から下は要らないなど、つまり、高栄養のものを注射すれば、それが廻って栄養が保たれるということになってくると、どんどん人の体というのは、削っていっても大丈夫になってしまう訳で、また所謂植物人間と称される、昔であれば生きていられなかった人を生かすことが出来るようになって、そういう想定外のことが沢山出てきました。更に遺伝子や新しい体を作るということになってくると、先ほどは常識と言いましたが、われわれの常識の範囲を超えているんですね。それらに対して新しいコンセンサスを作っていかなければいけないということで、「医の倫理」というのは非常に難しくなっていっているのです。

ただわれわれが言っている「柔整の倫理」というのは、それ程難しいものではないと思います。要するに〝患者さんの秘密を守る〟〝患者さんを愛護する〟〝コミュニケーションをよくとる〟などであって、そういうことはヒポクラテスも言っているのです。つまり常識は教えるものではありませんが、今は足りないものを補ってやるとか、そういうものに理屈をつけてやらないと納得しないという時代になったと思います。

―佐藤学長は、長年医学教育にかかわってこられた方で、また医学教育コアカリキュラムの委員長を務められたとお聞きしておりますが、平成27年12月に第1回柔道整復師学校養成施設カリキュラム等改善検討会が「柔道整復師学校養成施設の現状と課題について」を議題に開催され、2月に第2回が開催されました。質の高い柔道整復師を養成するために学校養成施設の指定基準等の見直しなど、柔道整復師の学校養成施設のカリキュラム等の検討を行うとされております。何かご助言等お聞かせください。

東京医科歯科大学で29年3か月、解剖学の教授を務めましたので、学生との付き合いが長いということで、学生部長や医学部長などもさせて頂きました。やはり解剖学を担当していたことから花田学園の専門学校と繋がりが出来た訳です。学生たちは解剖実習をやったことがないから、授業を聴くだけではよく分からない。1年に1回見学に来て実物を見ただけで、不思議なもので本が読みやすくなるんです。そういう見学を毎年担当していた関係で本学の学長を務めることになりまして、そういうご縁です。

もう1つ解剖では、特殊なことがあります。それは遺体を集めるということです。将来の医学のために自分の体を提供しようということを献体といいますが、献体というのは、他のボランティアと全く違うところがあるのです。生理学や生化学でしたらカエルを採ってきたり、或いはうさぎをもらってきて実験を行います。しかしながら実習の対象が他ならない自分たち人間、自分たちの先輩だということです。そして誰も自分の親を解剖してほしいとは思っていません。しかし、自分の体を同朋の将来の医学のために提供してくれる人が居るということ自体が倫理教育です。私は東京に居ましたので、ある程度全国の連絡係をしなければならない立場でしたから、献体の法律を作ったり、文部大臣から献体者に感謝状が出るようにする運動のお手伝いをさせていただきました。

最後に「モデルコアカリキュラム」という医学教育改革を関与した訳ですが、大体世紀末になるといろいろ反省が出てくるのです。日本の医学教育というのは、ドイツ医学を継承しているんですね。ドイツの医学というのはどちらかというと研究医学で、大勢の学生を集めて講義し、ベッドサイドでは教授の後ろについて教授の背中から学べという医学です。それに対してフランスやイギリスの医学教育は、病院医学といって、病院で患者さんに貼り付いて学ぶという医学です。理想はもちろん両方を上手く統合したところにありますが、日本ではドイツ医学でずっとやって来て、途中からアメリカ医学が入りましたけれども、十分に統合させるには至りませんでした。

そこで「患者中心の医学」へ転換させるという意味から教育改革を行うことになりました。どうするかというと、出来るだけ学生を患者さんの臨床実習に投入することと、チーム医療としてのメンバーにすることです。従って体のことや倫理も何も知らないで、また技術的なことを知らないで臨床の現場に出したら患者さんに失礼だろうと。臨床現場に出す前に最低どのくらい学習しておかなければいけないかを標準化しようと、そこから後のことは、個々の大学の教育理念によって違っても良いのではないかとしました。従って3分の2はコアとして標準化し、後の3分の1はアドバンストとして各大学の教育理念に任せようとなりました。そのためには、いろんな教える科目の項目を整理しなければなりません。そうでなくても情報が10倍、100倍になっていますので、どうしても教えなければならないものを精進しましょうとして、その委員長をやった訳です。いろんなところから、叩かれて辛い思いもしましたが、それを行って一つのモデルを作りましてから、医学改革が進みました。そうでなければ毎年言っているだけで改革は進まないのではないでしょうか。 進んだという意味のもう1つは、その「モデルコアカリキュラム」の中に1項目だけ漢方を入れたのです。漢方の薬について概説するということで、ほんのちょっと入れただけですけれども、それがやはり西洋医学に東洋医学の要素を入れたということで、東洋医学や漢方の方たちから評価されました。それまで漢方というのは軽視されてきましたし、漢方と似たような立場にあるのがやはり柔整と鍼灸だと思いますので、柔整・鍼灸も1つの援軍を得たような感じだろうと思います。やはり他の国と違うのは、日本では医師自身が漢方の薬を処方することが出来ます。柔整・鍼灸師の方たちが他の医療の人たちと協力してやっていくのが望ましいということになってきますと、どうしてもそれだけの知識と基本的な技量を持たなければなりません。

もう1つは態度です。態度というのは大事で、やはり診療態度が良いからいろんな情報を患者さんから提供していただけるんですね。入学して前半では解剖や生理などモノから学んできたけれども、後半では、患者さんというのは生きている人ですから、「人から学ぶ医学」というものに転換ということになった訳です。 柔整にしても鍼灸にしても、時代の進歩に合わせて教育方法を改定しなければならないでしょう。これまでにも沢山のことが蓄積されている訳ですから不可能ではありません。医学のコアカリキュラムにしても2000年に出来ましたが、2012年には改訂されていますので、10年に1回は改訂しなければいけないでしょう。そういう意味では、柔整界にとっても10年に1度は教育すべき内容を再検討することが非常に大切なことだと思います。新しくできたカリキュラムの効果は当然ありますし、また作るまでにいろいろ議論や紆余曲折がある訳で、実はそれが一番の副産物として大切なんです。それ自身がその業界を進歩させることであります。

医学でコアカリキュアムがどうして出来たかというと、そういうものを作るべきか作らないべきかということを10年以上も議論されてきた中で、とにかく作ってしまおうと決めた訳です。しかし、作ることに決めた途端に、私が言うのもおかしいですが、医学者達というのは優秀性を発揮するんです。人材が量的にも質的にも凄いですし、また考え方がプラクティカルですから、1年でバタバタ44回会議を開き、1回の会議が5時間位で作ってしまいました。その間にいろいろ曲折がありましたが、柔整と違うのは大学だけで環境が単純だということです。ですから柔整でも、かなりもめると思いますが出来るはずです。大切なことは期限を決めることだと思います。

―からだサイエンス誌№85(2009年4月号)で櫻井理事長をインタビューさせて頂いた時に、櫻井理事長は〝東京有明医療大学は柔整と鍼灸、所謂東洋医学の叡智とナイチンゲールの看護思想との融和をはかるという考えで、1年時に全学科の融合科目を設けてあります。お互いを知ろうということで看護・鍼灸・柔整が一緒になって1つの科目を少人数制で勉強します。「知の融合」が本学のコンセプトです〟。〝無血整復という柔整の非常に長い歴史と伝統的な技術を科学的に検証し、バックアップしていくということは、実は大学という環境にあって長いスパンでものを考える人たちがやっていく仕事だと思います。医師の世界の研究と柔整の世界での研究が協同でコラボレーション出来るような、そういうレベルにまで持ち上げていきたいという想いがあります〟と仰られておられますが、佐藤学長もそのようなお考えでしょうか?

その通りだと思います。そういうコラボした授業を組んで実施していくというのは、実際にやってみると難しい。それをやっていくには、相当な努力が必要です。具体的には、お互いの教員が十分に連絡を取り合って、学科を横断して数名ずつのグループに分けて、何かのテーマを与えて調査などをやらせて、その結果をまとめて発表させるという方向でいかないと無理だということで、中々難しいと思います。

―介護職の方の地位向上のために何が必要でしょうか?

学校と免許とがリンクしていますので、介護の4年制大学を創らないと地位は上がらないのではないでしょうか。本学は7年前に創立されましたが、大学を創設して、これから研究者を養成していく、そして研究者を教育者に養成していく役目を担うのが大学であるという捉え方で進んでまいりました。

―佐藤学長は、柔道整復治療のガイドラインについて、どういったご意見をおもちでしょうか?

昨今、免許者も含めて、健康被害があり、国民生活センターから公益社団法人全国柔道整復学校協会に要望もあったように聞いています。こうしたことに関して、なんらかの基準あるいは教育としてどう取り組んでいらっしゃいますか? 『医の倫理』はかつては常識で理解し、判断できましたが、現代は難しい時代になっています。やはりそれは検討しなければならないと思います。急がば廻れで倫理教育の質を上げていくしかないと思います。地道にやっていく必要があるでしょうね。それを5年やるだけで随分違ってくると思います。

―平成27年11月29日の学校法人花田学園創立60周年記念式典・祝賀会で佐藤学長は〝8年前に大学を建設し、引き続き大学院の設置に成功しました。それらは教職員の献身的な努力と皆様のご支援によるのが大きいのは勿論ですが、文科省との事前交渉と設置審査委員による厳しい審査の中にも、50年以上に亘り医療科学技術の教育に果たした花田学園に対する敬意がそこはかとなく感じられたのです。このことを是非付けくわえておきたいと思います。伝統を守りながらも科学の急速な発達と社会の急激な変化に対応して常に前進を続ける学風の確立、しかも落ち着いた雰囲気と品格の漂よう学園を作りあげることにはまだまだ時間がかかると思います。70周年、75周年、そして100周年に期待したい〟と明言されました。今後の挑戦などについて聞かせてください。

〝花田学園に対する敬意がそこはかなくと感じられた〟という、その意味するところは、やはり花田学園が数10年もの間、真面目にやってきたということなんですよ。それは花田学園が物質的な基盤だけではなく、精神的な基盤も作っているとして、文部省ないし委員側もリスペクトしてくれたのではないかという感じがしています。しかしそれに甘んじている訳にはいきませんので、また鍼灸・柔整にはいろんな課題がありますので、科学的な鍼灸、科学的な柔整というものを充実していかなければ、一般の信頼も得られないと思うのです。一時エビデンス、エビデンスって言われましたけれども、全てにエビデンスを示すことは出来ないとしても、エビデンスを示す努力はしなければいけないと思っています。本学の学生たちが学問的な基盤を持ってそれをもとに臨床を発展させていくのが役目です。もちろん「基礎科学基盤の臨床家」というと、技術がダメだという風に誤ってとられると困りますが、生涯教育をしていく場合に少しずつ常に伸びていく。幸い本学では大学院の修士課程に進む学生が結構多く、5人の枠しかないところを去年10人くらい希望者が出て、絞るのに随分苦労しました。その人たちが勉強の仕方、研究の仕方を学ぶことで、研究基盤型の臨床家に育つのではと思っております。

非常に驚いたのは、昨年10月の大学祭の時に同窓会が開かれました。私に白羽の矢が立って、講演をしましたが、バリッとしたスーツを着て卒業生ほぼ全員が出てくると非常に頼もしく、順調に育っているという感じがしました。そしてかつては講義中に眠っていた連中が一睡もしないで熱心に聴いているのです。やはり実際の診療の場に出るとそういう基礎的なもので自分の基盤を作りたいという気持ちと責任感が出てくるんですね。また自分たちの生活の糧にもなるのだろうと思うんですけれども、糧に出来るか出来ないかは彼等の才覚と努力だと思います。基礎的な考えをもって臨床を熱心に行って上手くリンクしていけば、正のスパイラルになっていくのではないかと思いますし、そういう人たちが何か勉強したいという時に学校へ戻ってこれるようにしたいと思います。学校は敷居が高いなんて思わないで、母校に気軽に戻ってくるようにしたいと考えております。

佐藤達夫氏プロフィール

昭和12年5月5日生まれ。
昭和38年3月、東京医科歯科大学医学部卒業(昭和38年3月~39年3月、同上付属病院にてインタ-ン)。昭和43年3月、同上大学院医学研究科修了(医学博士)。昭和43年4月、福島県立医科大学講師(解剖学第一)。昭和45年5月、東北大学助教授(医学部解剖学第一)。昭和49年、東京医科歯科大学教授(医学部解剖学第二)。平成15年、東京医科歯科大学名誉教授。平成21年、東京有明医療大学学長就任、現在に至る。

専攻:マクロ解剖学(筋・神経の比較解剖学)、応用局所解剖学(リンパ系、胃・食道・大腸・肝胆膵・乳腺・頭頸部・骨盤等)。
所属学会:臨床解剖研究会(前会長)・日本解剖学会(永年会員)・日本リンパ学会・日本消化器外科学会・日本大腸肛門病学会・肺癌学会・乳癌学会(名誉会員)・胃癌研究会(特別会員)・食道疾患研究会(特別会員)・大腸癌研究会・肺癌手術手技研究会・国際食道疾患会議・ヨーロッパ臨床解剖学会・アメリカ臨床解剖学会(名誉会員)
趣味:読書、映画観賞、サッカー観戦

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