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ビッグインタビュー:(一社)未来医療研究機構 代表理事 長谷川敏彦 氏

インタビュー 特集

未来医療研究機構代表理事の長谷川敏彦氏は、外科医を15年勤めた後、厚生省老人保健課補佐時代に「寝たきり老人ゼロ作戦」、また国立医療・病院管理研究所医療政策研究部長時代に「健康日本21基本概念」(予防)、「医療安全事故防止政策」「患者満足の測定」(経営)、国立保健医療科学院政策科学研究部長時代に「スリランカ国国家医療計画」「日本地域医療計画新概念」(制度)等々、広い分野で政策提言を行ってこられた人物である。変わりゆく日本の将来を見据えて多くの実験を地域、市町村で取り組むことを新たに提言している。

3世代が連携して50年後の社会を変えるための町づくり、壮大な実験に着手することが求められています!

(一社)未来医療研究機構
代表理事
長谷川 敏彦 氏

―先ず長谷川代表は、履歴書に必ず死亡を書くとされていること、そして今年のお正月、5大紙に樹木希林さんのオフェリア〝死ぬときぐらい好きにさせてよ〟について、これからの医療の役割を示唆する名言とも仰られ、人生の最重大事をオープンに話し合う時が来たとされています。そのことについて教えてください。

今まで、〝人生50年〟という風によく言われており、社会の価値感や社会の在り方は15歳-50歳(以下、15‐50)位の範囲に起きる事象に如何に対応するか、如何に生きるかを中心とした社会的価値が重要視されてきたと思います。しかし、私の分析では、50歳以上と50歳以下の人との人口構成を見ると、1970年代頃までは50歳以下が80%~85%で殆どを占めていましたが、2060年以降は50歳以上が60%位となると予測され約3分の2近くを占めることになります。社会はガラッと大きく変わるのです。その大転換のど真ん中に我々は居るのです。我々は、人類が登場してからずっと15‐50位を中心に次の世代を作る、或いは社会を支えるため労働することが人生の使命でした。ところがその使命を終えた後の世代が大半を占めることになると社会の価値観は大きく変わります。たとえば一番最後にある「死」を起点にして物事を考える必要があるでしょう。これまでの15‐50の社会で、勿論人生の最後に死が来るんですが、その「死」は突然外部からやって来る。第二の人生に移行した後、様々なことをやりながら最後に死と向き合う。結果的に、これまでの死は外からやってきて突然命を奪うものなので、恐ろしいし考えたくないというのが今まででした。また医療や社会福祉というのはそういうリスクをどうやってカバーするかということを中心に作られています。ところが結果的に子育てや働くことを終えてからの第二の人生のほうが長いのであれば、価値観や制度を一番終わりの死を起点に考える必要があるだろうと。講演等を聞きに来る方々に自己紹介でそれを伝える意味もあって履歴書にそう書いています。

この5年間位で社会全体が変ってきたと思います。オープンにそういうことを話すことが出来る時代になりました。要支援・要介護になった段階というのはもうそれ程「死」が遠くありませんし、その過程が大事です。寧ろ一番最後のエンドポイントを考えなければいけないと元厚労省事務次官の辻さんは仰られていると思いますが、もう少し手前から考えるべきかもしれません。人生のスイッチの切り替え、50歳からの人生というのは、それまで労働して子どもを産んで育てるというハッキリした目標が与えられている時期を超えてしまうと「なんでお前は生きているんだ」と、自分で考えなければいけない。どっちにしても最期は死ぬんです。その死までの間に何をするのかということを突きつけられている訳です。私はそれを「一億総出家」とか「ところてん出家」と称しています。今までは一部の哲学者や宗教家の方が一所懸命「人生とは…」など考え悩んでいたと思います。しかも「働らく」ことが社会や人類の概念として与えられていましたがその役割を終えてしまうと自分がそれを探し求めなければならない。一部の宗教家、一部の哲学者にだけ与えられていたことを自分でやらなければいけなくなった。結構大変なことだと思います。

ソモソモ論みたいなことを言っているように聞こえるかもしれませんし、お説教みたいに聞こえるかもしれませんがそうではありません。何故ならばケアをする側、医療者、介護者はその事をご本人が言ってくれない限り支援できないんです。15‐50の世界では、これが理想的だというモデルがあって、その後に病気を発症すると支えたり、治すという風に明確に分かる訳ですが、病気は沢山あって治らないし最期は死ぬという状態における個人の支援というのは、ご本人が何をして欲しいかをしっかり伝えてもらわないとケアが困難になります。出家してもらって、自分はこんなことをしてもらいたいんだという希望や要望を伝えて頂く。それがあって初めてケアや医療が社会的に成立することになると思います。

―また以前より、長谷川代表は、癌について、これからは皆争って癌で死のうとする時代になるのではないかとも話されておりますが、そのお考えについて分かりやすくご説明ください。

若い時の死は避けたいし、しかし年をとってからの死は必ず訪れることであり絶対避けられないことです。従ってそれを如何受け止めて、如何いう風に準備をしていくかということしかないのです。正確にいうと、与えられた社会的役割がなくなったのであれば、自分から社会的役割を考えなければいけないということです。最後は必ず死に至る訳です。今までよく言われている「ピンピンコロリ」は、ご本人は良いかもしれないが、周りは大変です。つまり、今までの15‐50を中心とした世の中ではピンピンコロリを望んだ訳ですが、逆にそうではないことをよく理解しなければなりません。全国レベルの分析ではありませんが、ある町の介護保険の分析によると殆どの人が、大なり小なり80~90%の人が最後は障害或いは介護保険サービスのお世話になっています。樹木希林さんのように〝私、好きに死なせてよ〟ということは出来なくなっていますし、それには前もってしっかり準備しなければならなくなっていると思います。そういうことを考えると「癌」は割と良い。癌で死ぬのはエリートで、現在の死亡原因の3分の1ですが、長期的には良い治療法が出て来たので、4分の1になると言われています。

―21世紀になってからの死は、社会的役割を終えてからの長い過程で、多くの場合、病気や障害を抱えながら長らく死と向き合っていく必要があり、その過程も多様で生命維持の手法、例えば人工呼吸器、人工透析、胃ろうによる栄養などが発達し、命を引き延ばす手法も沢山出現したことから、自分で自分の好きな死を選べるということであると仰られています。それについて教えてください。

社会的役割を考えていく途中で残念ながら殆どの場合に障害が起きますし、何度も繰り返し申し上げますが必ず死ぬということを前提に考えなければなりません。その時に、医療の技術を自分の選択でもないのに無理矢理いっぱい与えられてしまう可能性があります。

仕事を終えてから死ぬまでの5年、10年、昔は55歳が退職年齢で、60、65歳位で比較的元気に生きてパタッと死ぬということで、あまり生命維持の方法論が開発されていませんでした。今は例えば人工呼吸器や人工透析器等が出来ていますので、自分の意に反して長生きさせられてしまうことがあり得ます。やりたいことがあるということと命が支えられるということは常に裏表で、その両方とも考えなければいけないと思います。そうしないと周りの人が支えられない。極論を言うと、現場でケアをやっている人たちの気持ちも、その背景にある社会保障制度も〝何のために?〟ということを考えるべき時期に来ているのではないでしょうか。何故ならばそういったケアされる人が1.5倍から2倍に増えて社会資源をどんどん消費する訳です。勿論意味のあることはすべきですが、ご本人も社会もその意味を考えなければいけないという中で、自分は何をしたいかということと同時にどのような形で亡くなっていくかということも考えなければいけない時代になっていると思います。何も考えなければ、自分が想定する死と全然違う方向になって、死ぬ前に管をいっぱいつけられて、スパゲッテイ症候群になってしまうこともあり得ます。

―人生50歳頃まで「第1トラック」、それ以降「第2トラック」として考えた場合、第2トラックを「一億総出家状態」と言われており、非常に面白いと思いますが、それについてお聞かせください。

人生をステージとして捉えていくというのは、歴史的にもありました。最近はピーター・ラスレットというケンブリッジ大学の人口学者が提案しています。第1ステージが子供の時から家族を持って働くまでの準備期間、第2ステージが一番アクティブといわれている子どもを作ったり働いたりする時期、第3ステージをそこからリタイアする世代という風に名前をつけた訳です。1980年代今から3~40年前にラスレットは〝第3ステージが増えてくるので、第3ステージの人が勉強したりお互いに社会的にネットワークを組めるような社会にすべきだ。コミュニティカレッジで勉強するチャンスを作りましょう〟という運動を始めました。伝統的社会は1と2がグルグル回っている時期でその少し後に死んでいました。ところが第3に重点を要するということで、私は1と2を併せて第1トラック、第3ステージを第2トラックと称することにしました。最近よく「生涯現役」という人がおりますが、そういう言葉の背景には、第1トラックが終わったら、後は余生だという考え方です。また、定年を75歳まで延ばそうという考えの背景には、〝後は余生だと思っている〟からなのです。しかし、実はそれが本生であるという考え方に変えていこうということです。しかも若い人から仕事を奪いますし、50歳を過ぎてからだと働き方の能力も体力も違います。更に目的も違ってきます。であればギアチェンジをして50歳前後から第2トラックに早く移って、自分自身のための人生の目標として働けるような社会にしていって、願わくば社会全体に貢献するような、地域のコミュニティに根ざしたビジネスを考えていくことです。

社会全体の構造の転換をはかっていく必要があり、楽しい美しいといった精神的に豊かな社会にしていく、一定の付加価値を生みだす経済をこれからどんどん増やしていく必要があります。つまり、一種の産業革命が必要で、資本主義社会はもう限界が来たと思います。資源には限りがありますし、ゴミはどんどん出ます。ところが日本の文化である美しいもの、楽しいもの、美味しいものというのは工夫で無限の可能性があります。日本は江戸時代に実験をして高齢者が活躍しました。江戸時代はそういう時代でそれが実は「生存転換」です。何故かというと人類は15‐50の生殖ウインドウを最大限使ってきて近代に大成功しました。それまでは平均寿命が35~45歳で15‐50を全部使えていなかったのです。ところが資本主義社会にモノを大量に作って人的交流や技術連携また情報交換等を行うことにより人口が約5倍になった訳ですが、ここに来て限界が近づいているのです。つまり第2トラックを上手く使いながら自然との関係もバランスをとって、最期の瞬間に〝良かった〟と思って死ねる、そういう社会に変えていかなければいけませんし、また変わっていかなければ社会は崩壊します。日本は最先端を走っている訳で、日本が転べば世界も転ぶんです。大変な挑戦で途轍もなく大きな課題だと思いますが、50年後を目指せばいいんだと分かると暗くならずに面白いと捉えたらこれからの50年間はエキサイティングです(笑)。日本の歴史の中で人類のために実験をするというのは、かつて無かったことです。

―格差社会が拡大し、結婚しない若者も増え、人口減少する中で高齢化が進行するため、社会保障が立ち行かなくなっています。50年後を目指してどんな実験をされようとしているのでしょうか?

今までの中年・高齢の方は第1トラックがあった訳ですが、今の若い人は第1トラックに入れてもらえない人が出てきています。所謂非正規雇用で、会社で勤めあげてリタイアするというライフコースがイメージ出来なくなっていて、第1トラックにすら入らせてもらえない。場合によっては積極的にそれを選ばない人たち、いわば最初から第2トラックみたいな人が出てきています。それを如何捉えて如何いう風に対処するかというのは課題が多く、もしかするとみんながそういう様なことになっていくのかもしれません。家族の形態と働き方の形態も変わってきて、結婚しない人も出てきますし、高齢で連れ合いが亡くなって一人で死ぬ人も多数います。昔のように誰もが家族を形成し子どもを産んで育て終わってリタイアしてというコースが無くなってくるような、社会そのものの設計が変わっていくと思います。20年後か30年後に一挙にそういう問題が噴出するのではないでしょうか。今から10年、20年間は団塊の世代が高齢化していって、社会的負担がどんどん増えていく。みんな漠然と考えている不安が実体化してくる時代だと思いますが、それを超えると全然違う課題を我々は突き付けられることになります。高齢者への資源は、2040年頃までで良いが、それを支える人たちが減っていくので、効率良く使うという考え方ですが、支える・支えないというよりも全然違う社会になっていく。違う社会を目指して、いろんな機構を全部作り変えていかなければいけないと思います。その中で、働き方の問題というのは、凄く大きな問題です。

―「生存転換論」をいま一度ご説明ください。

実は日本の社会変化は大体50年毎の区切りで今日まで来ているのです。例えば「大化の改新」から「大宝律令」までが50年です。また「ペリー来日」から「不平等条約撤廃」までが50年です。かの有名な信長から家康、つまり桶狭間のデビューから大阪夏の陣まで54年で、この間いろいろな事件があったので随分長いと思われるのですが、実はたったの50年です。つまり3つの世代が一緒になって、これから先の50年を考えることです。例えば愛知県の場合は、リーダーシップでした。戦後すぐ愛知県知事の桑原幹根氏は愛知県で産業を起こすインフラを作りました。製鉄所を作り道路をひき、港湾を整備した。彼がビジョンを持ち強引なくらいのリーダーシップでやった結果、50年位して花咲いている訳で、大阪を抜いたのは1990年、2006年には東京を抜きました。いま日本一の製造業、バブルがはじけても何とか持っています。やはり50年後位には変われるのです。ところが、今回はこれまでと違ってモデルがない。日本がモデルですし、戦後の時は焼け跡から復興するんだと目標がハッキリして気持ちが一つになれたのですが、今は目の前の問題がハッキリしないことと未だある程度豊かなので、目指すところが非常に分かりにくい。これまでは、社会或いは人類ということで目標を与えられていたのです。今回は、人類史上かつて無い社会、全く違う社会を目指すことになるため、ある意味分かりにくく、状況が勝手にどんどん進行している訳で、新しくなっていくことに対してお手本にしていくシステムが無い。高齢社会が足を引っ張って、このまま行ったら日本は沈没することになるが一番の問題は、解決方法が分らないということです。

―解決方法がない中で、どのような社会にしていこうとされていらっしゃるのでしょうか?

3つの世代が一緒になって50年後の社会を変えていく努力をするしかない。最後の資源を持っている団塊の世代がそれを上手に使って、新しい国を作るという風にしなければなりません。その最後のチャンスだと思います。同時に起きてくる様々な問題を、町で同時並行に解決していくことの実験をしないと無理です。ケアの問題、労働の問題、家族の問題を夫々個別に考えたり実験するのではなく、地域や町を作っていくという形をとらなければもう無理でしょう。元々私は医者で、ケアの問題から始まって、いろいろずっと分析を続けていくと介護の問題を超えてしまった様に、特に2040年以降には全然違う問題が現われてくることに思い至りました。今後、社会や人の生き方が変わっていって、国が変わっていく構造になっていますが、更にチャレンジだと思います。つまり、今までは何所かに答えが、例えばヨーロッパに行ってこんなに素晴らしいシステムがあるから、こういうのを作りましょうといって、日本でいろいろな実験をして、上手くいったらそれを使いましょうというモデルがありました。今度は壮大な社会実験ですので、医療の目的は不老長寿はしようがないという風にシフトしなければならない。今までは命を守る、ガンや病気になっても死なせないということを中心に研究してきた訳ですが、あらゆるお金やエネルギーや時間をそっちにシフトしていく。これからは例えば耳が聞こえる、目が見えるようになる、歯で噛めるようになる、歩けるようになる等、そういった身体機能、100歳になっても障害が少なくて元気で頑張っていくには如何したら良いか。ことほど左様にそういう障害をどうしたら予防できるか、どうしたら治せるかということに研究のエネルギーを投下すべきと考えます。

―埋もれている人材の発掘と、その方々を繋ぐネットワークの構築がスタートでしょうか?

第1トラックの人というのは、みんなが結婚し子育てをするように、自分も結婚して子供もつくりたい、育てたいというのがあると思います。しかし、それが終わってしまった後に先述の「出家した人」等は、方向性がハッキリしていないので、みんなバラバラです。15‐50の世界であれば、ご本人も家族も社会も同一のベクトルで、労働して社会を支え、子供を産み育てるということで一致していました。又それが社会の発展であり、社会全体をお互いが支え合っていた訳ですが、それが一旦終わってしまったら、みんな方向がバラバラで、しかもその方達が3分の2も占めるという社会は危険でもあります。従ってその人たちがネットワークを構築していく必要があります。人々を結びつけられるとすれば個人個人の意志しかありません。1600年代、オランダが所謂株式会社という資本を調達する方法を考えた様に、日本はこれから志で人々の活力をまとめる「志銀行」みたいなWill Bank、つまり志を集めて、それによって人が繋がっていくということでしか、バラバラになった社会をもう一度纏めることは出来ないと思います。そういう提案をしたところ、山口県下松市の保健師さんが賛同してくれまして、還暦前後の人を集め登録して〝グループを作って活動しましょう〟と市全体の活動として、いま始められています。社会の観点から見てもっと拡げるためには、要介護・要支援ではないのに働いていない人が2000万人も居て、これを私は「空き人」と呼んでいます。この「空き人」を如何利用するかというのが社会の観点からも重要で、これまでの働き方とは違って、自分が何をしたいかということでしか働きません。つまり何度も言いますが、若い時は子どものために社会のために、体を壊しても頑張ろうという人が結構多い。ただし、50歳を過ぎたらそういう事はもう如何でも良いとなって、自分自身のために働らく〝ネクストステップ社会に如何貢献するか〟ということで、働らくようになると思いますので、そのためにも「志銀行」が必要になると思っています。

―柔道整復師さんがお読みになるサイトですので、柔道整復師の役割について長谷川代表はどのようにお考えになられているでしょうか?ご助言をお願いします。

いろんな能力や技術を持っている方が総力戦で高齢者を支えていくことは物凄く重要です。1つ提言したいのは、例えば15‐50みたいな世代を中心とする医療から考え方や方法が大きく変わっていくと思います。教える側の問題もあり、医学もそうです。今まで15‐50の世界を中心にやってきて、そこで成功した人間が教授になる訳ですが、これからの地域包括ケアの時代に合わない教育をしていると思いますし、柔整もそうなっている心配はあります。医療の歴史の中でこれからは予防に力を入れようという話になっている訳で、1つは社会の変化に合うように、それが職種のアイデンティテイと如何いう風に合わさるかというのは大きな課題です。外傷が中心の業界であったのが相対的には怪我をしない形の支援をしようという社会になっているので、そういうことが出来るような業界にするというのは、業界の考え方や教育に課題があります。一時的にどういうニーズが必要かということになる訳ですが、一方安全性という意味で、質と危険性という観点からは一定の教育と一定の能力という制限がかかることはしかるべきと思います。しかし、どうもマーケットの奪い合いみたいな側面があって、大変無駄な消耗戦だというようにも感じます。位置づけ直す必要があるのではないでしょうか。ただこういったことは個人が出来ることではないから大変でしょう。

―長谷川代表は様々な研究会を持っていらっしゃいますが、新しく作られた研究会について教えてください。

新しく「進化生態医学」という研究会を作りました。高齢者の健康のインフラは、食べる・動く・交わるという3つの課題があるということを感じ、調べてみると言っていることは皆さん同じように感じました。つまり姿勢とか筋肉とか骨等の課題は、今までいろんなグループやいろんな人がやってきても中味は非常に共通しています。アメリカであればオステオパシーやカイロプラクティックがありますし、中国に行くと鍼灸・マッサージ系の人がいます。最近ではOT・PTさんが筋膜系を言いだして、流行っています。理論は違うけれども行っていることは一緒だなと思って、それを統一的に理解することが良いと思い始めました。いろんなバックグラウンドがあって、在宅ケア、訪問看護、鍼灸の人が中心です。原則は実際に臨床をやっておられる方とお願いしています。メディアの方も2・3人いらっしゃいます。

長谷川敏彦氏プロフィール

1975年、米国ヨセフ病院外科レジデント。1980年、ハーバード大学公衆衛生大学院修士。1983年、滋賀医科大学外科助手・消化器。1985年、国立がんセンター企画室長。老人保健課補佐。JICA課長。国立病院九州地方医務局。2000年、国立医療・病院管理研究室。国立保健医療科学院部長。2006年、日本医科大学医療管理学教授。(一社)未来医療研究機構代表理事、現在に至る。
(一社)未来医療研究機構  hasegawa@rifh.or.jp

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