ビッグインタビュー:国士舘大学大学院法学研究科 教授 森田悦史 氏
全ての国民は、憲法で守られており、同様に職業も各々法律で守られ、規制されてもいる。その中で、柔道整復師法は如何だろうか?時代に合った法律に改正していただきたいとして、長年に亘って懸命な努力をされている方々が大勢おられる。 国士舘大学大学院法学研究科教授の森田悦史氏は、大学院で法律の講義をされ、しかも財団法人日本柔道整復研修試験財団で国家試験を担当されていた方である。
その森田教授に医師法と柔道整復師法の違いとは何か?また、今求められている国家の在り方についても教えていただいた。
法律改正は時間を要するため、先ずは業界団体や学会がガイドラインを作成し、国民の合意を得るべきです!
国士舘大学大学院
法学研究科 教授
森田 悦史 氏
―はじめに医師法との関連のなかで、柔道整復師法とはどのような法律なのか、医師法や他の医療関係法規と比べて、特殊な部分、あるいは共通する部分がありましたなら、お聞かせください。
医師法は第1条に、公衆衛生の向上及び増進に寄与するということで国民の健康生活の確保・確立を目指すことがその目的になっています。その他、第17条では、医師でなければ医業が出来ない。第18条では、医師でないと紛らわしい名称を使ってはならない。第19条では診療に応ずる義務といいますか、正当な事由がなければ拒んではならない等があります。医師法は明治7年に医政で出発しましたが、昭和23年に国民医療法を分割して今の医師法に移行したという経緯があります。一方、柔整師法は条文にもありますように、第2条で厚生労働大臣の免許を受け柔道整復を業とする者となっており、骨折・脱臼・打撲・捻挫等を行うが、応急手当をする場合はこの限りでないと定めており、基本的なスタンスとしては整復をすることが業務と思われます。
所謂条文は、多々ありますが、その中で質問にある医師法で特殊な部分というのは、医師法では「治療・診療」という用語が使われているのに対して、柔整師法では「施術」という用語になっていることです。要は医療を中心としたものですが、「施術」となりますと骨折・脱臼などその他、整復を主とするということでその違いを示しているのではないかと思います。また、医師は、第17条にあるように、医療行為が医師という資格でできるのに対して、柔整師法においては、骨折・脱臼・打撲・捻挫等に対し回復を図る施術の業として制限され、医師から同意を得た上で業務が許される部分があります。
自分で開業できるという点では、医師と共通しています。あとは業務独占ということでやはり柔道整復師しか出来ない。医師法は業務と名称独占の2つがあります。柔整師は代替医療であると思いますが、医療に関わるという点では共通しているところです。その他理学療法士・看護師等、医師の指示の下で行為を行いますが、柔整の場合は独立して自分が主体になれるところに違いがあります。その他色々あろうかと思いますが、条文の側面から見ていくとその辺に違いがあるという気がしています。
―医業類似行為と医療事故の問題としまして、今年2月、NHKのクローズアップ現代で、柔道整復師や無免許者の医療事故が取り上げられ話題となりました。医業類似行為は人の健康に害を与える虞のある行為は禁止処罰の対象であると、昭和35年の最高裁判決で出されていますが、番組では無免許者の業者なり業界でガイドラインを作るべきとしています。一方、柔道整復師などの資格者の行為に関してもガイドラインが必要と報道されましたが、無資格者と有資格者に対する対応について先生のお考えをお聞かせください。
クローズアップ現代を見ていなかったので明確にお応えすることはできないですけれども、国民医療センターに事故の報告があって、頸椎捻挫等いろいろ事故が増えていると。それについては整体・カイロプラクティックの業種や按摩・マッサージを含んでの問題だと思います。所謂按摩・マッサージ指圧師法にもあるように、基本的には免許の下で行われるのが良いとは思います。カイロプラクティックはアメリカでは認められていると聞いていますが、日本では混在していますね。医療(代替)として大丈夫なのかということもあって、多分厚労省も手を入れたいけど踏み込めずに無法地帯になっています。つまり、職業選択の自由という憲法との兼ね合いがあって〝させない〟という制限がしにくい部分があるのではないかと思いますし、制限するには明確な理由が必要になります。やはりこういう分野は、医療の中でも慰安的な意味あいがあり、分かりやすく言えば、〝肩をもむな〟と言えるのか。そういう仕事をしたいと言った時に如何だろうかという問題が含まれているため、歯止めがかからないまま混在して、日本の社会においてそういった業界が拡大しています。外部から見るとどっちが有資格で無資格かも分らないまま〝肩をほぐしに行こう〟という程度にしか一般の人は思っていないと思われます。
もし、医師が事故を起こした場合には、医療事故として扱われ法的処理になります。無資格者の場合にはどういう風な扱いになるのかといった時に、患者は法的には弱い立場で、仮に賠償請求をしても請求額が低くなる等、難しい部分があるという気がします。まあ、それ程違わないといったらそれまでですが、やはり有資格と無資格の場合には責任の所在について、相手に対して何所まで請求できるのか。柔整の場合は、個人で自院を開いているので本人の責任で追及の所在がハッキリしますが、業界としてはどういう風に対応するのか。個人に任せるのか。それについて、しっかりとしたガイドラインを作らなければいけない部分もあると思います。今柔整は6万人位でしょうか。国民が安心して施術を受けることが出来るという意味で、業界団体として説明義務と情報開示等を含めてオープンにしていったほうが良いし、必要性があると思われます。
もし本当に無資格がダメだというのであれば、国家は認めないとすべきであったのに、それを敢えて今までしないのはやはり医療だけではない慰安的作用・効用として、厳しくあたっていない気がします。問題を解決するには、裁判が行われれば法的判断がハッキリする訳ですが、あまり無いために明確な基準を打ちたてられず、社会通念といいますか、そういった流れの中に止まっている感じがします。柔整師は広告に制限がかかって歯止めがあるけれど、一方無資格者は何も歯止めがないので一人歩きをして、知らない人は同じと思って行ってしまう。たとえ有資格と無資格に分かれていたとしても一定の内容を示したガイドラインを示したほうが施術を受けたいという人に対して良いですし、そのほうが開かれる感じがします。
―柔道整復師法には、骨折、脱臼については医師の同意が制限事項として存在します。医師の同意に関しては、危険防止という視点なのかもしれませんが、基本的には骨折、脱臼に限らず各柔道整復師は、自身の能力の範囲を越えた疾患は法律の有無に関係なく医療機関に受診を進めたり、転医させたりすることは、現実として行われています。更に鍼師・灸師・按摩マッサージ指圧師には疾患を特定して医師の同意が必要とする事項はありません。以上のような視点で考えると法律としての目的に疑問に感じますが、お考えをお聞かせください。
1点目は、制限事項が柔道整復師にかかっているということですけども、基本的には柔整師の行為ではないということと思います。第17条には「医師の同意を得た場合の外は脱臼または骨折の患部に施術してはならない。但し応急手当の場合はこの限りではない」と規定しています。はり灸あん摩マッサージ指圧師法においては、緊急性を要する感じが無いのに対し、柔道整復師は、脱臼・骨折になりますと緊急性を要する場合がある。しかもそれを医師と同じに行うとなれば、医師法に反するとして、「応急手当」はこの限りではないと。つまり、柔整師法は骨折・脱臼という医者でなければやっていけないところと接触する部分があり、応急手当ということで歯止め、危険防止という意味あいが強く出ているという印象を受けます。
あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師等に関する法律の第5条には、〝医師の同意を得た場合の外、骨折患部に施術をしてはならない〟という規定があり明確に業務を区別しています。
脱臼・骨折は、柔整師には応急手当として出来るけれども、あん摩マッサージ指圧師法は、医師の同意を得ないと出来ないということで、違いを示している訳です。何故違いを示すかといいますと、やはり夫々の目的において領域を明確にするという部分を持たせているのではないかと思います。
―前の質問に関連しますが医療に関しては、法律で規制すべき部分と、医学で規制すべき部分とがあると思いますが、森田教授のお考えをお聞かせください。
広いご質問ですが、法的な視点で話しますと、規制は法律において「してはならない」とか「こうすべき」というようなことになりますので、規制すべき明確なものがなければ難しい。医療法規だけではなく、医学全般を指しているご質問であれば、学問的な規制は当然あると思います。
例えば遺伝子の問題で、代理母或いは人工生殖の問題、法律にはないけれども産婦人科学会でガイドラインを作ってそれに従うこととなっているので、未だ法律にはないけれども、その分野の中で規制をかけています。いずれにしても、法律というのは最後の頂点なんですね。つまり国会を通る訳ですので、法のレベルでいうと学会や自分の所属している部署についてはその前のレベルです。つまり、自分たちの中で規制をかけるガイドラインを作ることは可能ですので、先ずは其処からスタートして法律にもっていくという順序は、当然あって良いと思いますし、やはりいきなり法律改正は難しいという気がします。まずは社会で起きている現象を取り上げ、国民は如何に考えているのかということ、その辺の盛り上がりがないと一方的な法律になってしまうと法の意味をなさない。法の安定性のためにも多くの人がそれを望んでいると考えた場合には、公平の視点では法の規制があっても良いという気がします。
「離婚後6か月間女性は再婚できないが男性は出来る」という、昨年の最高裁判決で違憲判決が出ましたが、それについても学会では20年前にそういう案を出しています。ようやく今年6月1日改正案が成立しました。法律にするまでには梃子でも動かないという部分がありますね。法律を改正するためには、政権との絡みもあって難しいところがありますが、男女平等・価値感の多用化でヨーロッパの波が押し寄せおり今までどおりに進めば、世界からみれば法治国家といいながら非常に遅れた国家と見えてしまいます。やはり其処はレベルアップして開かれた社会になる必要があります。同様に医療においてもっとオープンにし、国民の求めるところに近づかなければと思います。
―骨折や脱臼の治療に関して、応急手当が医師の同意なく許されていますが、その範囲に関しては、厚労省の見解として、『「応急手当」とは、医師の診療を受けるまで放置すれば患者の生命又は身体に重大な危害をきたすおそれがある場合に、柔道整復師がその業務の範囲内において患部を一応整復する行為をいう。したがって、その場合においても、全く柔道整復師の業務に含まれない止血剤の注射、強心剤の注射等は許されない。また、応急手当後、医師の同意を受けずに引き続き施術をすることはできない。本条に違反して施術を行った者は、二十万円以下の罰金に処せられる。』(法第二十七条参照)としていますが、患者さんが医師の診療を拒否し、引き続き診療を依頼してきた場合であっても、診療を拒否しなければならないのでしょうか。こうした中には患者さんの状況により倫理的な場面も含まれますが、拒否すべきなのでしょうか。また拒否せずに診療を行った場合処罰されるのでしょうか。
応急手当をする場合に「医師の同意はこの限りでない」となっています。では応急手当はどういう場合かというと、やはり病院、医師に診てもらうまでの間だろうと考えられます。日数的には2・3日の場合もあれば1週間位もあろうかと思います。
ただ、引き続き病院に行かないで柔道整復師に〝診てください〟と言う場合は、拒否できるのか。或いは患者さんが故意に病院には行かず、柔道整復師に施術を求めるとなった場合、これは患者さんの倫理的な面があろうかと思います。その場合にちょっと問題があるという気はします。そうではなく、行こうとは思っているけれども行きそびれてしまった、例えば高齢者で〝息子が来ないので連れていってくれない、接骨院には1分で行ける〟と言った時に柔道整復師は拒むのかというとそれは先ほどの範疇、法律の世界でも刑法では緊急避難や正当防衛、民法では事務管理というのが一応ありますので、余程のことが特になければ法の適用は難しいと思います。例えば子供が倒れていて助けなさいと言われていないけれども、手助けすることがあります。助けようと手を引っ張ったら抜けてしまったという場合、後で〝あなたのせいだ〟となって仮に裁判をしたとしても、いきなり法的な議論になるかというと、少し躊躇する面があるのと同じように、この場合も拒否せずに治療を行ったからといって即処罰とは考えにくい。その点は先述のように患者の内面や側面をみる必要があり、その1点で処罰の対象というのはいかがなものかと私は思います。医療の場ですから、そういう判断は特に必要です。
実際これが裁判で応急手当の議論になった時に裁判所で応急手当とはこういうものであると判断した時に初めてこれが意味をもってきます。従ってこの文言だけでは、いかようにも解釈出来ます。結局、柔整師界としては今後そういう点も含めてガイドラインが必要と思います。専門部会を作って全国を把握するために臨床データを集めていくなど、精査していくことでエビデンスをオープンにしていくように統括し吸い上げていくことが重要かと思います。
―前述に関連しますが、昭和23年の法制化の際、それまで「応急処置」とする文言を「応急手当」と変更しています。インターネット検索では両者の違いに関して、応急処置とは負傷や負傷などに対してのさしあたっての手当てを指す。厳密にいえば応急処置は救急隊員が行う行為と定義されているため、一般市民が行うものは応急手当と呼ぶことになっている。としています。柔道整復師の行為は一般市民の行うレベルを指すのでしょうか。しかも「応急手当」に関しては、按摩マッサージ指圧師には条文になく、許されていない行為なのか、どう解釈するのかわかりません。柔道整復師法(施術の制限)第十七条 柔道整復師は、医師の同意を得た場合のほか、脱臼又は骨折の患部に施術をしてはならない。ただし、応急手当をする場合は、この限りでない。 あん摩マツサージ指圧師、はり師、きゆう師等に関する法律 第五条 あん摩マツサージ指圧師は、医師の同意を得た場合の外、脱臼又は骨折の患部に施術をしてはならない。 いずれにしましても、こうした内容に関して、全て厚労省通達により行動するということなのか、それとも、学会としても見解を出せるものなのでしょうか。
確かに文言として、「応急処置」、「応急措置」、「応急手当」と用語があります。しかし柔道整復師の行為が一般市民レベルの行為を指すかとなると、誰でもやって良いという風になってしまうので、其処はやはり柔道整復師法に求められる応急手当というのは、先ほどの脱臼・骨折での応急ですので、一般市民のレベルと同じと解釈するのは無理があります。柔道整復師のやっている行為が一般市民の人がやっていることに類似する面があったとしても、資格を持った専門家の応急処置がそれと同じと解釈する必要はないのではないか。
またあん摩マッサージ師には何故無いのかということですが、あん摩マッサージ師の方は先ほど申し上げたように慰安的な目的がありますし、柔道整復師と比較してみて緊急性があまりないのではないか。そもそも法規の目的からして違いがあるので其処は違っていて良いように思います。応急手当というのは、あくまでも手当をしないと痛みが酷い、病院に行くまでの間に生命の危険性や病状の悪化・進行を防ぐという重要な意味合いがあると思います。一般の人が倒れている人を助けて、〝救急救命士でもないのに、なんで勝手なことをするのか〟とは言えないですね。やはりそれはそれで、人の生命に危険がおよんでいる時には緊急避難的に助ける行為をしても、それをダメだということは人として如何だろうかと。つまり柔道整復師による行為を一般市民と同じと理解するよりも、柔道整復師法の目的はきちんとした施術の一環として行われると捉えたほうが良いという気がします。
―診断権についてお伺いします。以前日整では、弁護団により、診断権と言う権利はない。柔道整復師は業務の範囲内で診断行為が出来るとの見解を出しています。一方、厚労省では、柔道整復師は診断してはならないという事を、通達としては出していませんが、前述したクローズアップ現代の番組の中では示しています。お考えをお聞かせください。
法律の世界で、診断権という言葉はないと思います。権利と名がつくためには、やはり認知されていることが必要です。いま「自己決定権」という言葉がよく使われますけれども、その言葉は元々あったのかというと無いんです。何所を見ても書いていない。それが所謂権利となっていくためには、多くのニーズの下に認知される必要があります。医師の場合は当然問診して診断も行うので、それを敢えて診断権と言っているのでしょう。診断をするのは当然と思います。
一方、柔道整復師法は、診断をするという規定が存在しませんので、診断はできないことになりますが、ただ現場では診断をしなければ治療ができないということで、ご質問にあるように業務の範囲内で診断するとのことですが、診断という名称が、医師法の領域とぶつかることになり、柔道整復師が医師法の領域に介入し、各法規の目的・業務や法的齟齬がみられると思います。やはり、柔道整復師の業務の範囲はどこまで及ぶのか。その点は法規の問題であり、「みたて」という用語がよいかどうかは別として、その用語を明確にしていくことも他の法規との分業という意味でいいと思います。まずは柔道整復師の原点を押さえながら、業務の実態を正確に把握することが必要と思います。
―以上を含め、柔道整復師の方から、矛盾点や不明な点のある法律だと言う指摘があります。法律の解釈に於いて、厚生労働省では、一応の解釈を示していますが、柔道整復学会においても、追及すべき点や、学会として取り組むべき、法規の内容に関し、ご指摘がありましたならお聞かせください。
学会をやられることは大いに結構ですし、私は法律的な視点しかありませんが、法規との関係を明確にされていないところが多々あるような気がします。柔整は、裁判の事例はあまりないのですが、本当はそういう積み上げを紹介する等、医療における事故の事例を勉強する機会を持たせることも必要ですし、今こそ倫理が問われていると思います。医療関係の大学でも、倫理、情報、信頼、権利、守秘義務、法とは何か等を教えていかなければこれからの時代は些細なことが直ぐ検証されますので、どう対応するのかについて知っておくことが自分たちの職業を高める気がします。
そういうことを踏まえて学会でも取り組まれることが大事と思っています。法律の視点で言わせて頂くと、多々グレーゾーン的なところがあるので、そこを精査する必要があります。柔整の資格を取得すれば、夫々が個人的なプレイとして、拡大させるという時代に転化しつつあるかもしれません。そういう有耶無耶になっている部分を、もう一回〝柔道整復師の業務とはいかなるものか〟についてキチンと学会で認識していくことも大切で、柔道整復師の立場を明確に社会に認知してもらうことが必要と感じます。
―国家試験問題の委員をされていらっしゃったとお聞きしています。現在毎年約5千人が合格、柔道整復師が誕生することに森田教授はどのように思われますか?いま、業界では保険者や行政から保険を取り扱える柔道整復師とそうでない柔道整復師を差別化するとして卒後研修や教育制度改革に着手しています。その辺についてもお考えをお聞かせください。
国家試験の委員を8年務めました。弁護士でも合格者を沢山出したことで今までの仕事が減っていると分りました。人数を減らしたら維持できるという意見、いや数の問題ではなく出来る人と出来ない人がいて出来る人は伸ばせば良いし、出来ない人は努力が足りないという意見がありますが、柔整の場合だと医療に携わる分野ですので、普通の自由業と同じように好き勝手で淘汰されればいいという領域ではないと思います。従って、ある程度の人数制限というのはありうるとは思います。
今のところその歯止めは無く一定のラインを超えれば合格しますので、既存の柔道整復師の方からすると、資格を取って直ぐ開業しているけれど事故があったり問題が起きたりと、そういう柔整師と一緒にされたらかなわないということだと思います。やはりそこは、ある先生の所で1年間の実務研修を行う等の卒後研修に一歩踏み込んでいくことが必要です。
昔は勝手に開業していたのに、今なぜ私たちだけが制限されるのかと思われるかもしれないので、数年先の設定で調整して卒後研修を必修化することで柔整の評価が高くなるという気がします。柔整の方達は、今後スポーツトレーナーとしてやっても良いわけですので、働き場の門戸はこれからオリンピックに向かって拡がるのではないでしょうか。
―地域包括ケアシステムの構築を目指して各自治体が医師会と一緒に各医療職と連携をとりながら町づくりをされていくことになっております。今後は予防が重要であり、必要な医療を除いて生活重視、在宅重視となっていく方向のようですが、そのことについて森田教授はどのように思われていらっしゃいますか?
これからは多分、生活・在宅重視でやらざるを得ないのではないでしょうか。病院は飽和状態ですし、限界があります。地域一体型といいますか、本当は柔整の方も個別的な治療院を持つというよりは、地域包括ケアシステムの中へ入って一緒に構築していくことが求められていると思います。そういう形の方向性がないとこのシステムが上手く機能しないかもしれません。昔は公的扶助があったけれども、最近はお金がないので私的扶助にシフトさせているようです(個人負担を中心とする)。地域で共生をどのように考えるか、地域医療の問題はまさにそこを考えざるを得ないと思います。
柔整の視点からすると、飽和状態ですので、そういうところにも仕事が出来るシステム、様々な道を模索すべき時代に来つつあると思います。法的には、地域包括ケアシステムの中で問題が起きた場合、責任はどうなるのかというのは曖昧な気がしますし、重要な盲点かもしれません。其処をどういう風に考えて、団体として地域医療にあたるのか。先述したように〝やってあげましょうか〟と言う善意で事故が起きた時に〝貴方のせいだ〟となるので、そういう事務管理的な問題があります。日本の良さは、手助けしてあげよう、食事を持っていってあげようという優しさなので、それはとても大切です。未だ問題にはなっていませんが、相互扶助的な側面がある部分なので、今後こういう問題が焦点になろうかと懸念しています。子どもは東京に行って地域はお年寄りばかりで、誰がみるんだと言った時にみる人や血縁は居ない、箱型の老人ホームへと言われてもお金がかかる、やはりその問題を解消するのはコミュニティしかないでしょう。その時に援助してあげたい、手助けしたいという気持ちはみんな持っている訳で、地域の中で役所も補助金を出せるのかという問題もあるでしょう。ネットワークだけは進んでいますが、公的な責任は放ったらかしのような気がしてなりません。責任の問題についてあまり法が踏み込むとかえって難しいところがあるので起きた時に考えるとして、グレーゾーンで泳がしている部分もあると思います。従って地域包括の問題はそういう問題を含んでいます。
余談になりますが、本来スポーツは体育が基本ですが、これからオリンピックもありますし、スポーツ庁も出来ました。スポーツと健康・予防となると、体育があってスポーツが出来るだけでは、スポーツトレーナーにはなれません。もし過度にやりすぎた場合、それは法律的にこうなるということも知っていて欲しいですし、これからそういう知識が求められています。私ども国士舘大学院では3コースの内にスポーツ法というコースを設けています。柔整その他関係者が体育を通じて教育委員会の教育主事等に就職出来るように法律とスポーツの両方を学んでいくコースで法的にスポーツを考える新しい分野です。仮に自分で経営していて事故で相手が負傷した場合に、相手から訴えられるということもあります。今までは弁護士に任せていたけれども、どうするかということを事前にしっかりと法の考えに基づいて扱っていくことが可能です。主事とかインストラクターにもなれると思いますし、そういう人が地域包括ケアシステムの中に居れば、隙間を埋めたりバランスがとれると思います。資格者それぞれの隙間をキチッと繋ぐような役目を担えるのではないかと考えております。
―下流老人や貧困社会で誰もがホームレスになり得ると言われ始めているようですがこのことについて森田教授はどんな風に受け止めていらっしゃいますか?
あり得るパターンです。税金が高い上に収入が伸びていない。一旦会社を辞めるとその後の家賃等の支払い、収入がないから路上暮らしということも十分予想されると思います。余計なお世話ですが、例えば高島平にある団地、そこに文科省が補助金を出して学生を安く住まわせ、ボランティア活動で地域貢献を行っているようです。若い人がいるだけでも安心感もあって気分が違うと思います。包括的な住宅のほうがこれからの日本に合うかもしれません。大学も例えば学生生活をしながら高齢者への役割も担っていくという一体型の取組みを考えないといけないです。アルバイトをこういうところにシフトさせていくことも地域貢献です。従ってアルバイトもインターンシップに近い形にもっていく時代ではないかと私は考えています。
また文科省がボランティアの必要性を指導し、当大学としてはオフィシャルな団体から認められたボランティアについては2単位認めることを決めました。先日、瀬戸内寂聴さんが〝今まで自然を大事にしてこなかったのでここ最近地震・津波が来ているのは、今こそ日本がその試練に立たされている訳で、そういう災害に如何、対応するのか一人一人の意識、よく考えていく時代に入っているのではないか〟と言われておりますが、私自身本当にそうだと思います。国家としてどういうプランを描くのか、国家として若者をそういう方向に求めていくべきではないでしょうか。
森田悦史氏プロフィール
1992年専修大学大学院法学研究科民事法学専攻後期課程単位取得満期退学、2003年フランスパリ第十大学比較法研究所研究員として在外研究、2005年国士舘大学教授、同大学院法学研究科教授、その他元柔道整復師国家試験委員、言語聴覚士国家試験委員、元日本医科大学講師、首都大学東京法科大学院講師兼任、現在:国士舘大学大学院法学研究科科長。
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