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ビッグインタビュー:ケアタウン小平クリニック院長 山崎章郎氏

インタビュー 特集

山崎章郎氏は〝患者さんのための終末期医療を提供するには、如何すれば良いか〟として自問自答、葛藤を続け、聖ヨハネ会桜町病院ホスピスで実践、高い評価を受けた。しかも地域の在宅ホスピスケアを根付かせ、人間の尊厳を守り続けることを不屈の闘志で貫き、終末期医療の最先端を走ってこられたエキスパートである。
いま喫緊の課題である「2025年問題」も、山崎章郎氏の足跡と提言を読み解くことで希望の光が見えてくる。住み慣れた街で最期まで生きる在宅ホスピスについて話して頂いた。

終末期をその人らしく在宅で過ごすための「医療・看護・介護」のチームと拠点作りを推進し続けて…

ケアタウン小平クリニック院長

ケアタウン小平クリニック
院長 山崎 章郎   氏

―山崎院長のこれまでの歩みについて、教えてください。

私は1983年に1年間大学病院を休み、船医として、前半は北洋のサケマス船団、後半は、南極海底地質調査船で働きました。後半の南極海で、故エリザベス・キューブラー・ロスの「死ぬ瞬間」という本を読んで、感銘を受けました。船をおりてから再び外科医として勤務していましたが、今までの自分の終末期医療に対する考え方が全く変わってしまいました。

1980年代の頃は、未だガンの告知もされていない時代で、亡くなる時は必ず心臓マッサージや蘇生術等をした後に、初めて〝ご臨終です〟と言えるような時代でした。そこで私は、終末期医療の一つ一つの行為の在り方について確認をしていきました。その本を読んで、臨終の場面で蘇生術を行うというのが本当に正しかったかどうかを考えることになり、家族の人たちに〝もう直ぐ臨終は近いけれども、心臓マッサージは出来ますがどうしますか?〟と尋ねると多くのご家族から〝静かに見守りたい〟と、断られました。そういうことを積み重ねてきた訳です。人生の主役は本人ですが、その当時、がんの告知はタブーでしたので、自分は何で死んでいくのか分からないままに殆どの方が死んでいきました。これはおかしいだろうということで、タブーだった末期の癌告知をするようになりました。全員には出来ませんでしたが、患者さん達が、たとえ末期の癌であっても自分の運命をしっかり受け止める力があるということが実際に分かりました。

しかしながら、その人たちが最期を過ごす場所は、一般病院しかありませんでした。自分の人生の最期を自分なりに精いっぱい生きようとしても今のような在宅医療もありませんでしたから、最終的にはみんな病院に戻って病院で死んでいったのです。病院というのは、治療を前提とした環境で医者も看護師も治療のために頑張っていましたから、やはり人生の最期を静かに過ごす環境ではない訳です。結局、一般の病院は人生の最期を過ごす場所としては、相応しくないのではないかと思い始めて「ホスピス」こそが終末期医療を変える取り組みであると思うようになりました。それで当時の終末期医療の現状を変えたいと願って書いた「病院で死ぬということ」が、私が最初に書いた本です。しかも、その本の中で〝僕はホスピスを目指す〟と宣言をした訳です。そういうこともあって小金井の桜町病院から〝ホスピスを作りたい、ひいては来て欲しい〟という話があって、ホスピスケアを始めたというのが経緯です。

―桜町病院には何年位いらしたのでしょうか?

桜町病院ホスピスには1991年から2005年までの14年間勤務しました。ホスピスケアは、人生の終末を過ごさざるを得ない人にとって、大切なケアですが、医療保険制度に基づいたホスピス(緩和ケア病棟)では、そのケアは終末期がんの人たちにしか出来ませんし、ホスピスに来られた患者さんしか診ることが出来ません。また、患者さんの多くはホスピスに入院したことをとても喜んでいたけれども、やはり〝本当は家に居たかった〟という人も多かったのです。家に居たかった人と癌ではない人も診るためには、ホスピスのチームが家に出向けば良いのです。しかしそれにはどうしたら良いかと考えた時に、ホスピスのチームが地域に出やすいような拠点を作ろうとなったのです。「医療」と「看護」と「介護」のチームが一か所にあれば、いつでもカンファレンスも出来ますし、それはホスピスと変わりません。距離3から4km圏内の所に行きますが、その患者さんに関わる職種は皆同じ所に戻ってきますから、桜町病院ホスピスのケアと変わらないケアが出来るだろうと思って、そのために必要なハードを作ろうとなりました。

―「ケアタウン小平」は、幸運にも理想とされる場所を見つけられたということでしょうか?

ここまで来たのはそんなに簡単ではないんですよ(笑)。地域の中でホスピスケアをというケアタウン小平構想に、桜町病院ホスピスでコーディネーターとして一緒に仕事をしていた長谷方人氏が、共鳴してくれて、ホスピスを辞めて「暁記念交流基金」という不動産会社を立ち上げてくれたのです。そして、ハードは私が担う、ソフトは先生が担ってと言うことになったのです。実際に1年近く土地探しをして、あの頃はバブル崩壊の時期で、銀行が土地をいろいろ手放していて、ここは東京都民銀行の運動場の跡地だった所です。この「ケアタウン小平」の一階部分の多くは、大家である長谷さんから借りているんです。また、ここの建物を運営するのは1階だけの収入では無理なので、であれば2階3階はアパートにしようということで、「いっぷく荘」というアパートになりました。「いっぷく荘」も大家さんが管理しています。

―いま、地域包括ケアシステムが推進されていますが、そのモデルのような場所という感じがします。

ケアタウン小平チーム活動当初は、よく厚労省の方がお見えになっていました。地域包括ケアシステムの旗振り役を務めておられる当時厚生労働省の事務次官をされていた辻さんも何度か来られて〝此処は一つの理想ですね〟と仰られて、いろんな講演等でもモデルとして「ケアタウン小平」をよく紹介してくれました。我々自身は、地域包括ケアシステムという構想をもっていた訳ではなく、地域の中でホスピスケアをしようと思って取り組んで来たのです。ただし、地域の中でのケアというのは、生活継続の上で出来るものであり、医療だけでは出来ません。必然的に医療と介護が連携を組まなければ、地域の中で最期まで暮らすことは出来ないということは、最初から分かっていました。

今の地域包括ケアシステムというのは、いろんな事業者が一か所に集約するのではなく、地域の中にあるものをそのままにしておいて繋がろうとしている訳です。それでも勿論無いよりはずっと良いと思いますし、慢性疾患とか認知症の方達に対しては、緩やかな連携で良いと思います。ただし癌の患者さん達の約半数は在宅ホスピスケアを開始してから1か月位で亡くなりますから、やはり密度の濃いチームケアが必要だろうと考えてやって来ました。結果的に我々は癌ではない人たちも診ていますが、癌の看取りが出来るチームは、どんな看取りでも出来てしまうわけです。もちろんいろいろな問題に直面しますし、それを1つ1つクリアしないと先へ進めませんが、癌の人たちは家族の問題を含めていろんな問題を抱えていますので、それをちゃんとケア出来れば、他の疾患の問題殆どは対処可能ということですね。

―終末を看取るということは、24時間拘束されるためか、やはり在宅医療に入ってくださる医師の方が未だ足りないということもお聞きします。その辺はどうなのでしょうか?

やはり24時間なんですね。24時間を診ていくためには、医者が一人ではとても出来ませんから、チームが必要です。「ケアタウン小平クリニック」を始めてから半年間、医者は私一人でした。それから二人体制になって、三年後から三人体制になりました。三人体制であればお互いに交替して休めますから24時間体制の継続可能です。やはり、一人の先生が24時間というのは中々難しいと思います。頑張っている先生もいますが、多くの患者さんを診ることはできません。医者も看護師も一人で負担を背負うのではなく、一定数の医療チームがいて、ある程度、負担を分担しあえるようなチームが出来れば、介護を含めた地域包括ケアシステムは可能であると今思っています。

日本の地域医療を支えているのは、基本的には開業医です。開業医というのは、殆ど一人開業医ですから、その先生達がどうやって24時間担えるのか。24時間拘束されるというのは凄く精神的に大変なことです。其処を解決しない限り無理でしょう。そこを解決するためにこの4月から診療報酬改定で、主治医の都合が悪い時には別の先生に連絡をとって、その先生は副主治医として主治医の留守を預かるというような、「主治医、副主治医制度」を導入しています。また、一人開業医の先生が三人でチームを組めば機能強化型の「在宅療養支援診療所」として、一人だけでやっている在宅の先生よりも診療報酬を少し高くして、チームを組んで負担を分担しながらやってくださいという制度になってきています。 結果として、制度がどれだけ上手く浸透していってそれに参加する医者が増えるかどうかですが、結局そういう制度が新たに出来てきたのは、医者の自発的な動きだけではとてもダメだということが分かってきたからだと思います。制度上そういう仕組みを作って、少しでも応援するとなってきていることは確かです。つまり〝頑張れば頑張っただけの甲斐がある〟〝頑張っただけ少しでも収入が増えるような仕組みにするからみんな頑張ってね〟ということです(笑)。こういう時代ですから今までの外来中心の医療だけではなく、在宅も大切な医療の役割であると、そんな風に意識が変われば、そしてその意識の変わった先生たちを応援する制度が今どんどん整備されてきているところですから、地域包括ケアシステムの成り行きに関しましては、もう少し様子を見ても良いのではないでしょうか。

―山崎院長は、講演で〝がんに限らずに、自分一人で生きていくことが大変な状況になっていく方々にとって、ホスピスケアの考え方・仕組みが素晴らしいものであるという確信を持つようになりました。しかしながら、現在の我が国の医療保険制度では、ホスピスでケアを受けられる人たちは主にガン患者さんに限られてしまうという限界を感じていました。従って「疾患の制限がない」「入院期間の制限がない」ことを考えれば、まさに地域の在宅は環境として整っているということで、ホスピスケアを地域の中で提供したいと在宅ホスピスケアに取り組みました〟と述べておられます。今年で13年になったと思いますが、そのお考えをあらためて聞かせていただけますか?

人が人生を終えていくのに何が必要かというと、まず基本的には、食べること、清潔を保つこと、排泄すること、それがだんだん出来なくなっていきますので、欠かせないのは毎日生活をしていく上での介護です。キチンと世話をしてくれる介護が必要です。亡くなっていくということは体が変化していくことですから、その間に苦痛も出るかもしれませんし、どうしても医療は必要です。しかもそういう変化は夜昼なく起こる可能性がありますから、24時間の医療と看護が基本的なものとしてあり、其処にその人が亡くなるまでに必要な介護があれば何所でも人生は終われるということです。

ホスピスにしても病院にしてもそこで人生を終えていけるのは、其処に医療と看護、しかし看護の殆どは介護です。それがあるから出来る訳で、医療と介護さえキチンと整っていれば、場所は問わないのです。病院はその人にとって居心地が良い場所ではありません。従って居心地の良い場所があって、其処に今話したような24時間対応できる医療チームが参画すれば、何所でも通用するということなのです。自宅でもそうですし、24時間対応の医療・看護のチームがしっかりあれば、後はどうやって介護を整えるかという話です。家族の方がみたり、介護のヘルパーさんなり、たとえ一人暮らしの人であっても介護がなんとか充たされれば、4年前の上野千鶴子さんとのシンポジウムでお話がありましたように介護保険の隙間を埋める工夫さえできれば、「おひとりさま」でも、最期まで住み慣れた家にいることは十分可能ですと皆さんに堂々とお伝えできます。今後どうしても「おひとりさま」が多くなります。今は老々介護であってもどちらかが先に亡くなれば「おひとりさま」ですから、「おひとりさま」は否応なく増えます。

よく孤独死は良くないとされていますが、孤独で死んでいくのと孤立で死んでいくのとでは違うと思うんですね。孤独を愛する人もいる訳で、必要な時に必要なサポートを受けられた結果一人で亡くなっていくとすれば、その人にとっては満たされた死になるのかもしれません。しかしながら助けを求めても誰も来てくれない中で死んでいくのは、これは辛いです。必要な医療や看護や介護も入っていたけれど、たまたま最期は誰も居ない所で亡くなったとしても、そのことも覚悟してそのような過ごし方を選んだのであれば、それは見捨てられた死ではなく、決して不幸ではない。従って、自分が一人暮らしで、最期まで在宅で過ごしたいということを考えるのであれば、そのためにはどういう条件が整ったら出来るのかということはある程度シュミレーション出来ると思います。今の私にはその辺がよく見えてきています。〝一人では家で死ねない〟と誰かが言ったとしたら〝そんなことありませんよ〟〝それを出来るような条件を整理してみましょう〟と言えます。一人暮らしで過ごすための足りない条件を1つ1つ整理していけば、足りないものを如何やって補っていけばいいのかとなりますので、様々な工夫が出来ると思います。

―「ケアタウン小平チーム」では、いま盛んにいわれている〝医療と介護の一体化〟が上手く行われているように思いますが、何故他の地域ではまだそれほど上手くいっていないのか、その原因はどこにあるとお考えでしょうか?また多業種連携のコツみたいなものがあれば教えてください。

ケアタウン小平チームの特徴は医療・介護チームが隣接しているため、いつでも顔と顔を合わせたコミュニケーションが図れると言うことです。そして何よりも「地域の中でホスピスケアを」という共通理念のもとに活動していることだと思います。まず理念ありきで活動してきました。制度があるからやるのではなく、社会が必要としているから取り組んできたという感じでしょうか。ケアタウン小平チームの一員であるケアタウン小平クリニックにとっては、訪問診療に関わる新たな制度は、我々の活動を応援してくれるかの如く、ほとんど後からついてきたと言えるほどです。 多職種連携のコツは、まずは患者さんの尊厳を守るという理念を共有することと、その理念の下には、どのような職種であっても、お互いに対等であると、お互いをリスペクトしあうことだと思います。それから、終末期がんの患者さんのように短期間に病状が変化する状況に速やかに対応できるようなチームを作ること、そのためには、できればお互いの物理的距離も近い方が良いと思っています。 つまり、上記のような多職種連携が上手くできないと、医療・介護の一体化もなかなか難しいのではないかなと思います。ケアタウン小平チームは、実際に活動している一つの地域モデルですので、ぜひご参考にしていただきたいと思います。

―2025年に在宅医療を受ける人が100万人を超えると言われております。また、16年の死亡者のうち自宅で亡くなった人は13%であったとされています。やはり山崎院長は講演で〝半径3から4キロ位が適切と思って行っています。この3年間、私たちが在宅で関わって亡くなった人の数は270人。その内ガン患者さんは235人(85%)は、在宅で看とりが出来ました。ガン以外の方達も約74%の方は在宅で看とりが出来ました。ご本人とご家族が「最期は在宅で」を希望された方達は、ほぼ100%でした〟と述べていらっしゃいます。このことから2025年までに国がのぞむ在宅医療はある程度達成できるとお考えでしょうか?

そこは微妙なところという気がしています。2025年には、わが国の年間死亡者数は約153万人と予測されています。2017年の推計年間死亡者数は約134万人強ですので、2025年には、現在よりも約19万人、死亡者が増えることになります。病院のベッド数は増えませんので、その増加した死亡者の看取りの場所を病院以外の在宅も含めた、その人たちが生活している場所(老人ホーム等の介護施設)にする必要があります。今までお話してきたように、24時間対応の訪問診療と訪問看護があれば、生活している場所で最期まで過ごすことは可能になります。そのような生活できる場での看取り率を、現在の13%から30%半ばまで増やすことが出来れば、国が望む在宅医療は達成可能だと考えています。
また、介護施設側も、制度上の後押しもありまして、なんとか「看取り」をしようと頑張っています。ただ、介護職の皆さんが、看取りについての経験が無ければ、目の前の人が亡くなっていくことはやむを得ないことと分かっていても、こんな状態で病院に行かなくてもいいのかなど、不安なことがいっぱいあると思います。

そこで、介護職の方々を対象にした看取りに関した研修は必須だと思います。例えば、〝人はこんな風な経過で亡くなります。しかしそれは本人とってはそんなに辛いことではないですよ。あるいは老衰の結果として食事の量が減ってきますが、それは自然なことなんですよ〟等、そういうことを医療者が適切に伝えて、目の前にいる人の老衰の経過やその結果としての死を、これは人が人生の最期を迎える自然の姿なんだと思えるようになれれば、介護施設でも不安なく看取りができるようになるのではないでしょうか。

―看取る側の家族や親族もそういった学習をしていくことが大切だということでしょうか?

そうです。昔は殆どの人が家で亡くなりました。当時は医療もそれ程濃厚ではありませんでしたから、そういう意味では老衰で亡くなった人もかなりいたと思います。従って家で亡くなっていましたので、その経過はつぶさに身近な家族が見ていたでしょう。また医者もたまに往診していたと思いますが、老衰を見守るぐらいしかできなかったでしょうから、結果的に平穏な死が多かったのではないでしょうか。

しかし医療がどんどん進歩して、病院に行けばもっと医療が受けられると病院信仰が深まって、最期ぐらい病院で終わりたいと変わってきました。その後は、多くの人が病院で亡くなっていましたので、医者や看護師に全てを任せながら見守っていたのです。殆どの病院で点滴をしていましたからあんな風にしなければ死ねないのかと思ってしまう人々がいても不思議ではありません。しかしながら、病院で死ぬということは決して幸せではないということが分かって、在宅での最期を希望する人が増えてきているのだと思います。人が亡くなっていく経過を家族や身近な親族の人たちも含めて、しっかりと共有し、この場面で延命医療をしてしまうと生命維持は可能であっても、その無理とも言える延命治療は本人には苦しいのかもしれないといったことなども理解し合えれば、そしてそのことを医療・看護・介護が共有出来れば、在宅なり介護施設などでも、最期の時間を迎えやすくなるのかなと思います。  

例えば、在宅での平穏な死を目の当たりにすれば、人はこんな風に死ねるんだ、死ぬと言うことは怖くない、これだったら大丈夫となっていくと思います。誰もみな何時かは当事者になります。当事者になってから慌てることのないように、今の内から少しずつそういうことに備えて、考えておくことは必要です。

―山崎院長は〝今ケアタウン小平を支えてくださっているボランティアの皆さんの内、約2割の方がご遺族の皆さんです。つまり、私たちがその方々を必要としていて〝ちょっと応援していただきたい〟と言った時にご遺族の皆さんが私たちを助けてくださるという関係です。これは正に患者さんが亡くなるプロセスを共有した人たちが新しい絆を結んでいくということになります〟と。そういった地域社会での理想的なかたちを形成され、いま最も求められている地域力を育まれていらっしゃいますが、どういう道筋をたどって来られたのでしょうか?

病院で亡くなるということは、そこで物事が完結してしまいますので、それでは医療者とご遺族との関係性の継続は難しいと思います。しかし在宅での看取りの場合、亡くなった場所は我々の活動のエリアですから、訪問診療の道すがら、時々ご遺族に出会うこともあります。また、我々ケアタウン小平チームの取組みの1つに、遺族ケアがありますが、ご遺族のもとに仏壇に供える花を届けたり、半年に一回ご遺族との茶話会を開いたり、一年に一回偲ぶ会を開いたりと、ご遺族どうしが交流できる場を設けています。遺族の方たちの中には、ご主人を亡くされた人もいれば、子供を亡くした人、親を亡くした人もいて、遺族としての立場は夫々違いますが、家で看取ったという経験は同じです。

ただ、家で看取ったという経験は個別の経験なので、その個別の経験が本当に良かったのか如何かという検証をすることは出来ない訳です。しかしながら、或いは自分たちの中に秘めている〝本当にこれで良かったのかしら〟という思いを遺族同士で話し合いが出来ることで、自己肯定出来ることもあるのです。そのような経緯から、在宅遺族会「ケアの木」が誕生しています。「ケアの木」はご遺族の皆さんが中心になって活動しています。つまり個別の体験を持った方達が繋がる場を作ることによって、新しい繋がりが拡がっていくかたちです。ところで、ケアタウン小平では毎年ボランティアを募集していますが、毎回ご遺族の方も参加してくださいます。つまり、我々がサポートした人たちが今度は我々をサポートしてくれるので、それは亡くなっていった人たちが残してくれた1つの贈り物みたいな気もします。ボランティア活動を通して、新たなつながりがさらに広がっていくことを感じています。

―〝何故この人たちが最期まで、此処で一人で暮らせたかというと、いよいよとなった時に、同居していない家族や子ども或いは友達が交替で来てくれて介護保険の隙間を埋めた。介護保険制度の足りない部分を工夫すればなんとかなる。終末期のがんの場合には、自分のことが出来なくなってから亡くなるまで約1か月です〟とも述べられておりますが、介護保険の隙間を埋めたり、介護の宅配サービスについても教えていただけますか?

24時間対応の訪問診療や訪問看護があることを前提に、亡くなるまでの介護があれば、在宅で最期まで過ごすことは可能であることは、今まで述べてきた通りです。ですから、独居の方の場合であっても、介護保険による訪問介護のはざまを埋めることが出来れば、最期まで家にいることは可能なわけです。我々も、独居の方の看取りを行っていますが、では、どうやって、その狭間を埋めたのかと言えば、普段は来ないけれどイザという時に期間限定であれば助けるという親戚がいたり、友人が居たり、自費でヘルパーさんを頼むなどしていました。地域性があるでしょうけれども、少なくとも介護保険や医療保険制度は全国共通ですから、その様な制度以外にこの地域であればどういう資源を活用すれば狭間を埋めることが出来るのかという目で見ていけば、制度のはざまの埋め方は、ボランティアも含めていろんなやり方があるという風に思います。 例えば、大牟田市が市民を対象に認知症のサポーターをどんどん作り上げました。つまり、認知症の人々を守るために地域住民が参加する訳です。結果的に、認知症の人たちが町の中を歩いていても誰もが見守っていてくれるようになるわけです。いろいろ工夫をすれば出来ることはあると思います。世の中をよく見渡してみると「ケアタウン小平」もそうですが、必ず先進的に社会の課題に取り組んでいるところがあります。そのような先進事例が上手く組み合わさっていけば素晴らしいと思います。

―〝私たちは、人が亡くなることを医療的な事象としてだけは見ておりません。それは、誰の身にも起こることです。死は適切な苦痛緩和が出来ていれば、恐れる苦しいものではありません。重要なことは、大切な人が亡くなっていく過程に家族や地域の皆さんが参加することです。私たちが在宅ホスピスケアを通して目指すことは最後まで住みたい地域社会を創ることです。最後まで人権が守られ、自立と尊厳が守られる地域社会です〟。またディスカッションの最後に、〝目の前にあるニーズをしっかり見つめていけば普遍的なものは出てくるんです〟と結ばれています。このことに関して、あらためて山崎院長からご説明いただけますか?

人が生きて死んでいくということは、これは正に普遍的な事実ですから、そのプロセスの中で何が問題で何が課題で、如何取り組めばそれが解決できるのかということについては、現場に居る人たちに直接会ってその人たちの声を聴き、その声にキチンと応えていけるようなものを創り上げれば良いのだと思います。1つ1つの声には個別性があるけれども、多くの声を聞くことで、この課題にどうやって応えたらいいのかという普遍性が見えてくるのではないでしょうか。そのためには、制度内だけでは応えられないことも多々あるでしょう。制度の後押しも必要ですが、我々が次の世代により良い社会を残すのであれば、今の時代に生きている者の役割として今の時代の課題をしっかりと解決していくことに取り組む必要があるのではないでしょうか。それは、今の問題の解決のためだけではなく、未来を拓いていくためであるわけです。それくらいの意識を持って、この時代を生きていけたらと思います。誰かが苦しんでいたり困っている場面に立ち会うことを選んだ専門職の人たちはよりその志を持って欲しいと思っています。

山崎章郎(ふみお)氏プロフィール

在宅緩和ケア充実診療所ケアタウン小平クリニック院長。1947年、福島県出身、75年千葉大学医学部卒業、同大学病院第一外科、国保八日市場(現・匝瑳)市民病院消化器科医長を経て、91年聖ヨハネ会桜町病院ホスピス科部長。97年より聖ヨハネホスピスケア研究所所長を兼任。2005年在宅診療専門診療所(現・在宅緩和ケア充実診療所)ケアタウン小平クリニックを開設し、訪問診療に従事している。日本ホスピス緩和ケア協会理事。日本死の臨床研究会世話人代表、NPO法人コミュニティケアリンク東京・理事長。著書に『病院で死ぬということ』(主婦の友社、文春文庫)、『続・病院で死ぬということ』(同)、『家で死ぬということ』(海竜社)、『市民ホスピスへの道』(共著、春秋社)、『「在宅ホスピス」という仕組み』(新潮社)など多数。

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