ビッグインタビュー 【新・柔整考⑭】 業界内外の声をお聞きする!
(公社)日本柔道整復師会で広報を長く担当された徳永正人氏は、長きにわたって柔道整復業界を真っ直ぐ見つめてこられた方である。しかも徳永先生は、業界の隅から隅までご存知の方で、同時にその見つめる視線は実に鋭く、優しく温かい方である。その徳永先生にこれまでのこと、これからのことを尋ねてみた。
我々柔道整復師の責務の一つに、後進の育成と地域貢献も含まれると思います!!
―名倉堂接骨院の歴史的な経緯についてと、どういう手続きをすることで「名倉堂」と称することが出来るのでしょうか?
千住と言えば名倉、名倉と言えば千住、など諺にもあるように骨接ぎの代名詞となっていますが、36世の直賢(なおかた)(1750-1828)の時代に最大の転機が訪れて、直賢は「骨接ぎ名倉」の元祖になりました。
骨接ぎには長い歴史があり、おおまかに言うと、江戸時代以前は、軍事の中で戦傷を治療する金創医の医術と考えられています。
江戸中期に千住で骨接ぎを開業した名倉直賢の生誕から数えて約250年の七代目にあたる名倉弓雄が昭和49年(1974年)に「江戸の骨つぎ」という本を出版されています。またその弟の名倉公雄がやはり「江戸の骨つぎ」昭和編・整形外科「名倉」の人びとを出版されています。どちらも整形外科医です。中には軍医になった人もおりました。
名倉堂って凄く多いようなんですが、ちゃんとした骨接ぎをやるなら誰がつけても良いとされており、本当にそうなんです。
私の場合は、私の母方の祖父・和地寒次郎が明治天皇の前で天覧試合をやった柔道家でした。その次男坊が和地和寿(マサジュ)といいます。花田学園の教員をしており、また東京都の接骨師会の監事もしていました。世田谷の三軒茶谷で開業して、10人以上のお弟子さんがそこから出ております。
その中の一人が私たちの大先生にあたる奥村節夫先生です。兄が奥村先生の一番弟子で修業をしておりました。私は出版社に勤務していましたが、兄に〝人手が足りないから一緒にやってくれないか〟と言われて、それで柔道整復師になった訳です。
ですから和地の関係で茨城の川俣和弘先生もその関わりです。また和地先生は長野県の牛山正実先生の研修先です。その和地先生が世田谷の名倉の祖みたいな方です。そのご子息が、整形外科のドクターになっています。三男坊の方が小豆島で開業しています。
ですから私には兄と奥村先生という2人の先生がおります。私は、24歳で会社を辞めて花田学園に行きました。その時の担任が現在有明医療大学・花田学園の理事長をされている櫻井康司先生でした。櫻井理事長の弟さん、故「櫻井健雄」先生と一緒に都柔接保険部員として活動、彼はその後保険部長を長く勤め、多くの会員から慕われましたが、癌で逝去されました。不正を嫌う絵に描いたような勇気のある一本気の柔道整復師でした。惜しい方をなくしました。
私は学校を卒業して3年くらいしか修業をしておりません。兄から〝近くに骨接ぎが出来てしまうから、早く開業しろ〟と言われて、それで千歳船橋に来ました。
近くの豪徳寺には田渕健一先生がいらっしゃって、本当に柔道整復師に理解のある先生で、患者さんを送っても〝こうしなさい、ああしなさい〟ときちんと提示してくださいました。凄く有難かったです。
また早稲田大学の福林徹先生と田渕先生とのお二人が居たから、柔道整復師も科学的なものを求めなければいけないということを理解したように思います。そういう経緯があります。
また超音波が出来てもう30年位になりますが、志保井義忠先生の尽力も勿論ありますし、田渕先生も後押ししてくださいました。
従って今、養成校では必ずレントゲンだけではなくMRI等の読影を勉強しています。この頃は、患者さんが画像やCDを皆さん持って来られますから、当院に居る若い子達はMRIでもCTも読影できるんです。私は分からないから教えてくれって(笑)。
―匠の技の講習会で超音波についても勉強されて、その方が地元に帰って若い方に教えるって可能なんでしょうか?
いま各社団に、超音波を1台ずつ設置しております。当院にもありますが、やはり解剖が分からないとダメです。ただ今の超音波は解像度が良いですから、そういった意味では楽だと思います。
ただし絶対に解剖を勉強していないとダメです。当院にも臨床実習で学生が来るけれども、その子達に解剖と生理学をやっていないとダメだよと言っています。
もっとみんなに超音波を広めなければいけないけれども、何故もっと広まらないのかという理由については、柔整師が割と安易な癒しみたいなものに動いてしまっている部分が多い。つまり解剖が分からなくても、マッサージをしていれば良いし、それで500円とかの一部負担金がもらえるみたいになってしまっているからだと思います。
しかしながら、当院の子達にも言っているのは〝解剖をやっていれば、こんなに面白い機械は無いよ〟と。佐藤和伸先生もそれを言っていて、世田谷でも彼がエコーの実技をして、〝整復の実技をお前がやれ〟と言われて、二人でタッグを組んで行ったこともあります。
若干値段が高いこともありますが、やはり安易なほうに治療が流れていってしまっていることが問題だと考えています。
―早稲田大学スポーツ科学学術院の金岡恒治先生の講習会に行かれていたように記憶していますが、どういう理由からでしょうか?
何回か金岡先生の講習会に行きました。なにしろ「病態別運動療法」は、凄く分かりやすいんです。だから聴いていて凄く楽でした。接骨医学会でも金岡先生の講演をやったことがありますが、その時も多くの柔道整復師の方達が聴講されて、とても人気がありました。やはりキチッとした形で言い切れるというのは大事なんだと思います。柔整師は妙に治すことにこだわりますが、それはどうかなと?
金岡先生は、一時テレビにも随分出演されていましたし、一緒にやっているPTの方も随分取り上げられていましたね。
―日整の広報を何年位されていらっしゃいましたか?中でも印象に強く残っていることがありましたら、お聞かせください。
私が広報に居た時は、北海道の元会長の沢田守先生も理事でした。原健会長、茂住延壮会長、萩原正会長の時も広報でしたから10数年でしょうか。
とにかく大事なことは会員増強みたいな形でしたし、あとは柔道整復師がやっていることをお互いにみんなが共有できるようにしなければいけないということで活動しておりました。
一番印象に残っていることは優秀な編集マンがついていたことです。私と奥田先生、内藤先生とで、後はみんな話しているだけでした(笑)。あの当時は、会員も沢山いましたし、ある程度金銭的な余裕もありました。
それから岡山県の会長である小合洋一先生は〝こういう風にやって行こう〟って、凄いリーダーシップを発揮してくれましたし、我々がミスをしても庇ってくれました。下の者には優しかったです。3年ほど前に亡くなられた信原克哉先生にしても、小合先生にしても優しかった。
一番お世話になったのは大阪の副会長で日整の副会長だった阪本武司先生です。広報時代の一番の思い出は良い上司もいたし、良い編集マン、阪本先生も居たし、懐かしいです。
―今は、若い柔整の先生達が食べていかれなくなっているとよくお聞きしますが、そのことについては?
以前は理解ある健保組合もありました。ところが今は、調査会社のほうが通院1回でも調査に入ります。やはり、手数料が欲しいからだと思います。
正しい接骨院のかかり方というパンフレットがよく配布されていますが、これには「具体的な外傷だけ」とあります。しかし栃木県会長である田代富夫先生は、外傷だけではなくMSDマニュアル(医学事典)によると、テニス肘も外国では外傷として認められているんです。そういう後ろ盾のハッキリしたものをやはり出さないと、これからの柔整はダメですよ。そういう風にやっていかないと保険者の理解は得られないし、また保険者の啓蒙も出来ないということを言っています。
しかも田代先生は、柔整は新鮮外傷だけが取り扱えるのではなく、繰り返し捻挫だって使えるということをちゃんとカルテに書いて、問診票とカルテを患者さんに渡しています。
従って、調査が来た時には、こういう風に答えてくださいとやっているから、返戻率が栃木県は一番低い。それと同時に患者アンケートもとっているんですね。
とにかく自分の接骨院を良くしたかったら、若い初診の女性の患者さんに聞くようにと。そういった意味で女性は厳しいから、いろんなことを伝えてくれます。リピーターの患者さんがいるとしたら、リピーターばっかり来ていると新しい患者さんが来なくてダメになりますとも話されておりました。
―20数年前、健保連の対馬忠明専務理事にインタビューをしました。対馬専務は、日本には、鍼灸も接骨院もあり整形外科もあり病院にもかかれて、日本人は幸せな国民ですと仰られました。その当時と今の違いについては?
昔は4部位、5部位でも請求出来ました。その時代の先生達は割とやりたい放題できたかもしれません。
今はその時代の先生達からみたら40年以上経っていますので、その間に柔整は安易に入学出来るようになった感もありますし、更には安易にお金を得ることが出来るみたいになってしまいました。
我々の時代には、学校数は14校と決まっていて、1050人体制でした。しかし、今はそうではなく、しかも入ろうと思えばOA入試ですから、面接だけなので、誰でも入れてしまいます。人を治したいとか、運動部で怪我をした時に接骨院の先生に治してもらったから自分もそういう職業を志した等、全くそういう意識がない子も入ってきます。そういう子達は、やはりグループ接骨院というか、オーナーが居るチェーン店みたいな所に勤務すると給料も高いし、治すことよりもお金が欲しいという形になってしまって凄く怖いです。
確かに今の若い人は、当院の若い先生も国家試験のための勉強は出来ます。また解剖も生理もよく出来ます。ただし、〝来た患者さんに当てはめて診てね〟というと中々出来ません。あくまでも柔整師は間口を広く持っていなければなりません。単に4大疾患だけが来る訳ではありませんし、変形性の膝か腰の痛み、頚椎症、脊柱管狭窄症もそうですし、股関節痛等もありますから、そういうものに対応できるような下地を作らなければなりません。
今度漸く保険取扱いは研修年数何年や、開業年数何年というように学校教育も変わってきています。つまり、そういう風にしないと基礎が無いのに安易にやってしまいます。
―国家試験の漏洩問題が大きく報じられましたが、その影響については?
やはり国家試験の漏洩問題があったことで、社会的信用が著しく落ちたと思います。
ただし、当院というか、どこでもそうだと思いますが、来られている患者さんとは信頼関係があります。各院での信用の失墜は無いように思いますが、これから接骨院をやろうとされている人はそういうことがあったということをしっかり認識してやっていかないと信用は得られないと思います。
倫理観の欠片もない人が柔整業務を行っている例は数多くあり、ビックリするほど様々な事例も判明しているのが現実です。逆に言えば、グレーでやっていても大丈夫と理解しているグループ接骨院等の方達は、そういう風な教育をしているのかもしれません。
従って、そういった意味では、保険は保険、自由診療を行うのであれば、しっかり線引きをして患者さんの了解の下でやれるような院づくりをするべきでしょう。
もう1つ、それにはやはり自分の力量、これが我々の業務の範囲であり、ここから先はドクターに任せたほうが良いとして、そういう形での医接連携を行うべきです。頼るだけになるかもしれませんが、そういう風にしていった方が良いと思います。この地域のドクター、整形は何所も繁盛しています。
ただ患者さんの中には病院よりも接骨院が良いからと、我々の所に来る人は多いんです。それに対してもやはりどのようなフォローをしていくのか、定期的に病院に行ってもらって検査を受けるのか、そういう風にキチンとした形にしないと、抱え込んだら絶対にダメだと思いますし、内科に行くことも必ず頭にいれておいてくださいということを伝えております。やはり何が隠れているかというリスクマネージメント的なこともキチンと行っていったほうが良いと思います。
―抱え込んでしまいたい人が多いということなのでしょうか?
そうです。やはり患者さんが少ないからです。今後、広告の規制等もありますので、出来るものと出来ないものが提示されると思います。
私もホームページをやるようにって言われますが、あまりそういったことは得意ではありません。ツールとしては、ホームページも良いかもしれないけれども、やはり一番は口コミです。
先述の栃木の田代先生もこの前の講演で仰られていましたが、私もそうだと思います。口コミをしてくれる患者さんというのは、確かに居るんです。中年のおばさんで〝あそこの接骨院がいいよ〟って必ず教えてくれる、そういう口コミをしてくれる患者さんを如何に多く作っていくかという努力も行っています(笑)。
ただし、一番はとにかく技量です。府中の竹内先生みたいに努力をするやり方もありますし、彼はとにかく勉強が好きなんですよね。
―自由診療についてはどのように考えていらっしゃいますか?
先ほど申し上げたように、これは保険で取り扱っても良い、これは取り扱ってはいけないという自分の中で線引きをするのであれば、行っても良いと思っています。どんな治療もそうですが、保険診療としてカルテに残すこと、特に何かがあった時に保険診療ではキチンと書いていなければなりません。
保険診療ではないものに関しては、私は自由診療を行っても良いと考えておりますし、そういった意味でいろんなやり方があると思います。
ただし、保険診療でやっている治療と同じことをやるんでしたらやらない方が良いと思います。
単に長時間マッサージをするとか、電気の種類を変えるとか。そうではなく全く違うような方法、日本には様々な手技、腱引き等もありますし、腰痛を一発で本当に治す先生もいらっしゃいます。そういう技術を積んでやるんでしたら私はかまわないと思います。そうすれば1回来たら、5千円なり8千円なりの治療料金を頂く。そうした治療を行うことで、痛くて歩けなかった患者さんが歩いて帰ることが可能になって、そういう時はここに来れば良いんだとなれば、それは地域の信用を得ることになります。ただ漫然と時間を長くするとか、先ほども言ったように高い料金が欲しいからとして、いま骨接ぎでも、マッサージ何分いくらってありますけれども、あれは私は保険外治療ではないと思っています。あれは偽の保険外治療だと思います。
つまり技術が裏付けされていれば良いんですけど、裏付けされていなければ行ってはダメだということです。
―償還払いの話が持ち上がったのは、何時頃からなのでしょう?
そういった意味で、理論的な武装の出来る人間が日整にいなくなってしまったから、本当につけこまれていると思います。20年以上前から、行政は考えていたと思います。柔整校の乱立、資格保持者の増大による療養費の増加。部位別算定を減らす事で総額としての療養費を段階的に減らし、最後は「償還払い」に持っていく、行政は長期的な戦略で柔整の療養費を減らして行こうとしたんだと思います。
―今後について、どのようにお考えでしょうか?
私は、もうとにかく優秀な若い人が自由に闊達な議論が出来る場を作ることが出来るのであれば、そういう場を提供してあげたいですし、みんなの活動を応援してあげたいと思っています。私も古稀を過ぎましたから、恥ずかしながら、糟糠の妻「千歳さん」が旅立って四年になり、今は家事見習いから家事主任になりましたので家のこともやっています(笑)。今はとにかく応援団にまわりたいですね。
いま私がやっていることといえば、これも会の関係でやっている訳ですが、「砧地区ご近所フォーラム」という、医師・歯科医師・介護の事業所・薬剤師・あんすこ・大学教授・学生の人や柔整師等、いろんな人が集まって月1で会を開いて、いかにしてこの地域を良くしていこうかということを行っています。そこに会のほうから〝徳永行け〟と言われて、丁度コロナの頃から、4年前位から参加しております。
今やはり地域では、子どもと高齢者と障がい者、その方達をどうやって地域として、共に共生していくのか。地域がその人達を助けたり、盛り上げたりすることが出来るかについて、年に1回3月に発表することになっています。私は、妻のことがありましたので、看取りの班に居ります。今年は、防災についての取組みを行っています。
徳永 正人氏プロフィール
1952年、東京都生まれ。出版社勤務を経て、花田学園柔道整復科卒業。1984年、名倉堂接骨院開業。現在は、世田谷区柔道整復師会相談役。世田谷区柔道会監事。世田谷区砧地区ご近所フォーラム実行委員。
PR
PR