ビッグインタビュー:全国在宅医療支援診療所連絡会会長・新田國夫氏
2015年4月25日に盛岡で開催された第17回日本在宅医学会もりおか大会で「日本の未来と地域包括ケアを見据えて~今後の日本医師会と日本在宅医療学会の役割を考える~」をテーマにシンポジウムが開かれた。そのシンポジウムで「在宅医療の未来」と題して講演された全国在宅医療支援診療所連絡会・新田会長に、在宅医療と地域包括ケアシステムの進行状況、更にはそのお考えについてお聞きした。 在宅医療の推進は、どちらかといえば医療費削減のための施策であるという声が大きい。しかし、果たしてそうだろうか。そうではなかったということが新田会長の話をうかがうことで見えてくる。在宅医療とは、医療を追及してきた結果として、また医療哲学として、未来の医療を問い、人間本来の在り方を根源的に追及した医療といえるのではないだろうか。
在宅医療を中核とした「地域包括ケアシステム」の構築は現在真っ只中であります!
医療法人社団つくし会
新田クリニック院長・
全国在宅医療支援診療所
連絡会会長
新田 國夫 氏
―〝在宅医療の推進はセカンドステージに入ったと言ってよいでしょう〟と講演で仰られましたが、出来ればファーストステージの取組みとセカンドステージの取組み、そしていよいよファイナルステージはどのような姿が予想されるのかについてお聞かせください。
おそらく在宅医療のファーストステージというのは、戦後において、2つあると思います。1つは戦後間もなくの頃、当時佐藤智(あきら)先生や農村医学を確立された佐久総合病院の若月俊一先生、或いは川上武先生、実地医家のための会の永井友二郎先生もいらっしゃいましたが、謂わば当たり前のように地域で医療を行っていました。それは在宅医療という言い方ではなかったと思いますが、所謂「往診」という形でした。病院・外来とは違った別の医療形態が存在した訳です。そのようなステージがあったと思います。それが最初の日本の医療の原点だったと思います。
更にいうと日本の医療の原点というのは、戦前も含めて病院・外来よりも往診医療が中心だった訳ですね。また、日本では1950年代から病院と診療所での死亡率が急ピッチで毎年増え続け、1976年に自宅死亡率を上回り、2005年には82.4%に達しました。つまり、日本では、1960年以降病院の世紀が本格的に始まったと私は思っておりますが、病院の世紀というのは、国内に民間病院がどんどん出来て、病院で高齢者をまかなうようになりました。日本はヨーロッパの歴史とは異なっており、所謂「特養」等、福祉系の施設が作られるのは、もっと後になります。従って、病院が高齢者医療をそれなりに賄ってきた訳です。
ところが病院は、急性期を中心とした医療でしたから、入院した高齢の患者さんを如何していいかよく分らないため、所謂点滴漬けにしていたという時代がありました。その背景に、「特養」というのは国民目線から言うと措置であり、お金がなくて身よりがないというイメージがあったんですね。もう1点は、其処へ入れるのが恥ずかしいという国民の思いがあったので、殆どの人が病院に入院させるようになりました。多床室を作って、場合によっては拘束もしたという時代でした。それが老人問題として出てきました。また有吉佐和子さんの『恍惚の人』という本にもなり、そこで初めて〝老人って一体何だ?〟という話になる訳です。その辺りも含めて、1987年に診療報酬で「病院から在宅」に対して最初の診療報酬点数がつくことになりました。
点数が、何故つけられたのかというと、やはり高齢者がそのままずっと病院にいると医療財政が破綻するということが1点です。もう1点は、このような状況への批判もあって、良いのか如何かということが問題にされ始めて、そこで「在宅」という話が出てきたのです。それが1987年であり、1990年早々から寝たきり老人総合診療医療という点数がついた訳です。私としては、これが本当の意味のファーストステージだと思っています。結局、ファーストステージというのは元々あったものに対して、診療報酬も含めて突入することになった訳ですね。従って、そのファーストステージというのは私たちが「在宅医療」を始めた時代で、1990年です。
またファーストステージが何時まで続くかというと、2000年は介護保険制度がスタートした年であり、介護保険というのは、病院に入院していた方たちが地域に戻っても、或いは在宅での介護を含めて整備しようという制度です。ゴールドプランという地域整備事業計画があって、保険制度としては介護保険制度を同時に作るとして、1990年代から動き始めていたんですね。ファーストステージの在宅医療を行う医師、私みたいな人が全国で結構パラパラ居た訳です。その人たちが一回集まってみようかといった話になりました。そこで同じ課題を抱えていたことが分ったんです。当時、地域を見渡してみると孤立化しており、やはり地域では、未だ病院の世紀が続いているのです。病院から家に戻る、戻った人たちを私たちが介護保険ができる前から〝家が良いよ〟という話でなんとかやるけれども、〝なんで家でみなきゃいけないの?〟という医療・介護も含めてそれが一般市民の常識でした。そういった中、ファースト一ステージの過程で、公的制度、特に介護保険を含めて診療報酬点数も整備されていきました。
しかし、整備されてはいるけれども、中々全国の医師の在宅医療の参入は、追いついていかなかった。じゃどうすれば良いかということで、国も本格的に整備に乗り出したのが、2006年で「在宅支援診療所」という制度を作る訳です。その在宅支援診療所が出来たということは、24時間の体制づくりを如何するかという話で、それを担う診療所を点数化しましょうとしたのです。それを行った結果、全国で頑張っている先生が在宅支援診療所の点数を取るようになる訳です。
そうやってある程度、拡がりを見せるんですが、それでもまだまだ地域の先生方は、在宅医療というのはとても負担が大きく、当たり前ですが24時間体制が中々とれない。もう1つは、在宅医療は総合診療です。在宅で癌の緩和ケアも行う、リハビリも行う、或いは難病もみる、様々な疾患を診ることになります。地域の開業の先生たちはいわば専門医から開業した先生が殆どです。私たちは自分たちで勉強してやったんですが、在宅への参入の方法、次のステップに行く時には、それがちょっとネックになっていました。そして、もう1つ大きいのは「連携」という社会性です。医療だけではない地域の多業種との連携ということに皆さんあまり慣れていない。地域の連携システムの中における在り方ということが中々見え難かった訳です。従って、セカンドステージというのは、其処を乗り越えるステップになったという風に思います。何故そうなったかというと、厚労省が105箇所の在宅拠点事業を全国に作ったと同時に日本医師会は、在宅医療推進協議会を設置し、日本医師会も其処で動き始めたのです。ということで、〝次のステップに入った〟というのが私の講演での話です。
―現在の取組みについてと今後はどのようになっていくと想定されているかを教えてください。
今は未だ何所へ行っても〝地域包括って何?〟って言われます。そうはいっても「医療と介護」の地域連携システムの中に、「在宅医療」が中心であると捉えられております。それは、どういう話かというと、区市町村の地域づくりという話になってくる訳です。つまり、「地域包括」というのは、あくまでも区市町村が責任を持って行うことになります。
何故、区市町村の地域包括であるのかというと、各区市町村によって全国所謂地域差があります。市町村の資源が違い、例えば医師会、訪問看護師、様々な業種を含めて違います。しかも、国民の意識も違います。それはどうしてなのか?というと、大都会と地方都市など、地域社会での住み方や暮らし方そのものに多様性があります。そのような状況の中で、夫々の地域の特性に応じた地域づくりが今求められるというのが先ず第1点です。
基本は、地域包括ケアシステムの確立です。かつて地方では例えば陸の孤島のような地方、或いは地方都市の更に地方といったような地域でみられた高齢化率40何%という数字が2030年~2050年にかけて大都市も含めて、それが当たり前の社会になるのです。いわば50歳以上の方が半数を占める人口構造、75歳以上の方がおそらく4分の1を占める社会になります。つまり、要介護が当たり前のようになってくる訳ですが、今までは其の方々を支える若年層の30代、40代、50代の人たちが居ました。しかし、これからはその支える人たちが居なくなる社会です。今の過疎地域で起こっていることが、大都会も含めて日本全体を覆うことになるのです。このことを、日本社会の未来像として、しっかり捉えて、それを乗り越えられるシステムを作っていかなければいけないと思います。
では、如何するのかという話になるんですが、私自身も徐々に分ってきたのは、人は先ず「健康」があって、次に「虚弱」があって、その次に「身体機能障害」があるという過程の中で、一番は「出来るだけ健康であり続ける」ことです。当たり前ですけれど、これに尽きるんです。これをキチッとすることです。次は、これも当たり前のように虚弱になった方々が健康になっていくような社会を作り上げること。一方で脳卒中・心不全等が原因で身体機能障害に陥ってしまった方へのケア、その両方をキチッとしなければいけないということです。 私自身が在宅医療に取り組んで見えてきたことは、要介護3・4・5の重い方たちだけをみていた社会から、要介護になる前の軽い方たちも含めて地域の中で看なければいけないという社会になるだろうと思っています。大きな視点の中で、その方々を今度はどのような人が担ってサポートできるのか。医師が専門医であり続ける時代は、もうあり得ないでしょう。やはり総合的な視点を持って、出来れば看取りまで出来る医師を育てないとなりませんし、そういう時代というのは「多死社会」になります。
もう1つは、勿論医師というのは一部の役割でしかありません。そして、医師が担当するのはあくまでも生活臨床です。基本は、生活に根ざした医療を行う医師です。その医師が生活をキチンとみれて、例えば臓器だけではなく、様々な機能障害に対してしっかり方向性を見極めることが出来ることです。更に言うと4つに分かれると思います。まず「疾病・病気」を考えます。その次に考えなければいけないのは「身体機能障害」、あとは「精神機能障害」と「環境」です。多くの医者は今まで病気を診てきました。これからは身体機能も含めて精神も含めてキチッとみれる医師が必要です。しかも、医師一人の力ではとても出来ませんから、そこで「多業種連携」が必要ですし、それよりもっと大きいのは、私は「住民の意思」だと思っています。住民がそれに気付かないとどう仕様もありませんからね。それが出来るようになること、結局は「まちづくり」です。最後の環境ですが、今後「一人暮らし」、「老・老」が当たり前の社会になる訳で、今まではこれを特殊な状況として捉えて「孤独死」などと称してきましたが、そうではなく、当たり前の社会だと考えることです。子供は出て行って居ない、夫婦二人だけで、男性は早く亡くなる人が多く、結局女性一人になるんです。そこをどうやって生きるかの社会です。途中経過は異なりますが、結婚し別れて一人暮らしの世帯になったり、老・老のどちらかが亡くなって一人になる世界です。今まで高齢者が少数の時代は施設に入れば良かった訳ですが、これからは自分の意識をしっかり持ち、自己決定を行う。自分がここに居たいという場所で生活出来ることが大事になります。私たちは病気を治すことだけをやって来た時代から、最期の死ぬまで豊かに生きることを目指さなければいけないのです。豊かに生きるというのは生活の中にあるものであり、最終的に死があるということです。逆に施設は、どんなに綺麗にしても、所謂個屋にしても中々生活は見えてこないということです。従って、私は住んでいる所になるべく近い場所、何も自分の家でなくても良いんですが、一人でも住める地域環境を作って、そこに我々が一部関与していくような、全部関与してはいけないのです。だから医療は補助なんですよ。
――日本において〝介護保険、病院医療は国民の誰もが享受される事が可能となっていますが、在宅医療を希望したとしても、質と量が保障されるとは限りません。広がりを可能とするには医師会の力が必要です〟と仰られております。具体的にはどういうことがなされる必要があるということでしょうか?
在宅医療の質というのは、「看取り」まで含めて考えた場合に、例えば90歳の方で重度の認知症で、癌が見つかりました。医療をメインに考えると〝手術をやりましょう〟という話になるのですが、しかし、その人にとってその「手術」を行うことが「最善の医療であるのか」を考えなければいけません。寧ろ、手術をしないことのほうがその方の選択肢として最善であるか等も判断しなければならないでしょう。これについて言えることは、事実は一人の人に1つですが、真実はいっぱいあるのです。人の価値は、何に基づくかというとやはりその方の生活と本人の意識に基づくものであると思っています。従って、全体をみる中で、私たちが判断の材料を提供すること、それが質だと思うのです。あくまでも住民目線に立って大枠をキチッと守り、見極めていく力、先程話しました「生活臨床」が重要であり、それが質だと思います。また量については、出来れば今かかりつけで地域にいる先生が、在宅医療に転換して欲しいと願っています。というのも、自分の診療所の外来へずっとやってきた患者さんは、いずれ通えなくなります。そうすると、当たり前のようにその通えなくなった人を診れる世界が重要です。その場合、今の日本の開業体制ですと24時間その人をずっと看つづけるというのはとても大変になりますから、夫々の町でそのシステムを作らなければいけないのだろうと思います。一人で大変であれば、何人かがグループになる、或いは主事医、副主事医制もやればできるでしょうし、いろんな体制があります。行政も含めてその構造を作りあげることが大事で、医師会はそういう役割でしょう。
―〝なぜいま地域包括ケアシステムか?!〟について、新田会長ご自身の思いやお考えをお聞かせください。
「地域」は何で構成されているかというと、その人のご近所を含めて、家族の血縁があって、地縁があって、其処で皆さん仕事をするので仕事繋がりがあって、場合によっては友達関係がある訳です。つまり、人の関係ってそんなもんです。我々が動ける時はその関係性がブツブツに切れても何所か職業なら職業の中で生きていけるのです。若しくは家族の中で生きていける。ところが、今の時代は、家族や子供が何処かに行き、夫婦が同じ方向性を持たなくなったり、或いはどちらかが亡くなったり、地域の隣関係は誰なのかが分らない、というのが現代社会です。それをもう一回作り上げるということです。そのことを別の言葉綺麗な言葉で語られたのが「自助」「互助」「共助」「公助」です。「自助」「互助」「共助」「公助」が共に成り立つ社会を作りましょうといわれました。つまり、「地域包括ケアシステムの構築」は、高齢化社会、これから迎える人口減少社会を救う究極の「まちづくり」なんです。
―〝私たちは次の世代への課題として、所謂虚弱モデルが重要だろう。様々な健康から虚弱になって身体機能障害になる、たとえ虚弱になったとしても、重度にならないこと〟と話されましたが、他の課題も含めて教えてください。
2006年に厚労省は、介護予防に大転換した訳です。転換して、その時に何所の施設でもトレーニングマシーンをいっぱい導入して介護予防を行いましたが、それが出来たかというと、私は出来なかったと思っています。何故出来なかったのかというと、あの時に私は最初からそう言っていたんですが、一番の介護予防の対象者は80歳の方達なんです。80歳の人が通所の施設に行って筋力トレーニングマシーンを使うなんて想定出来ない訳で、無理だと思っていました。しかし、介護予防をやらないで放置すると虚弱になっていきます。では、どうするのかという話になる訳です。結局、虚弱になっていくのを防ぐには、やはり地域での参加型モデルになります。自分の足で歩いて、何かに参加して、其処でいろんなことを楽しみ、食べたりお喋りをして交流することです。そういうことのほうが寧ろ当たり前の生活の中で出来る虚弱予防であると思っています。統計で示されていますけれども、運動だけでは人は健康にならないんですね。運動して食べて、社会参加することです。この3つが伴わないと元気にならない。運動だけやっていても元気になりませんし、鍛えただけでは筋線維は狭くなります。ちゃんと食べないとダメなんですね。
―最後に柔道整復師の質問をさせてください。柔道整復師は、古来から地域医療を支えてきた医療職種で、骨接ぎ・接骨院の先生として地域住民の方々に親しまれてきました。また柔道整復師はスポーツ現場でもスポーツトレーナーとしてアスリートの怪我やパフォーマンスの向上に役立つ指導を行ってきました。介護分野では柔道整復師は機能訓練指導員として機能訓練を行える職種です。地域包括型ケアシステムの中に柔道整復師の参入は可能でしょうか。
国立市では、マッサージ師さんは入っていますが、柔道整復師さんは入っていないと思います。柔道整復師さんは、それなりにやられていると思っていますが、どちらかというと柔道整復師さんは、施術中心主義です。受動することをヨシとするのが所謂施術でしょう。しかし、トレーナーの役目というのは、逆ですので其処のところが大きな違いであると思います。すなわち、発想を変えれば大丈夫だろうと思いますし、地域包括ケアシステムの中の一員としてやれると思います。
新田 國夫(にった くにお)氏プロフィール
1967年、早稲田大学第一商学部卒業。
1979年、 帝京大学医学部卒業、帝京大学医学部付属病院第一外科入局。
1983年、新行徳病院外科部長。
1990年、医療法人社団つくし会新田クリニック開院。
主な著書:「家で死ぬための医療とケア―在宅看取り学の実践」(医歯薬出版)2007年、「口から食べる”を支える―在宅でみる摂食・嚥下障害、口腔ケア」(南山堂)2010年。
共著・編集:「メディカルタウンの住まい方(30年後の医療の姿を考える会)」。
全国在宅療養支援診療所連絡会会長、NPO在宅ケアを支える診療所・市民全国ネットワーク理事、国立市医師会会長、北多摩医師会副会長、明治大学兼任講師。
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