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第17回日本統合医療学会が華々しく開催!<後篇>

2014/02/16
市民公開講座  21日(土)17:30~18:30まで、『生への希望と統合医療―福島に必要なこと』と題し、福聚寺住職・芥川賞作家である玄侑宗久氏の講演が一般公開された。

講演の前に菊地大会会長が玄侑宗久氏の略歴を紹介。また大雪でギックリ腰を発症された玄侑氏が学会会場に到着されてから統合医療学会の鍼灸師の先生をはじめ総力をあげて早期回復されたことを伝えた。

玄侑氏は冒頭〝佐藤先生に施術していただきお蔭様で痛みが抜けて来るべき所は統合医療学会だなと思いました(笑)。タイトルにある福島は特別な場所に思われていますが、統合医療を考える時には福島に限らない多面的な話かなと思っております〟と挨拶してから講演に入った。

玄侑氏は〝震災でいろいろなことを思い知らされたが、日本人は一から出直すということが好きで得意な民族ではないか。恐らく災害列島であればこそ出来あがってきたものではないか。一から出直すということを我々の体について、考えてみたい。人類の歴史を遡ると、何時頃から言葉が使われるようになったのかは謎で、人間が他の動物と極端に違う生を歩むことになった切っ掛けは言葉だろうと、一から出直すことを人体において考えようと思うと言葉を使う以前の状態に戻ろうということなのではないか。コンピュータも初期化するとちゃんと機能するようになることも多い。我々人間のほうも時々初期化してあげる必要があるのではないか。

初期化するというのは、つまり言語を用いない状態に持って行くということでそういう状態に意識してなれる。言語を使わない脳の状態をいろんな宗教が技術として蓄えてきた。お経を唱える、コーランを唱える、或いはバラモン教でも基本的に経文は暗記をする訳で、暗記しているものを再生する。宗教がいろんな手段を使い言葉を使って物を考えない状態に初期化をしていこうということは、どの宗教にも共通していて恐らく言葉というものが元々統合されている人間の「命」を分断してしまうと思ったからではないか。

言葉を使わない状態を意図的に作るのは、体にも省エネになり、実は言葉を使っていない状態の頭は、体にも楽である。意図してそういう状態を日常的に作れるようになることで、元々統合されていた「命」が、見えてくる。言葉を使わない生き物と使う生き物で何が違ってくるか。例えば、猫の鳴き声は、怒っている時の様子など感情を偽ることは出来ない。しかしひとたび言葉を使うと感情を偽ることも出来て、時には言葉だけがあって実態が無いというものに動かされることがあり、命に根拠のない概念を作ってしまえることになった。言葉によっていろんなものが分断されてきた。

今日はいろんな実験を皆様にもお試しいただきながら、言葉によって分断される以前の初期化された状態を味わっていただきたい。基本的に言葉を用いようがない状態にもちこむ方法を瞑想と大きい括りで言っている。(中略)未来に意識をもっていってある意味で予知することに人間は憧れます。何十年以内に震度いくつの地震が来るとまことしやかに新聞の一面をにぎわせている、一方それ以上のことは来ないと思っている。未来を想定して分りたい。今をどれだけ味わえるのか、今とどれだけガップリ四つに取り組めるのかが我々の心身を統合する鍵ではないかという気がするんです。

福岡伸一先生と対談して〝命とはなんですか?〟と聞きますと〝それは流れでしょう〟と仰った。実に仏教的な生物学者だなと思いました。常に入れ替わって行く、変化し続けていく、そのことを意識し続けておくということはとても大事な気がします。流れが淀むということがいろんな分断を起こしています。流れを止めないと思考ができない。流れというものに意識を乗せることで心身を統合していくという方法を統合していく、元々統合されている訳で、分断をやめるということにすぎない、瞑想と呼んでいる技術をちょっと見なおしていただければと思います〟と述べ、簡単にできる瞑想法を紹介した。

 

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